ひとりの。別々の夜。 49


 ひょい、と抱きあげられた衝撃で、ソキは目を覚ました。ふあぁ、んく、とあくびをしてふにゃふにゃとするソキを、ロゼアが息を吐きながら膝の上に下ろす。とん、とん、と指先が背に触れ、ソキは頬をぺとりとロゼアの肩にくっつけた。

「ロゼアちゃん、おかえりなさいです……。ソキ、眠ってたです……?」

『おまんじゅうみたいで可愛かったね、メーシャくん』

「うん。顔隠して眠る猫みたいだったね。眩しかったの? ソキ」

 ロゼアの返事よりはやく響いた二人の声に、ソキはぽやーっとした表情でまぶたを持ちあげた。なりあんく、と、めーしゃくん、です。

 おはよーございますです、とほんわほんわ響く声は八割眠っていたので、二人は穏やかな表情で笑みを深め、口々におやすみなさいとソキに言った。朝である。起きなければいけないのである。

 ぷぅぷ、と頬を膨らませて、ソキは抱き上げたきりじっとしているロゼアに、ねぼけきった眼差しをむけた。

「ロゼアちゃん。どうしたの……? なでなでも、ぎゅぅもないです……さびしいです……」

「……ソキ」

 ほう、と息を吐き出して。心から安堵した囁きで、ロゼアはソキを抱き寄せた。ソキの息がすこし苦しくなってしまうくらいの力で抱きしめながら、てのひらが頭皮に触れ、髪を梳き、背を辿って撫でて行く。

 きゅぅ、とすこし潰れた声をあげたながらじっとしているソキに、ほら、言っただろ、と微笑ましげなメーシャの声が聞こえてくる。

「きっと、すごく怖い夢を見て混乱しちゃっただけだよって。ね、ソキ」

『ロゼア、ロゼア、大丈夫だよ。ソキちゃんがロゼアを嫌がるだなんてこと、ある筈ないよ。ね?』

「ソキはぁ、そんなこと、したことないです」

 なにを勘違いしてるですか、とまだ半分寝ぼけた声で怒りながら言い聞かせるソキに、ナリアンとメーシャは視線を交わして頷きあった。

「そうだよね……でも、心配だな。よく眠れるおまじない、しようか? ストル先生から教わったんだ」

「ロゼアちゃん、ねぶそくなの? それは大変なことです……。ソキを、ぎゅぅ、ってして、眠るといいです。ほっぺをね、ぺとってくっつけてね、ソキをぎゅーって、ぎゅーってしてね、ねむるとね、きっとね、あったかくてきもちです……よいしょ」

 頬をむにっとロゼアにくっつけて、ソキは満足そうに息を吐き出した。口元に手を押しあてて笑いながら、メーシャがソキ、と囁きを落とす。

「ロゼアのこと、好き?」

「好きです。もちろんです! だぁいすきー、ですー! ろぜあちゃーん、だーいーすきー、ですー。すきー、すきすきー、ろぜあちゃーん。……ふにゃん? 元気がないです。どうしたの……? うーん、うーん……ソキがいっぱいすきすきをあげるです。すきー、すきすきー、ろぜあちゃーん」

 さくし、さっきょく、ソキ。ロゼアちゃんすきすきのうた、をほんわほんわ歌い出すソキに、ナリアンが顔を覆いながら頷いた。

『ほらあぁああ! 大丈夫だよロゼア! 間違いないよ! 絶対寝ぼけてたんだよ……! だって俺の妹は今日もこんなに可愛い……天使……かわいい……ソキちゃんに限って飴と鞭なんていうことはないって俺が断言する。だから元気だしてロゼア。なにかの間違いだったんだよ』

「よかったね、誤解がとけて。死にそうな顔してたもんね、ロゼア」

 ロゼアが、食堂に現れた瞬間。その顔を見た途端、ナリアンとメーシャが異常事態を察知した。それくらい、ロゼアは青ざめて強張った、思いつめた顔をしていた。まさかまたソキがどこかへ消えてしまったのか、と思ったくらいだ。

 あるいは、誘拐にでもあってロゼアのもとへ脅迫状が届いたのかとも思うくらい。なにせ、ソキが帰って来られなくなった時より、ロゼアは張り詰めていたからだ。

 どうしたのどうしたのなにがあったか俺たちに話して絶対に力になるから、と二人がかりで問い詰めて、ようやく吐き出させた言葉が、ソキが泣いて嫌がったんだ、である。

 嫌な夢だったね、と即座に言ったのがナリアン。ロゼア大丈夫だよ悪夢だったんだよ、時々びっくりするくらい鮮明な夢ってあるよね、朝だよ、と言ったのがメーシャである。けれども、ロゼアの表情は硬いままで。

 ソキが、と呟いてうつむくばかりだった。重傷だ、重傷だね、と視線を交わして会話し、ナリアンとメーシャはロゼアの腕をつかんで、ずるずると部屋まで引き戻したのである。

 ソキちゃんがロゼアを嫌がるだなんてことないから、と言い聞かせ慰め、慰め、慰めて。そして、ソキはやっぱりロゼアの腕の中で、しあわせそうに、ろぜあちゃんすきすきのうた、をまだ歌っている。

 あっ、これはもしかしてちゅうの、ちゅうのちゃんすですうううう、と真っ赤になってもじもじするソキに、二人はしみじみと頷いた。

「うん。ソキがちゅってすれば、絶対元気になると思うよ」

「は? 誰にだよ」

「ロゼアにだよ?」

 顔をあげたロゼアの腕の中で、ソキがぷきゃんと声をあげて抱きつぶされている。ソキがキスすれば、というくだりだけ、落ち込んでいても聞こえたらしい。ロゼアったら、とメーシャは肩を震わせた。

「元気でた? よかったね、ロゼア」

「そき……そきまだなにもしていなかたです……。ちゅうの、ちゅうのちゃんすー、だったです……!」

「好きな時にしていいと思うよ、ソキ」

 ちがうですぅちゅうは、ロゼアちゃんが寝てたりぽやーっとしてたりする時にこっそりするものです、じゃないとロゼアちゃんに嫌われちゃうです、という謎の主張を、ロゼアの腕の中で堂々とするソキに、メーシャは微笑んでうんもう朝だよ起きようね、と囁いた。

「さ、ロゼア。ソキも一緒に、食堂へ行こう? 皆心配していたよ。元気な姿、見せてあげようね」

「あれ? ねぼけたことにされてるぅ? です? あれ? あれれ……?」

「あ、でもソキは着替えがあるよね。俺とナリアンは部屋の外で待ってるからね、ロゼア」

 だから早く着替えさせて一緒にご飯を食べに行こうね、と念押しし、メーシャはナリアンと連れだって部屋を出て行ってしまった。待ってるからね、と扉を閉じながら告げられて、ロゼアは深々と溜息をつく。

 ふにおちないですー、と呟き、ソキはロゼアにもにもにと頬をくっつけた。

「お着替えするです? ロゼアちゃん、げんきでた? ロゼアちゃん、ソキのことすき? ソキは、ロゼアちゃんがだぁいすきです。すきすきです。いーっぱい、すきですよ。わかったぁ? ……すきすきのお歌をうたってあげる?」

「ソキ」

「なあに、ロゼアちゃん」

 ぎゅ、っと抱きしめられる。

「ソキ」

 心から、安堵した声で。何度もそう呼ばれて。膝に抱かれたままで着替えをすまされ、さあ食堂へ行こうな、と抱きあげられて。ソキはシーツの上へ視線を落とし、ぱちぱちと瞬きした。

 そこへ砂が零れていた気がしたのだが。どこへ行ってしまったのか、もう見つけることはできず。それきり、砂のことを思い出すことはなかった。

 その日から。ソキはほんの少し、ロゼアが傍を離れるだけで。触れていないだけで、眠ってしまうようになった。抱きあげられれば目を覚まし、傍を離れればまた眠りにつく。

 短い夢に繰り返し、繰り返し、囚われて。その中で夢を見る。泣き声の夢だった。白い本がめくられている夢だった。金の砂粒の夢だった。短い夢たち。泣き声が響いている。泣き声が。声をあげて泣く声が。

 あいしていると叫んでいた。

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