ソキの! 教えて? リボンちゃん。 03


 もぞもぞもぞ、と妖精の見る先でソキがおまんじゅうのように丸くなる。ふ、と妖精はさらに笑みを深くした。体勢が変わったので、眠るソキを包む布がよく、よぉく、よおおおく見えた為である。

 ソキがまるまって眠っているのは毛布ではない。黒く、ぶあつい布地で出来た一着のローブだ。通称、魔術師のローブと呼ばれるそれは『学園』の支給品で、唯一の制服のようなものである。

 もぞもぞもぞ、と動いたソキが、くしくしくしっ、とローブに頬をこすりつけて、ふにゃあぁあん、と鳴き声をあげた。

 もうこの上なく心底幸せそうで嬉しそうであまえてあまえてあまえてあまえきった鳴き声である。それだけで、そのローブの持ち主が誰なのか妖精には分かった。『学園』の者も、誰もが理解しているに違いない。

 この時期は防寒具を兼ねるそれを奪われてロゼアが風邪をひき気管支炎とか肺炎とかになればいいのになればいいのにむしろアイツはなるべきだわほんとにっ、と心から思い。

 妖精は眠っている相手を起こすのはいかがなものかと思われます、と視線を反らして控えめに囁いてくるシディの言葉を無視し、すとん、とソキの肩の上に降りたった。眠っていてもなにかを感じたのだろう。

 ちょっと眉を寄せて、うゆ、と嫌そうな声をあげられたので、妖精はぶちっとなにかが切れる音を聞いた。

『……ソキいいいいいいっ!』

「きゃあぁあああああ! ……ぴゃっ、ぴゃああああああ! リボンちゃんですうううううりぼんちゃが今日も不機嫌さんですううううやあああああどうしたですかどうしたですか誰がリボンちゃんをいじめたですか……! そきが、そきがめってしてきてあげるぅ!」

『お前のせいに決まってんだろおおおおおっ!』

 やぁんやぁなんでですかぁ、と眠たげにもたもたと身をよじって体を起こす様をいらいらしながら見つめ、妖精はソキの髪をひと房掴んだ。もちろん、引っ張って折檻する為である。

 けれども手に握りこんだ髪はするんっ、と妖精の指をすり抜けて行ってしまった。あまやかな花の香りが漂う。もう一度同じようにしても、結果は変わらなかった。極上の絹糸にすら勝る質感である。えへん、とソキがまだ眠そうに胸を張った。

「そきぃ、きょうのぉ、ごぜんちゅう。頑張ったですのでぇ、ろぜあちゃがお手入れ! してくれたんですよぉ? 髪の毛さらんさらんで、つやつやで、いいにおいなんですえへへん! すごいでしょすごいでしょぉ? ほめて?」

『……そうね。言いたいことはありすぎて眩暈がするけど、そうね……ソキ?』

「う? はぁーい! なんですか?」

 きゃっきゃっ、と片手をあげて返事をするソキに、妖精の微笑みが深まった。ああああぁ、あああぁああ、と胃が痛くて仕方ない呻きを発しながらシディが辺りを右を左に彷徨って視線を何処へと投げかけている。ロゼアを探しているようだった。

 いるもんですか、と妖精は沸騰寸前の怒りを抑えつけながらソキの頬を手で撫でてやる。妖精の指先をしびれさせる程の滑らかさ。しっとりとした瑞々しい肌に、荒れのひとつも見つけられない。

 きゅうぅ、と喉を鳴らして嬉しそうにするソキに、妖精はなるべく優しく響くように問いかけてやった。

『アンタのその、頑張ったってなに? なんでロゼアのヤロウがお手入れとかしてくれることになるの?』

「んっとぉ、あのね、あのね? ソキが午前中、いーっぱい、がんばたですからぁ、ちょっとつかれちゃたですけどぉ。ロゼアちゃんが、よく頑張ったな、えらいな、ソキかわい。えらいな、かわいいな、ていっぱい褒めてくれたですうううやんやん! ソキ、ロゼアちゃんに褒めてもらうのだぁいすきです。んと、んと、それで、それでね? ロゼアちゃんが、ソキは頑張って偉いですから、そきのして欲しいおていれしよな? て言ってくれたです。だからぁ、そきは、かみのけしてして? っていったですううきゃあぁんそきは! いま! ろぜあちゃんの! ろぜあちゃんの! すきすきなんですうううきゃぁあんやんやんっ」

 幸せいっぱいに頬をうっすら赤く染め、胸元に手を押し当てて恥ずかしげに身をよじるソキに、妖精はへー、ふーん、そうなのー、と頷いてやった。

 この、微笑ましいくらい、相変わらずちっとも質問に対する答えに辿りついてない感がいっそ本当にすごいと感心したくなるが、それでもまだ説明できている方である。

 恐らく、ロゼアの自慢が含まれるからだろう。それがなければ斜め上のことしか言わなかったに違いない。

 というか頑張って偉いからお手入れってなんだなんでそこに繋がるんだあのヤロウ、と呻きながら、妖精は根気強く、それでソキはなにを頑張ったの、ともう一度問いかけてやった。目をぱちくり瞬かせ、ソキはあどけなく首を傾げてみせる。

「ソキは、ごぜんちゅに、たくさん、がんばたです」

『そうなの……。で? なにを?』

「えへへん! はつおんれんしゅ、ですぅー!」

 これをね、いっしょけんめ、読んだですよぉ、といそいそと妖精に見せびらかしてくる本の表紙には、確かにソキが言った通りの題が書かれていた。へー、ふーん、そうなの、と頷き、妖精は微笑んでソキの頬を足蹴にした。

 ぐーりぐーり頬を踏みにじりながら、顔を近づけて囁く。

『発音練習したのに、なぁああんだってそんなにふわふわふわふわ話してるのかしらねええええ……?』

「やぁああああ! やぁあああああああ! ふみふみやんやん! いけないんですよおおおお……これはひどいことですっ! ソキはリボンちゃんにとてもとてもひどいことをされてるですううううぴゃあぁああああ! ぴゃぁあああああ! ろぜあちゃぁあああああんっ!」

『なんの成果も出てないだろうがあぁああああっ!』

 ちぁうですちああぁあですううううソキがんばたからおくちがつかれちゃたですうううっ、とぴいぴい鳴き声をあげるソキに、お前どんだけ貧弱だーっ、と妖精は絶叫した。

 シディは微笑んだまま辺りを漂っているだけで、特にソキの味方もしてくれなければ、妖精に与するつもりもないらしかった。

 僕はロゼアの教育方針や評価採点基準について一度話し合いの場を設けるべきなのかも知れません、と呟いたシディの言葉を敏感に聞きとめ、業火のような視線で振り返った妖精がその時はアタシも呼べというかアタシのいない時にはやるな、と言い放つ。

 シディは控えめな微笑みで、素直な頷きを見せていた。ふやああぁっ、とソキがちたぱたちたぱたソファの上でむずがる。

「たいへんたいへんですううう! ろぜあちゃをいじめようとしてるううううう!」

『イジメじゃないわよ教育的指導よ間違えるんじゃないわよーっ!』

「ロゼアちゃんをいじめちゃめええぇえっ! めですううううだめですううう、ソキは駄目って言ってるですうぅっ!」

 アンタそんなトコの発音だけやたらきっぱりハッキリするんじゃないわよおおおっ、と妖精の怒号が談話室の空気をびりびりと揺らす。生徒たちはうんまあそうですよね、その通りではありますよね、と言いたげな視線で目を伏せていた。

 怒れる妖精、この世の神秘、魔術師の友にして同朋にして操る魔力に最も近しい存在である彼らに、あえて挑みかかる魔術師は基本的にいない。基本的には。

 ソキはまだ頬をうりうり踏みにじってくる妖精に、んもおおおっ、と涙目でぷんぷん怒りながら身をよじった。

「りぼんちゃ! ろぜあちゃんをいじめたら、いじめたら……! そき、りぼんちゃを、ぱちん! てするです!」

『は? やってみなさいよ』

 やぁあんやぁん、と頬からのけようと伸びてくる指先を蹴飛ばしながら、妖精はぱっと髪をかきあげた。

『あとやっぱりぱちんの認識は折檻かテメェ』

「あっ! ……ん、ん。んぅ……? ……ふにゃーにゃ?」

『鳴いてごまかそうとすんなああああぁあああっ!』

 ぴゃあああああリボンちゃんがソキのほっぺを蹴ったあああぁっ、とあがる泣き声にも、妖精は一切ひるまなかった。

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