暁闇に星ふたつ:35
一曲が終わる。自然に起こった拍手に背を押されて、リトリアはストルと手を繋いだまま、ツフィアたちの下へ歩み寄った。手を離すのが嫌だった。どうしても繋いで、触れていたかった。
満ち足りた幸福が、胸の中で落ち着いていくのを感じる。泣きそうなのは、これからのことを覚悟しているからだ、とリトリアは思った。踊りの輪と光、熱とざわめきの中から抜け出して、リトリアは微笑むツフィアと、レディの前で足を止める。
「ツフィア。……はなしが、あるの」
おかえり、という言葉を受け止められる気がしなくて、遮るようにリトリアは言った。繋いだ手をようやく離して、ストルを振り返る。
「ストルさんも。話したいことが、あるの。……時間をください」
「今、これからか?」
「そう、これから。……大丈夫です。陛下に許可は頂いてあるの。だから、もし……もし、嫌でなければ」
あらかじめ伝える勇気も、リトリアにはなかった。不意打ちで願うことしか、できなかった。ストルは苦笑して、嫌だと思うことはなにもない、と囁き、離れたリトリアの手を指先で絡めとる。
「聞くよ。だから……離れないでいてくれないか。レディ、近くに座って話を聞いていいんだろう?」
「細かい言質取ろうとするのやめてくれない? その、近くの範囲に膝の上は含まれませんってわざわざ言われないと分からない? そして残念ながら、会話する条件として一定距離を! 一定距離を保つように! 言われてるのよね!」
一定距離を明確に示しておくと三メートル以上ですっ、と告げられて、ストルは目を細め息を吐き出した。誰だそこまで決めたのはと不機嫌に問いかけられ、レディはソファから立ち上がり、堂々とした仕草で胸に手を押し当てる。
「は? 私に決まってるでしょう? なにか文句でも?」
「あなたたちはどうして一々喧嘩腰になるのかしら……。リトリア、こちらへいらっしゃい。どこで話をするかは決めてあるのね?」
うん、と頷いて、リトリアはツフィアの手招きに歩み寄ろうとしたのだが。くい、と繋がれたままの手が引かれて、場に留められる。ストルを見上げても、微笑まれるばかりで離されるそぶりがない。ストル、と咎める声をツフィアがあげるのと、リトリアの動きは同時だった。
「もう、ストルさん」
繋いだ手を包み込んで、口元まで引き寄せて。頬を擦り付けるように触れさせて。まっすぐに目を見て、リトリアはあまく、それをねだった。
「レディさんの言うことを聞いて? 喧嘩しちゃだめよ。……手を繋ぐのは、また後でね」
「……ああ」
深い、溜息のような声で答えて。手を開放したストルに、リトリアはありがとう、と照れくさそうにはにかんだ。とことことツフィアの元へ行くのを見送り、ストルは額に指先をあてて呻く。
「……レディ。どういうことだ」
「事案の後遺症というか進化系ですけどなにかっ! 終わったら詳しく聞けばいいじゃないっ? 話す気力が残っていればのことだけどね! 今日という今日こそべこべこにへこんで声もなく泣けばいい」
完全に本気の呪詛じみた声で言い放たれ、ストルは不愉快に眉を寄せ、本当にお前は俺が嫌いだな、と言った。レディはそもそも、入学した時からストルに対してはこんな態度である。
隠すことなくまっすぐな意思で頷き、最近ますます嫌いになってるもの、と息を吐く。物の考え方も、立ち居振る舞いも、告げる言葉のひとつひとつも。ストルは似すぎている。
レディがその炎の中に失わせてしまった、得られた筈の幸福に。
八つ当たりだ、とレディは分かっている。ストルも、十分にそれを理解している。だからこそ甘んじて、半ば八つ当たりを受け入れる態度も、気に入らない。
だったらなんで、とどうしようもない言葉が口をついて出かけるのを、何度も何度も堪えている。なんであの時、わたしを、あのひとを。助けに来てくれなかったの。
親友だと言っていたから、レディはストルの名を知っていたし、休暇中に遊びに来たから顔を見たこともある。言葉を交わしたことも。
叶わないもしもの可能性は、今もレディの胸をかきむしる。
「……それでその後、幸せにでもなんでもなりなさいよ」
「レディ、お前は」
続く言葉を聞く気はない。レディはストルから離れて、リトリアたちの後を追った。
寮の二階の一室。長く使われていない部屋は、魔術的に閉鎖されていた。白雪の錬金術師が、朝からせっせと準備をした成果である。扉を閉じた瞬間に発動した術式に、ツフィアはすぐ気がついたのだろう。
渋いものを口に含んでしまった顔つきで、エノーラ、と呟き、溜息がつかれる。ふたりは同年入学なのだという。なんとなくもやもやしたものを感じながら、リトリアは用意されていた椅子に腰かけた。
その背後にレディが立ち、すこしばかり距離を置いて並べられた椅子に、ツフィアとストルが腰を下ろす。
「……一定距離で三メートルじゃなかったのか」
「ああ言えばこういう男は嫌われると思うからリトリアちゃんには再考を熱く強く激しく求めて行きたいんだけど、敗因はそんなに広い部屋がうまいこと開いてなかったってことよね……。心配しないでも、エノーラがみっ……ちり! 対策してくれたから、魔術的な距離感はそれくらい開いているものと思ってくれていいわよ」
寮の廊下は静まり返っていて、部屋の中の会話はやけに響いてリトリアの耳に届く。言葉がきんきんと跳ね返って、どこか痛いようで、落ち付かない気持ちになる。聞こえているのに、分かっているのに、意味が意識を上滑りしていく。
緊張で俯いてしまったリトリアに、ストルとレディが互いに責任を投げつけあう言葉が響き、ツフィアの息が吐き出されるのを聞いても、うまく反応できないままだった。視線は床に向いている。そこへ漂う膨大な魔力を見つめている。
エノーラが一室に施した術式は多岐に及ぶ。魔術的な閉鎖は、万一のリトリアの魔力暴走を危惧するもの。ふたりとの距離を定められたのは、同じく、万一の時にリトリアが傷つけてしまわない為だった。
制御を失った魔力は、魔術師に対する純粋な暴力に変貌する。ソキの、帰りたいという意思ひとつが世界に風穴をあけたように。同じだけの力が、魔力を持つ者に向けられる。
レディが傍らに控えるのは、リトリアのそれが荒れた時の制御であり、予兆を見出す監視であり、そして執行の為だった。火に触れた花のように、一瞬で。終わらせる為だった。
対策はしてあげる。私のできること、全部。なにもかも全部使って、してあげる。だから安心して行っておいで。大丈夫、と笑って。白雪から楽音へ戻る日に、エノーラはリトリアに笑ってくれた。
なにがあっても、あなたが誰も傷つけないように。守るだけの手段と力を、ちゃんと用意しておいてあげるからね。囁きの優しさを、まだ覚えている。リトリアは緊張で強張る手を握って、息を吸い込みながら顔をあげた。
大事にしてもらった記憶を、大切だと言葉にされた意思を、想いを。気がつかないふりをしないで、目を逸らさないで、ちゃんと受け止める。
「レディさん。……ストルさん、ツフィア」
うん、とレディは頷いて囁く。大丈夫、ここにいるからね。ツフィアは目を合わせて微笑んだ。あなたの話を聞かせて、と眼差しが語りかけてくる。ああ、と言ってストルはリトリアの名を紡いだ。
どんな言葉でも、想いでも。聞かせて欲しい、と求められる。一瞬、心に忍び込む寒々しく否定的な気持ちを、記憶の中のあまやかな声が払って行く。
勘違いですよ、大丈夫。愛されていると分かったでしょう。はい、と頷いて。リトリアは息を吸い込んだ。
「お時間を頂いたのは、他でもありません。ふたりに、確かめたいことがあったからです……」
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