今はまだ、同じ速度で 11

 星の名も、星座の名前も、分からない。『学園』でいくつか教わった気がするが、流星の夜前後に体調を崩してしまっていたせいで、結局はうまく覚えることができなかったからだ。それを、覚えていいことだと、まだソキが思えなかったからだ。

 星は砂漠の民の方角の導き。だからこそ『花嫁』は星を教わることができないし、それを許されないのだ。輝きを頼りに帰って来られないように。くらやみに脚がすくんで立ち止まってしまうように。ただ星に捧げる歌だけを、ソキは知っている。

 うつくしい歌と、そして。星座にまつわる、ロゼアが語り聞かせてくれた物語、だけを。ロゼアちゃん、ねえねえ、あのお星さまですよ、と部屋の高くをまっすぐに指差して。ソキはみて、とロゼアに告げた。あれがね、ソキね。あれをね。

「ソキね、あれね、ろぜあちゃんだと思ったです! いちばんさいしょにみたときにね、ろぜあちゃんだって、おもったんですよ! ソキ、あのおほしさまがいちばんすきです。それでね、ろぜあちゃんがね、一緒だったらいいなって思ったんですよ。ロゼアちゃんはお星さまに詳しいでしょう? だから、わからないソキより、ずっと、ずぅっと、楽しいと思ったです。ねえ、ねえ、ロゼアちゃん。あのお星さまをね、ソキ、ロゼアちゃんに見てもらいたかったです。ソキの、いちばんだいすきなおほしさまなんですよ……!」

 いつか、嫁ぐ日が来たら。あの星に歌を捧げようと決めていた。ひとめ見た瞬間、ロゼアの星だ、と思ったその輝きに。

「ソキ」

 不意に。腰を抱く腕にぐ、と力が込められた気がして、ソキは天井高くにあげていた視線を、ロゼアの元へと戻した。なんですか、と首を傾げるよりはやく、ロゼアの腕が持ちあがって、星空の一カ所を指し示す。

「あれが、分かるか? ……一番強く、輝いてる星。あれが、北極星」

「……ロゼアちゃん?」

「ソキ。北極星がある方が、北、だよ。背中が南。右手が、東。左手が、西」

 こっちが西で、こっちが東な、と言いながら、ロゼアはソキの手を握って微笑んだ。

 なにを告げられているのかうまく飲み込めず、白く震えるソキの指を暖めるように。包み込むように握って、ロゼアは柔らかく微笑みがらソキの目を覗き込んでくれた。

 ソキ、ソキ、ソーキ。大丈夫だよ、大丈夫。もう、俺が、教えてあげられるよ。大丈夫、ソキ。怖いことはなにもないし、怖かったらぜんぶ俺が守ってあげるから。囁かれて、ソキは、こくんと頷いた。

 星の名前と、方角を、ほとんどはじめて、ちゃんと覚える。繋いだ手にきゅぅと力を込めて、ソキはゆっくりと息を吸い込んだ。

「ろぜあちゃん……ロゼアちゃん、もう、ソキに、お星さまを教えてくれるですね……」

「うん」

「誰にも、怒られない……?」

 星の名前、星座の形。方角を知る術。そのきっかけとなる些細なことですら、ソキにもたらされればそれは、ロゼアに対する叱責となった。だからソキは決してそれを覚えようとしなかった。

 理解しかけても、かたくなにそれを無視して、それ以上は考えなかった。いつもいつも、ソキのせいで、ソキのために、ロゼアが怒られたからだ。すん、と鼻をすすって尋ねるソキに、ロゼアは笑いながら頷いた。

 大丈夫。怒られないよ。

「ロゼアちゃん……!」

「うん?」

「ソキ、うれしいです……! とっても、とっても、うれしいです……!」

 ソキはもう『花嫁』ではない。ロゼアも、もう『傍付き』ではない。一緒に星を数えられる。どこへでも行ける。すくなくとも、自由が許されたこの旅の間には。どこへだっていっしょに行ける。

 どんなことだって、知ることはもう、許されているのだ。ぎゅうぅ、と抱きついて喜ぶソキの背を、ロゼアの手が優しく撫でて行く。ぽん、ぽん、と落ち着かせるように触れながら、ロゼアはソキに囁きかける。

「ソキの星も、教えてくれるか……? 魔術師の守護星」

「ソキの……? ソキのね、あれです」

 うっとりと目を細めながら顔をあげ、ソキは迷わず、ひとつの星を指差した。暗闇で眠る星の中、あまく白く輝くひかりがある。

「スピカ、です。ハリアスちゃんが教えてくれたですよ」

「そっか。……真珠星」

「うん。あれね、ソキのお星さまなんです……ねえ、ロゼアちゃん。あれは?」

 満天の星空のように。流星の夜のように。よろこびに満ちて輝く瞳で、ソキはロゼアに問いかける。

「あれは? あれは? ねえねえ、あれは……?」

 それに、ロゼアはひとつひとつ、丁寧に言葉を告げていった。飽きることなく。部屋に輝く星の全てを、語り終えてしまうまで。




 朝から昼の前まで、あるいは昼をすこし過ぎた頃までを観光についやし、馬車に乗って次の都市へ移動する。都市に到着する夜更けに宿に到着し、眠り、また翌朝は観光に出かける。

 ソキの体調をじっくりと見定め、平気そうであるならまた移動を、崩れてしまいそうであれば、その日はまた宿に泊って翌朝出発する、というのがロゼアの組んだ移動予定だった。いまのところ、ソキの体調はずっと安定している。

 ロゼアの予測をはるかにしのぐ安定だった。時折乾いた咳をするが、それは冬の冷え乾いた空気が喉を引きつらせてしまうからだ。それだけはどうしても、体調がよくても防げることではなかった。

 けれどもそれも、のど飴とぬるくいれた香草茶をゆっくり飲めば落ち着いて行く程度のものだ。ロゼアが、ソキを動かしたくない、寝かせておかなければならない、と思わせるほどに崩れてしまうことは、一度としてなかった。

 馬車で移動する大半を、ソキが眠って過ごしている、ということもあるだろう。学園で普通に過ごしている時も、その時間だけ授業を取らずに、ソキはお昼寝をするくらいなのだ。

 体力回復の為、なにより習慣になっている眠りであるから、移動中でもそれが消えてしまうことはなかった。朝から観光ではしゃいで、馬車で昼食をとり、ちょうど眠たくて仕方がなくなる、ということもある。

 だいたい、二時間から三時間。ソキはロゼアにだっこをせがみ、そしてそのまま、しあわせでしあわせで仕方がない眠りにくうくうと落ちていく。ソキが眠る間、ロゼアは車窓から外を眺めたり、片手で本を読みながらゆったりと過ごす。

 すり寄ってくるソキの髪を撫でたり、頬に触れ、撫で、あまくこもる体温に口元を和ませ。片時もソキを離そうとせず、腕の中でやわらかに眠らせ続けた。眠りが満ちて目覚めるまで。名を呼び囁き起こすことは、一度もなく。

 いまも、眠りからさめてほにゃほにゃと瞬きをするソキを、ロゼアは離そうとはしていなかった。しっかりと抱かれていた安心感が、全身を包む温かさが、気持ち良さがその証拠だった。

 ねぼけまなこで瞬きをしながら、ソキはろぜあちゃんですぅ、と頬をすりすり肩にこすりつけて甘え、ふあぁ、とあくびをした。

 膝の上でぞもぞと身動きして体勢を整え直し、座り心地のいいように腰を下ろしなおして、ソキはやぁん、とあまくとけた声でロゼアに抱きつきなおした。

「ロゼアちゃん、おはようございますですよ。ロゼアちゃん、なにしてたです?」

「うん。おはよう、ソキ。読書をすこし」

 首筋に触れた手が離れ、ソキの頬をやわやわと撫でていく。くすぐったくてちいさく笑うソキの額に、ロゼアは身を屈めて額を重ねてきた。慣れた仕草でソキの髪を梳き背を撫で下ろし、ロゼアはほぅと息を吐きだした。

 ソキの体調が崩れていないので、安心してくれたのだろう。ソキ自身も、頭が痛くなったりする前兆を感じることがない。そもそも『学園』をでてからというものの、ソキはロゼアの腕の中からほぼ離れていないのだ。

 体調を崩す余地がないのが本当のところだった。馬車移動そのものの苦手感も、ロゼアがずっと一緒でずっとだっこしてくれている気持ちよさと安心感で、すっかり忘れてしまえている。

 起きたからお水飲まないといけないです、と水筒に手を伸ばし、ソキはそれをロゼアにはいとばかり手渡した。ソキが学園へ向かう旅の途中、白雪の魔術師たちから受け取った水筒は、なないろ小路で売っているそれよりはるかに性能が良い。

 出立前に、ロゼアが宿でいれてくれたソキお気に入りの香草茶は、まだほんのりと湯気を立ち上らせていた。ソキはカップを両手で包みこみながら、ふぅ、と息を吹きかけた。

 こく、こくん、ゆっくりと飲み下して行くソキの髪をさらさらと梳きながら、ロゼアは穏やかに目を細めて微笑んでくれている。

「ちゃんと飲んで偉いな、ソキ。喉は? 乾くくらいで、痛くはない?」

「でしょおぉ……!」

 カップから口を離し、ソキは自慢げにロゼアの腕の中でふんぞりかえった。お昼寝から起きたら、お茶かお水を飲むこと、というのは『花嫁』時代からの決まりごとだ。寝ている間に喉が渇いて、咳をして喉を痛めてしまう可能性があるからである。

 お茶はもういいです、とカップを返すソキに頷きながら、ロゼアの指先がいつのまにか用意していたのど飴をくちびるに食ませてくる。あむ、と口にしてのど飴を舐めながら、ソキはロゼアにぴとっと体をくっつけなおした。

「ねえねえロゼアちゃん。次の都市につくのは夕方です? 夜です? 夜おそーく、です?」

「夕方、か、夜かな。眠たくなったらまたねむろうな、ソキ」

 特に事故がなければ、陽が落ちた頃には到着する予定だった。はぁい、と返事をしながら、ソキは髪を撫で続けているロゼアの腕に、じゃれつくように手を伸ばした。んしょんしょ、と胸元に引き寄せる。

 無抵抗で手を預けてくれたロゼアが不思議そうに見守る中、ソキは上機嫌な顔で、てのひらにぺたぺたと触った。

「ろぜあちゃんのー。おててー。あったかいですぅー」

「……うん?」

「ソキ、ロゼアちゃんのおてて、だぁいすきですー!」

 特別意味がある訳ではなく。そこのロゼアの手があったから、ソキはちょっと触りたくなっただけなのである。きゃっきゃとはしゃぎながら、ソキはしあわせな気持ちで、ロゼアの手指を撫でていく。

 手の甲を撫でたり、てのひらにぺちぺち触れてみたり。指を絡めて、きゅっと繋いで、きゃあきゃあはしゃいだ声をあげて喜んだり。両手できゅぅ、と包みんだ時に、てのひらの中でロゼアの指先が動く。

 きゃぁっ、ととろけた声で笑い、ソキはぷぷぷっと頬をふくらませ、ロゼアを見た。

「ろぜあちゃん! くすぐっちゃだめですぅー!」

「うん? くすぐったい?」

「こしょってするです。……きゃあ! ろぜあちゃん、こしょってしたぁー!」

 ぺちんぺちんロゼアの腕を叩いてきゃっきゃと笑い、ソキはいたずらいけないんですよぉー、と言って手をきゅぅと繋いでしまった。繋いだ手をそのまま引き寄せ、頬にくっつけて、ソキは満ち足りた息を吐き出して笑う。

「……ロゼアちゃん」

「うん? なに、ソキ」

「だいすき。……だいすき、だいすき。だぁいすき、です……」

 とろとろ、しあわせに、碧の瞳が熱を宿して揺れていた。恋の幸福に。酔いながら、囁く。火の熱に、陽の温かさに、ずっとずっと抱かれている感覚を、途切れさせないまま。ソキは、しあわせに、しあわせに、微笑んだ。


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