言葉を鎖す、夜の別称 26


 なぜか踊りの輪の中から現れた妖精は、敬意というものをかなぐり捨てた態度で砂漠の王からソキの手をひったくり、なにも言わずに休憩できる場所まで導いた。

 なにかにひどく苛立っている妖精はソキにちらりと視線を向けてきたが言葉はなく、そのことが少女にはとてもありがたく感じられる。うまく、言葉を、紡げる気持ちではなかった。

 曲の合間に入れ替わる人々のざわめきと笑い声が、天井高くに反響して、遠い。

「ソキ」

 妖精がソキを呼び、ほら、と繋いだ手で導いてふかふかの長椅子に腰かけさせる。踊り、あるいは食事、会話を楽しむ魔術師たちの姿が見え、それでいて煩すぎず、ざわめきからは遠すぎない絶妙の場所に、いつの間にか導かれていた。

 たくさんの椅子が置かれたこの身廊は、ちょうど飾りや食事、飲み物を置いた机にまぎれて死角になっているのだろう。ソキ以外の人影はなく、淡い静寂がやんわりと降りて来ていた。

 ぼぅっとまばたきを繰り返すソキの傍をいつの間に離れていたのか、戻ってきた妖精が冷えた水の入ったグラスを差し出してくる。繊細な銅細工と硝子を組み合わせた華奢なグラスをそっとてのひらで包みこみ、くちびるへ運ぶ。

 ヴェールは気が付かない間に、妖精の手によって払われていた。疲れたわね、と囁いてくる妖精の声に、ソキはぼんやりしながら頷く。

「おみず、ありがとうございますです」

「……飲める? おなかは空いた? アンタ、なにも食べてないでしょう」

 ソキはグラスの水をこくこくと飲みほしたのち、眉を寄せながら首を振った。すこし前までは空腹も感じていた気がするのだが、白魔術で回復した直後から、それらの感覚も遠のいている。

 それをソキは口に出しはしなかったのだが、妖精にはお見通しであったらしい。ソキに上級の白魔術の、正式な詠唱を教えこんでしまった誰かを天井を睨みながら呪い倒すと、空になったグラスを受け取って手の中で弄ぶ。

「ほんのすこしでも食べられない? ……それか、なにか、果物のジュースだけでも」

「……もうちょっと、休んだら、食べるもの探しにいくです」

「ホントね? 言ったわね?」

 言ったからには守りなさいよ、と笑って妖精がソキに手を伸ばしてくる。髪飾りに手を触れ、つけ直してくれる仕草はやさしい。ふわふわした気持ちで笑いながら、ソキはようやく、長椅子に半分伏せていた体をもちあげた。

 ふらつきながらも座り直し、踊り続ける魔術師たちを眺める。たくさんの魔術師が笑っていた。ソキが見知った顔も多いが、まったく分からない者もいる。

 ソキと同じ方向を眺めながら解説してくれた妖精の話によれば、少女らの仲間も結構な数で混じっているのだという。

 正装で羽根も隠しているから分かりにくいだろうけど、と笑いながら、妖精が例えばあれとか、あれとか、と指差し教えてくれた少年少女を眺めやり、ソキはわぁ、と淡く目を輝かせた。

「妖精さんは、みんな、きれいです……! 目が幸せになるです、うっとりしちゃうです」

 うふふ、と飴を口にした時のような仕草で指先をくちびるに添え、その幸福にしばらく酔いしれて。あれ、とばかりにぱちぱち瞬きを繰り返し、ソキは不思議そうに首を傾げた。

「メーシャくんは……もしかして」

「しないわ絶対にしないわよアンタなに考えてるの言わないで良いけどそれ以上は考えるんじゃない!」

「だ、だってリボンちゃん。メーシャくんも見てて目が幸せになるです。ということは……!」

 メーシャくん妖精さんだったりしないんですか、ときらんきらんした目で言い放つソキの髪に手を伸ばしかけ、複雑に編み込まれ綺麗に整えられたもたれているそれを乱すことをためらったのだろう。

 行き先を変えた妖精の指先が、ソキの頬をむにむにと摘んだ。

「し・な・い・わ・よ! あんなのとアタシたちを一緒にするんじゃない!」

「やぁんやぁんっ。リボンちゃんほっぺつねっちゃやですやですぅっ」

「つねってないわよそこまで力入れてないでしょうが。……アンタほんとに恐ろしいくらいに肌綺麗ね……」

 触れた指先をぞくぞく震わせるほど、しっとりとなめらかな、吸いつくような質感である。頬も、首筋も、その下の肌もなにもかも。きめ細やかに整えられ磨かれた、『砂漠の花嫁』。

 妙な気分になってくる前に手を離し、やっぱりソキを折檻するのは髪を引っ張るのに限るわと思いながら、妖精は長椅子を立ち上がった。まだ歩きたい程に体力が回復していないのだろう。

 もうちょっと、と視線を向けてくるソキにどこへも行かないわと苦笑して、妖精はふ、と視線を向けた。ロゼアが、シディと話しながらも、ソキのことを時々見つめているのが分かる。ソキはそれに、気が付いていないようだった。

 舌打ちしたい気分になる妖精の背に、やわやわと響く甘い声で、ソキが話しかけてくる。

「……ソキねえ、夜会にロゼアちゃんと出る日が来るとは思わなかったです」

 出る、と言っても寄り添い立つでもなく、手を取って踊ることもないのだが。同じ時、同じ空間にいる、ということだけで十分らしい。感慨深く告げるソキを振り返って、妖精はやさしく頷いてやった。

「ソキがそうなら、あっちもきっとそう思ってるでしょうね」

「うん」

 返事の声が甘えている。まったく、と苦笑しながら妖精はソキを眺め、食事をしたら帰りましょうね、と言った。食べさせて眠らせてしまうのが一番だろう。うん、とまた頷いて、ソキはふふふ、と楽しげに笑う。

「……今日は、お歌歌わないでいいですね」

「歌?」

「ソキ、夜会にお呼ばれすると一曲なにか歌わなければいけなかったです」

 告げるほんのわずかな響きから察するに、それは呼ばれた『花嫁』に対する義務であったのだろう。気乗りしない様子ではなく、楽しげであるので、ソキは歌うことが好きなのかも知れない。

 すこしでも、好きなことをさせて、あたたかな気持ちであって欲しい。そう思いながら、妖精はソキの座る長椅子の前にしゃがみこんだ。顔を覗き込み、問う。

「じゃあ、今聞かせてくれる?」

「……いまです?」

「ちいさな声でね。大丈夫よ、騒がしいし、誰も気にしたりしないわ」

 人々を踊らせる楽団の音楽に紛れ、ざわめきがかき消し、その歌声は誰にも届かないだろう。だからこそ自由に、と願う妖精の囁きに応え、ソキはうっとりと微笑んで頷いた。

 胸元に両手を添えるようにして置き、細い喉が息を吸い込む。祝福を与えるように、歌声が紡がれた。




 歌い終わったソキを長椅子に残し、妖精はシディとルノン、ニーアに挨拶だけしてくるからすこしだけ待っていなさい、と小走りに立ち去って行った。ソキが食事を終えたら、もうすぐに帰れるようにだろう。

 妖精が戻ってくるまでの間に眠ってしまいそうな気がしつつ、ふぁ、とあくびをして、ソキはふらふらと視線を彷徨わせた。もう一度、ロゼアの姿を見ておきたかったのだが、残念なことに見渡せる範囲のどこにも見つけることができなかった。

 つんとくちびるを尖らせて拗ねながら、ソキは砂漠の王に告げた言葉を胸の中にしまい込み、幸福な夢を見たがる仕草で瞼を下ろした。

 今日はもう自分の部屋でなくてもいいとのことだったから、寮に帰ってお風呂に入ったら、ロゼアの部屋で眠ってもいいのだ。あたたかな腕に抱き寄せられる幸福と安堵を胸いっぱいに蘇らせ、ソキはそっと、ロゼアの名でくちびるを震わせた。

 歩んでくる足音がする。眠りに落ちる寸前の瞼を持ち上げて視線を向けた先、ひとりの女と視線が重なった。濃褐色の肌に夜色の髪を持つ、すらりとした体躯の女だった。

 果実のように赤い瞳がソキの姿を認め、どこか訝しげに細められる。カツ、と足音を立てて女がソキへ一歩を踏み出した、その時だった。ソキは女が手に持つ花飾りに気が付く。白い大ぶりの花は、ガーデニアだろうか。

 瑞々しさを保つよう加工されたその花を中心に、ほの甘い色合いの薄紅の小花が添えられている。その花から、魔力のきらめきが零れ落ちた。とうめいな蜜のような、甘い、あまい、ひかり。

 砕け散る寸前に薄藤色の芳香を漂わせるその魔力に、ソキは覚えがあった。

「……リトリアさん」

 女の足が止まる。くらやみの中から見つめるソキには、逆光になってしまっていて女の顔がよく見えない。はじめて会う相手だった。それなのに、ふと、耳元で囁くように声がして。

『ツフィアはね』

 ソキに、その女の名を教えた。

『ツフィアは、夜とか、夜明けとか。そういう印象の、とてもきれいな女のひとよ……』

「……あなたが、ツフィアさん、です?」

『言葉魔術師なの』

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