今はまだ、同じ速度で 26
お前が気が付いていなかったのであればロゼアになど分かるわけなかろうな、とごく自然にこきおろし、レロクは柔らかく微笑する。
「リゼリアとアスタ。……俺の異母兄と異母姉が、ほとんど同時に枯れたことがあったろう」
その時期は特に多かった、と微笑んで告げるレロクに、ラギは目を伏せてはい、と頷いた。それは枯れてしまった『花嫁』と『花婿』の名だ。ふたりになにがあった訳ではない。
病気ではなかった。怪我をしていた訳でもなかった。事件でもなければ、事故ですらなかった。『花嫁』と、『花婿』と呼ばれる者たちは生まれながらにして脆い。脆く、弱く、ひどく壊れやすい。
生まれながらにしてそうある者たちだからこそ、生き残って育ち、無事に嫁いで行く者の数はごく僅かであるのだ。
ソキは。その中でもいっとう弱く、脆く、産まれてしまった『花嫁』だった。仲良しの姉の、兄の訃報に耐えきれず。泣いて、熱を出して、動けなくなってしまって。何度も、何度も、それが原因で枯れかけた。
もうすこし成長して『傍付き』になる候補が付くようになれば、そのまま、『傍付き』を得ることができれば、もうすこしだけ強く生きることも叶っただろう。けれどもそれはあまりに幼い頃のこと。
ロゼアがソキの『傍付き』候補として巡り合わされるより、前のことだったのだ。だからお前たちは知らない、とレロクは歌い、囁くように微笑した。
「たとえ俺たちの誰に、なにがあっても、ソキはもう二度と体調を崩さない。そう言い聞かせたのだ、俺たちは皆……嫌いになれと。嫌いな者が怪我をしようと、病に伏せようと……枯れようとも、お前が心揺らすことはない。厭う者が消えた。ただ、それだけなのだと。そう思えと……決めたのはミルゼだ。ソキがもっとも懐き、もっとも親しかったのが、ミルゼだ。以来、一度も……俺たち以外の目がある場所では、顔を合わせることも、会話すらしなかったようだが」
週に一度、一時間だけ。『花嫁』と『花婿』は、傍付きすらを遠ざけて一室に集められる。それは当主の血を継ぐ者たちの義務のひとつで。そこでしか伝えられない歌や、言葉や、たくさんの想いがある。
そこでしか。姉妹は微笑み合うことはなく。そこですら、いつ迎えが来ても大丈夫なようにと、隣り合って座ることはついぞないままだったけれど。やですもうやぁです、とソキはレロクに訴えた。
「ソキ、おねえちゃんのいうこと、ちゃぁんときいたですよ! なかわるいごっこ、ちゃんとした、ですぅ! ソキ、もう丈夫だもん。ソキ、もうげんき、なったです。ソキ、ミルゼおねえちゃんに会いたい……!」
「だーめーだー、と言うておろうが、ソキ。だめ。だーめー」
「だいじょぶですぅ。ソキ、ロゼアちゃんにないしょないしょ、できるです。こっそりです、こっそりあるくです!」
ソキだってひとりで歩けるですしぃ、ばれないとおもうです、とふんぞり返ってなぜか自慢げに言うソキに、レロクはものすごく適当な態度ではいはいそうだな、と頷いてやった。
そうしながらふふん、とこちらもなぜか勝ち誇った態度で笑みを浮かべ、レロクは首を傾げる。
「でもお前、ロゼアに、今日はそこから動くなと言われていたであろう。……ちっ」
「レロク。舌打ちなさらない」
「やぁんや! ろぜあちゃんいじわるさん! ソキにいじわるさんしたぁ……!」
えいえいえい、とふにふに爪先でソファの端を蹴飛ばして怒るソキに、ラギは柔和な微笑みで頷いた。ソキさまは今日もソファを蹴っておいででした、と報告するのは決定事項である。
誰のなにをみて真似しようと思ってしまったのだか不明だが、ソキは時々、こうしてなにかを蹴るような仕草をみせるようになったのだ。当然『花嫁』の教育外である。もってのほかである。
舌打ちをソキさまが覚えてまねしたらどうするおつもりですか、というかレロクの前でそんなことをしやがったヤツを本当にぶちころしてやりたいと思いつつ、ラギは溜息をついて繰り返した。
レロク、舌打ちはしない。ソキさま、ソファを蹴るのをおやめなさい。二人はそっくりの仕草でぷーっと頬をふくらませ、ぷいっとばかりに顔をそむけて、聞かなかったふりをした。
蹴るのはいけないよね、とのんびりとした声に、ロゼアがそうだよな、と頷く。それをソキは頬をぷぷぷと膨らませたまま、ロゼアの腕の中から聞いていた。
やーうー、やーぁーうー、とややのんびりした声でむずがってもぞもぞとするも、腕の中からちっともでることができない。んんん、と不満げにくちびるを尖らせ、ソキはロゼアの顔をじっと見つめた。
「ろぜあちゃん? ソキ、おさんぽ行きたいです」
「うん。後でな。一緒に行こうな。……それで? メーシャもやっぱりそう思うだろ?」
「でも、学園だとそんな風にはしていなかったよね。いつから?」
俺の分かってる限りだと砂漠に帰省してから、と天を仰いで呻くロゼアに、そうだよね、と苦笑して頷いたのはメーシャだった。
ソキとロゼアが砂漠に帰りつくすこし前から、ストルの用事について来ていたというメーシャは、己の担当教員が自国へ戻ったあとも休暇を利用して砂漠に留まっている。いつまで、とは決めていないらしい。
砂漠の王はラティが喜んでるから別にいつまでいても良いぞ、とメーシャに部屋をくれたので、今の城には新入生四人のうち三人までの仮の居室があるという、ちょっと珍しいことになっていた。
城の女官たちをときめかせる整った顔立ちをやや不思議そうに曇らせ、メーシャはもおおおぉ、とロゼアの腕の中でちたぱたするソキを見つめた。
不機嫌で拗ねて怒っている為にロゼアの話すらたまに聞き流している状態であるから、あえて声をかけずに、ロゼアに問いかける。
「どうしてそんな風になっちゃったんだろうね……? 心当たり、ある?」
「……誰かの真似をしてるんだと思うけど。ほら、不機嫌になってものに当たっちゃうヤツとか、いるだろ? それ」
やああああソキはおさんぽにいきたいってゆってますううう、と怒りながら、ロゼアの膝の上でソキがぱたぱた脚を動かす。
だめ、と宥めながらソキの太ももに手を押し当て、撫でながら、ロゼアは困った顔つきでソキとこつん、と額を重ね合わせた。
「ソキ。だめだって言ったろ? けるのは、だめ。……けりけりして、脚が痛くなってるんだから、歩くのは駄目だ」
「うやあぁああろぜあちゃいじああぁああやあああめなですうううやぁあああめええええっ!」
「……ソキ、なんて言ってるの?」
ぷんぷんに怒って怒ってそれはもう怒っているらしいソキが、ぱたぱたぱたぱた暴れながらなにかを訴えているのだが、メーシャにはいまひとつ聞き取れなかった。
ロゼアは不思議そうに瞬きをしながら、ソキをぎゅっと抱き寄せ、背をぽんぽんぽん、と撫で下ろす。
「ロゼアちゃん、いじわるしちゃだめなんですよ。やなんですよ。め、です。ソキ歩けるです。だめじゃないです、だめなのがめ、です。って言ってるだろ? なんで?」
「ソキは……ロゼアが好きだけど。ロゼアも、ソキのことが好きだよね」
口元に手を押し当て、堪え切れない笑いに肩をふるわせてしみじみとするメーシャにロゼアは訝しげな眼差しを向けたが、言葉にしてなにかを告げることはなかった。乾いた果物を摘みあげ、何度か噛んで温かな茶を口に含む。
じわりとした甘さがいっぱいに広がって、メーシャはほぅ、と穏やかな息を吐き出した。見つめている間に、あばれて怒って疲れてきたのだろう。ロゼアに背を撫でられながら、ソキはうとうと、眠たげにまばたきを繰り返している。
それをめずらしく素直に眠りに導くことなく、ロゼアはソキの耳元で囁いた。
「ソキ、ソキ。……ねむたい?」
「うー……。はい。ソキ、ねる……ロゼアちゃん、ぎゅってして? おやすみ、って、してぇ……?」
「うん。いいよ、おやすみしような」
ぽんぽん、と背を撫でながら、ロゼアは柔らかく笑みを深める。
「約束できたら、おやすみしような、ソキ。蹴るのはしない。もう絶対、しない。……約束できるだろ?」
「ろぜあちゃぁん……そき、ねむいです! ねむぅぃ、ですうぅ……!」
「うん。約束できたら、ねむろうな」
こくん、とお茶を飲みこんで、メーシャはひそかに頷いた。うん、これ、ロゼア怒ってる。微笑みもやわらかな仕草もなにひとつ変わらないように見えるし、事実その通りなのだろうけれど。
言いつけを何回もやぶられて、ロゼアはおそらく、すごく、怒っている。ソキはねむくてねむくてたまらないようにのたくたと瞬きをして、目をこしこしと擦って、ふにゃふにゃした声ではぁい、とこくんと頷いた。
「ソキ、しなぁ、い、です」
「うん。いいこだな、ソキ。偉いな。……ちゃんと言えるか? 蹴るのはしない。絶対しない」
「そき、けるの、しない、です。ぜったぁい、に、も、しない、です。ロゼアちゃんごめんなさい」
うん。いいこだな、よく言えたな、と満面の笑みで、ロゼアがソキをぎゅっと抱きしめる。じゃあもうねむろうな、おやすみ、と囁かれて、ソキはすぐにころんっと眠りの世界へ落ちてしまった。
すうすう、落ち着いて、安心しきった寝息がメーシャの元にまで聞こえてくる。安定して眠れるようにすこしばかりソキを抱きなおし、座り直すロゼアに、メーシャは答えを分かっていながら首を傾げた。
ロゼアがこういう風に怒るのをみたのは初めてではないが、珍しいことで。ソキの周りに世話役はたくさんいるであろうに、お茶するから一緒に、とわざわざメーシャを呼んで誘ったのは、もしかしなくとも。
「ロゼア。……証人欲しかった?」
長期休暇が終わって『学園』に帰った時に、万一、ソキがまた妙な怒り癖を発揮してしまわないように。それを防止する為に必要なのは、こちらへ留まるソキの世話役ではなく、そこにいる親しい魔術師の誰か、なのである。
ロゼアは微笑み、メーシャがいてくれて助かったよ、ありがとうな、と告げ。大切そうに、ソキの背を撫で、髪に触れ、その体をぎゅぅと抱きしめた。一度として。腕の中からどこかへ移動させようとすることは、なかった。
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