言葉を鎖す、夜の別称 19

「ありがとうございます……チェチェ、あの、おねがいします……」

 おずおず、差し出した花飾りを受け取ると、冷たい金属の感触がした。ひっくりかえして見てみると、髪や、フラワーホールに飾れるようにだろう。指を傷つけないように加工された、細いピンが付けられていた。

 リトリアはチェチェリアの手に渡った花飾りを、一度視線で撫でるように見つめて。ふと視線を外し、楽音の王へ頭を下げた。

「お時間を頂き、ありがとうございました。いってらっしゃいませ」

「行ってきます。……ああ、リトリア」

 ぱたぱた、急いで走って帰ろうとするリトリアを、楽音の王は悪戯っぽい笑みで呼びとめた。

「おみやげ、いりますか? お留守番のご褒美に」

「……おみやげ、ですか?」

「そう。一晩くらいなら、一人でも二人でも」

 王に付き従う王宮魔術師二人の頭に、拉致、という言葉が浮かんで消えた。もしもリトリアが、欲しい、と言えば王はそれを実行するだろう。手段を問わない。いっそえげつないまでに、手段など問われたためしがない。

 それが楽音の王のやりくちだ。はらはら見守る二人の視線を受け、リトリアは苦笑して、首を左右に動かした。

「お気持ちだけで……それに、ふたりとも、私には会いたくないと思います」

「……そうかな」

「はい。……だから、私はこの国から出ません。夜会が終わるまでは、その部屋に……あとは、自分の部屋でじっとしています」

 すとるさんにも、つふぃあにも。あわない。さびしいさびしい、あいたい、と全身で叫びながらもそう言い切って、リトリアは今度こそ一礼し、暗い廊下の先へと走って行ってしまった。

 その背をながく見送り、楽音の王はふぅ、と息を吐き出した。

「キムル」

「はい、陛下」

「エノーラと、じゃれて遊んでいいですよ?」

 それは遠回しな、白雪の女王の困った顔を見てこの落ち込んだ気持ちを癒し慰めたいのでよろしくお願いしますねやれ、という楽音の王の命令である。

 キムルは苦笑いをしながら頷き、やや死んだ目になった妻の手を引いて、『学園』へ続く扉を開いた。




 なんとなく微妙に嫌な予感がするようなしないような、と涙の滲む声で呟いて、白雪の女王は廊下の中ほどでその歩みを止めた。当然、手を繋いで歩いていたソキも隣で立ち止まり、白雪の女王を見つめる。

 女王は首を右に傾げ、左に傾げ、訝しげに眉を寄せてうぅん、と考え込んでいた。紫の、水晶色の瞳が、そろりとあたりを見回していた。月明かりに抱かれ雪原に落ちる鉱石の影を、そっと拾いあげ瞳に封じればこの色になるだろう。

 畏敬すら感じさせるそれに、今は不安げな影が揺れていた。どうかしたですか、と問うソキに視線を向け、白雪の女王はきゅぅ、と眉を寄せながらもふるふると首を振った。

「気のせいだということにしておくから、いいわ……。……ああ、でもどうしよう。エノーラが私の元に帰ってくるまでの間、可愛い女の子を誑かしたりとかしていたら……! だ、だめよって一応言ったんだけど。お相手の同意がなければだめよって」

 でも学園の女子の八割くらいはエノーラ大好きだし、とひたすら胃が痛そうな呟きを涙声で発し、白雪の女王はふるふるふると、どこか小動物的な動きで頭を振った。

「ううぅ、考えないことにしよう。ごめんね、ソキちゃん。それで、えっと……新入生の控室は、こっちでいいの?」

「はい。こっちなんですよ。……エノーラさん女の子にもてるです?」

「……なんでか、ものすごく。はぁ……男装するの、許可するんじゃなかった」

 なんでも、女王陛下の護衛ということはつまり陛下のエスコート役という訳ですので私がドレスを着るとかありえないと思うんです男装させてください、と真顔で詰め寄られたらしい。

 近年稀に見る真剣具合だったから、つい許可してしまったの、とそのことを淡く悔いるような眼差しを揺らめかせながら、白雪の女王はそっと、そっと歩みを進めて行く。

 歩きが得意でない人を連れて行くのに慣れているようだ、と思い、ソキは唐突に気が付く。このひとは、ウィッシュの主君であるのだ。『花婿』の主。妙に納得した頷きをみせるソキに、女王はくすくす、楽しげに笑う。

「なぁに? ああ、大丈夫よ。エノーラは十五歳以下には……許可がなければなにもしないから」

 つまりまあお相手の許可があればするってことなんだけどうふふふふ泣きそう、と灰色の声と眼差しで呟いたのち、白雪の女王は本当に、心底困り切った息を吐きだした。

「まったく、もう……私の魔術師なのだから、私にだけ関心を払っていればいいのに。シアのトコもちょっとそんな感じだけれど、私の魔術師にも浮気ものさんが多いのは、困ったなぁ……」

「うわき? です?」

「私の魔術師だもの。私以外に一切の感心興味を払わず、私にだけ傾倒していればいいと思うの」

 優しい微笑みで淀みなく告げられた言葉に、ソキは、なぜエノーラがあんなに女王陛下踏んでください症候群に陥っているのかを理解した。仕方がない気がするです、と思うソキの手を引きながら、白雪の女王は憂鬱そうに息を吐く。

 躾が、折檻が、と怖い単語を透明な響きの声で呟き、女王の瞳が改めてソキを見る。

「そういえば、ソキちゃん。ロゼアくんには、もう会った?」

「ろぜあちゃん? ソキねえ、今日は朝からロゼアちゃんに会えてないですよ……」

「そっか。なら、会えるの楽しみね」

 微笑みながら問われ、ソキはこくんと頷いた。女王はソキにかける言葉、話題をたやすことなく、やわやわと空気を震わせて時折笑いを忍ばせた。その笑みに、ようやく、ソキが案内部屋での一件を忘れ、気分を持ち上げてきた頃だった。

 新入生控室の扉が見えてくる。それは初めて学園に来た時、入学式までここで待つようにと、案内された部屋だった。迷わず案内できたことに女王は胸を撫で下ろし、もうすこしだけ頑張って歩こうね、とソキに告げた。

 頷くソキからそこではじめて手を離し、女王は小走りに部屋へ向かう。扉を叩き、中をひょいと覗き込んだ女王は、新入生の控室はここでいいの、とよく通る綺麗な声でそう問いかけ。直後、口元に指先を押し当て、ぶはっ、と唐突に笑った。

「す、すごい……! これ、これはすごい……! にて、ちょう、にてる……!」

 よし今年はこれで行こう、という謎の決意をかためる女王に、ソキはなんだか落ち着かない気持ちで、こころもち小走りに歩み寄った。無言でくい、と服の裾を引かれるのにうん、と頷き、女王はやさしく目を細める。

「じゃあね、ソキちゃん。また後で……きれいな服だから、転ばないよう気をつけて」

「はい。ありがとうございましたです。……なにが、似てるです?」

 口元に指を押し当ててふるふると笑いに方を揺らし、白雪の女王はたぶんすぐに分かると思うわ、と言ってソキの隣をすり抜けた。まっすぐに歩いて行く先、女王に向かって走り寄るエノーラの姿が見える。

 二人に、そっと頭を下げてから、ソキは中途半端に開いていた扉に手をかけ、部屋に体をすべりこませた。わぁ、と歓声のような、喜びに満ちたナリアンの意志が響く。

『すごくきれいだ……!』

「うん。花嫁さんだね、ソキ。きれいだ、きれいだよ……」

 きれい、という褒め言葉はソキには聞き飽きたものである。『花嫁』はきれいで、かわいくて、それが当たり前だからだ。そうでなければいけないものだからだ。

 だから普段であればソキは、それに対してちょっと笑ってありがとうございます、くらいの反応しかしないのだが。ソキは、しあわせそうに目を潤ませ、はにかんだ笑みでちいさく、ちいさく頷いた。ほめて、と思う。誇らしく思う。

 この瞬間、この時の為にロゼアちゃんが育ててくれたの。きれいなのはロゼアちゃんが手をかけてくれたからで、他の理由など、ない。だからこそそれは、ロゼアに対する称賛であったのだ。

 ロゼアちゃんが褒められてるですうれしいうれしい、とはにかみながら喜んで、そういえば、とその当人を探して視線が彷徨った時だった。

 部屋の奥から声がかかる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る