「そうしてその後、彼女はどうなったかと言うとね、結局Mと付き合ったんだ。まぁ、Mの押しが強かったからだろうけれど……」

 先生は最後の一口の珈琲を啜りながら、話を締め括ろうとした。窓の外は少しだけ粉雪が舞い始めていた。

「さて、この話で僕がさっき言った『人の運命を変える一瞬』について分かってくれたかい?」

 私の方を見ながら眉を吊り上げ、目を開く。それは私に尋ねる時のいつもの先生の癖だった。

「はい、分かります。先生がSさんの告白に対して、Mのことを考えてしまった一瞬ですよね?」

 私がそう言うと、先生は一度窓の外を見た後、ゆっくりと煙草に火を点け、煙を吐き出しながら口元を緩ませた。

「違うんだよ。一番重要な一瞬はそこじゃ無いんだ。この話の中で一番重要だった一瞬は、僕がMにSさんとのことを告白した時の、Mが真剣な顔をした、あの一瞬なんだよ」

「えっ? Mの方ですか?」

「そう。あの一瞬で、Mはあの嘘を考えたんだ。そうして僕の純粋主義者的な部分を見透かしていたMは先手を打ったんだよ。先の先まで見通してね。確かにあの嘘は僕の人生を変えてしまうのに十分な嘘だっただろう?」

 先生は得意げに語りながら煙草を吹かしている。なるほど確かに先生が言う通り、最も重要な一瞬はそこだろう。Mは一瞬で先生の人生を変化させてしまったのだ。

「なるほど……。頭の回転が速い人ですね」

 私がそう言うと、先生は頷きながら煙草を吸い込んだ。外はやや暗くなり始めた頃合で、街灯が灯り始めている。

「確かに……Mは頭が良かったんだろうね……。——ところで君は、今の話で僕が一番言いたかったことは何だか分かるかい?」

 先生はまた振り出しに戻るような質問を私に投げ掛ける。

「一瞬という時間の重さ……では無いんですか?」

 私の答えに対して、嬉しそうに微笑みながら煙草を灰皿へと押し付ける先生。

「違うんだよ。僕とSさんの初めの頃の関係さ。二人で話していると落ち着ける関係だって言ったろ? まるで僕と君の様だったと……」

 先生はテエブルの上に肘を立て、自分の顎の辺りを撫でている。私は先生の話のその部分を思い出そうとした。

「ええ、そう仰いましたね。そして、そういう関係は男女間においては一番危ないとも……」

 先生はいよいよ真剣な表情となり、私を見つめる。

「そう、まさにそこなんだよ。僕と君の関係は、いつ恋仲になってもおかしくない状態なんだ」

 私はその先生の様子に思わず噴出してしまった。

「うふふ、先生、もしかして……そうやって私のことを口説いてるんですか?」

 その言葉に先生も思わず笑ってしまう。

「ははは、やっと分かってくれたようだね。長い長い前振りだったよ」

「駄目ですよ、先生。私にその気はありませんから。それよりも……そんな先生のどこがピュリスト、純粋主義者なんですか?」

 可笑しくなって二人で大笑いしてしまった。『パアプルデイズ』には私たち以外に客がいなかったから、誰に気兼ねすることもない。

「僕だって十分ピュリストさ。ただ、僕は頭の切り替えと回転が速いだけだよ」

「うふふ、先生、それじゃまるで……先生がさっきの話のMみたいじゃないですか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

丸ノ内先生の逸話 0.8/21秒 来夢みんと @limemint

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ