ひとりの。別々の夜。 19
ねむたくてねむたくて仕方がないのに、どうしても眠ることができず、ソキは何度目とも知れない寝返りをうった。
ロゼアちゃんだぁいすき、ソキは今日どうしてもどうしてもしょうがないのでお泊まりをしなきゃいけなくなりました、ロゼアちゃんは帰ったらソキをいっぱい褒めてぎゅぅってしてくれないといけないです、ソキはロゼアちゃんのところへ帰りたいですけど我慢をしなきゃいけなくなったですからこれはたくさん褒められることですロゼアちゃんだいすきだいすき、と書いた手紙に、返事はなかった。
たぶん届いてるとは思うけど時間がかかってるみたいだし、向こうからもそうかも知れないから。返事を待たずにお眠り、と楽音の王宮魔術師に説得されたせいだった。
長い夜は、もう半分くらいで朝になるかも知れない。もしかしたら、手紙が届いているかも知れない。もしかしたら。ソキは暗闇にうすく見える扉にちらりと視線を向け、何度も何度も瞬きをした。
ねむたくて、あんまりねむたくて体もうまく動かせないくらいなのに、ちっとも眠ることができないでいる。いっしょうけんめい頑張って、起きて、『扉』の前まで行ったら、もしかしてロゼアからの返事が届いているのではないだろうか。
もしかしたら、もう『扉』は使えるようになっていて、その先でロゼアが待っていてくれるのかも知れない。そう考えると、じっとしていられなくて、ソキは鼻をすすりながらころん、と寝返りをした。
手足をちたぱた、もぞもぞさせて、起き上がろうとする。
「……ねむれない?」
声は優しく、柔らかく、すぐ傍から語りかけてきた。ソキは目をぱちぱちさせながら視線を持ち上げて、見つめてくる花藤色の瞳に、こくんと頷いた。ねむれない、です。
それにね、ロゼアちゃんがね、ソキを、待ってるかも、知れないです。たどたどしく、ゆっくり、そう訴えると、リトリアは薄闇の向こうで困ったように微笑した。寝台が軋んで、リトリアの影が動く。
火の明りが室内を照らしだし、ソキは眩しさにぎゅっと瞼に力をこめた。ねむたくて、だるくて、横になったまま動けないソキのことを、リトリアが考えながら見つめている気配がする。
それに、ロゼアちゃんが待ってるです、と訴えたいのに。ソキは動けなくて、代わりに、こふんと乾いた咳をした。
伸びてきた手が、怖々と、ものなれない様子でソキの髪を撫でて行く。何度かそうされて、ほんのすこし、ソキは震えるほど力をこめていた体から、緊張を緩ませた。いつの間にか、汗でじっとりと額が濡れている。
冷たい布で拭われて、ソキはくちびるから息を吐きだした。
「おてがみ……お手紙が、ロゼアちゃん……来てるかも、しれない、です。もしかして、もう、ソキのことを待ってるかも、しれない、です……ソキは……ソキは、こんな風に、ロゼアちゃんの所に帰れなかったこと、なかったです。りょこ、んと、『旅行』でね、うまくね、帰れなくてね、予定より、何日も、かかって、でも、でも、それは、こんな風とは、違うです。ねえ、ねえ……朝になれば、ソキは帰れますです……?」
リトリアの手が髪を撫でて、布をソキの体にかけ直す。待てどくらせど、帰れる、とリトリアは言ってはくれなかった。ソキがどんなにお願いしても、駄々をこねても、明日になったら必ず、と魔術師たちが言ってはくれなかったように。
努力する、最善を尽くす、そのことを約束する、と楽音の王宮魔術師は口々に告げた。『学園』にある魔術師たちも、どの王宮に属する者も、必ずそうすると約束する。
だからもう眠りにお行き、と囁く声と視線は、リトリアにソキの手を引いて部屋へ連れ戻すことを求めていた。たどたどしく、ねばついた言葉で訴えて。ソキはけふ、けふ、こふん、と息をうまく吐き出せず、咳で空気を震わせる。
「ろぜあちゃんの、お手紙……もう、届いてるです。ロゼアちゃんは、ソキのを見て、きっと、すぐに、お返事をくれたにちがいないです。そうに決まっているです。おてがみ……ソキの、ソキのロゼアちゃんのおてがみ……もしかして、すぐ、お返事が、ソキのが、必要な、おてがみ、かもしれません。そうしたら、ロゼアちゃんは、起きて、待ってるかもです。たいへんなこと、です。ソキ、すぐにお返事を書かなくちゃ……ねえ、ねえ。ねえねえ、リトリアさん。ロゼアちゃんのお手紙が届いていないか、ソキは見に行かなくっちゃいけないです」
ん、んっ、とぐずる声でもそもそ身を起こしたソキに、リトリアはすぐに持ってきてくれるようにお願いしたでしょう、と水濡れた花のような声で囁いた。しっとりと柔らかに、かぐわしく、夜の静寂と暗闇を宥めて行く声。
「どんなに夜の遅くでも、私もソキちゃんも寝てしまっていても、起こして構わないから。お返事が来たらすぐ、持ってきてくださいって、ソキちゃんはお願いしていたでしょう?」
「でも、でも、でもぉ……! もしかして、やっぱり、起こさないようにって、朝まで待ってるかもしれないです」
だってロゼアちゃんはお返事をくれたです。きっと、すぐにです。ソキにはちゃぁんとわかるです、とくちびるを尖らせてくずり、ソキはふらふらと頭を不安定に動かした。
うー、と瞼に手をあててねむたさと戦いながら、それでもやはり、ちっとも眠れる気はせずに。ソキは困り切った顔で沈黙するリトリアに、『扉』の前まで見に行きたい、と訴えた。
部屋の外は、未だひとのざわめきと気配に満ちている。華やかな夜会が催されているようだった。誰か、ひとりではない誰かが起きて、さわさわと気配を押さえながら同じ建物の中で動きまわっている。『お屋敷』の雰囲気に似ていた。
だからこそソキはわがままを引っ込めることができず、ロゼアちゃんのお手紙を取りに行かないといけないです、と鼻をすすった。
「ソキ、ちゃぁんと、ひとりで行って、戻ってこられるです。ねえ、ねえ、いいでしょう……?」
「ソキちゃんが、どうしてもって言うなら……私も一緒に行くわ」
「どうしても、です。だって、だってね、ロゼアちゃんのお手紙はもう届いているに違いないです。ソキにはわかるです。おみとおしです」
わがままを怒りきれない表情で淡く笑って、リトリアの手がソキの髪をそっと撫で下ろす。ソキはもぞもぞ寝台から降りようとしながら、眠たさにぼんやりと瞬きをする。
のた、のた、瞬きを繰り返し、ソキは届けてくださいってお願いしたのにいじわるをされたです、と頬をぷっと膨らませた。けふん、と咳き込んで、頬のふくらみが消えて無くなる。
白魔術師かお医者さまを呼ぶべきかしら、と思い悩み、さっと寝台から立ち上がったリトリアの耳に、こん、と扉を叩く音が触れた。リトリアは、なにを考えるより早く、ぱっと身をひるがえして戸口へ駆けよる。
鍵を開けてひと息に開けば、そこで苦笑したキムルと顔を合わせた。
「やあ、おはよう……ではないかな。ソキちゃんも、起きているだろう? お待ちかねのものだよ」
「ソキ、おうちにかえれるぅ? おうち、帰れるようになりましたです?」
「ロゼアくんからお返事だ」
よちよち、よち、と歩んで来たソキの言葉を微笑んで流し、キムルは膝を折って目の高さを同じにしながら、持っていた封筒を差し出した。灯りの熱とひかりに揺れる暗闇の中、火の粉が爆ぜて溶け込んだような色をした封筒だった。
夕陽がねぶる砂漠の、煉瓦の色にも似ている。触れればぬくもりを宿している、と思わせる色。ソキはそっと手を伸ばして受け取り、ありがとうございますです、とキムルにぺこんと頭を下げた。
それから大急ぎで、立ったまま封筒を開く。すぐに会えるよ、とロゼアは囁く。砂漠の砂の色をした便箋に、宝石を砕いたような碧のインクで言葉が綴られていた。すぐに会えるよ、ソキ。大丈夫。すぐに会えるよ、だから。
今夜はお眠り。おやすみ、ソキ。いい夢を。
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