暁闇に星ふたつ:16


 ロゼアはディタと話があるらしい。香草茶を給仕してすぐ離れて行ってしまったので、ソキはスピカと一緒にソファにさかさまに座って、話しているのを眺めることにした。

 ソファの背から、ぴょこ、ぴょこ、と『花嫁』たちが顔を出すのに時折笑みを向けながら、二人は酒瓶の並ぶカウンターに背を預け、立ったままで会話を続けている。言葉はひとつも聞こえない。

 じーっと見つめて、意識を集中させても、ちっとも分からない。ぷぅ、と頬を膨らませ、ソキは不満げに呟いた。

「なんにも分からないです……」

「聞こえないねえ……。旦那さま、ロゼアくんをいじめていないといいんだけど……」

「ロゼアちゃん、いじめられるですっ? やんやん、だめぇ! ロゼアちゃんをいじめちゃだめぇっ!」

 甲高いソキの声に、ディタとロゼアはそっくりな仕草でぱっと顔を向けた。ディタは申し訳なさそうなスピカを見てから、ロゼアは安心させるような眼差しで、それぞれ微笑みを浮かべて語りかけてくる。

「大丈夫。いじめたりは致しませんよ。スピカ? しない、と言ったろう?」

「旦那さまいじめっこなんだもの……。気に入ったひとはすぐにいじめる。スピカ知ってる」

「ソキ。大丈夫だよ。ありがとうな。……お茶は飲まないの?」

 疑わしげな眼差しをじいいっと向けるスピカの隣で、ソキは真面目な顔をしてこくん、と頷いた。

「ソキ、お茶、さっき飲んだです。今はお話をぬすみぎ……んっとぉ。ロゼアちゃん? なんのおはなし、してるです? ソキにはちーっとも聞こえないですうぅ」

「相談と、連絡と、報告だよ。ソキ。ソキはスピカさんとおはなしするんだろ? 俺のおはなしを聞くんじゃないだろ」

「私のことは気にしなくていいのよ」

 ぴょこっと顔を覗かせたまま、きりりとした決意すら感じる声でそう言われてロゼアは苦笑した。そうですそうです、と甘えた声で同意して、ソキはじーっとロゼアを見つめた。

「もしかしたら、お兄さまがぁ、ロゼアちゃん経由でディタさんをいじめるかもしれないですしぃ……!」

「おにいさま? いらっしゃるの?」

「そうなんです。ソキのね、お兄さまは、レロクっていうんですけどね。いまは『お屋敷』の、ごとうしゅさま、をしているんですよ? えへへん、すごーいでしょう」

 そうだったの、と目を輝かせたスピカがもそもそ座りなおして香草茶へ手を伸ばしたので、ソキも同じようにすることにした。ディタが淹れてくれた香草茶は、先日飲んだものとはまた違う味わいで、すっきりした花の香りが溶け込んでいる。

 おいしいですねぇ、とほわっと息を吐き、ソキはもじもじとスピカと向き合った。なあに、と微笑みかけてくれる姿はたおやかで、うつくしい。ソキとは異なる印象を持った『花嫁』だった。

 あまやかな花の印象は共通しているが、ソキから受けるそれが草花だとするならば、スピカのそれは樹木の花だ。どこか、しっかりとした芯がある。それは『花嫁』としての質の違いであり、傾向の差だった。

 ソキはロゼアが整えた『花嫁』だ。ロゼアの好みでつくられている。だから、その違いを羨んだりはしないのだが。きれいなお姉さんなので、ちょっぴり緊張してしまうのである。

 もじもじ手をいじって、頬を染めて、ソキはあのね、とぽしょぽしょと響かない声で問いかけた。

「あの、あの、ソキね、スピカさんにお会いしたら、聞きたいことがあったです……お尋ねしてもいいです?」

「なあに? どんなこと?」

「あの、ママのお話も聞きたいんですけどね。あの、あの……んと。んん……ん、んと、あのね、ディタさんはスピカさんの旦那さま、なんです……? それで、それで、スピカさんは『花嫁』で、ディタさんが『傍付き』で、だから、あの、ええと……」

 緊張して。言葉に迷って。ソキはぎゅっと目を閉じて、それをひといきに言い放った。

「誘惑の仕方を教えてくださいです……!」

「ごめんね分からないの……!」

「え、ええぇえっ……!」

 ごふ、とロゼアかディタがむせた咳をしたが、ソキはそちらを振り向かなかった。それどころではないのである。ええ、えええ、とそんなぁ、という衝撃を受けたしょんぼり顔をするソキに、スピカは申し訳なさそうに囁いた。

「誘惑は……しているんだけど、どれもいつも上手く行かなくて……どうしてなのかしら……」

「ソキもですううううソキもいつもけんめいに誘惑してるんですけど、ロゼアちゃんはちーっともなびいてくれないんですううう」

「そうなのね……。私だけではなかったのね……」

 気持ちはとてもよく分かるわ、と手をとられ、ソキは無言で何度も頷いた。すん、と落ち込みきって鼻をすすり、ソキはくちびるを尖らせて首を傾げる。

「でも、でも、じゃあ……きもちいのはしていないです……?」

「してるの。してるけど……いつも私がお願いして触ってもらうの……。我慢ができなくなってしまうの……」

「お願い。お願いをするです……ソキはいいことを聞いたです……!」

 目をうるませながら気を取り直し、かけ、すぐにソキはぺしょりとソファに突っ伏した。

「……お願い……してたでした……。触って? ねえねえ? ってお願いしてるですのに、ロゼアちゃんたらちっともソキにきもちいいのをしてくれないです……! スピカさんはどうやってお願いしているの……? ソキにぜひとも教えてくれなくっちゃいけないです……」

「たくさん触って、きもちいいのして? って」

「ソキも言ってるんですううううソキだってソキだって毎日けんめいにゆーわくしてお願いしてゆーわくしておねがいしてるですうううう……ううぅ……ソキはもうげんきがなくなっちゃったです。もうだめです……」

 落ち込んでまるくなるソキを、戻ってきたロゼアがひょいと抱き上げる。ソキ、そき、と柔らかな声で囁かれ背を撫でられて、ソキはしょんぼりしながら身を寄せた。ロゼアの首筋にくるんと腕を巻きつけ、拗ねきった声でしゃくりあげる。

「ロゼアちゃん……。ソキはたくさん触って欲しいです」

「んー……。触ってるだろ?」

 ぎゅう、と強めに抱き寄せられる。触ってるよ、ソキ。触ってるだろ、と耳に声を吹き込むように囁かれ、ソキはこそばゆいような気持ちで、ロゼアに体をくっつける。ぷ、と頬を膨らませて、ソキはロゼアの肩越しに、苦笑いしきっているディタに言いつけた。

「いーっつもこうなんです……。ディタさんはいつスピカさんにきもちいのをしたです……!」

「はじめてでしたら、脱走したその日に」

「……あら? その時は、私は誘惑をしなかったような……?」

 あらあら、と首を傾げるスピカに屈みこみ、ディタが苦笑いをしながら、しー、と囁きかけている。このひとたちもしかして余計なことしか言わないのではないのだろうか、という疑惑でロゼアが一瞬遠い目になる。

 やあぁああどういうことなんですううううぅっ、と半泣きで怒るソキが腕の中でばったばた暴れるのに、ロゼアはゆるく息を吐いて。ソキ、と名を呼び、その背を撫でた。




 ロゼアは、ソキにはどうしても聞かせたくない話があるらしい。ないしょということである。秘密ということである。

 これはもしかして、とんでもないことなのではないだろうか、とせっかく回復した機嫌をまた傾けながら、ソキはソファからぴょこんと顔を出し、再び離れて行ったロゼアとディタを注視した。

 ロゼアちゃぁん、と機嫌の悪い声で呼ぶとすぐに視線が向けられ、ソキ、と微笑と声が返って来るものの、帰って来る気配はないままである。ぷ、ぷ、ぷ、と頬を膨らませ、ソキはぺたりとソファの背もたれにくっついた。

「ソキはいつでもロゼアちゃんにくっついてたいですのにぃ……。ねえ、ねえ、スピカさん?」

 ずりずり滑るように座面に戻り、ソキはなぁに、と穏やかに微笑む『花嫁』に、拗ねきった声で問いかけた。

「スピカさん、ディタさんがお仕事の時には寂しくないです……? ソキね、ロゼアちゃんがいまお話してるのも寂しいですし、授業の時だってつまらなーいですしぃ、すぐにしょんぼりしちゃうです……。しょんぼりしちゃうのを我慢しようと思っても、ソキには上手くできないでした……」

「寂しくない、ことは、ありませんけれど……」

 がまん、と。その言葉の意味をてのひらに乗せて見つめるような声で呟き、スピカはちいさく首を傾げてみせた。

「ディタは私の旦那さまだから、ちょっとならお外に貸し出してあげてもいいかな、って」

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