今はまだ、同じ速度で 17
あれロゼアちゃんがずっとだっこしててくれてるです、とソキが気がついたのは、夕刻の陽が射す茜色を背景に、駱駝に水を飲ませている最中のことだった。
都市とも呼べぬちいさなちいさなオアシスには、あともう一時間程で到着する、小休憩の最中のことである。ロゼアはソキを抱く腕を右、左、と時折入れ替えるだけで、その体をどこかへ預けてしまうことを決してしなかった。
ラーヴェの元から戻って来てからずっと。ロゼアはソキをその腕の中に抱きあげたままである。ソキとしても嬉しいので、別にそれはかまわないのだが。
「……ロゼアちゃん」
「うん?」
「もしかして、ちょっぴり、不機嫌さんなんです?」
ロゼアの赤褐色の瞳がソキを映し、やんわりと笑みを深める。そんなことないよ、と言わんばかり背を撫でてくる手にうっとり甘えながら、ソキはふあふあとあくびをし、どうして、と囁き問われるのに、だってぇ、と言った。
「だっこはしてくれてるですけどぉ……なでなで、してくれない、です」
「うん? してるだろ?」
「そうなんですけどぉ……!」
言う間にもロゼアのてのひらが、ソキの髪をかるく梳いて行く。すねた気持ちで頷きながら、ソキはでもでもぉ、とくちびるを尖らせた。いつもと、なんだかちょっぴり、違うのである。
なでなでも、軽く、なで、くらいで、いつもみたいにたくさんはしてくれないのだった。ロゼアが駱駝の手配をしている間、ラーヴェに会いに行っていたソキを抱き上げてくれてから、ずっとずっとそうなのである。
人波に押し流されてふらふら、よろよろ歩いて、息切れを起してくったりしていたソキが飴屋の前で休憩していたせいで、ロゼアは甘味に興味をひかれて出歩いたと思っているらしい。
「ソキ。……ソキ、ソキ、ソーキ」
こつ、と額が重ねられて、目が覗き込まれる。ソキはぷぅっとふくれたい気持ちになりながら、はい、と何度か返事をした。はい、なぁに、ロゼアちゃん。ロゼアはソキを抱く腕にやわらかく力を込めて、目を細めながら囁いた。
「ソキ」
「ロゼアちゃん? ……なぁに? なんですか? ロゼアちゃん」
なで、とごく軽く、ロゼアの手がソキの髪を撫でて行く。んもおおぉ、ともぞもぞしながら、ソキはロゼアにぴとっとくっつきなおした。
「ロゼアちゃん、なでなでして? ソキ、ロゼアちゃんになでなでもしてもらいたいです。ねえねえ、なでなでして?」
「うん。いいよ」
ようやく、ロゼアの手がソキの望むように、触れてくる。指先に髪を絡めてするすると梳き、背を抱き寄せるようにしてぽんぽんと触れ、頬を包み込んでぬくもりを与えてくる。
それに心から安心しながら、ソキはロゼアの腕の中で目を閉じた。あれそういえばロゼアちゃんがずっとだっこしてくれてる気がしてるんですけれどもあれ、ということにソキがもう一度気がついたのは、その日の夜の眠る直前のことで。
ねむくて。すぐに眠ってしまった為に。ソキがそれをロゼアに問うことは、ないままだった。
王宮魔術師にも年末年始の休暇、というものは存在している。
その年によって微妙な差があるものの、だいたいは十日前後。『学園』の休暇がはじまる十二月から二月半ばにまでかけて数人ずつ、交代で取っていく休みを、王宮魔術師たちはことのほか楽しみにしているのだが。なににでも例外はある。
おねがいへいかねえねえおねがい、ととびきり甘い笑みを浮かべて長椅子に腰を下ろした己の主君の手をそっと握り、その前にしゃがみこんでねだるウィッシュも、その特例の一人である。
えええとえっとあのね、とそわそわ視線を彷徨わせる白雪の女王に、ウィッシュはあいらしく、かつ艶やかな笑みを浮かべて、包みこんだ主君の手先に口付けた。
「おれのおやすみ、なかったことにして……?」
「な、なんで毎年、毎年……! そんなに休みたくないのっ?」
目がしあわせな毒にやられる、とふるふる涙ぐむ白雪の女王に、ウィッシュは心からの笑みでうん、と頷いた。だって俺別に帰省とかしないし。そうするとほんとにやることないし。
仕事してたいお仕事好きだよ、とのほほんと告げるうウィッシュから、なんとか、手を奪い返し、白雪の女王は傍らに座っていた青年に、ふるえながら縋りついた。
よしよしよし、と妻たる主君の髪を撫でつつ、護衛騎士姿の青年が笑いながら息を吐く。
「困ったねぇ……。なにもしないなら、しないでもいいんだよ? 部屋で寝てるとか」
「さむいからやぁだ」
「『学園』の寮の部屋を貸してもらうとか」
にっこりと笑みを深め、女王の夫は王宮魔術師の要求を却下した。
いま僕の妻妊娠中で不安定なんだからこれ以上は困らせないでくれるかな、さもないと刺してはねて裏庭に埋めるけどいいよね、と言わんばかりの微笑みに、ウィッシュはううぅ、と涙ぐみながら首を振る。
「だって、おやすみだからってさぁ……りょうちょも、お前いいから帰れよとか言うんだもん……ソキとロゼアは帰っただろ? ついでにお前もいい加減帰れって。……やだ、やぁだ……おれ、ふぃあに嫌われたら、いきていけない……しぬ……しぬ、ぜったいしぬ、枯れちゃう……」
「……ふぃあ、というのは?」
「シフィア。俺の傍付き。ソキに対しての、ロゼアだよ。王陛下」
白雪の女王の夫は、呼称に対して涼しげな笑みを深めて首を振った。
「この国に王はひとり。彼女だけだよ、ウィッシュ。僕はその護衛騎士で、夫でもあるだけ」
「そうです。この国を治める王は我が君おひとり! つまり! これを殺しても! 反逆罪には問われないんですううううええええええんお願いですお願いです私の姫君! お願いですからどうぞ私にこれの殺害許可を……! 私が蝶よ花よとお育てした我が姫君のじゅ……じゅんけつをうば……った、のみならず、に、にん、しん……まで、させたこの! 不届きものの首をはねておしまいと私にお命じください陛下あああああ!」
「そうです陛下ああああ! 首吊りたいくらい不本意ですが陛下の教育官と同意見です陛下あああああ!」
この男ぶち殺させてくださいへいかへいかああああっ、と涙ながらに頼んでいるのは、ウィッシュの同僚たる王宮魔術師エノーラと、女王の教育官たる女性だった。
女王はやや死んだ目でだめ絶対にだめと首を振り、疲れたように夫にしなだれかかって息を吐き、目を閉じる。青年が苦笑しながら女王の髪や背を撫でさすると、女性二人からは、ひいいいいいいっ、だの、いやあああああっ、だの声があがる。
騒がしいというかけたたましい。ぐったりしきった様子で、女王はすりすりすり、と夫に甘え、うすく目を開いてウィッシュに告げる。
「この二人を静かにさせてくれたら、お休みなし、考えてあげても良いよ……?」
「え、えぇえ……。俺、手加減とか、あんまり上手くないんだよね……?」
「ちょっとウィッシュ! アンタなんで殺しちゃったらごめんね? みたいな顔してこっち見てるのよ!」
てへっ、と恥じらった笑みを浮かべながらウィッシュは立ち上がり、ふたりの女性をまっすぐに指差した。その足元を風が駆け抜け、魔術師のローブがばたりとはためく。
ここで戦ってもいいとも言ってないんだけど、なー、と遠い目をした女王の呻きは誰の耳にも届かない。風よ、と微笑みながら告げ、ウィッシュは壁に張りつけられた暦表にふと、目を向けた。
十二月がはじまって、二週間と半分。馬車で屋敷へ向かうロゼアを呼びとめ、フィアにしーってしておいて、とお願いしてから、もうそれだけの日が流れていた。『扉』を使えば一瞬の隣国。
そこにウィッシュの、戻れない楽園がある。そろそろふたりは、帰りついた頃だろう。楽しい休暇であればいいな、と思い、ウィッシュは魔術を解放した。
結果、二名昏倒。その他の被害、窓硝子三枚粉砕。よって休暇取り消しは保留、と告げられ、ウィッシュはくすんと鼻を鳴らして落ち込んだ。
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