暁闇に星ふたつ:66
『で? アンタ時間を計ってたんじゃないの? いいの?』
砂はソキがほにゃほにゃの説明をしている間に落ち切ってしまっている。あっと声をあげ、ソキは慌てて香草茶のティーバックを、ポットの中からひっぱりあげた。中を覗き込み、ふんすふんすと匂いを嗅いで、ソキはやや不安げにくちびるを尖らせる。
「ですぎちゃったかもです……」
『ひとつのことにしか集中できないんだから、お茶を淹れてる時はじーっとして待ってなさい。分かった?』
「はぁい……。うーん……あ、おいしです! よかったですー。ねえねえ、リボンちゃん? シディくん。ソキとお茶をご一緒しませんですか、です。あのね、お砂糖もありますよ」
ロゼアちゃんたらすごーいです、とソキが自慢する通り、机の上には角砂糖の用意があった。小皿に山と積まれているのはソキのお茶には多すぎる。恐らくは、ニーアを連れてきていても足りる量だろう。今日訪れると、知らせた覚えはないのだが。妖精は無言で角砂糖をかじった。
「ねえねえ? リボンちゃんは、今日はいつお帰りです? あした? あした?」
『質問の言葉は正しく選びなさいね、ソキ。……明日か、明後日か。ちょっと、しばらくはいるわよ』
「ソキ、リボンちゃんと一緒におふろにはいるぅー!」
きゃあんきゃあん喜んで、ソキはそわそわとロゼアを振り返った。眠るロゼアをじいっとみつめ、頬を赤らめてこくりと力強く頷く。
「あったかふわほわいいにおいのソキをぎゅっとして眠れば、ロゼアちゃんは、元気になる筈です……! ありがとうのちゅうがあるかもです……!」
『ありもしない可能性に期待するのやめなさいよどうせべこべこにヘコむに決まってるんだから』
「あっ! そうと決まれば、ソキは課題をしなければいけないです。おさぼりさんは卒業です」
急いでクッキーをかじるソキに、喉に詰まらせるからゆっくり食べなさい、と妖精は言い聞かせた。眠って気持ちも落ち着いたらしい。やる気が出たのはいいことなのだが、ソキのやる気というものは、大体の場合、なぜかしなくて良い方向へ突進する。ふにゃふにゃ鼻歌を響かせながら、ソキはだってぇ、ともじもじ身をよじる。
「ロゼアちゃんたら、最近ソキにめろめろなんです。だからね、これは、もしかするともしかするです!」
『ロゼアは最初からアンタにめろめろでしょうよなに言ってんのよ』
「ちぃーがぁーうーでぇーすーうー! 前よりぃ、ずぅっとぉ、ロゼアちゃんたらソキにめろめろなんですよ? あのね、あのね、な、なんと! なんとですよっ! なんと! ソキがねむてる間にろぜあちゃんたら、ろっ、ろぜあちゃんったらっ! ソキに! ソキに、ちゅっ……ちゅうを……!」
きゃぁあああやぁあああんっ、とソキは頬を両手で包んではしゃぎたおす。元気が出てよかったと己に言い聞かせる眼差しで、妖精はソウナノヨカッタワネー、と言ってやった。シディが苦笑いしながらロゼアを見る。幸い、ソキは声が大きくても、ふんわほんわ響くだけで、耳をつんざくような激しさを持つことがない。薬によって沈められた意識は、未だ眠りの中にあった。
はぅ、はぅ、としあわせに息を乱しながら、ソキはとろける瞳で指先を擦り合わせる。
「でもでもロゼアちゃんたら恥ずかしがりやさんです。ソキが起きてる時にはしてくれないです。それに、くちびるはまだちゅうがお預けさんです……あ! お風呂でくちびるを丹念にお手入れすれば……! ちゅ、ちゅうがっ……っ?」
『興奮してもいいけど呼吸はしなさいね、ソキ。……なに? ロゼアのヤロウに寝込みを襲われてるの?』
「そうなんですううううっ!」
ロゼアもおとこのこですね、と理解あるやさしい目でシディが頷く。
『いけませんよ、リボンさん。呪ったら』
『ほんとコイツむっつりだなむっつりだなとは思ってたけど、寝込みを襲うようになったのかと思ってるだけよむっつりロゼア本当このヤロウ……! ……ソキ。アンタも起きてるなら言ってやりなさいよ』
「違うです。ソキは眠っちゃってるんですけどぉ、起きた時にね、あのね、ちゅうの……ちゅう! ちゅうの! ちゅうの! 感触がのこてるですうううきゃぁああんきゃぁああんはう、はうっ……はうぅ……!」
しあわせな呼吸困難に陥るのを、コイツほんと頭のてっぺんから爪先までなにもかもどんくさいな、と腕組みをして眺め、妖精は一応聞いてやることにした。本人が完全に喜ばれているので問題という問題ではない気がするが。なにせ相手はむっつりである。確認しておかねば不安だった。
『ソキ? 起きた時、服はちゃんと着てるの?』
「そうなんです……。残念なことです……」
『落ち込むんじゃないわよ安心しなさいよ……。じゃあ、体のどこかが変に痛かったりとか……ぶつけた覚えのない痣、とか』
あざ、と意味が分からない言葉として繰り返し、ソキはぱちくり瞬きをした。んん、と知識を探る呟き。
「……あざ? ですぅ? リボンちゃん、それなあに? お服に乱れがあったりすると、痣ができたりするです? 怖いことです……」
『ああうん、分からないなら知らないでいいわ。アタシは教えないわよ』
「んー……? うん。分かったです」
過度の執着は、弱い『花嫁』の毒にしかならない。壊されてしまう可能性のある行為は、閨教育からも徹底して排除されていた。ううん、痣はぶつけちゃうとできるし、痛いですからね、とよく分からないなりに呟く。大丈夫ですよと頷いたソキに、妖精は額に手を押し当てた。
『まあお風呂でアタシが確認してあげるわよ……。死角にないとも限らないし……あったら呪っていいわよね?』
『その時は僕がまずロゼアと話し合いの場を持ちます。教えてください』
『ロゼアに甘いんだから……!』
案内妖精とは須らく、導いた魔術師に甘いものである。そうですねと頷くシディに舌打ちをして、妖精はううん、とまだ思い悩むソキへ改めて問いを向けた。
『で? アンタどこに感触が残ってるっていうの? 脚? 脚よね? 脚のどのあたり? ふともも? それとも爪先?』
先日、ソキが眠っている間に脚の手入れをしたロゼアは、見ていた妖精がきもちわるくなるくらい楽しそうだったのである。思い返せばソキの服で脚が出ていたり、その形が分かるものはひとつもなかった。ズボンをはいているのも見たことがない。
スカートも膝丈ですら見たことがない。どんなに短くても、膝のまるみは徹底的に隠されている。夏であっても、もちろん、冬の今もなお。足首すら露出がない。肌が見えるのは、それこそ風呂場くらいのものだ。ロゼアの意思がない筈がなかった。
それなのに、ソキは妖精の言葉にくてんと首を傾げてしまった。
「ふにゃん? おあし? ……おあしにもちゅうなの?」
『アタシに聞かないでちょうだい。は? なに? 脚じゃないの?』
「おあしぃ……?」
スカートをよじよじたくし上げて行く動きから、シディがすばやく目を反らした。止めて下さいと求められるのに、妖精はいいから顔を背けてなさいよと白い目になる。ソキはタイツの上から脚をじーっと見つめ、んしょんしょ、と言いながらスカートを元に戻した。
「おあし? おあしにちゅう……ちゅう……?」
『覚えがないならされてないのよ。諦めなさいなに考えてるの』
「なでなでならしてもらうですけどぉ、ソキねえ、おあしに触るのはやんやんなんですよ。きもちくなっちゃうです。だめです」
その事実は知りたくなかった。羽根を引っつかんで捻りながら、妖精はいいこと忘れなさいよとシディに脅しかける。もちろんです僕だって知りたくはありませんでした、とシディは呻く。
ロゼアちゃんにもやですって言ってあるです、やんやんなことをする筈がないです、と一人勝手に納得し、ソキは気を取り直して自慢した。頬から、手をすべり落とすようにして顎の下、首の肌に触れる。
「あのね、ロゼアちゃんがちゅっちゅってしてくれるのはね、このへんなんですよ?」
『首……?』
「じつはぁ、今日の朝もちゅうがあったです……! でもでも、ソキが起きた時には机でお勉強してたんですよ。ロゼアちゃんったら勤勉ですぅ……」
自慢しながらもガッカリしているのは、隣に寝転んで撫でたりしていてくれなかったからである。ソキが参考にしていた本によれば、ちゅうをして起きる朝は髪を撫でてうっとり微笑んでいてくれたり、そのままもう一回きもちいのをしたりするのが普通だったのに。
ぷんむくれながら訴えるソキに、妖精は白んだ目ではいはいそうね残念ね、と言った。
『でも、どうせすぐ抱っこはしたんでしょ?』
「今日もご機嫌だな、どうしたの、ってぎゅうをしてくれたですぅ……!」
どうしたもこうしたもお前のせいだろこのむっつり、と妖精は心の中で思う存分ロゼアのことを罵倒した。白々しいにも程がある。ぎゅっとされて抱っこしてもらったので、ソキはロゼアちゃん続きをしてもいいんですよぉ、ときらきらわくわくそわそわしながら誘ってみたのだが。
ロゼアは、うんありがとうな、と言って授業の予習に戻ってしまったのだった。授業の予習である。ぎゅうでもちゅうでもきもちいいのでもなかった。一応、ソキはもしかしたら、と予習が終わるまでも待ってみた。しかし期待した続きはないまま、朝食へ行き、今へと至る。
アンタたち実は意思疎通ちゃんと出来てないんじゃないの、と呆れ果てた妖精の言葉に、ソキはぷーっと頬を膨らませて。転がっていたアスルを引き寄せ、不満げにもぎゅもぎゅ押しつぶした。
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