十話
レティーシアとミリアがメリルを追いかけて着いた場所は、鍛錬場の一角。
中央よりやや東に位置した場所であった。
周りには他にも十五名程観戦者がおり、メリルの相手が来るのを今か今かと待ちわびている様子だ。
この模擬戦闘では相手の戦略などの情報は、一時的にとはいえ黄金に匹敵する価値を見出す。
相手の手の平の内にあるカード、それを知っていればその分多くの対策を立てられし、それによって勝率も激変する恐れがあるからだ。
「あっ、レティーシアさん。どうやら模擬戦の相手、来たみたいですよ?」
「む? まさかあやつ……
レティーシアが幾分驚いた声をあげる。吸血鬼程じゃないにせよ、獣人も数と言うより人に姿を見せないという点で珍しい種族なのだ。
彼等は基本樹海の奥地や山岳に住み着いており、大半が人と接触しないで暮らす。
レティーシアが思わず驚きの声をあげたのも、無理からぬことであろう。
特徴はその身体能力。
大抵の獣人は人より大きく優れた身体能力を有する。
「だと、思います。恐らく猫科の何かではないでしょうか?」
やや興奮気味に答えるミリア。猫が好きなのか、物珍しさなのか、判断のつかない興奮だ。
メリルの向かい側数メートル先に現れた人物。
それは俗に獣人と言われる種族であった。一口に
メリルの対戦相手は筋骨隆々、鋼のような筋肉に身長二メートル近くの大男であった。
特徴的なのはその背中の下部にある尻尾と、頭部にある猫科の耳である。
獣人族でも筋肉のしなやかさや、スピードに定評のあるタイプだとレティーシアは推測する。
「両者揃いましたので、これより選択授業一年による模擬戦闘を開始します。先に刃物の類は刃潰しの魔法を一時的に掛けますので、その後、両者は所属する学部とクラスを述べてください。それを持って宣誓となします」
一度に複数の試合が行われるため、ボランティアの上級生がこの授業で定められている台詞を代弁する。
レティーシアが周囲に目をやれば、他にも借り出された生徒や教師が同じ台詞を言っているのをとらえた。
大男の武器に上級生が魔法を掛け返す。そして――
「私(わたくし)の名はメリル。メリル=フォン=ブロウシア、魔法学部総合科Aクラス所属ですわ」
「俺の名はセドリック。セドリック=チャーチルだ! 剣術部剣術科のAクラスに所属している」
先に名乗りを上げたメリルに続いて、セドリックと名乗った筋骨逞しい大男が渋みの強い声で、高らかに名乗りを上げる。
瞬間、両者の間に見えない火花が散った。無論幻視であり、現実にはあり得ないことだが、この場に居る全ての者がそれを察知していた。
両者が放つ威圧(プレッシャー)による衝突。それが見えない火花の正体である。
何時もなら顔を緩めた表情ばかりのメリルが、真剣な顔で正面の大男を睨みつけている。
そして、遂にその威圧が最大まで達するのと同時――――
「両者、始めッ!!」
――――開始の合図が響いた。
「ぉぉぉおおおおおッ!!」
最初に動いたのはセドリックだ。皮鎧に包まれた背中、そこに背負われたバスタードソードを両手に握ると、素早くメリルに詰め寄っていく。
対してメリルの取った行動も素早い。片手に持った魔道書(グリモア)、それを両手に持って開くと素早く詠唱を開始する。
そして、自身の肉体に局地的な追い風と強化の魔法を掛ける。
そのまま強化された脚力で地を蹴る! 一気に数メートルの距離をバックステップで離れたメリルは、そのまま新たな詠唱を唱える。
セドリックもそれを見、舌打ちをすると、獣人族の特性を活かした柔軟な筋力で再び距離を詰めていく。早い、その巨体に似合わない速度だ。
が、セドリックが追いつく寸前、間一髪に完成した魔法が放たれる。
「灼熱の炎よ我が敵を包み込め。火球(ファイアーボール)ッ!!」
完成した魔法が瞬時に現実を侵食する。拳大の五つ程の火球が次々とセドリックに放たれた!
生成された火球は酸素を貪り、その大きさを時間と共に肥大させ、轟々と火花を撒き散らしながら突き進んでいく。
「小癪な真似を! ふんっぬッ!」
放たれた火球を、立ち止まった体勢から流れるような剣捌きで次々と弾いていく。
まるで剛剣ッ! 尋常ならざる膂力から放たれる一撃は、どういう訳か物理的に切れるはずもない炎の球を、剣の腹で次々叩き落としていくではないか。
都合五個もの火の玉を防いだセドリックだが、次の瞬間驚愕に目を見開いた。
火球(ファイアーボール)を囮に、更なる詠唱を唱えたメリルの魔法が新たに炸裂したのだ!
「ちぃっ!!」
放たれた魔法は|雷の矢(サンダーアロー)、無理に弾けば感電は必須と判断したセドリックは地面を勢いよく蹴りつけると、そのまま上空数メートルまで一息に跳躍する。
驚くべきはその跳躍力か、獣人族の筋力か。空中から一気に詰め寄ったセドリックの一閃がメリルに向かって煌くッ!
ギャギャギャギャと地面を抉る音が不快な音を撒き散らすが、間一髪メリルはその凶刃から逃れていた。
その動きにセドリックが食らいつくッ、柔軟な筋力が一撃後の硬直を許さず、即座にメリルの後を追う事を可能とする!
詠唱の隙を与えまいとするかのように続く、セドリックのラッシュ! ラッシュ! 猛ラッシュの嵐ッ!!
縦横斜め、あらゆる方向から風を切る鋭い音と共に飛来する一撃必殺の剛剣!
獣人特有の
当たれば、身体能力そのものは常人と変わらないメリルには致命傷は必須。
刃を潰しているとはいえ、大剣から繰り出されるエネルギーは華奢な体を粉砕してなおお釣りが来るだろう。
鍛え上げられた腕力から繰り出される一撃は早く、そして重いッ! メリルは何とか挽回の隙を窺いながらも、殺陣領域を紙一重で回避する。
しかし、一向に好機は訪れず、じょじょに防戦一方に追い込まれていくメリル。顔には汗が浮かび、一撃すらその身には許されない状況に精神が瞬く間に疲弊していく。
今のところ何とか全ての斬撃を回避し続けているが、いずれその鋼の塊が自身の肉体を捕らえるのは想像に難くなかった。
数分以上にも及ぶ連撃の嵐、それを回避し続けるメリルに業を煮やしたセドリックが――
「ちょこまかとすばしっこい奴よ! ふんッ!!」
大振りの溜め、この展開では愚かと言うしかない一手ッ!
ここしか無い。起死回生を望むなら、メリルにはこの場面をものにしなければ先は無い!
既に体力の損耗率はデットライン。
そう長い時間動き続けることは不可能ッ!!
(チャンスですわッ!!)
剛風を伴って袈裟懸けに振るわれた一撃を懐に潜り込む形でぎりぎり回避し、メリルは一か八かの賭けに出る。
「ぬっぅ!? 舐めるなァ!!」
「はぁぁぁあああああああッッ!!」
懐に潜り込まれ、剣を封じられるも素早く半身右後ろに引き無理やり剣を振る。
再び迫り来るバスタードソード、その刀身の真横をメリルが強化した足で勢いよく蹴り上げたッ!
予想以上の脚力にセドリックの両腕は真横にずれ、一撃は地面に突き刺さる。
メリルは素早く距離を取ると、新たな詠唱を唱え始めた。
これ以上の長期戦は不可能。ゆえに、この一連の魔法にメリルは全てを託すッ!!
早口言葉のように紡がれていく呪文、バスタードソードを引き抜いたセドリックが迫るが、遅い!
「阻む者に凍てつく吐息を、
瞬間、解放された魔法が一瞬でセドリックの足元を中心として大地を凍らせる。
瞬く間に膝まで氷付けにされたセドリックは、咆哮を上げながら懸命にもがくがその束縛からは逃れられない。
とどめの一撃を放つべく、長文詠唱の準備に入るメリル。
しかし、次の瞬間。獣人族(ラカンスロープ)、その代名詞とも言える変化より場は覆される。
「おのれッ! 正々堂々正面から来ぬかあッ!!」
セドリックの咆哮が響き、同時にその肉体に劇的な変化が現れる。
膨張した筋肉が皮鎧を圧迫し、その繋ぎを引きちぎる。全身から茶色の体毛が伸び、頭部に至ってはその形まで変形していく。
やがて、獣化(・・)を終えたセドリックの姿はまさしく百獣の王、獅子の頭をした巨人であった……
力任せに氷の楔を引きちぎると、今までとは比べ物にならない速度でメリルに肉薄するッ!
その速度、威風堂々たる姿はまさしく駆け抜ける暴力の嵐と呼ぶに相応しい!!
長文詠唱を破棄、短文章の詠唱を完成させ、|炎の矢(フレアアロー)を放つが、セドリックの剣の一振りであっさり掻き消されてしまう。
時間にして僅か数秒でメリルに肉薄した、セドリックの鋭い一閃が襲い掛かる。
今までで最も速度の乗った一撃を、メリルは寸前のところでギリギリ回避することに成功する、が。
次の瞬間腹部に猛烈な衝撃が襲いかかった。
「ぅぐぁ……ッ!? …ぁぐ!……ゲホッゲフッ!!」
数メートルもの距離を吹き飛ばされ、腹部に感じる激痛から自身が蹴り飛ばされたのだと理解するも、着地の際に頭部をぶつけたのか、意識が朦朧とし、まともに立ち上がることが出来ない。
負けられない、メリルは勝たねばならないのだ。勝利の先に見える甘美な時間。それを夢想し――
霞む視界で何とか前を向くことに成功するメリルだが、次の瞬間頭部に鈍い痛みが奔るのと同時、その意識を手放した。
「勝者、セドリック=チャーチルッ!!」
「「おおおおおおおお!!」」
試合の審判役であった上級生がセドリックの勝ちを告げるのと同時、周囲の人物から大声援が送られる。
試合こそセドリックの勝利に終わったが、その内容は一年生とは思えない程に卓越したものであった。
周囲が沸き立つのも無理からぬことだろう。
「負けてしまいましたね、メリルさん……それに、傷は大丈夫でしょうか?」
「ふむ、見たところ最後の一撃はあの獅子頭も手加減していたであろう。妾の判断が正しければ問題はあるまい。それにほれ、このような授業で医療の者が居ない筈もなかろう」
そう言ってレティーシアが向けた視線の先をミリア追えば、倒れ伏したメリルの元に担架が運ばれ、白衣を着た人物と上級生二名がメリルを運び去っていくところであった。
恐らくは救護室に連れて行かれるのだろうとミリアは考え、安堵の息を吐く。
それにしてもまさか負けるとは思っていなかったミリアが、残念そうに愚痴を零すと、レティーシアが負けた理由を推察し出した。
「まぁ、端的に言うなら相性が悪かったのであろうな。基本的に後衛を務める魔法職は、詰め寄られるとどうしても対処が難しいと言わざるをえない。本来ならその為の前衛職ゆえな。しかし、例え相性が良くないとしても、本来ならメリルにも十分勝ちの見込みはあったであろう」
最後の言葉にミリアが頷く。メリルは攻撃力こそ今一つであるが、その制御能力、詠唱能力だけを見ればSクラスの者すら凌駕していると言える程の技量の持ち主なのだ。
例え詰め寄られても、体力こそ心もとないものの、強化魔法で対処できるのもメリルの強みである。
それなのに、今回の試合はどうもらしくない、というか。まだそんなに付き合いが長いわけではないミリアから見ても、どうも“遣り辛い”ように見えたのだ。
「今回はその攻撃能力の低さが諸に直撃してしまった形であろうな」
「あっ、そうですか! 獣人族は魔法が苦手な分その体力や身体能力は群を抜いている……」
ミリアが得心言ったという表情でぶつぶつと呟く。
「うむ、そのとおりであろう。あのセドリックとか言う者の体毛は恐らく並の刀剣は無論、下位の魔法ですら跳ね除ける天然の鎧とも言える代物だと思うぞ? しかも力ずくで魔法をかき消すぐらいであるからな、あの防御を抜くには相当な火力がないと厳しいであろう……剣術の技量もやや荒削りながらもいいセンスを持っておった、将来は一線級の実力者になるやもしれぬ」
そう頷いて一人納得するレティーシアに、そんな細かいところまで見ていたのか、と。
ミリアは半ば呆然としながら残りの話を聞いていた。
お互いメリルの心配――主にミリアがだが――をしていると、周りの試合もあらかた終了したのか、ラングレイ教師が鍛錬場の隅々まで響き渡る大音量で次に組み合わせを発表していく。
すると、その中の一組の名前にミリアの名前が入っていることにレティーシアが気づき、ミリアに声を掛けようとするが。
ミリアもどうやら気づいていたらしく、立ち上がると「それでは、お先に試合に行きますね!」と、指定された場所に向かっていった。
残念ながらレティーシアの名は含まれておらず、先程の試合で少しばかり火が付いたレティーシアをがっかりとさせるが、気を取り直してミリアの試合を観戦するべく、自身もミリアの歩いていった方向に足を向けた………
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