十七

「ベテルギウス、件の少女、どう見ましたか?」


 女王の言葉に宰相、ベテルギウスは静かに熟考する。

 だが、考えれば考えるほどそれは深みに嵌っていく気がしてならない。

 こうして夜会が終わり、夜遅くに政務室での密談となったが、なんと口にすればよいのか。


「正直に申し上げて、危険……ですな。人外だとは聞き及んでおりましたが、アレはそんな生易しいものではないでしょう」


 今でこそこの国の宰相として、女王の右腕として国を支えるベテルギウスだが、昔は諸外国を回るため冒険者をしていた。

 その時上り詰めたランクはニアS。大きな成果は多くはなかったが、確実な仕事と地道な冒険の数々で得た階級である。

 今でも魔法の腕は錆び付いてない自信があった。

 だからこそ、直接見たレティーシアという人物がどれだけ規格外な存在なのか理解してしまった。


「私は戦闘面ではただの女でしかありません。それでも感じるものは多くありました。ベテルギウス、私に構わず素直な感想を言ってもよいのですよ」

「なれば、無礼を承知で言わせていただきましょう」


 深く呼吸し、一度己を落ち着かせる。

 正直に言って、あまり口にしたくない内容であった。


「まぁ、まず御せるとは思わない方がいいでしょうな。人外も人外、昔見た魔神も凄まじいものでしたが、それが可愛く見えましたよ。実力の片鱗は感じれど、底が見えません。高位の魔神が人に化けてると考えるのが妥当かと存じます」

「……高位魔神、ですって?」

「はい」


 女王の顔が見る見るうちに陰り、青くなっていく。

 魔物はその魔力保有値、その他が一定に達すると、物理に縛られない“力の核”とも呼ぶべき物をそなえるとされている。

 その境界線はいまだ知られてないが、それが一つの境なのは間違いなかった。

 この核を持つ魔物を総称して魔神と呼ぶのだが、魔神は最低ランクの実力であっても容易に都市が滅ぶ戦闘能力を持つ。

 いわば災害級カラミティクラスであり、中位ともなれば国軍が総力を持っても場合によっては倒せないだろう。

 上位にもなると大国ですら滅びかねない存在であり、事実過去の伝承で上位の魔神と思わしき魔物による襲撃で数多の国が滅んでいる。


「あくまで例え、です。女王陛下。ただ、そのレベルか以上の実力をもっているのはまず間違いないでしょう。放って置くのも怖いですが、だからと言って竜の尾を踏みつけ、その逆鱗に触れるのも怖い。全く持って厄介なことです」

「そんな相手に私はどうすればいい?」

「何を仰いますか、私などが言わずとも、陛下ならわかっておられるでしょう」


 その言葉にデルリフィーナの女王が軽く笑みを浮かべる。

 確かに件の人物は自分が思っていたより危険な相手かもしれない。

 だが逆に考えれば、それだけの実力者の協力を得られるチャンスでもある。

 幸い相手は知恵も意思もない魔物ではなく、人類と同等以上の思考を持ち得る存在だ。

 

「ここで自己保身に走ったり、矜持を傷つけられては激怒しない自分を嘆くべきなのでしょうか……」


 そうすればこんな面倒な役目はそうそうに捨てることができたはずだと。


「ともかく、どちらにせよ明日が正念場ですね」

「はい。まさか向こうから接触を図ってくるとは思ってませんでしたが」

「……よほど交渉に自信があるのかしら」


 夜会が始まり、少し経ってから件の少女、レティーシアはあっさりその場を去った。

 花に群がる蜂のように集まる貴族達に、心底うんざりしていたのは記憶に新しい。

 容姿を褒める賛辞から、その若き美空でシュヴァリエを得る実力への称賛。

 あらゆる美辞麗句を受け止めながら、欠片も嬉しそうではなかったのは、間違いなくそれらに価値を抱いてない証左。

 そして抜け出した直後、いつの間にか手渡されていた一通の手紙。

 内容は至ってシンプルで、次の日の正午、この城の会議室で交渉を行いたいというものだ。

 こちらから接触を行う手間は省けたが、イニシアチブを取られたようで少々面白くはない。

 

「向こうは恐らくメリル達を連れてくるでしょうね」

「はい、恐らくは間違いないかと」

「反面こちらはあまりおおやけに出来ないし、人選どうするかしら」

「一人は私が入りましょう、それ以外だと、精々二人程度が妥当かと思いますぞ」


 そうねと応える。そもそも現在重要機密指定のこの案件は、下手な貴族に漏れると面倒なことになりかねない。

 昔より王家の力が落ちていることもあるし、欲に塗れた貴族に弱みは見せられないだろう。

 そんなことになれば、たちまちこの国は腐敗が進み瓦解しかねない。

 ただでさえ厄介な事態が迫ってるというのに、風の噂じゃ、各地に封ぜられた魔神封印陣の再封印期間が差し迫ってるという。

 そちらも気にしないとならないのに、今回届いたエンデリックからの知らせ、カラクリ人形は国家の命運を左右する程の脅威だ。

 国に滞在するAランク、ニアSランクを総動員しても打破出来るかは正直分からなかった。

 

「先に出したエルフの女王への協力要請はどうなってますか?」

「返事はまだもう暫く掛かりましょう。流石に距離がありすぎて、遠話の魔法も使えません」

「噂が事実なら、当代エルフの女王はSランクとも、オーバーSとも聞きます。その協力が得られれば、実に頼もしいのですが……ドワーフの鍛冶王の方はどうなっていますか?」

「そちらも同じで御座います。なにしろエルフの国より遠い。現在魔獣使いによる飛行で向かっているようですが、最短でも一週間はかかるかと」


 その返事にデルリフィーナ女王は深い溜息を零す。

 分かっていたことではあるが、この二人への緊急要請は急がねばならない。

 エルフの女王は代々実力揃いだが、今代は過去最高の実力者との噂だ。

 ドワーフの鍛冶王は逆にご老体だが、その職人としての腕は間違いなく大陸一と言って過言じゃない。

 彼の作り出す武具は不可思議な力が宿り、その効果は伝説の魔剣や聖剣に近しいと聞く。


「こればっかりは仕方ありませんね。出来るのなら、このお二方に会議の同行を願いたかったのですが……ベテルギウス、信用のおける者で特にキレる人物を二名選出なさい」

「……畏まりました」

「もう夜も遅いので、ここまでにしましょう。本当ならもう少し詳細を詰めたいのですが、それは早朝でも構いません。明日の会議で寝不足だなんて、そんな失態は避けなければいけませんからね」

「確かに、その通りで御座いますな。会議場で欠伸など出そうものなら、一体何を言われることか」


 ベテルギウスが少しおどけた調子で口にすれば、デルリフィーナの女王にも僅かな笑みが浮かぶ。

 そこで自身が相当緊張していたのだと、一瞬弛緩した筋肉の凝り具合から理解する。

 これでは本当に土壇場でミスをしかねないなと、内心で自嘲し、責務用の椅子から立ち上がる。


「それでは残り二名の選出、確かに任せましたよ。私は先に休ませていただきます」

「御意に御座います、陛下。せめて安らかな眠りを……」








 深夜、ふと手洗いで目が覚めたメリルが夜風に当たろうと、小さなテラスに出れば、隣の部屋の明かりに気づく。

 移動し、ドアをノックすればすぐに入室許可の声が聞こえてくる。

 中に入れば案の定、何やら手紙を書いていたらしいレティーシアの姿があった。


「レティ、明日は女王陛下との会議でしょ、眠らなくていいのかしら?」

「妾は吸血鬼であるからな、夜がそなたら的に言えば昼となる。それに一日二日寝ないくらいで影響の出る体でもない」


 なんの気負いもなく言われれば、流石にそれ以上なにを言うこともできない。

 吸血鬼の肉体は亜人と呼ばれる、人型種の中でも特異なばかりか、その頑健さは場合によっては戦闘型の獣人種をも上回る。

 始祖の肉体ともなれば破格も破格であり、幼い見た目は到底指標になりはしない。

 そしてどうやら一国、それも大陸一の強国であるデルリフィーナの女王との個人的会議すら、緊張に値するものではないらしい。


「それならいいのですけど……ところで何を書いてるのかしら?」

「そなたには軽く聞かせておったと思うが、妾はそもそもこの世界の住人ではない。この手紙は本来住む世界の妾が治める国、そこの軍閥関係者に送るものだ」

「確か、ヴェルクマイスターでしたかしら」

「そうだ。夜よ夜よ夜の国、日陰に生きる者共よ、眩しき太陽避けし者。皆々すべて集まりて、このかいなで受け入れよう。妾の国は魔族と呼ばれ迫害された者共の最後の安住地であってな、住むのも亜人や魔族、知恵ある魔獣共だ。人間は極少ない」


 その王が妾なのだがな、と、最後に締めくくる。

 この世界の最大の協力者として、メリルは簡単な事情を聞いていたが、知らない事は多い。

 そして今の内容から、亜人や魔族と呼ばれる者達の境遇がこちらより悪いのだと知れる。

 だからこそ、その王であるレティーシアがずっとこっち居ていいのだろうかと、少々疑問であった。


「王が国を置いて気侭に活動してよいのか、と。そんな顔をしておるな?」

「えっ、ええ……その通りですわ」


 王とは即ちその国の最高権力者。

 当然こなすべき責務は多く、気軽に放置できるものな訳が無い。


「問題ない。そもそも妾の国は本来王が下すべき決断に必要な権力、それらを分散しておるゆえな。最重要案件のみは妾が判断を下すようになっておるが、そんなもの滅多にあるものでもない」


 それはメリルにはあまり馴染みのない考えだった。

 国王が権力を握るのは、力が分散しては国が瓦解しかねないからだ。

 バラバラな権力はそこかしこで不正が起き、国を腐敗させる。

 だからこそ権力は頂点に集め、代々優秀な者を王に据えることでそれに振り回されないまつりごとを行うのだ。

 しかし、レティーシアの国は定命の人間や亜人とは違い、悠久を生きる王が居て、各分野の頂点もまた同じく永久を生きる者達である。


 その性質上不正が起こり得る筈はなく、そもそもが現し世の世俗に興味が薄い者ばかり。

 土台からして人間とは違うのである。

 あえて弱点を突くのであれば、君臨者にして象徴であるレティーシアが倒れた場合だろうか。

 そうなれば各分野を司る七名もまたその役割を負う意義を失い、国はやがて滅び去るだろう。

 そんな強固でありながら、明確な脆弱性を持つのだが、少なくとも五千年以上破綻する様子は見せていない。


「この国も、そろそろ根底からの改革が必要なのかしら……」


 話を聞き、察して思ったのはどれだけデルリフィーナが今脆い立場なのかということだった。

 宰相と現女王が居なければどうなっていたことか、メリルにはほの暗い先しか想像できない。


「なに、人が人である限り、おおよそ完璧などありはすまい。だからこそ人間は、妾達が持ち得ぬ輝きを有するのであろう? 少なくとも、高々百年内でその文明を発達させてゆく種は人以外に知らぬぞ」


 ――妾の国はとうに停滞し、後は僅かな変化のみを続け腐ってゆくばかりだからなと。

 どことなく寂しそうにレティーシアは口にする。


「さて。そろそろメリルも眠るがよい。明日はミリアとボアも同行させねばならぬのだ、忙しくなるぞ。この国にとっても、妾の国とっても、明日は一つの起点となるのだからな」


 そう言われて部屋に備え付けられた時間を図る道具を見れば、ここに来て三十分以上経ったことを示していた。

 

「もうこんな時間でしたのね。それではレティ、いくら吸血種だからって、少しは眠るんですよ?」


 心配気に告げて部屋を去るメリル。その残した言葉に不思議と心地よい気持ちを抱く。

 己が身は少々過分に過ぎるほど強大に過ぎた。

 戦闘力しかり、蓄えた知識しかり、所有する財しかり、実行する手足しかり。

 ゆえに、この身をああいった視点で心配する者などここ数百年。

 いや、下手すれば千年以上居なかったかもしれないなと、最後の一通を書き終えて思う。


(さて。煩い姉だが、仮にも今は妾の姉だからな。ここは素直に従っておくか)


 着ていたドレスを脱ぎ、キャミソールだけになれば、衣服はそのまま異空間に仕舞い込む。

 隣の寝室にあるベットの質感は悪くなく、しっとりとシーツが肌を包み込む。

 本当はシャワーもしくは風呂に入りたかったのだが、この時間ではそれは難しい。

 起きてからにしようと考え、そのままゆっくりと意識を手放した。



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