君はスピカ 04
「ロゼアは、もう、『傍付き』じゃない。ソキの言いたいことはわかる。……戸惑う気持ちだって、わかる。でも、そろそろ、ソキは『傍付き』ではなくて、『ロゼア』を見てほしいんだ」
いやいや、とぎこちなく首をふるソキの手を包み込み、メーシャは微笑んだ。
「ソキ。……だって俺は、ソキのことを『花嫁』だなんて思ってない」
「……そきが、魔術師のたまご、だからです?」
「うん。それもある。……『花嫁』だから美しい? 『花嫁』だから、『傍付き』がいて当たり前? そんなの、俺からしてみたら関係ない。ソキは、ソキだから。『花嫁』だろうがなんだろうが、ひとりで歩けるようにがんばって前をちゃんと見つめる子だよ。俺の尊敬するともだちのひとりだ。……あ、でも、俺にともだちって言われるのがいやだったら、ごめん、なんだけど」
ともだち、というのがどういうものか、ソキにはまだよく分からない。けれど、それを否定してはいけない気がした。声がまだ戻らない。だから、いやじゃないです、と告げる代わりに首を振れば、メーシャは幸せそうに微笑んだ。
闇に射す光のように。きよらかで、きれいで、強い、笑みだった。
「よかった。あのさ、ソキ。俺は、ソキをとてもかわいいと思っているし、がんばってる姿を見ると、俺もがんばらなきゃって思う。ソキの強い姿勢に、いつも助けられたんだ。天体観測の日、儀式に向かうとき、ソキはひとりで歩くって言っただろう? ゆっくりでも、着実に歩こうとするソキを……俺は見守ることしかできなかったけれど、同時にすごく励まされたんだ。そうだ。そのときのお礼も言えてなかったね。遅くなったけれど、ありがとう。俺を、導いてくれて」
「ソキ、そんなこと、してないです……」
「してくれたよ。ソキがそう思わなくても、ソキは俺にそうしてくれたんだ。……だから、さ。だから、『花嫁』であることに囚われなくていい。俺は、『花嫁』だからソキを好きになったんじゃない。ソキがソキだから、好きだと思ったし、ともだちになりたいと思ったんだ」
だめかな、と不安そうにするメーシャに、ソキはふるふると首をふる。好きだと思ってくれることは嬉しい。ともだち、というものに、なりたい、と思ってくれることも。嬉しい。嬉しい、と思うのに。どうしよう、とソキは思った。
泣きそうな気持ちがずっと続いていて、ちっとも治まってくれない。胸の奥がずっと痛い。震えながらソキは、ようやく、それを自覚する。囚われていたい。もうすこしだけ、『花嫁』でありたい。
そう思う気持ちがあることに、気がついてしまった。
どうしよう、どうしよう、と思って、ソキは潤んだ目を伏せ、くちびるに力を込める。胸の中で名を、囁くように呼ぶ。何度も、何度も。どうしても、落ち着けない、ざわついた気持ちのままに呼ぶ。ろぜあちゃん、ロゼアちゃん。ソキは。
もうすこしだけでいい。あなたのものでいたい。
灯篭に封じられた炎が、ゆらゆらと揺れている。
就寝前の部屋の温度を、どこか熱っぽく感じて気だるいのは、その火の揺らめきのせいだろうか。太陽の黒魔術師。ロゼアの部屋はいつもどこか温かくて、やさしい熱に包まれていて、冷えてしまって寂しいことなど一度もなかった。
ソキはのたのたと瞬きをしながら、明日の授業の準備を整えている、ロゼアの背を見つめた。ロゼアもすでに湯を使い終え、あとは眠るだけの状態だ。
夜着に、制服として支給されている長袖のローブを簡単に羽織っただけの状態で、乾いたばかりの髪を空気に晒している。
なにか、考え事をしているのだろう。僅かばかり傾げられた首筋の線に、ソキはきゅぅ、と目を細めて胸元を手で押さえた。最近、ずっと、ソキの胸は落ち着いてくれない。
ロゼアの無防備な仕草が、あまく触れてくる手が、向けられる眼差しが、呼ぶ、声が。じわり、体温を、あげていく。
「……ソキ?」
胸を手で押さえる仕草に気がついたのだろう。振り返ったロゼアが心配そうにしているのに、ソキは寝台の上にちょこんと座りこんだまま、ふるふると首をふって留めた。
「大丈夫です。……そんなことより、ロゼアちゃん」
「うん?」
そんなこと、じゃないだろう、と言わんばかり苦笑するロゼアに、ソキはのたのた瞬きをして、あくびをしながら問いかけた。よく分からないけれど、なんだかものすごく眠い。
けれどもソキはどうしても、今日のうちに、やりたいことがあるのだった。
「ふぁ……ん、んん、ろぜあちゃん。明日の準備終わったです……?」
「うん、終わった。お待たせ、ソキ。寝よう」
ごめんな、と言いながら教本をひとまとめにして机に置いたロゼアが、振り返るよりはやく。ソキは、きゅ、とくちびるに力を込めて視線をもちあげた。
「ロゼアちゃん。おはなしがあります」
だから寝るのはそれが終わってからです、と告げるソキに、ロゼアは眉を寄せて沈黙した。が、なにも言うことはなく、足音のない滑らかな脚運びで机から寝台までの数歩の距離をつめ、ロゼアはソキの目を見つめたまま、少女が座る眼前へ跪いた。
ソキはゆるく、口元を和ませて淡く微笑む。『傍付き』を慈しむ『花嫁』の微笑みだった。ソキが呼んでも、ナリアンやメーシャなら、きっと隣へ座っただろう。
ソキがいるのが寝台であるから、椅子を引っ張って来て前に座るくらいはしたかも知れないが、ロゼアはその場へ跪く。誰にでもそうする訳ではない。もちろん。己の『花嫁』が呼んだからこそ、ロゼアはそうしたのだ。
ソキ、と呼ぶ声はやさしい。なに、と言葉を促されるのに、ソキは視線を重ねたまま、ロゼアに向かって両手を伸ばした。
常ならば抱きあげることを望む仕草だが、手が向けられたのはロゼアの肩や首筋ではなく、腕と、その先のてのひらだった。ソキはロゼアの片手を、己の両手で包みこむようにして持って、それを膝の上に置く。
『花嫁』や『花婿』が、己の『傍付き』に対してよくする仕草だ。ロゼアも見たことがあるだろうし、ソキも何度かそうしている。だから、きっと、それだけで、ロゼアは知らない。
傍へいて。どこにもいかないで、ここにいて。そう、告げたくても囁けない時の、言葉の代わり。『花嫁』がそうして手に触れることを、きっと、ロゼアは知らない。
「……あのね。ロゼアちゃん、あのね……」
「うん」
指先がどんどん冷えて行くのを自覚する。緊張したり、怖かったりすると、ソキの指はすぐに冷えてしまうからだ。ロゼアの手を冷やしてしまう。あたたかなやさしい手。
震えるソキの指はつめたいだろうに、ロゼアは手を貸し与えたまま、そこから引き抜こうとしなかった。視線が深く重ねられたまま、言葉を、待ってくれている。ソキは、よわく、息を吸い込んだ。
「ソキは魔術師のたまごです。ロゼアちゃんもです。だから……」
なにを、どう、話せばいいのか、分からなくなってしまった。メーシャと話をしてたくさん考えて、どうしても、伝えたいことがあって。怖くて、聞いてみたいことがあって。だから、ロゼアを呼んだのに。
言葉ひとつ自由にならない。声を掠れさせて、ソキは、考えながら告げて行く。
「ロゼアちゃんが、もう、たいへんだったり、いや、だったり、することは、しなくていいです。ロゼアちゃんがしたいことをしてください。ロゼアちゃんが、したくないことは、しなくていいです……」
魔術師のたまごだ。ソキも、ロゼアも。それを知っていた筈なのになお、ロゼアを『傍付き』だと頑なに思っていたソキの心が持つ、それは明確な独占欲だった。『花嫁』だけが、『傍付き』の所有を許される。
ソキだけが、ロゼアを。ソキは『花嫁』で、ロゼアは『傍付き』だから。あと二年だけでも、そうしているつもりだった。無意識に、そして、意識的に。けれど。
「ロゼアちゃんは……ロゼアちゃんなんです」
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