ソキの! 教えて? リボンちゃん。 09



 妖精はゆっくり目を閉じた。これを、なんと呼ぶのか妖精は知っている。呪いだ。それも魂に刻まれた、とびきりの呪い。単に描かれたものとは質が違う。そういう風に作られ、完成してしまった、性質そのものに付与する呪い。

 ソキの言葉はあやふやで、訴えるそのひとつひとつの意味を掴むのは難しい。それでも、妖精は強い微笑みで瞼を押し開く。言葉は強く蘇る。

『ソキ』

 凍れる森の色をした瞳が、震えながら妖精を捉える。リボンちゃん、と声なく綴られたくちびるに、妖精は確かに応えてみせた。助けを求めることを知った、魔術師のたまごに。その微かな成長を言祝ぐように。

『ソキは、どうしたいの? ……そうしなくちゃいけない、とか。そう言われた、とか。そんなことは関係ない。ソキが、どうしたいのか。駄目、とか、そういうのも全部考えないで、アタシに教えて。……ねえ、一緒に旅して来たじゃない。アンタはずっと……ずっと、ロゼアの所に帰りたがってたじゃない。会いたいって、言っていたでしょう……? ……こういう風にする為じゃないでしょう?』

「うん……うん」

『さあ、アタシに言ってみなさい、ソキ。アタシの導いた魔術師のたまご。アタシが、アンタの案内妖精』

 立ち上がって、背を正して、妖精は告げた。

『その望みがどれほど苦しくても、それを心から望むなら。アタシが必ずそこまで導いてあげるわ!』

「……ソキはっ」

 それは掠れた悲鳴まみれの。

「ロゼアちゃんと、一緒に、いたいです……! ずっと、ずっと、これからも、ずぅっと……!」

 産声に似ていた。

「離れたくないです! 離したくないです……しあわせに、ロゼアちゃんに幸せに、なってほしいです……! ソキが……ソキが、ロゼアちゃんを、幸せに、して……ソキは、ロゼアちゃんを幸せにできる、おんなのこになりたい……!」

『分かった。……分かったわ、ソキ』

「……ソキは、普通になれないです……。普通、できない……できないよ、できないよリボンちゃん……!」

 ぼろっ、と涙が零れ落ちた。雪解けの雫に似ていた。生きてきらめく新緑を宿したその瞳が。妖精はずっと見たかった。

『普通はもう諦めなさい。しなくていいわよ』

「で、も……でも、でも……」

『アンタがそんなに苦しいなら、それは全然普通じゃない。そんなこと、もうしなくていいの』

 とてもよく頑張ったわね。偉いわよ。でも、もうここまでにしましょう。もうこれでおしまい。いいこね、アタシの言ってること分かるわね、と囁く妖精の言葉に、ソキは瞼にぎゅぅと力をこめて頷いた。

「ほんと……? ソキ、普通、もうしなくていい……?」

『したくないんでしょ? やめなさい。良いことなんてひとつもないわ』

「うん。……うん、しないです。ソキ、もう、普通がんばるのやめる……。りょうちょがロゼアちゃんを怒ったらどうしよう」

 ソキがね、普通を頑張れないとね、りょうちょはすぐにロゼアちゃんを怒るです。ぷ、と頬を膨らませて訴えるソキに、妖精はそれはそうでしょう、と微笑んで頷いた。

『言っとくけど。アタシがしなくていいって言ったのは、一人で歩かなくて良いとか、発音頑張らなくて良いとか、そういうのじゃないから』

「えっ。……え、えっ、えっ?」

『それはやりなさいよ。むしろそれは頑張りなさいよ』

 え、えっ、と左右をきょろきょろ見回して助けを求めたがった後、ソキはぷう、とさらに頬をふくらませた。

「リボンちゃんが、ソキに、むつかしいことをいう……!」

『難しくないでしょうが……! いい? アンタは、一人でどこへだって歩いて行けるようになって、誰にだってちゃんと胸を張って話せるようになるの。告げられる言葉に惑わされず、自分そのものと向き合って考えなさい。どこへ行きたいか、なにをしたいか、どうしたいのか。答えを出しなさい。それでそれを、心の中に、大事にするの。いつもは分からないかも知れない。でも、とっておきの大事な時、その答えは必ず、アンタを導く光になる。魔術師の守護星みたいに、アンタを助ける力になる。どうしても一人で歩けない時は、アタシが助けになってあげる。でも、それは、アンタが一人で歩かなくて良い、ってことじゃないのよ、ソキ。一人でだって歩いてかなきゃいけない。それがどうしてもできなくて、でも、本当のほんとうに、そうしなければいけない時。助けを求めなければいけない時。アタシは必ず、絶対に、その助けになってみせる。それをちゃんと、覚えていて』

 歩いて行くのも。助けを求めるのも。他ではない、ソキ自身なのだと。そう告げて、妖精は難しげに眉を寄せるソキに、大丈夫、と囁いた。

『アンタはもう、それが出来るわ』

「……そうですか?」

『そうよ。だってアンタ、一人で部屋を抜け出して、歩いて、ここまで来たじゃない。アタシにちゃんと、言えたじゃない。できるわよ。できてるわよ。……まあ、抜けだしたことは、ロゼアには怒られなさい。怒られ終わったら、アタシが慰めてあげるから』

 えええ、と眉を寄せるソキに、笑いながら手を伸ばして。妖精は滑らかなソキの頬を、そっと手で撫でてやった。

『頑張ったわね。……よく、言えたわね』

「リボンちゃん……」

『自分を、変えてしまおうとする力に従わなくていいのよ。……言ったでしょう? ソキ。誰に所有されることなく』

 ソキの、零れる涙を拭って。妖精は囁いた。

『あなたは、あなたで、ありなさい』

「……うん」

『あなたは、あなたになりなさい。望む自分に成長しなさい。誰が決めたものでもない、誰かがそうしなさい、って言うことを、したいだなんて思わなくていいの。したいと思ったら、していいのよ? もちろん。でも、それをしたくもないのに、無理にしなきゃいけないだなんて思って、頑張らなくていいわ。分かるわね?』

 ぱちぱち、瞬きをして。ソキはこくん、と頷いた。

「でも……でも、ソキ、どういう風になりたい、か、分からないです」

『……不本意だけど、アンタさっき自分でちゃんと言ってたわよ?』

 溜息をついてソキの手から飛び立ち、妖精は小高い丘の向こうを見た。シディに先導され、ロゼアがこちらに歩んでくるのが見える。まだちいさな黒い点ほどにしか見えないが、ほどなく辿りつくだろう。え、え、と首を傾げるソキに、妖精は言ったでしょう、と溜息をついた。

『ロゼアをしあわせにできる女の子になるんでしょ?』

「……あ!」

『まぁったく……結局! ぜんぶ! ロゼアなんだから! ロゼアあのヤロウ!』

 ぶんぶん腕を振り回して今日こそロゼア呪うその為にまずシディを黙らせよう、と決意する妖精に。ソキはくしくし涙を手で拭って、いじめちゃだめなんですよ、と言った。

 妖精はそれを無視して、やってくるシディとロゼアを遠目に睨みつける。ソキもほどなく気がつくだろう。うぅ、と赤く腫れぼったい瞼に触れてどうしよう、と悩むソキを見下ろし、妖精はそれにしても、と溜息をついた。

『今年は新入生いなくてよかったわね……? アンタそんなじゃ先輩できっこないもの』

「え? ……え、いないですか? リボンちゃん、案内に行かない?」

『アタシしか案内妖精いない訳じゃないのよ……? でも、まあ、たぶんいないわ。まだ入学許可証発送には時間があるけど……でも、いる年といない年はなんとなく雰囲気で分かるし、必ず毎年いるって訳でもないのよ? 毎年来る方が珍しいんだから』

 へー、と珍しそうに頷くソキは、もう泣きだしそうな雰囲気を持っていなかった。遠くから、ソキ、と呼ぶロゼアの声がする。それに息を吹きかえす新緑の瞳が。爆発的な歓喜にきらめく、宝石のようなその色が。ほんとうの、ソキの望みだ。

 ロゼアちゃん、とソキが呼ぶ。迷わず。まっすぐ走ってくるロゼアが、その腕にソキを取り戻すまで。もうほんのすこしだけだった。


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