今はまだ、同じ速度で 22

 とん、とん、とん、とん。背を抱き寄せる手の指先が、鼓動と同じ速度で柔らかく触れてくる。そうしながらもう片方の手は頬を包み、撫で、髪を梳き、たまに耳を掠めてはきゃぁとくすぐったい笑い声を呼び起こした。

 寝かしつけてはいるのだが、うとうとしながらも胸元にすり寄るソキが、もうすこし起きてるです、と頬を膨らませた為だろう。

 うんいいよ、と告げながらもまどろむソキをやわらかに見下ろす赤褐色の瞳は、幾分か悪戯っぽく、それでいて冷静にその体力の限界を見極めようとしていた。

 ねむたげにとろとろと意識を揺らめかせながら、ソキはんん、とむずがってロゼアの肩口へ頬を擦りつける。とん、とん、とん。指で背に触れながら、ロゼアがくす、と笑みを深めた。

「そろそろ寝ようか、ソキ」

「ろぜあちゃ……いっしょ、ねぅ、です……?」

「うん。俺ももう寝るよ。……ソキ、喉痛くないか?」

 ねむくてねむくて、もう半分くらいは意識が夢の中にあるのだろう。普段よりさらにしたったらずな甘い声で問いかけられて、ロゼアは微笑みながらソキの髪を撫でてやった。

 ふと問いを向けたのは、日中、屋敷で兄を相手に泣き叫んだソキの喉が持たず、夕方を過ぎると時折、乾いた咳をもらすようになった為だった。

 念のために薬を飲ませ、水分を多めに取らせておいたので、湯から戻ってくる頃にはもう落ち着いていたのだが。うっとりと幸福そうに目を細めて、ソキはやわやわと息を吐きだした。

「いたく、ない、です……ろぜあちゃん、ありがとう。そき、もっと、きをつけ、る……」

 もっと。ひとりで。がんばらなくちゃ、と。どうしてか告げられたように聞こえて、ロゼアはごく僅かに眉を寄せた。ソキ、と呼ぶと、眠りかけていた瞼がゆるゆるともちあがる。なぁに、と声なく動かされるくちびるに、指先で触れて。話さなくていいよ、と告げて、ロゼアは言った。

「ソキは、ちゃんと気をつけてるよ。……言っただろ」

 困ることなんてなにもない。だから、そんなに、離れて行くような。がんばる、は、しなくてもいいのだと。おぼろげに浮かんだ言葉を口唇に乗せて吐きだす術を知らず、ロゼアはソキの頬をてのひらで包んだ。

 そっと身を屈めて、額を重ねる。ソキ、ソキ。囁きに、ん、と喉を鳴らすように淡く返事をするソキに、ロゼアは微笑み、おやすみ、と告げた。




 長期休暇の間、砂漠の国に帰省したロゼアとソキが身を置くのは『お屋敷』の内部ではない。砂漠の国の王宮。その一角に整えられた客室である。

 それはなにも『お屋敷』から追い出されただとか、首都の中で宿を確保できなかったから、ということではなかった。ソキが事前に砂漠の王に手紙を書き、お願いしてあった結果である。

 忙しいロゼアちゃんの代わりに、ソキがお部屋用意するですよ、と意気込んだのだ。最初から『お屋敷』に頼むつもりはなかったらしい。

 そもそもソキは世話役であったメグミカにも、ロゼアの父母であるパドゥルとライラにも再会することは諦めていた。嫁いだことにされていたと、知っていたからではなく。

 『花嫁』ではない、その権利を放棄したソキが、会える相手ではないと思っていたからだ。物理的に恐らく不可能であろうと。

 『お屋敷』はそこから外へ出た人間に、基本的には閉じられる。夜に眠りにつく花の蕾がごとく。かたく閉じて開かない。『お屋敷』を辞したラーヴェに、ソキがもう二度と会えない、と思ったように。それは今生の別れすら意味する。

 嫁いだ『花嫁』がもう永遠に世話役たちの顔をみることが許されないのと同じことだ。ソキは『花嫁』の権利を放棄した。ロゼアがいなければ本当に、屋敷に戻る、帰る、という発想すらなく、あるいは寮に留まり時間を過ごすだけの日々だっただろう。

 会いたいです、と兄レロクに手紙で頼みすらしなかったのは、ソキが次期当主の性格を知りぬいていたからだ。レロクは多少の不可能、くらいなら実現させてしまう相手である。

 そしてその際、のちのち起こる問題であるとか、各方面にかける迷惑であるとか、引き起こされる被害であるとか、そういうものは一切考慮されない。気がつかない、とか、無視して実行される、という訳でもない。

 レロクはそれはそれは麗しい笑みを、同じ『花嫁』、『花婿』ですら一瞬見惚れてしまうほどの微笑みを浮かべ、ただ告げるだけだ。お前は俺の望みが叶えられたことを喜ぶべきだ、と。

 結果はそれだけ。あとはいい。知らぬ、と高慢に笑い、それを許されてしまうのが『お屋敷』の次期当主たる由縁である。

 というかお兄さまは常に常に上から目線すぎてだからきっと嫁ぎ先なくてお屋敷に残ったですよソキそう思うです、とぷぷぷと頬をふくらませてソキは兄のわるくちを言った。

 部屋の中央。毛足の長い絨毯の上にさらにやわらかな毛布を何枚か重ねた、平坦な寝床のような場所にソキは座っている。

 ソキの手の届く範囲には保温筒に入れられた飲みものや干菓子、果物、こんぺいとうの小瓶が並べられて、動かずとも快適に過ごせるように整えられていた。その物品に手の届く位置、ソキの傍らに跪くメグミカが、肩を震わせて笑った。

「ソキさまったら……若君、今頃くしゃみをされておりますよ」

「ぷぅ。くちってしてるといいです! ……でも、お風邪だったら、こまるですね……?」

 あっでもラギさんがいるです大丈夫ですっ、と胸を撫で下ろすソキに、メグミカは微笑みを深め、目を細める。

「ソキさま。ソキさまは、頭が痛かったり、喉が渇いていたりは、しませんか?」

「うん。ソキね、元気なんですよ。ロゼアちゃん、安心しておでかけてきるくらいなんですよー!」

「ええ、もちろん! ……ふふふ大丈夫ですソキさま。もしロゼアが午後の鐘鳴っても戻って来ないその時は、この、メグミカに、お任せください……!」

 もちろんその時はソキさまも一緒ですからね、メグミカと一緒にロゼアをこらしめに参りましょう、と笑うメグミカに、ソキはぱちぱち瞬きをして、こてんと首を傾げみせた。

「ロゼアちゃん、戻ってくるですよ。約束したです」

「ええ。そうですね。……失礼致しました、ソキさま」

 さすがはロゼアのソキさまです、と胸に手を押し当て、メグミカはほぅ、と息を吐きだした。広々とした客室のそこかしこから、同質の吐息がうっとりと零れて行く。

 風が木を揺らしすぎて行くように、さすがはロゼアのソキさま、と告げる者たちは、『お屋敷』から呼ばれたソキの世話役たちだった。

 世話役たちはロゼアの不在を埋めるべくソキの傍につきっきりなメグミカに代わり、客室を整えている最中だった。幾重にも紗幕が取りつけられ、香炉が置かれ、さわやかな花の匂いが空気を染め上げて循環する。

 差し込む光が遮られ、ほのあまい、淡い光だけが部屋に満ちて行く。『花嫁』に体調を最も崩さず、保つための部屋が、作られて行く。慣れ親しんだ空気に、ソキはほわりと息を吐きだした。

 整えられた空気は、きもちよくて、とてもすごしやすい。寒さに、どうしてもひきつりがちな喉も、もうすこしすれば楽になるだろう。

 世話役たちが太陽の光や火の熱の巡りを計算し、ああでもない、こうでもないと相談しているのを眺めながら、ソキは保温筒に手を伸ばした。

 ロゼアが入れて行ってくれた香草茶が入っている。熱を指先まで伝えないぶあつい陶杯にそれを注いでもらいながら、ソキはそういえば、とメグミカに問いかけた。

「こらしめって、なぁに?」

「ソキさま。ロゼアのソキさま。どうか、そのお言葉は、忘れてください……メグミカからのお願いです……」

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