暁闇に星ふたつ:18


 たとえば、ロゼアに幸せになって欲しい、という気持ちと、ソキが幸せになりたい、という気持ちがのどちらかしか選べないのだとして。ソキが選ぶのは、ロゼアに幸せになって欲しい、という想いだった。

 幸せになりたくない訳ではないのだけれど。ロゼアが幸せでいてくれるなら、ソキはそれで十分嬉しいのだし。なにより、ロゼアを幸せにできる女の子、というのは、つまりそういうことだと思うのだが。

 でもなんだか、違う、と言われてしまった気がして。考えてもよく分からなかったので。夕食を終え、眠る前の時間。ソキは女子湯冷め室でロゼアの迎えを待ちながら、それを先輩に聞いてみることにした。

 問われた少女たちは難しそうな顔をして、今日出かけてなにしてきたの、と好奇心と困惑いっぱいに呟いた。

「喧嘩でもした……? 違うよね? というかロゼアくんと喧嘩とかするの?」

「ソキの方がロゼアちゃん好き、俺の方がソキのこと好き、とかいう喧嘩でもしたの……? いやでもロゼアくんその辺は譲ってくれ……る……? くれない……? え? なんの喧嘩したの?」

「けんかじゃないー! ですー! もぉー、先輩はソキのお話をちっともちゃんと聞いてくれないですううう!」

 いけないんですよぉ、と叱りつけるソキに、わーい怒られちゃった、と喜ぶ女子が大多数である。そもそも人の話をちゃんと聞かない、という点において、ソキは誰かを怒れる立場ではない。

 もぉーっ、とソキも本気で怒っている訳ではない声をあげ、湯冷め室のソファにもそもそと座り直す。女子浴場と更衣室の近くに最近新設された、この湯冷め室は、いわば小規模な女子専用談話室である。

 体を休める椅子やソファがいくつか、机や本棚、ちょっとした筆記用具が置かれており、風呂上がりの火照った体を落ち付かせる目的で作られた。そういう名目でごりおして、ロゼアが女子を巻き込んで設置許可をもぎ取って来たものだ。

 体調不良が極まっていた時期のソキが、風呂上がりにちょこちょこ談話室まで戻ろうとして行き倒れるのを防止する為の一室である。

 ほぼソキの為に作られた部屋であるので、椅子やソファ、絨毯などは『お屋敷』から送られてきたものを流用している。

 つまり最高級品であるから、最近の少女たちは湯上りに談話室に直行するのではなく、こちらへ立ち寄っていくのが流行になっていた。その為に、普段は交流の乏しい年上の少女、女性たちもいる中で。

 ソキはちょっぴりひとみしりしている気持ちで、んー、とぐずるように唇を尖らせた。

「あのね。ロゼアちゃんを幸せにするのと、ソキが幸せになるのはね、別だと思うです」

「うん。そうだね……?」

「でしょう? それでね、ソキはね、ロゼアちゃんが幸せになるのがいっとう大事なことだと思うです。ロゼアちゃんが幸せになるのが、ソキはいいんですよ。でもね、なんだかね、怒られた……ような……ちがうって言われたような、気が……気がするです……」

 ロゼアちゃんにそう言われたんじゃないですよ。別のひとです。それで、そういう風に言われた訳じゃなくって、ソキが勝手にそう思ってしまってるだけなのかもなんですけど、でもでもソキはそう思ったです。

 なんだかなっとくができないです、と。むくれるソキに、少女たちの一部がそっと頭を抱えた。気持ちは分からなくもないし、頼ってくれて嬉しいが、この相談は手に余る。

 一部からちらちらと視線を向けられて苦笑したのは、学園の在学生の中でも年上の者、あるいは結婚している者たちだった。助けて助けてこれどうしよう、と求められて、そうねぇ、と一人が吐息を零す。

「ロゼアくんと話し合うのが一番。というより、話し合う他ないわ。ひとそれぞれだもの」

「どちらが悪い、どちらが良い、という問題でもないから……。あえて決めなくてもいいと思うけど。どうしてそんなこと?」

「今日会ったひとにね、間違えたらだめよ、って言われたです」

 ソキの返事としては、まだ分かりやすい方である。入学から一年以上経過しているが故に、少女たちはソキの言葉足らずから読みとる、という能力を鍛えられている。

 誰がそんなことをソキに言ったのかと首を傾げながらも、少女たちはああでもない、こうでもない、と眉を寄せて言葉を交わし合った。ざわめきは一向に纏まりを得ず、ソキはだんだんしょんぼりした気持ちになってくる。

 そんなに難しいことだったのだろうか。そんなに難しくて、複雑なことなんだろうか。気落ちするソキに、つまり、と総括したのは、腰に手をあてて牛乳を飲みほしていたルルクだった。

「ロゼアくんが幸せになる、と。ソキちゃんが幸せになる、が。実はホントはいまひとつ同じじゃないってトコが問題なんじゃないの?」

 とん、と空き瓶を机に置いて。ルルクは集中する視線に、得意げな表情でそれじゃあっ、と一気にテンションが上がった声で言い放つ。

「説明するねっ!」

「手短にー、お願いするですー」

「ロゼアくんが幸せになるとソキちゃんが幸せじゃない、ソキちゃんが幸せになるとよもやまさかロゼアくんが幸せじゃないなんてことはまあなんていうか絶対にないというかありえないと思うけど間男とかにソキちゃんがかっさらわれない限りというかその場合別にソキちゃん幸せじゃないと思うからこれはそもそも成立しないんだけど、まあそんな感じだと仮定したとしてどっちを優先するとかどっちがどうこうとかそうじゃなくて片方という概念を捨てて両立させてなんやかんやすればいいのではないのかと!」

 内容をほぼ聞き流しながら、ソキは息継ぎが二回しかなかったことに、しみじみと感心した。手短にしてとお願いしたのに、短くなかったのがいけないのである。短い時間で一気に言えば手短枠に入れると思う方が間違っている。

 ふあふあ、とちょっと飽きたのと眠いのであくびをするソキに、ルルクは結論だけ持ってくるとっ、と言い放った。

「ロゼアくんを幸せにする作業・過程・結果で、ソキちゃんも幸せになろう! そういうことです!」

「……んん?」

「いやこれ別に難しいことじゃないからね……! よく分からないですっていう顔しないで欲しかったな……っ?」

 あと牛乳飲む、と尋ねられて、ソキはふるふると首を横に振った。

「いらないです……。それは、だから、やっぱり、ソキがロゼアちゃんをしあわせにするおんなのこになれればいい、ってことなんです?」

「えっいまとなにが違うの」

「ソキの誘惑でロゼアちゃんがめろめろになって! ソキにきもちいいことをしてくれたら、きっとそういうことなんですううう!」

 つまりつまり、ソキはもっと魅力的になって、ロゼアちゃんの好き好きでいっぱいになって、それでそれでねっ、と意気込んで説明するソキに、ルルクはふと真顔になって。

「いやでもロゼアくんこないだ性欲ないってことで決まったから難しいんじゃ……?」

「やあぁあああどういうことなんですうううっ……! あっロゼアちゃんろぜあちゃたいへんですたいへんたいへむぐっ」

「しー! ソキちゃん、しー!」

 迎えに現れたロゼアに必死に訴えようとするソキの口を、近くにいた少女が数人がかりで塞ぎきった。

 ロゼアは基本的に誰にでも優しいし、少女たちにも穏やかに丁寧に接してくれる好青年であるのだが、しかし在学生はこの一年で誰もが痛感したのである。ただし、ソキが絡んだ時を除く、が絶対的に付与することを。

 いまも、部屋の出入り口で穏やかに微笑んでいるロゼアは、なにをしてらっしゃいますか、と口調だけは丁寧であるし、女子専用室であるから踏みこんでこようとはしていなかったが、目がやんわりと訴えかけてきている。

 いいからソキからその手を離せよ、と。無実ですっ、と全力主張するように両手を上にあげた少女たちの間をすりぬけ、ソキはええん、と半泣きの声をあげながら、とてちてロゼアに歩み寄った。

「ロゼアちゃぁん……! ソキはロゼアちゃんがだいすきなんですぅ……!」

「うん? うん。俺もだよ、ソキ」

 足元まで来たソキをひょいっと抱き上げ、ぽん、ぽん、と背を撫でるロゼアの気配が柔らかく解ける。不機嫌なロゼアにはソキを与えて距離を取れ、というのも、ここ一年で生徒たちが学んだ鉄則だった。

 それじゃあおやすみなさい、と口々に言って湯冷め室から走り出て行く先輩たちに、おやすみなさいと礼儀正しく返して。ロゼアは肩にぺとんと頬をつけ、ねむたげにうとうとするソキに、ふ、と満たされた微笑を浮かべた。

「眠ろうか、ソキ」

「ろぜあちゃんきもちのないの……?」

「ん? ……え、なに? なんのこと、ソキ」

 問い返したロゼアに、ソキは半分ねむりながら、ふにゃうにゃと言葉にならない声で訴える。ううぅ、とねむたげに頬がすりつけられるのに笑って、ロゼアはソキを腕に抱いたまま、ゆっくりと寝室へ歩き出した。

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