追憶編

 レティーシアが一瞬の視界の暗転を感じた直後、無重力のような浮遊感が体を蹂躙し、数秒後には体全体に掛かる重力の楔に転移の成功を感じとる。

 瞳を開ければ眼前に広がるのは、謁見の間に参列した家臣達の姿であった。

 玉座から真っ直ぐに伸びた真紅のカーペットを中心に、右側を軍事を司る家臣団が二列に並び、向かって左側には主に政治や実務系を司る家臣団が同じように片膝をついて並んでいた。

 総勢にしておよそ二百名にも達する、ヴェルクマイスターひいてはこの世界のヒエラルキーの上層部に位置する“家臣”達。

 僅かな乱れすらみせず、一切の音を立てずに全ての者が王の帰還を静かに迎えていた。

 その壮大な光景に“彼”は思わず――――



「ヴェルクマイスターよ! 妾は帰ってきたぞッ!!」



 と、気づけば謁見の間全てに響き渡る声量で口にしていた……

 本来なら寒々しいこと間違いなしのそれはしかし、抑える必要のない圧倒的な威厳(カリスマ)の顕現によって、見る者全てに等しく神による宣託の如き響きとなって伝わっていた。

 久々に己を抑え込む必要もなく、あるがまま本来の状態で居られることのなんと爽快なことだろうか。

 脳内でやっちまった! と冷や汗を垂れ流している彼とは別に、自分達が王として戴く者の圧倒的存在感に古くから仕える家臣や、ここ最近この家臣団に成り上がった者も含め、全ての者が一層気を引き締める。

 間違いなく空気が一段と張り詰めたのは彼のせいであった。脳内でレティーシアまでやれやれと溜息を零している。

  


「レティーシア様、御帰還心よりお喜び申し上げまする」


 と、そこでしわがれた声がレティーシアの耳に届く。

 掛けられた言葉に瞬時に意識を戻し、返すべき言葉を即座に選び取る。


「なに、本来ならもう少し先の予定であったのだがな」



 玉座より一段低地となっている場所、家臣団より一段高い位置にあったその場所で、半円形を組むように七人の人物が豪奢のマントを羽織り、強烈な存在感を放ち、片膝をつきながらも顔を面に上げていた。

 その中でも中心で膝をついていた一人の老人が恭しく立ち上がり、レティーシアに一歩近づくと再び片膝をついて帰還の祝辞を簡単に述べる。

 それに対しレティーシアは鷹揚に頷くと、まさしくこの国の勢いを示すかのような豪奢な玉座に腰掛ける。


 本人からすればいささかに煌びやかに過ぎるのだが、この場の豪華さは即ちヴェルクマイスターの勢いと力をも示すため自重しないくらいが丁度いいのだ。

 肘掛に両手を掛ければ、指先に拳を超える大きさの“神核”丁度手を置くのにいい球形で填め込まれている。

 魔神の核ではなく、正真正銘の“神”を討滅することで入手した代物だ。復活出来ないよう封印されているが、悪用しようと思えば即座に神が二柱復活することだろう。



「ギャンレル、ヴェントルー、トレアドール、トレメール、ノスフェラトゥ、ブルハー、マルカヴィアンの七名よ。妾(わらわ)がヴェルクマイスターを留守にしている間、よくぞ立派に国を治めてくれたな。その忠誠心と卓越した能力、嬉しく思うぞ」

「ハッ! 勿体無きお言葉で御座います」



 レティーシアの労わりの言葉にギャンレルを初めとした、円卓評議会(カルテット)の七名がそれぞれ一言ずつ感謝の言葉を捧げていく。

 それらを聞くレティーシアもさることながら、口上を述べる真祖七名の顔も嬉しそうな笑みが浮かんでいる。告げられる言葉、両者の間に一切の社交辞令は含まれていない。

 レティーシアが述べた言葉が事実であれば、また七名が述べた感謝の言葉も嘘偽りなきものであった。

 既に記憶が霞む程の昔に眷属となり、その更に前からレティーシアに全てを捧げた七人にとって、先の賛辞はまさしく神からの誉れと同意義であるのだ。ギャンレル等は肩を震わせ涙まで流す始末である。

 ギャンレルの反応こそややオーバーリアクションではあるが、残りの六名もさほど大きな違いはなく、各自喜びに満ちた表情を見せていた――――





 “不破の吸血城=ヴェルクマイスター”、そう呼ばれだしたのは何千年前だろうか?

  少なくとも国として世界に認められた当時はその名では呼ばれていなかったと、レティーシアは久しぶりに戻ってきた己が居城の最上階、謁見の間の奥、その右側に位置する場所にある扉の奥、執務室で考える。

 両手に持っているのは重要事項が書かれた書類が数枚。重要ではあるが、内何枚かは十分円卓評議会(カルテット)の面々でも処理出来るだろうにと、溜息を吐きながらも何やら書類に書き込んでいく。

 久々に戻ったこともあり、どうやら無駄なものまでこちらに回してきたらしい。

 ある意味では全員子に等しい存在であるため、やれやれ手の掛かるやつらだと内心溜息交じりで紙束を捲っていく。



 ぱらり、ぱらりと一枚一秒程の速度で紙は次々と捲られていく。

 文章を記憶するのではなく、その紙面を一つの“画像”として記憶し、並列思考マルチタスクで画像を思い出し、そこに記された文を汲み取る。

 レティーシアは後天的に身に着けたものだが、これは先天的に持ち得るもので、才能に近いだろうか。

 書類の内容は、人間の国が数多く存在する大陸との交易に関するものが一枚。

 国民の増加によるこの大陸の深部の開拓及び、新たな都市の建設に関するものが一枚。

 忍び込んでいた人間の間諜に関するのが一枚。逆に各国に放っている諜報員からの報告が二枚。



 取り敢えず一枚目に関しては判断を商業に関する権限を受け持った、トレメール・トゥルース・アリシアに回すことにする。

 次の都市建設に関しては現在進めているヴェルクマイスターの転移、その際に周囲に都市を建設する予定であるので、必要な場合は貴族位を持つ者達の別荘を解放して急場を凌いでおくように、と書き足して一時保留とする。

 この世界では貴族は政治などに関しての権限はない。が、その存在は栄誉あるものであり、ヴェルクマイスター内では大きな意味を持つ。

 間諜に関しては全員既に自白魔術で情報を抜き取り済みだと書いてあるため、全員殺処分の趣旨を記す。

 諜報からの情報はこれと言って目立つものはなく、レティーシアは羽ペンを手で弄くり倒しては考え暫くの思考の後、引き続き監視とする旨を書き記し、情報に関しての一切を引き受けているノスフェラトゥ・トゥルース・ナレッジに回す判断を下す。


 最後に指を一度パチンと鳴らせば、置かれた書類が一瞬で消失する。それぞれ送られるべき場所に転移されたのだ。

 それを横目にグッと背伸びをすると、幼い容姿からは想像できないような、背骨などの一部関節からぽきりぽきりと小気味よい音がなる。


「くっ……んんぅ…ふぅ。さて、そろそろ来る頃であるな――」




 


 


 私はその時、湧き上がる歓喜を懸命に抑えながら王の帰還を玉座の前、私達円卓評議会(カルテット)だけが許される、最もその美しき相貌を真っ先に拝顔出来る位置にて膝をついていた。

 この位置は玉座の直ぐ前である。曲者ならば一息で間を詰めることが出来るこの場所は、同時に私達にかけられた信頼の厚さと同意義でもあった。

 もっとも私達が戴く王を害せる存在が人に居るとは思えないし、人外の殆どはヴェルクマイスターの所属や系譜である。

 王がただ一言“死ね”と言うだけで、民の多くはその場で自害してしまう。それくらい王の支配力は絶対的である。

 だからこそ、寄せられる信頼が嬉しい。仕えて数千年になるけれども、私の想いは募る一方で、その思いだけできっと天まで届くに違いない。

 天より高い場所におられるのだから、それだけでは届かないけど、きっと何時かは届くと私は信じている。


 

 元々私達七人は全員が何かしら脛に傷を持つ者達である。私はその筆頭と言えるかもしれない。

 遥か昔、まだ私が人であったころ。これでも一国の第一王女として生を受けた私は、蝶よ華よと愛でられ育てられたわ。

 でも、そんな温室のような生温い生活は長くは続かなかった。

 私の十四歳の誕生日のとき、その世界は脆くも崩れ去ったのだから……

 当時迎えたのは戦乱の世。次々と台等していく実力者達、明けるのは群雄割拠の時代。

 強き者が生き残り、弱き者はひたすらに搾取される時代において、私はあまりに無力だった。

 歴史は古く、正統な血統としても有名であった私の一族はしかし、国力という点では所詮は小国に収まる範囲に過ぎなかった。

 あっと間に呑み込まれていく私が愛した国、領土、民達。今なお鮮明に思い出せるのは、天をも焼き焦がす地獄の業火と、助けを求める多くの悲鳴――――







「賊どもが城に侵入したという情報が入った。信用のおける者をここに呼んでいる、この先にある抜け道を進めば城の外に抜けられる。決して死んではならぬ、泥を啜ってでも生き延びるのだアリシア……おぬしさえ生き残っておれば、そこがアルドトリネの国なのだ――――」

「おとう……さま?」



 私にはお父様の言っている言葉が理解できなかった。いいえ、したくありませんでした。

 常の柔和な表情は今は厳しく、その瞳は私に一度も見せたことのない鋭い輝きを放っている。

 私が大好きな大きな手のひらに握られているのは、一振りの無骨な剣。殺し、奪い、傷つける為の道具。あるいは守る為に戦う道具――

 誰の為に? そんなの考えるまでもないじゃない! お父様は私を、ひいては国の為に私を逃がそうとこの部屋を守ろうとしているんだ。

 私達王族は飾りじゃない。本当の意味で民を導いてきた一族なのだ。

 それを理解した瞬間、私は自分で思っているよりも早く行動していた。


 

「お父様も逃げましょう! 賊はまだ来ていないです、今のうちにッ!!」



 私は到着した一人の騎士には目も向けず、広くて大きな背中を見せる、死地に向かおうとするお父様を引きとめようと、精一杯の懇願をするけれども……

 お父様は剣を握っていない方の手で私の頭をゆっくりと、だけれども力強く撫でてくれる。

 私の瞳からはじんわりと、止め処なく涙が流れ落ちていく。

 撫でられた瞬間、分かってしまった、理解してしまったのだもの。

 お父様は私の言葉には頷かない、止まらない、止められないって……



 私が大好きだったお父様の皺の寄った、それでも力強くて大きな手。

 常より力強く撫でてくれるのに、なんだか今にも消えてしまいそうな程儚く感じるのはどうして?

 だから――最後の手の平の感触なんだって、分かってしまったから、私は泣きながらも一切の抵抗をしなかった。

 そんな私に優しげな視線を向けて、力強く撫で続けてくれるお父様。さっきまでの剣幕が嘘のよう。

 賊が来るなんて嘘だって思ってしまいそうなくらい……でも、それは逃避だ。

 ここはきっと、逃げちゃいけない場面なんだ。だから、私の涙はここに置いて行く。

 だって、私はお父様の娘なんだもの。娘は何時だって父の背中を見る。なら、私にだってそれくらいは出来る筈だよね。



 きっとお父様は助からない。助かるはずがない、それが分かってしまった。だから、弱い私とはここでさよならをしよう。

 涙の代わりに決意を胸に宿そう。足掻いて、足掻いて、ひたすら足掻いて、何時の日か誰にも蹂躙されることのない国を建てよう。

 誰もが笑っていられる、そんな国を建てて、何時かお父様に「私、頑張ったよね?」て、報告するの。

 私が生き残ればそこが国だ。民と私達王族の絆は深い、きっと私さえ生きていれば皆が集まるだろう。

 さぁ、笑え、私よ。お父様の決意を無駄にしてはいけないのだから、せめて安心できるように笑え。



 精一杯の勇気をかき集めて笑う。けれども、それはどこか歪で、きっと笑みに成り損ねた紛い物。

 それでも、お父様は嬉しそうに、今までで一番強く私の頭をくしゃりと撫でてくれた、同時に腰を屈めてぎゅっと私の頭を抱きしめてくれる。

 鼻腔いっぱいに広がる、私の大好きな匂い。ちょっと汗臭くい、年寄りの匂い。でも、大好きなお父様の匂い。

 それも最後。だからすんすん涙と鼻水混じりでも、精一杯にその匂いを私は吸い込んだ。

 その感触を、匂いを覚えていよう。大丈夫、思い出は胸の内にある。それなら私はどこまでだって歩いていける。

 この足は、きっと瞬く間に万里を駆け抜けるのだ。



「サムソン、どうかアリシアを頼んだぞ」

「ハッ、命に代えましても必ずお守りしてみせます」



 サムソンと呼ばれた人物が決意の宿る瞳でお父様に返す。この人もきっと、何か譲れない誇りがあるんだ。

 それを見たお父様は満足そうに頷く。同時に聞こえてくる足音。多い、私には分からないけど一人や二人なんかじゃない。もっと多くの人数。お父様を殺害せんと迫る輩の足音……

 決意が揺らぐ。もう一度一緒に逃げましょう! と、そう叫びだしたくなる。そんな弱い私が今は憎らしい。

 私の葛藤を見て取ったのか、サムソンが私の腕を取り、抜け道へと進んで行く。

 抵抗しそうになる足を、無理やり意思の力で捻じ伏せる。

 振り返った瞬間、お父様が外から入り口をゆっくりと閉めていくのが見えた――



「私はお前という娘を持てて、幸せだったよ……」


 完全に閉まるのと同時、聞こえてくる破砕音。多くの罵声、そして――


「よく来たな……私が最後の王族だ! 私の首を討ち取ればこの国は完全に落ちたも同然であろう。だがしかしこの老首、易々と討ち取れるなどと思うなよッ!! ぉぉおおぉおぉぉおおッ!!」


 

 大きく響くお父様の声、鳴り響く剣戟。幾度も金属の音が鳴り響き、幾人もの賊の悲鳴が聞こえてくる。

 そして遠ざかる剣が奏でる死の音、声。私はそれを後ろに走る、振り返っては行けない。きっと挫けてしまうから。

 サムソンが先導する形で私は薄暗い通路を進んでいく、足が疲労で鈍くなっていくのを気合でどうにか誤魔化す。

 はぁはぁ……息が苦しい。肺が酸素を求めて悲鳴を上げている。

 それでも私は止まらない、止まれない! 足を、腕を、前に進めて、ただひたすらに走り続けるッ!


 

「もうすぐですアリシア様」



 私と違って息切れ一つしていないサムソンが前を指す、すると見えたのは通路の終わりと一つの梯子。

 外に出られる!? 私は気力を振り絞って鉛のように重く感じる足を前に、前に、前に、前に動かすッ!

 もうすぐ、もうすぐで外に出られる!

 お父様との約束を守れる!! 梯子を上り、何か蓋らしきものをこじ開けたサムソンが手を伸ばしてくる。

 私は震える手を全力で伸ばし、その手を握る、瞬間力強く引き上げられる私の身体。 

 


「――ッ!?」



 薄暗い通路から出たせいか、一瞬、圧倒的な光量に目をつむってしまう。

 そしてゆっくりともう一度瞳を開けば、目に映るのは轟々と音を立て燃え盛り、熱風を撒き散らし、ここまで届く怨嗟と悲哀と狂乱の声。

 それは空を真っ赤に染め上げている城下町の無残な姿であり、同時に世界には優しい神様なんていないと知った瞬間でした――――





  

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