ひとりの。別々の夜。 06


「そんなことないよ。可愛いよ、ソキ。……顔をあげて、笑っておいで。ロゼアが待っているから」

「はい。です。……あ、あ! ちがうですよ、ソキはこれ、悪くないです。ほんとのほんとです」

 反省札をチェチェリアにぴらりと見せびらかし、ソキは不満いっぱいの顔で訴えた。ああ、と懐かしそうな声をあげて頷き、チェチェリアはすっと立ち上がる。

「うん。一枚目をもらうにしては、ソキは遅い方だ。大丈夫」

「……そうなんです?」

「ロゼアは入学二ヶ月でもらっていただろう?」

 その時のことを思い出したのだろう。笑いを堪えて視線をゆるく彷徨わせるチェチェリアに、ソキはこくりと頷いた。ロゼアちゃん、はんせいちゅ、だったです。

 ううん、と訝しんで首を傾げ、ソキはほわんほわん響く声でねえねえ、とチェチェリアの服を引っ張った。

「ロゼアちゃんは、あの時、なにを反省中だったです? ソキはそういえば、ないしょにされてたです」

「……なにを、か。……ロゼアからソキを取りあげると、つまり、ストルとツフィアからリトリアをひっぺがした時と同じか、それ以上のことが起きるのか、と。誰もが分かる事件だったな……。ソキが教えてもらっていないなら、それは男の子の秘密、というものだ。尊重しておあげ」

 ソキは不満でいっぱいの顔をしながらも、はぁい、と素直に返事をして頷いた。ん、偉いな、と笑ったチェチェリアを、ソキはじーっと見つめてふにゃりと笑った。

「ソキ、褒められるのだぁいすきです……。ん。ソキはロゼアちゃんのお迎えに行くです。ロゼアちゃんが待ちくたびれちゃったら大変です」

 ちょいちょい、とやっぱり気になる風に三つ編みを指先で突っついてくちびるを尖らせ、ソキはよちよちと部屋の中へ歩いて行く。広い、なにもない砂原めいた部屋の中心に、ロゼアは椅子をおいて座っていた。

 教本から顔をあげたロゼアが、ぱっと顔をあげて立ち上がる。

「ソキ」

「ろぜあちゃ……! ロゼアちゃん、ソキ、お迎えに来たです……!」

 よちよち、よちっ、て、てちてっ、と懸命に早歩きをして、ソキはロゼアに向かってめいっぱい両腕を伸ばした。椅子から立ち上がって向かって来ていたロゼアが、その体をひょい、とばかり抱きあげる。

 うやぁああふにゃあぁあんきゃぁあんきゃぁあああんロゼアちゃんロゼアちゃんろぜあちゃっ、とはしゃぎきったふあふあの声で頬や体をくしくしすり付け、ぎゅうぎゅう抱きついた後、ちょっとばかり落ち着いたソキは、はふ、と息を吐き出して顔をあげた。

「……あ!」

「ん? ……んー? どうしたの、ソキ」

 ソキがきゃっきゃ抱きついてすりすりくしくし甘えている間、髪や背をゆったりと撫でていた手をそのままに、ロゼアは柔らかな声で囁くように問いかけた。

 あぁぅー、と残念な声をあげてロゼアにぺったり体をくっつけながら、ソキはちがうんですぅ、と主張する。

「ソキには計画があったです……。でもロゼアちゃんを見たらすぐにぎゅぅ、ってして、くしくし、ってして、ぎゅーってしたくなって忘れちゃったです……。だって朝ぶりのロゼアちゃんだったです」

「うん。ソキ、計画ってなに?」

 ひょい、とソキを抱き上げたロゼアは体をすりつけている内にずれて落っこちてしまったしろうさぎちゃんリュックを拾い上げ、反省札を見つめて沈黙した。

 ああぁあああっ、と反省札に向かって手を伸ばしながら、ソキがちがうんですううぅ、と言い張った。

「ソキは壊すの応援したんじゃないですよ。ソキは、おにいちゃんとレディさんがりょうちょをこらしめるのを、がんばれがんばれって言っただけですううぅりょうちょが避けたからいけないです。だから壊れちゃったです」

「うん? ……うん。ソキ、お風呂に入ったの?」

「ふにゃ。えへへ、そうなんですよ。えっと、えっとぉ……」

 期待できらきらした目で、ソキは腕の中からロゼアを見上げた。かわいいとか、服が似合うとか、いい匂いとか、褒めてぎゅぅっとしてもらえるかも、と胸をどきどきさせながら言葉を待つ。

 けれども、ロゼアは微笑んだままで声をかけてくれることはなく。ソキはだんだんしょんぼりして、殆ど解けてしまった三つ編みを、指で摘んでゆらゆらと揺らした。

「エノーラさんにお手伝いしてもらったです……。でも、でも、髪は、ソキがひとりであみあみしたです……」

「そっか」

「だって……だって、だって、ロゼアちゃんのお出迎えだったです。ソキは髪も、爪も、お服も、きれいでかわいいのにしたかったです。汗くさくて汚れちゃってるのはだめだったです……。かわいくないです……。ソキは、ロゼアちゃんにかわいい、て言ってもらいたかったです……」

 抱く腕に。ぎゅ、と力が込められた気がして、ソキは視線を持ち上げた。ロゼアに、かわいい、と言ってもらいたかっただけなのに。揺らしている内に三つ編みのリボンは解けて、ソキの膝の上に落ちてしまった。

「髪の毛ぐちゃぐちゃになっちゃったです……」

 すん、すん、と鼻をすすって。ソキはロゼアの肩に顔を伏せた。

「ソキ、一生懸命にしたんですよ。ほんとです。頑張ったです……ソキ、ソキはね、ずっとね、ずぅっとですよ。ほんとの、ほんとに、ずーっとね、ロゼアちゃんのお傍にいたいですからね、たくさん頑張ることにしたです。でもちょっとも上手にできないです……髪の毛ぐしゃぐしゃです……」

「……ソキは俺の傍にいたい?」

「いたいです。離れるの、やです。離すのも、離れちゃうのも、ソキはもうやんやんです。ずっと、ずーっと一緒にいるです。……ねえ、ねえねえ、ロゼアちゃん。ねえねえ」

 ロゼアの指が優しく髪をほどいて、ふたつに別れていた束を、ひとつに整え直す。ゆるく編んでまたリボンで先をきゅ、と結ばれるのを見つめて、ソキはロゼアにぺとっとくっつきなおして問いかけた。

「……ソキかわいい?」

「かわいいよ」

 ようやくほっとしたように、ロゼアは笑った。

「かわいいよ。かわいい。……ソキ、そき」

「ほんと? ……ほんとに、ソキ、ロゼアちゃんのかわいい? ほんと?」

「うん。もちろん。かわいい、かわいい……かわいいソキ。ソキ」

 嬉しいのに、なんだか胸が痛くて。ソキがぎゅぅ、とロゼアに抱きついた。服も爪も、靴だって、いつもはとっても褒めてもらえるのに。すん、と鼻をすすって、ソキはしょんぼりとロゼアの肩に頬をくっつけた。

 やっぱり、ソキがひとりで頑張ったのがいけなかったのだ。拗ねた気持ちで、ソキは弱々しく息を吸い込んだ。

「ロゼアちゃん。……やっぱり、ロゼアちゃんがソキの着るお洋服を選んでくれなきゃだめです。お靴もです。髪の香油も、まっさじの、くりーむも、爪に塗る色も、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶです……。わかったぁ? 分かったです? 髪も、ソキがするとくしゃくしゃになっちゃうです。ロゼアちゃんがしてくれないとだめです」

「うん。うん、分かったよ、ソキ。全部しような」

「ロゼアちゃん、やりなおす、です? ソキ、今日はロゼアちゃんじゃないひとのおていれだたです……。ソキは、これが、ロゼアちゃんのすきすきかな、と思ってがんばったですけど……きっと違ったです……。きっと今のソキは、ロゼアちゃんのかわいいだけど、ロゼアちゃんのすきすきじゃないです。たいへんなことです……。うにゃ……うぅ……」

 ねむいです、と瞬きをして、ソキはふあふあのあくびをした。本当ならいつもお昼寝をしている時間に応援したり、怒られたり、運動したりお風呂に入ったりしていたので、今日のソキは眠っていないのだった。

 眠いです、と訴えながら、ソキはロゼアにぐりぐり体を擦り付けた。

「ろぜあちゃん。ぎゅぅってして? だっこぉ……。おやすみ、て、して?」

「うん」

「ソキが起きるまで、ずっとだっこですよ。ずぅっとですよ、ぎゅぅですよ。わか、たぁ……? どこへも、いくの、や、ですよ。ソキをずーっと、ぎゅぅしてないといけないですよ……? ロゼアちゃん、ソキね、ソキね、いっぱい頑張るです。だからね、だから……」

 ソキとずっと一緒にいてね。やくそく、ですよ。ふあふあの声で囁いたソキに、ロゼアはうん、と笑って。眠りに落ちるソキの額に、己のそれを重ね。約束だ、と囁いた。

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