おんなのこのひみつのおはなし 08


 男の指先が胸に強く押し当てられる。とくとくと拍を刻む心臓の真上。冷たい指先が言葉を書きつけるように動かされる。そこになにがあるか知っていた。本能的に理解していた。

 そこにあるのは魔術師の魔力の器。魔力を溜めて置く水器。そして、もうひとつ。いつか、黒魔術師として目覚めるであろう、彼の、為の。『 』が。だめ、とソキの唇が動く。

 だめ、だめ、だめなのだめこわさないでこわさないでそれしかないのそれしか、せかいにひとつしか、ソキの胸のなかにしかそれはないのひとつしかないのだめなのそれがなくなったらそれがこわされてしまったらそれがくだかれてしまったらそれが。なくなってしまったら。

 たすけてたすけて、ろぜあちゃんたすけてろぜあちゃんろぜあちゃんろぜあちゃんっ。さけぶくちびるが煩いと言わんばかり、首に手がかけられ、体重を乗せて締めつけられていく。

 指先に魔力が込められた。男の目が笑う。

『壊してしまおう。キミは『 』でなくとも、ボクの道具であれば……それだけでいい』

「っあ、あ……あああぁっ、いやっ、いやいやああああっ! きゃああああああっ!」

 砕かれたのだ。魔術師として目覚めたほんの数秒後、言葉魔術師の手によってソキは砕かれた。その魔力の器ごと、胸に隠し守っていた『 』を見抜かれ、引きずり出され、盗られ、壊され、砕けてしまった。悲鳴をあげ、半狂乱になってもがくソキを、男は強く抱きしめた。

「……っくそ」

 魔術師の器は、魂に等しい。砕かれれば殆どの者は死に至る。それほどの痛みだからだ。だから、だいたいの魔術師はそれを忘却することで生き永らえる。目を反らしながらゆっくり、ゆっくり、形を思い出し整え再生させていく。

 ソキにはそれができない。自覚した瞬間に壊されてしまったからだ。いたい、いたいと悲鳴をあげながら訴えるソキを、男は抱きしめたままで頷く。

「そうだよな、痛いよな。……思い出させてしまってごめん。もう忘れていいよ。もういい。いいよ。大丈夫。経験はちゃんと本に刻まれる。君が忘れてしまっても、本が覚えてる。君の写本は必ず、君のことを守り抜く。……よく、自我を、保って……よく、生きて……くれたね……」

 ソキ、と呼ぶ声がする。どこかでロゼアが、ソキのことを呼んでいる。暗闇に差し込む太陽の輝きのように。その声が何度でも、ソキに形を取り戻させてくれる。涙を零しながらまばたきをして、ソキは弱々しく、男の胸を押し返した。

「かえらなきゃ……呼んでるです。ソキ、行かなきゃ……」

 男は頷いて、ソキから腕を離してくれた。息を整えて目元を拭いながら、ソキは机の上を眺める。ぼろぼろにされた、修復途中の本が見える。あれは、ソキの本だ。ソキの武器、ソキの写本。

 無理矢理目覚めさせられ、壊され、忘れさせられるまでの七日間。それでも確かに世界にそうあった予知魔術師の。守る為の、武器。ソキは男に視線を重ね、はきとした声で問うた。

「なおるですか?」

「……時間はかかる。必ず、とは言えない。そして……最後の最後は、君の意志ひとつだ」

「はい。……分かりましたです。ソキ、ガッツと根性で頑張りますですよ」

 よし、と気合いを入れるソキに、男はなんだかとてもとても優しい顔つきになった。うんそうだね、と言わんばかり頷き、男はしゃがみこんでいた姿勢から立ち上がる。

「それでは、行きなさい。……呼んでいるよ」

 頷いて何処へと歩きかけ、ソキはふと気がついて机の上をもう一度振り返った。赤々と火を揺らす灯篭の傍。ちいさな砂時計が置かれていた。

 光に透き通り淡く金に艶めく砂と、宝石を砕いて粉にしたような碧が入り混じって、さらさらと滑り落ちている。砂時計をソキの視線から隠すようにてのひらの中に持ち上げ、男はそっと目を伏せて囁く。

「これは、風の魔法使いと、希望の占星術師と……そして、太陽の黒魔術師。三人が、世界に飛び散り消えてしまった欠片を、集めて来てくれた結果だ。……そして、これがあるからこそ修復は叶う。皮肉なことにね」

「それは、なんですか……?」

「辿りついて欲しくない未来のひとつ、かな。……さ、いきな、お姫ちゃん」

 ロゼアが待ってるよ、と静かに笑うその男に頷いた所で、世界がやさしく切り替わった。




 気がつけば、ソキが立っていたのは武器庫たる部屋の中ではなく、そこへ繋がる『扉』の前だった。寒々しい廊下に、灯りだけが揺れている。

 吐息で空気を白く染めながら、ソキは泣き過ぎて痛む頭とだるい体を持て余し、ふらり、よろけて座りこんだ。自分が、どうして泣いてしまっていたのか、魔力がざわざわ揺れていて落ち着かないのか、まったく思い出せない。

 浅く息を繰り返しながら、ソキはすがるように本を抱きしめた。くらくらして立ち上がることが出来ない。遠くでざわめきが揺れているのを感じ取る。その声にふらりと、ソキは顔をあげた。

「……ろぜあちゃん」

 呼んでいる。ロゼアがソキを探して、名前を呼んでいる。行かなきゃ、帰らなきゃ、と思いながらソキは立ち上がった。ふらつく足に力を込めて、一歩を踏み出す。意識が揺れた。ふっと世界が遠くなる。

「ソキ!」

 呼び声と、走ってくる足音を最後に。ソキの意識は暗闇に沈んだ。

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