暁闇に星ふたつ:70



 ロゼアが目を覚ましたのは、日が落ち、すっかり夜になった頃だった。お腹を空かせた寮生が、食堂で幸せな満腹感に満ちている頃である。ソキがロゼアが起きる前にお風呂行ってふわほわになっているべきか、悩んでいる時のことだった。あ、とシディが声をあげるより一瞬はやく。

 ぱっと振り返ったソキは、ねぼけまなこのロゼアにのしかかるようにして抱きついた。

「ロゼアちゃん、ロゼアちゃん、ぎゅうー! はぅ、はう、にゃう……!」

 ロゼアはぼんやりしながらソキを抱き寄せ、仰向けに寝返りを打った。ふあ、と幼いあくび。脚をからめ、お腹の上に乗せたソキの髪を、ロゼアは指でくしけずるように幾度か撫でた。ふにゃー、と幸せでとろとろの、ソキの声が響く。

「……あ、あっ、ロゼアちゃん? おはようございますですよ。起きる? 起きるです?」

「おはよう、ソキ……」

 やんわり笑ったロゼアが、ソキの頭を首筋に引き寄せる。髪の匂いをかぐように鼻先を埋めて、ロゼアはゆっくりと、ひどく落ち着いた様子で深呼吸をした。

「ごめんな、ひとりで寂しかったな。もう大丈夫だよ」

「あのね、あのね。ソキはロゼアちゃんがお眠りの間にも、課題をちゃあんとやったんですよ。えらい? えらい? かわいい? ほめて?」

「うん。かわいいな。かわいいソキ。えらいな……よく頑張りました」

 珍しく、覚醒しきらないのだろう。普段よりあどけない笑顔でソキを誉め、ロゼアは照れるソキを強く抱き寄せた。体いっぱいにかかるソキの重みと、温もりと、香りを堪能する。満たされて、取り戻して、ほっと息を吐き出して。ようやく目を覚ましたロゼアは、あれ、と言って瞬きをした。

「シディ? どうし……なんで頭を抱えてるんだよ」

『いえ……。お付き合いを……されていないと……ソキさんから聞いていたものですから……』

「うん? そうだな。……あれ、リボンさんまで。おはようございます。どうされました?」

 その質問には答えたくない。妖精はシディと同じく頭を抱えながら、ソキの頭上までひらりと舞い降りた。不思議がっているロゼアを半ば睨みながら、至近距離で魔力を確認する。ざらざらと荒れていた魔力は、満ちて穏やかな水面を感じさせた。呆れる程に落ちついている。

 妖精はロゼアに乗っかったまま落ち着いてしまったソキの肩に降り立ち、頬をぷにぷにと手で押した。

『寝るんじゃないのよ。ほら、乗っかってたらいつまでもロゼアが起きられないでしょう?』

「やぅー。ソキは今、ロゼアちゃんにおはようのぎゅうをしてるんですぅ」

「リボンさん。俺はこのままでも起きられますから……よっと」

 ソキが転がり落ちないように背に手をそえて、首に手を回させて。ロゼアは腹筋の要領で体を起した。寝台に座るロゼアの膝上で、ソキはよじよじ身動きをし、落ち着くところを見つけるとこれでいいですぅ、とばかりふんすと鼻を鳴らす。

 んー、とまだ眠そうに目を擦るロゼアの手は、離さずソキの腰を引き寄せていた。

「寝すぎたな……。ソキ、おなかすいただろ。ご飯食べに行こうな。……汗臭いかな。ちょっと待っててくれたら、先に俺お風呂に行ってくるけど」

『ソキ、ひっついて匂いをかごうとしないの! 気になるならさっさと着替えなさいよ。ソキがおなかすいてしょんぼりする前にね!』

『ソキさんは……たくましいですね……』

 ロゼアちゃんをふすふすするちゃんすだったですぅー、とくちびるを尖らせてむくれながら、ソキは仕方がなさそうにロゼアの膝から降りた。さすがに、ソキを抱き寄せたままで着替えは出来ないからである。

 ちょっとだけ待っててな、と立ち上がり、衣装棚の前で寝巻きを脱ぎ捨てていくロゼアを、ソキは手で顔を隠すことなくきゃあきゃあと見つめた。




 恥じらいと慎みを持ちなさいと妖精に怒られて、ソキはぺしょりとロゼアの肩に頬をくっつけた。

「リボンちゃんたらすぐ怒るぅ……」

『アタシに怒られるのが嫌だったら、アタシに怒られるようなことをしないでちょうだい』

「ぷぷぷ」

 肩でふくらんだ頬がくすぐったかったのだろう。歩きながら笑うロゼアの隣を、落ち着いた態度でシディが飛んでいく。妖精の傍からやや距離を保っているのは、近づいたら最後、羽根を掴んで引っ張られるのが目に見えているからだ。

 ようやく捻挫が治ったんですよ、と羽根をさすりながら呟くシディに、ロゼアは大変なんだな、と苦笑した。とん、とん、と階段を降りていくロゼアの足取りはしっかりしていて、抱き上げるソキの重みを負担に感じている様子もない。

 魔力が安定して、体調も回復したのだろう。それでも、些細な変調を見逃してしまわないよう注意しながら、シディは薄暗い寮の廊下を照らすよう、ロゼアの目の高さで飛んでいく。世界に存在する、第四の魔力のひかり。妖精のひかり。それを魔術師は、注視せずとも視認する。

 ふあふあ落ち着ききったあくびをしたソキは、ロゼアが階段を降りきった所でそのひかりに気がつく。

「あ! ナリアンくんとニーアちゃんと、メーシャくんとルノンくんですー! おかえりなさいですうう! 遠足どうだったです? ソキに教えてください!」

 廊下の向こう。『扉』で他国と接続する場所からゆったりと歩み寄ったナリアンが、疲れた顔で遠足、と呟いた。

「遠足……むしろ小冊子の題字を直さずに、俺に覚悟を決めさせてからにして欲しかった……」

「でも、遠足だと思い込みたい気持ちも分からなくもないよね……。目がしぱしぱする……。ただいま、ソキ。ロゼア。ルノンから聞いてたけど、リボンさんとシディさんもいらしてたんですね」

「んん? ちっとも分からないです」

 おはなしをしてくださいです、おはなし、とちたぱたしながらねだるソキの目の前に、穏やかに下りたのはルノンだった。メーシャの案内妖精は笑いながら、今日は勘弁してやって、と囁きかける。

『ちょっとね、大変だったんだ。メーシャはよく頑張ったよ。もちろん、ナリアンも。だから、おはなしはまた今度……俺でいいなら教えるけど』

「ルノンくんもメーシャくんとご一緒に遠足だったです? ソキ、ルノンくんのおはなしを聞くです!」

「ありがとう、ルノン。ごめんね、ソキ……。うーん、ご飯は食べたんだけど、おなかすいた……だめだ、寝たいけど、寝る前に食堂に行こう……」

 俺も行くもう一回ご飯食べないと眠れない、と半泣き声で言うナリアンの隣で、ニーアもこくこく頷いている。聞けば砂漠で夕食が振舞われたとのことだが、帰ってくるほんの僅かな間でおなかがすいてしまったらしい。

 大変だったんですね、としみじみ頷き、ソキはロゼアの背中をぺちぺちと叩いた。

「ロゼアちゃん、ソキも一緒にご飯を食べるです。やっぱり、お風呂はご飯のあとにするですよ」

「え? ふたりとも、ご飯まだなの?」

「あのね、ロゼアちゃんがおねむりさんだったの。ソキはけんめいに看病をしたです」

 看病という言葉の意味を見失った顔で、妖精とシディが沈黙した。え、とぎょっとした顔で、ナリアンがロゼアを見る。

「ロゼア、風邪引いたの?」

『アンタ今のソキの説明で、なんでそこまで辿りつけんのよ……』

 引き気味の妖精を不思議がりながら、ナリアンは看病と言っていたので、と告げる。ソキの説明って推理力と連想力を試されるよね、とほのぼのした表情で頷くメーシャにも、それで通じていたらしい。

 コイツらがよってたかってこんなんだからソキの会話力が一向に育たないのでは、という疑惑に、妖精が頭を抱えてよろめいた。ロゼアはそれぞれの反応に苦笑しただけで特に意見を告げず、友人たちを安心させるように頷いた。

「うん。でもたくさん寝たから、もう大丈夫だよ。……ありがとうな、ソキ」

「ロゼアって風邪引くんだね……」

「風邪じゃないよ。引いてない、というか……メーシャは俺をなんだと思ってるんだよ……」

 なにって、とメーシャはうつくしい面差しを柔和に和ませ、ロゼアだよ、と言い切った。ナリアンが無言で深々と頷く。ロゼアも体調崩すんだね、とナリアンにまで言われて、ロゼアは憮然とした様子でそういうんじゃない、と繰り返す。

「体調も、崩した訳じゃなくて。寝てたのは確かだけど……ああ、いいや。食べながら話す。なにか残ってるといいけど」

 好きなものを好きなだけ食べられるように用意されていると言えど、すでに殆どの寮生が食事を終えた後である。あるといいね、おなかすいたね、と言葉を交わしながら、四人は妖精を連れて談話室の前を通過していく。

 ロゼアの様子が気になって伺っていた者や、ナリアンとメーシャの帰りを確認して胸を撫で下ろしていた者たちは、その様子に顔を見合わせ笑いあった。この場所へ踏み込むまでに、案内妖精との別れは来るのだけれど。

 入学式みたい、と誰もが。思い出を振り返り、心を和ませた。

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