言葉を鎖す、夜の別称 28(終わり)
ひとときも離れたくないと言わんばかり、ソキはロゼアの腰に腕を回してひしっとくっつき、あまり健やかではない寝息を響かせていた。花嫁衣装はすでに取り払われ、まろやかな肢体を包むのは絹で作られた夜着だった。
屋敷時代から愛用しているこの夜着はソキの兄が多数の荷物と一緒に送りつけてきた中にあり、ロゼアが選んで残したものだった。赤く腫れぼったいソキの目尻を指先で撫でながら、ロゼアは半乾きの髪にタオルをあてて行く。
片手でやるのに慣れた作業ではないが、ロゼアの手が触れていないと、ソキが目を覚ましてしまうので忍びなかった。パーティーの終わりは慌ただしいものだった。
ソキを抱き上げて退出しようとしたはいいものの、五ヶ国の王たちの姿が会場になく、王宮魔術師たちも何名か姿を見つけることができなかった。
不安げな少女たちの手を引き、数小節ごとにパートナーを入れ替えながら踊っていた寮長が、ちょっと騒ぎがあっただけだと教えてくれたが、詳細は知らないらしかった。
楽団を率いるユーニャも同様に、軽やかで明るい曲ばかりを指示しながらさぁ、と首を傾げるばかりで、場は不穏な空気に揺れていた。程なくして王たちは戻ったが、そこに白雪の女王の姿を見つけることは出来ず。
どうかされたんですか、と問うロゼアに砂漠の王はなぜか疲れ切った表情で気にすんな良いことだ明日くらいに知らせが走る、とだけ述べ、その腕に抱かれたソキに訝しげな表情をした。
王は理由を問うことなくロゼアとソキの退出を許し、シディと妖精が、また明日の朝様子を見に行くから、とそれを見送った。
なんでも、人間と同じ大きさになれるのは一夜だけではなく、平均して三日か四日くらいはあるらしい。
そこは個人差があるらしいが、明日くらいまでなら大丈夫よと告げた妖精は、慈しみ溢れた仕草でソキの頬を撫で、おやすみなさい、と囁き落とした。パーティーの雰囲気は、その後すぐに持ち直したらしい。
はしゃいだ雰囲気を纏って寮に戻ってくるいくつもの気配が、ロゼアにそれを教えてくれた。ソキはロゼアの腕の中ですぐ眠りに落ちた。そもそも体力が限界だったのだろう。
泣いて、怯えて、疲れ切った表情でやってきたロゼアに両腕を伸ばし、すがりついて。泣き濡れた声でろぜあちゃん、と呼んだのを最後に、意識が失われていた。一時的に起きたのは、ロゼアが正装を脱ぎ湯を使う為に傍から離れていた間である。
一応、普段着ているローブでソキの全身を包むように寝台に寝かせて行ったのだが、駄目であったらしい。
普段よりずっと短い時間で部屋まで戻ってきたロゼアが見たのは、寝台の上で体をぎゅうぎゅうに丸めながら、警戒しきった様子で声もなく涙を零すソキの姿だった。
慌てて駆け寄ったロゼアが手を伸ばし、触れるとそれだけで体から力が抜け落ち、そのまま今に至っている。ふるふる、ソキの瞼が震えた。くちびるが息を吸い込み、ぼんやりとした瞳が彷徨う。
「……ろぜあちゃん」
「なに、ソキ。俺はここにいるよ」
服をきゅぅと握り締めていた手が離れたので、ロゼアはそこへ己の指先を滑り込ませた。汗ばんだ肌を撫でながら、指先を絡めて繋ぎ合せる。心地よさそうにソキが微笑み、また瞼が下ろされた。
ぽんぽん、と肩を撫でながら、ロゼアはかけ布をひっぱり、ソキの体にかけてやった。
「ずっと、いる。傍にいるよ、ソキ」
うっすらと瞼をひらき、ロゼアを眩しげに見上げて、ソキは笑った。切なく、愛おしく、申し訳なさそうに。溢れる幸福にこそ罪悪感を抱くように、かなしげに笑って。ロゼアちゃん、と呼んで、目を閉じた。
そのまま、朝まで目覚めることはなかった。
扉を叩くとすぐ飛び出して来たちいさな体を抱きとめ、フィオーレは言葉もなく天井を仰ぎ見た。反省の為である。言葉をかけてやれば声で判別が付いただろうが、それもなく、分からなかったのだろう。
ストルさん、と一度だけ呼んで出てきたリトリアは、フィオーレの腕にやんわり抱かれながら、即座に顔を赤くした。恥ずかしさに涙ぐみ、頬を両手で包みこみながら身をよじる。
「ち、ちが……ちがうの! わ、わたし、ちがうのちがうの……!」
「うん。分かってるから落ち着こうな? それと、しー。もう遅いから、あんまり大きな声は駄目だよ」
寝静まった楽音の廊下は、旋律の名残を漂わせることなく眠りに落ちていた。城で開かれた夜会もとうに終わっていたのだろう。
熱っぽい興奮の空気も消え、夜の静けさだけが舞いおりている。言い聞かせるフィオーレの言葉に頷き、リトリアは不思議そうに白魔法使いを見上げた。
「フィオーレは、どうしたの? ……私に、なにか、御用ですか?」
「んー? 楽音の陛下が、今日のリトリアは可愛いドレスなんですよって自慢してたから。どんなだったかな、と思って」
パーティーが終わるまでは砂漠の王の護衛をして、その後、許可を取って楽音へ赴いたのだった。ノックをしたのは、リトリアが起きている気がしたからだ。
単なる勘に過ぎず、寝てしまっているのであれば後日でもよかったし、当然、着替えているだろうからドレスを見せてもらえればそれだけでよかったのだが。えっ、と戸惑う声をあげて頬を赤らめるリトリアは、未だ夜会に出席した時の姿のままだった。
小花を散らした愛らしいドレスが、小柄で華奢な体をふんわりと包みこんでいる。指先をもじもじと擦り合わせる仕草は愛らしかったが、よく見れば表情はやや眠たげだ。うとうととしながら、着替えることができないでいたのだろう。
ストルさん、とリトリアは呼んだ。嬉しくて、泣きそうな声だった。待っていたに違いない。そんなことはないと思いつつ、もしかしたら、と期待して。その期待を何度も、何度も打ち消して。それでも淡く抱いて。
ドレスに添えられたカードは無記名で、メッセージも残されていなかった。それでも、リトリアが分からない筈がない。『学園』在学時代からずっと、ストルはなにかことあるごとにリトリアに服やら靴やら装飾品その他を買い与えて愛でていたのだ。
それくらいのことで、分からなくなる筈がない。溜息をつき、ストル一回くらい殴りに行こうかなと思いつつ、フィオーレはひょい、とはにかむリトリアの顔を覗き込む。
「うん、陛下の仰る通りだった。すごく似合ってるし、可愛い」
「……ありがとうございます」
「一曲くらいは踊ろうか? さ、お手をどうぞ、お嬢さん」
微笑みながら慣れた仕草で、フィオーレはリトリアの前に片膝をついた。『学園』在学時代、何度もそうしてきたように、手を差し伸べてダンスへと誘う。音楽がなくてもすこしくらいは踊れるだろう、と問うフィオーレに、リトリアはおずおずと指先を預ける。
きゅっと握って立ち上がり、フィオーレはするりと少女の腰を抱き寄せた。
「俺でごめんね」
「ううん。……ううん、いいの。……なんで、期待しちゃったんだろう」
会いに来てくれることなんて、ないのに。囁き、涙を伝わせるリトリアの頬を両手で包みこみ、フィオーレはそっと身を屈めた。額に口付け、強く、その体を抱きしめる。
「俺で、ごめんね」
呼んでいいよ、と許されて、リトリアのくちびるが震えながら息を吸い込む。ストルさん。ストルさん、ツフィア。砕けた砂糖菓子のような甘さで静まり返った空気を震わせ、リトリアは落ち着いた響きで、フィオーレの名を呼んだ。
なに、と視線を向けてくれるのに、少女は花のように笑う。
「会いに来てくれて、ありがとう……」
そう告げたかったのはきっと、フィオーレではないだろうに。それでも、心から和らいだように笑うリトリアに、フィオーレはごく穏やかな気持ちで頷いてやった。
妖精たちとナリアン、メーシャ、ハリアスやルルク、エノーラまでもが代わる代わるお見舞いに来てくれたとのことなのだが、ソキにはその記憶が残されていなかった。朝に一回目をさましてから、翌日の朝まで延々眠っていたからである。
ロゼアちゃんどうして起してくれなかったですか、とすこしばかり拗ねた顔つきになりながらも、ソキは身支度を整えるロゼアの背を見つめていた。
ソキをてきぱきとした動きで夜着から日中の服に着替えさせたロゼアは、すこしばかり眠たげなあくびをしながら、後回しにしていた己の服に袖を通している。ばさ、となんのためらいもなく上着が脱ぎすてられ、用意してあった服をてのひらが取りあげる。
なめらかな筋肉が付いた背と、腕の動きに、ソキは瞬間的に顔を赤らめた。自分でも驚くくらい、どきどきして、目が離せなかった。
どうしてなのかまったく分からない。正装している訳でもないのに。ロゼアの肌を見たことが、ないわけでもないのに。あれ、と混乱してくちびるに手をあて、震えるソキを着替え終わったロゼアが振り返った。
驚いたように目が見開かれ、なにをいう間もなく伸びてきた腕がソキを抱き上げる。腕の中でふにゃんと脱力しながら、ソキはまだ混乱しきる頭を落ち着かせようと、ロゼアにすりすり体を擦りつけた。
世界で一番安心できる、大好きな腕の中。どきどきをおさめて落ち着いた様子になったソキに、ロゼアが心配そうに問いかけてくる。
「ソキ、どうしたんだ? ……まだ、すこし顔赤いけど」
「う、うぅ……ソキにもねぇ、ちょっと分かんないんですよ。でも、お熱じゃないです大丈夫ですロゼアちゃん」
だからあんまりその、触ったりしないでいいです、と言う間もなく、ロゼアのてのひらがソキに触れてくる。頬に、額に、首筋に、熱と鼓動を確かめるように触れ、落ち着かせるように、ゆるりと撫でて行く。
ソキはきゅぅ、と目を閉じてロゼアの肩に頭を預けた。今までと変わらず、その手はソキに安心をくれた。あたたかくて、きもちよくて、落ち着いて行く。それなのに。胸の奥がきゅぅと痛んで、どきどきして、泣きそうになる。
触らないで、と、もっと触って、という矛盾した気持ちが溢れそうになる。どうしようソキどうなっちゃったんですか、と涙ぐみながら、ソキは何事か考え込んでいるロゼアに、ぎゅぅと抱きついた。
「ロゼアちゃん、ロゼアちゃん」
「ん? なに」
「ソキねえロゼアちゃんだぁいすきなんですよ。昔からずーっと好きなんですよ」
昔からずっと好きで大好きで恋をしていてどきどきしていたのに。それも間違いないのに。なんだかちょっとおかしい気がする。
うー、うぅーっとむずがって呻くソキの頭を撫でながら、ロゼアは肩を震わせて笑った。
「ありがとうな、ソキ。俺もソキが好きだよ」
「……うん」
胸の奥が痛い。うれしくて、うれしくて、でも、いたい。なんでですか、と思いながら考えるソキを抱き上げたまま、ロゼアはさて朝ご飯食べに行こうな、と部屋を出て行く。そのまま階段に差し掛かった所で、ソキはハッとして顔をあげた。
「ロゼアちゃん、ソキあるくです」
だから下ろして、と足元に視線をやるソキに、ロゼアはにこっと笑った。なんだか、機嫌が良さそうな表情だった。にこ、と思わず笑いかけるソキに、ロゼアはさらりと言い放つ。
「今日はだめ。……どうしてもっていうなら、保健室行って、ちゃんと治療してもらって、起きて良いって許可出たらな」
「……なんでです?」
昨日一日目を覚ましもしなかったからに決まってるだろう、と言いたげな微笑みを浮かべ、ロゼアはやぁんやぁんともぞもぞするソキを抱きなおし、食堂へ歩いて行った。
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