事件

 茹で釜の熱気が立ち込める蕎麦屋の店内は、丁髷を結う男たちでごった返し、商売気漲しょうばいぎみなぎる活気に溢れていた。


 そんな中で食す冷たいざる蕎麦は、身体を芯から冷やしてくれるような、粋な涼を喉越しに感じさせてくれる。


 手を合わせ、空になったせいろを三つ重ねた更紗が、テーブルのない畳に直接それを置けば、隣にいた山南が紐で束ねた銭貨をその横に置く。



「山南さん、どうもご馳走様でした!とても美味しかったです」


「山南副長すみません、私の分まで出して頂き、真に忝く…」


「いや、いいんだよ。良い物を食べさせて貰った。私こそ、佐々木君に礼を言わないと」



 座敷に腰掛けながら、下駄に足を通した山南が店外へと進めば、更紗と愛次郎も同じように後に続いていく。



「蕎麦も良かったが、添えられた天麩羅が絶品だったよ。和泉屋というのか。覚えておこう」


「ご満足頂けたようで良かったです。実は大元の砂場は、江戸にも暖簾分けしているんですよ」


「何と、江戸にも商いを広げているのか。東帰する機会があったら行ってみるよ」



 愛次郎を見据え、嬉しそうに頷いた山南は足を止め振り返り、『す奈バ』と書かれた店の暖簾を眺める。


 その様子を見つめていた更紗は、ゆっくりと視線を外し、近間の板壁の先にそびえる立派な大門へ顔を向けるのであり。


「まさか、新町遊郭の近くに、こんな美味しい蕎麦屋さんがあるとは思わなかったな……」



 『砂場』という蕎麦屋は、大坂を起源とする蕎麦屋老舗店の一つであった。


 店舗の和泉屋は既に現存しないが、その功績を讃え、大阪市西区新町二丁目の「新町南公園」に砂場発祥の石碑が建てられている。



「では、京屋に戻りましょうか」


「そうだね。今日は日差しが強い。生憎、日陰もない刻だから暑さは往路より厳しくなるか」


「……菅笠被れば良かった……紫外線受け放題だぁ…」



 じりじりと照りつける太陽の下を歩いていれば、短い時間で首筋がじんわりと痛くなる。


 現代に比べれば幾分マシに思える斜陽も、人より色素が薄い素肌に当たれば、その影響は計り知れない。


 苦しそうに碧色の瞳を細め手をかざして歩く女の姿に気付いた山南が、歩みを止めて辺りを見回すと、優しく口を開き。



「市村君。良かったら、私が傘を買ってあげようか」


「……いえ、大丈夫ですよ。気にしないで下さい」



 額に汗を滲ませながら、笑顔で首を横に振る女の肩に山南はそっと触れると、敢えて視線を合わせ、小物が売られている店を指差す。



「折角だから大坂土産としなさい。ほら、彼処のお店に売っているようだ」


「……いや、そんな……悪い…」



「…何方か!お侍はんは居はりませんか!どうか!どうかお助け下さいませ!」


 

 背後から聞こえる叫び声に何事かと振り向くと、履物も履かず裸足のままフラフラと歩く町人が視界に飛び込んでくる。


 只事でないその様子に更紗は思わず言葉を飲み込み固まるが、隣にいた山南がすかさず声を張り上げ。


「私は壬生浪士組副長の山南と申します。何事でしょうか?」



 地に足のついた口調で話す山南を目に入れるや否や、裸足の男は一目散に駆け寄り、自分たちの前で震えながら低頭する。



「わ、わての店に、不逞浪士が押し入ったのです…!何卒、情けを…どうかお助け下さいませ…」


「相手は如何いかほどでしょうか?」


「……恐らく、六、七人かと…」


「分かりました。店まで案内して貰えますか」


「へ、へぇ……!」



 先ほどまで感じていた暑さは一瞬のうちに鋭さを増し、不安に落ち着かない胸懐へその刃を突き立ててくる。


 生温かった空気が熱く張り詰めたものに変わっていき、初めて味わう切迫感に更紗の息が苦しくなっていく。


 先導されるままに走り着いた大店は呉服商で『岩城升屋』と書かれた木製の看板が掲げられていた。



「佐々木君。君には共に討伐にあたって貰いたい。覚悟はいいかね」


「……勿論です。常に覚悟は出来ています」



 不穏な日溜まりの中で、尋常でないほどの冷や汗が滲み出るのは自分だけ、目の前にいる二人の侍は、取り乱すことなく落ち着き払っている。


 揺るぎ無い愛次郎の言葉を受けて山南は微笑み頷くと、こちらに目線を移し優しい声色で語りかけてくれ。



「市村君、今から新町遊郭の吉田屋まで行って、助太刀出来る者を連れて来てくれないか?」


「……わ、分かりました。直ぐに連れて戻ってきます。だから……お願いだから二人とも無事でいて下さい…」


 

 この時代に生きる限り、ましてや武士という生業に身を置く者は、いつ何時、命を賭す戦さ場に借り出されるか分からない。


 それでも、いざその光景を前にすれば、中途半端な覚悟しかできない女の胸に忍び寄る黒い影が、這い上がれぬ闇へ落とし込もうとし。


 更紗はじわり、と滲む視界の中に二人の姿を捉えるが、何の迷いも感じられない表情を見せる浪士組の男たちは、既に侍の顔に切り替わっていた。


「無論、無傷で戻るつもりだ。日暮れまでには、傘を買いに行こう」



 いつも以上に頼もしく微笑む山南へ何度も頷いて見せた更紗は、即座に踵を翻し、もと来た道を一心不乱に走っていた。


 蒸す暑さの中、五感を刺激するのは悪戯に舞う土埃と騒々しい蝉の声。


 喉の渇きで咳き込み、見る見るうちに涙が溢れてくるが、負けじと手の甲で拭って前へ進むしかない。


 二度と立ち入らないと決めていた大門を潜り抜ければ、昼間といえども賑わいを見せる赤色の世界が視界いっぱいに広がっていき。


「……どこ……吉田屋……どこ…!?」


 

 押し込んだ涙の代わりに、溢れ出る汗が額から頬へと静かに伝うが、拭う時間すら惜しむほど、女は一人、焦っていた。


 蜘蛛の糸を張り巡らせたように並ぶ建物は全て似た造りで、掲げられている提灯や看板の屋号を手当たり次第に確認する以外に、吉田屋を見つける術はなく。


(……こんなの……時間がかかり過ぎる……!!)


 

 一軒目の店がそれでないと分かった更紗は、何百とありそうな建物から途方もない探し物をしなければならない事態にがっくりと肩を落としていく。


 赤い格子窓の奥ではやはり煌びやかな遊女が物欲しそうにこちらを見つめており、自分の横に佇む男は顎をさすっては、楽しげに品定めしていて。 



「……お兄さん……吉田屋ってどこ?!」


「……へ、吉田屋かいな?それやったら奥の…」


「今すぐ連れてって!!今すぐ!!」



 今にも飛び掛らん勢いでグッと腕を掴めば、自分より小柄な男は渋々、その先へと続く道を案内してくれる。 


「あそこに見えるのが吉田屋や。日ノ本一の揚屋やさかい、よう覚えとき」


 

 日本一の揚屋───、初対面の人間にそう教えられたのにも頷ける外観を構えた吉田屋は、贅の限りを尽くして建てられた、まさに圧巻の一言に尽きる歴史的建造物であった。


 その楼閣は島原の角屋にも負けじ劣らずの風格があり、周りの店と比べても二軒以上の広さは優に確保していた。

 

 極め付けは余すことなく飾り付けられた内装の豪華さ、金屏風の建てられた玄関口では、これまた一目見て位が高いと分かる遊女が高下駄を脱いでおり。 



「すみません!壬生浪士組の部屋まで案内して下さい!一大事なんです!」


「へ、へぇ。お客はんは何方の…」


「もういいから早く!!こっちは人の命が掛かってんの!!!」



 訝しげに番頭が自分へと近づいてくるが、いてもたっても居られない更紗は、自分を一瞥する遊女の横で砂まみれの下駄を脱ぐと、三方に分かれる廊下をキョロキョロと見入る。


「お客はん…!勝手なことされたら困ります…!」


  

 慌てふためく番頭の声を聞きながら定まらない視界に捉えたもの、それは現代でも通用しそうな恰幅の良い大男が、角の部屋へ歩いていく姿で。


「……お相撲さん!?ちょっと待って!!!」



 大声を張り上げた更紗は、立ち止まってこちらを振り向く大男の傍へ駆け寄り、目の前に現れた襖を勢い良く開け放つ。


 刹那、三味線の音と小唄に合わせて妖艶に舞う遊女とそれを眺め見る大勢の男たちの姿が目に映り。


 容赦なく集まるその者たちの視線に、息も絶え絶え、汗まみれで乱入した自分がかなり場違いであると気づかされるが。



「……誰かと思えば、更紗じゃねぇか!どうした、血相変えて」


「呉服商に不逞浪士が押し入りました……山南さんと愛次郎さんが戦ってます……早く誰か助太刀をお願いします…!」



 近づいてきた原田は切腹傷を披露していたのか、着物の合わせが肌蹴ており、既に所々、白粉が付いている有様であった。


 目の前で酒宴を楽しむ男たちと死線を歩む彼らとの温度差は激しいもので、遊女たちの他人事のような黄色い悲鳴に苛立ちが募っていく。


 誰も行かないのであれば、奉行所に駆け込むしかないと唇を噛み締めるが、隣の遊女へ盃を託し立ち上がった永倉は、大刀を手に取ると左腰に差していき。



「俺ァ、未だ酔いが回ってねぇ。助太刀致そう。更紗、案内してくれ」


「おう!ぱっつぁんが行くなら俺も…」


「いや、左之は平助、総司、一を連れてきてくれ。未だそんな遠くには行ってねぇはずだ、お前なら直ぐに追いつけんだろ」


「合点承知の助でい!俺の出番も残しとけよ!!」



 疾風の如く駆け出した伊達男は、容赦ない足音を響かせて視界から消えていくが、代わりに捉えた色男は想像通り艶やかな遊女を侍らせていた。

 


「市村、敵は如何ばかりか」


「……六、七人です。早く行かなきゃ二人が……」


「山南さんに任せりゃ間違いはねぇが……用心するに越したことはねぇ。俺も助太刀致そう。新八行くぞ」


「ああ、腕が鳴るぜ」



 スッと立ち上がった土方は先ほどまで浮かべていた涼やかな表情を引き締めたものに変えると、その場にいた隊士へ的確に指示を飛ばしていく。


 その様に見惚れる遊女が幾らか目に止まれば、血の気が引いたように青ざめる力士も多数見受けられる状態であった。


 鼻に纏わりつく香の匂いは男を惑わす妖しき香りで、眩暈を覚えるほどに甘く、底知れぬ不安を掻き立てられるもので。


「……お願い……皆……無事でいて……」


 

 いつしか耳に届けられるのは、この時代に来て初めて知る生涯忘れることのない音であった。


 土埃の舞う音、金属のぶつかり合う反響音、人間の断末魔。


 知らず知らずのうちに深く植え付けられる恐怖と苦痛が、真綿で首を絞めるように女の心を苦しめ、歪ませていく。


 今、この瞬間も人の命は呆気なく消えていたとしても、それが仲間でなければいいのだと、人としての感覚が喪失していくのを止められず。


「……っ山南さん!!!」



 天罰が下るかの如く、待ち受けていた運命は、女の想像を絶する残酷なものであった。


 土方と永倉に抱えられて岩城升屋から出てきた山南の左腕から、着物の色味が見違えてしまうほどにおびただしい血が流れている。


 歩んできた土道には生々しい血痕が続き、手首から指先へと伝うそれは、地面に真っ赤な血溜まりを作っていく。


 駆け寄り、至近距離から見た山南は既に血の気が全くなく、呼びかけたところで何の反応も示さない。



「……嘘でしょ……やだ!!永倉さんどうしよう!!」


「更紗、落ち着け!医者だ!誰か医者を呼んでくれ…!!」


「…わ…わてが呼んで来たるわ…!」


「忝い。佐々木、あの男に先導願って医者を連れて来てくれるか」


「……わ…私のせいで……ふ…副長が……」


「馬鹿野郎!助けたけりゃ、死に物狂いで行きやがれ!!」


「…しょ、承知しました!!」



 いつになく緊迫した表情を見せる土方が声を荒げると、それを合図に全身に血飛沫を浴びた愛次郎が慌てて駆け出していく。


 山南を横向きに寝かせ、永倉が斬られた袖口を捲って見せるが、肩から左腕に掛けて深く一太刀浴びた痕があった。


 初めて見る大流血の惨状に思わず目を背けたくなる衝動に駆られるが、更紗は心を奮いたたせ懐から未使用の手拭いを取り出す。



「……し、止血しなきゃ…!!」


 震える手で大きく開いた傷口を力一杯押さえるが、どろり、と血の塊が溢れる状況では、一瞬のうちに真っ赤に染まっていくだけ。


 凄まじい裂傷から見えたのは紛れも無い人間の骨であり、そこに至るまでの皮膚組織全てを切り裂いていた。



「これは一刻を争うな……早く血を止めねぇと…」


 重苦しく話す土方も手拭いを取り出し、真っ赤な手拭いに重ね強く押さえるが、急速に血を吸い込むそれは、絞れるほどにひたひたになっていく。


 額から尋常でない汗を垂らしていた山南の顔から色は立ち消え、昏睡状態に陥ったのか呼吸も目に見えて弱まっていた。



「これは本気でやべぇんじゃねぇか!!もっと強く締めねぇと!!縄や晒みてぇなもんはねぇのかよ…!おい、店主!何やってんだてめえ…!」


 腰を抜かしてへたり込んでいた町人へ怒鳴る永倉を見上げた更紗は、ふと、自分の胸を締め付けるそれに目線を落とす。


 汗でぐっしょり濡れてしまってはいるものの、無いよりは遥かにマシだと思われるそれは、一番手っ取り早く止血することができる唯一の道具で。


「晒しあります!!永倉さん!!!代わりに押さえてて!!」



 更紗は立ち上がって着物を袴から引っ張り出したと思えば、袖から強引に血だらけの両手を入れ込む。


 きつく巻いていた晒を緩め、中で輪の状態のまま腕から肩へと通して首から脱ぐと、再度、袖を入れ直した手でそれを掴み。



「お…おい、更紗……見え…」


「うるさい!!ちょっと黙ってて!!」



 野次馬に囲まれた今の状態など気にする余裕もないくらいに、炎天下の大坂は酷く暑く、息のできないものであった。


 むせ返る血の臭いが熱気に混ざり、吐き気となって喉元を襲ってくるが、山南を助けたいその心意気だけで、晒しをギュッと握り締める。


 央太が怪我をした時の応急処置や、怪我防止のためにと常日頃からバンテージや包帯を巻いていた経験が、少しの勇気と自信を与えてくれる。



「……末梢から中枢に向かって……幅を同一に……」


「おめえ……医術の心得があるのか」



 土方からの質問に目を向けることもせず、更紗は手際良くそれを血塗ちまみれの腕に巻き付けていく。



「そんなのないです。でも……やらなきゃ」


「おおい!連れて来たぞ!!てめえら斬られてぇのか!!どきやがれ!!!」



 遠くから聞こえる馴染みのある怒声が、蝉の声に負けんばかりに夏の記憶を脳裏に刻み付けてくれる。


 死はいつも手に触れるほど身近にあることを、背後には常に死の影が付いて回ることを、血溜まりに沈む蝉の亡骸が示していた。


 夏の匂いは唐突に感じるもので、全てを洗い流すかの如く篠突くような夕立が、京屋の軒を激しく打ち鳴らしていて。



 昏睡状態にある山南は蘭方医の処置を受けたが、助かる見込みは五分五分、運良く命が助かったとしても左腕には後遺症が残ってしまうと伝えられた。


 兎にも角にも三日以内に意識が戻れば、命を落とす危険は無くなるそうだが、現段階では重篤な状態に変わりないことだけは、口にせずとも誰しも理解でき。



「……山南さん…頼む、起きてくれ…」


 ぐったり項垂れながら男の涙を見せる近藤の横で、沖田も同じく瞳を潤ませ、鼻をすすっていた。



「……山南さん、早く起きて下さい…まだ、教えて欲しい事たくさんあるんです……」


「総司、大丈夫だ。山南さんの事だ、少し休めば目覚めてくれるさ」


「……でもよ、意識を取り戻したとして、誰が腕の件を本人に伝えんだよ…」



 井上の言葉に触発されるように永倉が口を開けば、原田が徐に頭を抱え、溜め息を吐いていく。



「……左腕が動かねぇかもしれねぇなんて……俺ァ言ってやれねぇわ…」


「腕が動かなくったっていいじゃねぇか!山南さんが生きてくれれば…」



 押し黙る斎藤の横で藤堂が声を荒げるも、土砂降りの雨音が、全ての雑音を掻き消していき。


「……郷里には…知らせるか」



 無表情のままぽつり、と呟いた土方は、文机に向かい淡々と筆を走らせていた。


 それぞれの負の感情が渦巻く室内は夕刻だと思えないほどに薄暗く、既に行灯には火が灯されていた。


 更紗はその光景をただぼんやりと、傍観者のように黙って見守っていた。


 夢か現か分からない現実世界は全てが嘘のようで、混沌とした別世界を眺めているような、妙な感覚に苛まれていた。


 山南を本気で心配する感情とは裏腹に、歴史通りに事が運ぶならここで死ぬわけがないと、事態を認めない自分が影に潜み。



「市村、手伝え」


 声のする方へゆっくり顔を向けると、感情の読めない漆黒の双眸に視線を絡め取られる。



「……はい」


 更紗は一言だけ、そう返すと、土方の傍まで歩みを進め、静かに腰を下ろした。


 目先の男は自分に和紙を一枚押し付けると、刃こぼれのある折れた刀を置き、満遍なく墨を塗り付けていく。



「これは山南さんの戦勝の証だ。押し型にして郷里へ送ってやろうと思ってな」


 静かに筆を置いた土方へ紙を手渡せば、魚拓を取るように和紙を折れた刀へ押し付けていく。


 万が一、山南がこのまま死んでしまった場合、この刀が武士としての命を懸けて戦った最後の刀となる。


 その遺品となり得るべき、愛刀を押し型にするという行為は、土方もそれなりの覚悟を持って現実を見定めていることになる。


 今だに鼻腔に残る鉄錆の匂いが、生と死の狭間に生きる男たちが歴史の上ではなく、確かに目の前に存在している事実を否応無しに実感させてくれるが。



「おめえは泣きもしねぇんだな」


 こちらに目も向けず、手元の押し型の出来を確認しながら、男は女にしか聞こえない声量で言葉を放つ。


 更紗は返す言葉もなく、重ねていた自分の両手を固く握り締め、和紙に写る墨染めの刀を見つめていた。


 葬式のような悲しみの空気にそぐわぬ女の一線を引いた眼差しは、時の番人であるかの如く独特の雰囲気を醸し出していた。


 やはり彼らの行く末を知っていることは、推理小説を最後から読むのがタブーであるように、希望ある人間の醍醐味を全て奪ってしまう。


 余りに場違いな自分の存在そのものを消すように息を押し殺し、ただ時が過ぎるのを待つしかなかった。

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