桑楡は野薔薇の冠に 03
「ふえ?」
ものすごくびっくりしたらしい。普段なら絶対に上げないような声を出したラティが、むくりと半身を起して椅子に背を正し、座り直す。
「え? 今なんて?」
「いや、だから。ラティはメーシャのこと好きなのかな、と思って? えーっと、その、異性的な意味で? だってなんかすごく気にするじゃん? 会いたがったりもするし、そもそもラティが養ってたみたいなもんだし……そうなのかなって、思ったんだけど」
「私がそういう意味で好きなのは、今も昔も星降の国王陛下、ただ一人ですけど?」
書架の間から、なにやら咳き込む音がした。ラティはそちらにちらりとも視線を向けず、フィオーレを睨むようにして言う。
「あなたが想うたった一人が、恐らくは永遠にあの方一人きりであるように。私も、恋い慕うのは、星降の陛下だけなの」
「分かった。……えーっと、じゃあなんで? どういう感じで会いたいの?」
「決まってるでしょう、そんなの」
はんっと鼻で笑い飛ばすように胸を張り、堂々とした態度でラティは言い切った。
「家族愛よ」
「血が繋がってないとか? 言わなかったっけ? あれ?」
「ふふん、メーシャを拾って育てたのはこの私! つまり、私は養い親的な感じのアレよ、アレ!」
どれだよ、という眼差しを軽やかに投げ捨て、ラティは幸せそうに満面の笑みを浮かべてみせた。
「うふふ、はやくメーシャが彼女を紹介しにきてくれないかなぁ……。それで、彼女さんに、メーシャくんをくださいって言われてみたい……!」
「え? 彼女の方がそれ言っちゃうの? メーシャはそれでいいの?」
「メーシャのほんとうの家族になれる子だもの。それくらい言う気がして?」
何年くらいしたら連れて来て紹介してくれるかなぁ、彼女、とうっとりするラティの額を、フィオーレは溜息混じりに指で突っついた。なに、と不思議そうな目を向けてくるラティに呆れながら、フィオーレは真剣な顔をして言う。
「ほんとうの家族とか、ラティだってそうだろ?」
「……そう? かしら」
「ラティの、そういうヘンなトコで自信ないの、ちょっとどうかと思う……。家族だと思うよ。俺はね。メーシャを……断ち切られて、消えてしまうって分かっていてその場所に行って。記憶もなにもかも消し去られる理から、名前だけ守り通して、それをちゃんとメーシャに渡して、返して。それからずっと、傍にいて、見守って、育てた。そんなラティを家族と呼べないなら、メーシャは他に誰をそう思えばいいの。ラティは、その場所に……その時に、メーシャの家族になりに、そこへ行ったんじゃないの?」
俺はそう思うよ、と告げたフィオーレに、ラティは困った気持ちで眉を寄せた。そこへ至るまでの道筋、思考の巡り、感情は全て消し去られてしまっていて、ラティにも思い出すことが出来ない。
あの日、確かにそこへ行き、そうしたいと思ってメーシャの傍にいた。そこへ至る思いが例え恋であったとしても、今のラティにはそれを知る術はなかった。全ては失われた後だった。
その中で、たった一つ、選んで残せるものがあった。ラティが選んだのは、メーシャの名前だ。他のなにをも失っても、それだけは守り、それだけは失わせてはならないと思ったもの。その時、なにを考えただろう。
その名を呼び、受け渡すひとに、なにをあげたいと思って。なにを、繋げると思って。どうしたいと、思ったのだろう。
「……家族でいい、かなぁ」
「すくなくとも、俺はアイツからメーシャの保護者に伝えてなっていう情報をお前あてにいくつか受け取って、そういう話もしてるけど?」
考え込むラティの頭にぽんと手を置きながら、そう言ったのは砂漠の国王だった。いつのまにか、書架の間から出て来ていたらしい。その後ろには星降の国王の姿も見える。
その瞬間、どこでなんの話をしていたのかを思い出したのだろう。ちいさな声をあげて真っ赤になったラティの頭をぽん、ぽんと宥めるように撫で、砂漠の国王はぐぅっと伸びをした。
「さて、じゃあ行くぞ、フィオーレ。ラティも」
「……どこへ? なにしに?」
「学園に、視察しに」
その為に星降の国まで来てるんだろうが、と苦笑する砂漠の国王に、フィオーレはあれ諦めたんじゃなかったんでしたっけと呆け、ラティはメーシャの名を叫びながら立ち上がり、即座に復活した。
どうしてもその形を思い出すことが出来ない。
大切なものだったのに。とてもとても、大切なものだったのに。たったひとつしかなかったのに。その時が来るまで、それを守っていなければいけなかったのに。ひとつしかなかったのに。
他に代わりになるものなんてないのに。砕かれてしまった。壊されてしまった。砂漠の砂のように。万華鏡の煌きのように。すくいあげる指の間を、あっけなく零れ落ちて行くそれがなんだったのか、どうしても思い出すことが出来ない。
どんな形をしていたのかを。なんの為に必要だったのかを。誰の為のものだったのかを。大切なものだったのに。大切にしていたのに。盗られてはいけなかったのに。
どうしても、どうしても、必要なものだったのに。思い出さなければ。早く、早く。思い出して、ああ、でも、それは、なんだったのだろう。
思い出せない。思い出すことが出来ない。
どうしても、どうしても。胸の奥に降り積もる万華鏡の欠片。降り注ぐ光を虹の色に反射して煌く、砂粒のようなそれが。かつて、どんなものであったのか。その形を、色を。どうしても、どうしても。
思い出すことができない。
それは、悪戯な風に舞い上げられる木の葉を思わせた。くるくると円を描きながら立ち上った木の葉が、ふと風の流れからそれ、大地へやわり落下していく。落ちた葉は渦を巻く風に煽られて登り、けれどもまたすぐ、地へと落ちて行く。
繰り返し、繰り返し。煌く魔力の欠片は形を成そうと収束しかけ、ぱきり、氷が割れるような、薄い硝子が砕けるような音を立てて散らばって行く。
そのたび、ロゼアの指を包み込むように繋いだソキの手にきゅぅっと力が籠り、浅く早く繰り返される呼吸と共に、その意志が失われて行く。熱が出ている筈の体は熱く、汗ばんでいるのにその指先は驚くほど体温を失っていた。
それはあたかも冷たい水に浸し過ぎ、体温を失ったままで、熱を呼びもどすことが出来ないでいるようだった。
ぐったりと寝台に沈み込む体は、寝がえりを打つ力を失って久しく、すこしも動きはしなかった。ずっと眠れないでいるのだろう。瞼は閉ざされただけで、意識がまだそこへあるのがロゼアには分かっていた。
片手を繋ぎ合わせ、もう片方の手でソキの髪を撫で続ける。ソキ、ソキ、と名を呼ぶ声に合わせて、唇が浅く早く、息を吸い込んでは吐き出して行く。
その名が絶えれば息をすることを忘れてしまうだろう、と思わせる程にそれは弱々しく、また苦しげだった。ソキ、とロゼアが名を呼ぶに合わせて息を吸い込んだくちびるが、吐息を吐きださず、きゅっと力を入れて結ばれる。
濃厚に立ち上るソキの魔力を、ロゼアは光の欠片として認識した。それは強い日差しを浴びて輝く、砂漠の砂を思わせた。
雨風に洗われ、もっとも美しく砕けた岩石の欠片。無色透明な宝石。星屑すら連想させるそれ。ひとつの所へ収束していくそれが形を成せば、うつくしい宝石のように、星のようにも輝くだろう。
けれども、それは形を成さない。涼しげに崩壊する音を立て、像を成す前に散らばってしまう。ひっ、と引きつけを起こしたようにソキの喉が音を立て、小さな体がびくりと震えた。
力を入れ過ぎて震える瞼から、涙が滲み、零れ落ちて行く。けふっ、と乾いた咳を吐きだし、何度も、何度も嘔吐くように咳き込む合間に、ソキの声がやわやわと響いて行く。
普段よりもっと形を成さぬその声が、なにを訴えているのか、ロゼアに理解できない訳がなかった。結晶化出来ない魔力が砕けて落ちるたび、ソキは咳き込み、無意識にこう口にする。痛い。
嫌だとか、好きではないとか、そういう訴えをすぐ口にするソキが、痛みをあえて告げるのは極端に少ないことだった。
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