レティーシアという歴史

 世界の大半は悪で出来ている、とは言いえて妙である。

 悪とは即ち一方面から見た結果であり、多方面から見れば、それはもしかしたら正義かもしれないという事実。

 同じく、正義とは一方面から見た結果であり、多方面から見ればそれは悪であるという事実。

 確かに、純粋に善をかざす人もほんの僅かだが存在するのかもしれない。しかし、そんなのは“人”としてどこかがきっと壊れている。


 同じく、純粋な悪だってやはり善よりは多く存在している。逆にこれは恐らく人としてはまだ正常だ。

 人とは思考するが故に、他者という鏡を覗き見るが故に、その欲望に限りがない。幸せとは、それだけで他者に不幸を齎すという事実。

 金が集まれば金が集まらない場所が出来る、誰かが一等を当てれば、誰かがハズレを引く道理。

 だからきっと、この世界の大半は悪で出来ていた――――



 そもそも善も悪も、決めるのは当代の知恵者たちであり、そして風潮に他ならない。

 ゆえに、その指標となる規定は酷く歪で脆いのだ。

 鋳型に入れるようなその教えは、ちょっとした事で崩壊してしまう。

 殺すのは悪である、盗むのは悪である、助けるのは善である。

 即ち、善悪の指標とは社会を円滑に回すためのルールに他ならない。

 そして、それらルールを守ることが出来るのは守れる環境に居るものだけとなる。



 どうしようもなくて罪を犯す者と、道楽で同じ罪を犯す者には明確な差異があってしかるべきである――が。

 やはり罪は罪でしかないのは忘れてはいけない。

 仕方が無かったという言葉は自己を慰めるものでしかなく、所詮は自慰行為でしかない。

 誰かの仇を取って無念は晴れただろう、などと言った言葉は殺した者の詭弁でしかないのだ。

 死者は語らない。全く持ってその通り、ゆえにその思いは妄想にしか過ぎず、また、自己を慰めるための偽善でしかない。

 残るのは殺したという事実の罪科のみ。


 繰り返す。世界は優しくなどなく、常に人はその脅威を突きつけられているのだと。

 そして世界は悪によって成り立っているのだと言うことを――――




 ―――――少女が夜の女王である、その満月に誓いを立てたあの日。

 この時に絵本で語られるような、そんな御伽噺のように白馬の王子様がとは言わずとも、心優しき貴族に拾われていれば結果はまた違ったのかもしれない。

 過程は変わり、結果は別のものへと変質していたのかもしれない……

 しかし、何度でも言おう、世界は優しくはなく、幸福の招待券の数は全てに行き渡らない。

 チケットを落としたのなら、誰かが落とすのを待つか奪うしかないのだから。


 

 故に、少女が形振り構わずに行動に出た結果、確かにそれなりの地位を持った人物、ここいら一帯を治める男爵に拾われる事となった。

 ここまでは計画通りであったろう。

 何度でも言おう、何度でも詠おう。

 世界の半分は悪で出来ており、御伽噺は所詮本の中。

 奇跡など結果論であり世界は残酷であると……

 つまり、少女が自身を売り物にした時点で、それを“欲しい”と思う人物しか釣れないのである。

 この場合、男爵であったが、彼は所謂少女愛好家として大変有名であり、その変態的思考はどうしようもない程下種であったという事実。



 少女は確かに己の目的に一歩近づいただろう。

 しかしてその代償は純潔であり、小太りな醜い男の従順な愛玩人形性欲処理としての側仕えであった。

 望まれる時に身体を開き、屈辱の中でそれでも要望に応え続けるという日々。

 それでも、暖かな寝床に一日三食の食事を与えられ、週一日の休暇と、待遇自体は悪くなく、給金もそんじょそこらの平民より余程高かった。

 だが、そんな生活も終焉が近づいていた。原因は成長しない肉体のせいだ。

 男爵にとってはそれはそれでよかったのかもしれないが、周りがじょじょに怪しみ出したのである。


 

 故に、予(かね)てより予定していた考えを決行することにした。

 少女が温かくも屈辱に満ちたこの二年間のあいだ、自身の異常とも言える躯(からだ)の異能について、幾許かの知識と操作する術を身につけていた。

 同時、男爵の褥(しとね)の折に入手した伝(つて)、魔術師との繋がりにより、初歩的な魔道を修めることにも成功していた。

 魔術師に資金として貯めている金を渡せない少女は、代価として己の身体で支払うことは必然であり、同時に屈辱であったが。



 更にこの二年の間、少女はこの屋敷内でも大きな地位を得ていた。

 吸血鬼としての呪いとさえ言える、肉体の不変による副次的な効能。

 ようは、他の少女と違い、その肉体は何時までも初物のように初々しく、すれる事がなかっという事実。

 それが男爵には少女の美しさとも相まって、寵愛と共に大きな地位を確立するに至る。

 それを利用し、計画通りとほくそ笑んだことだろう。

 男爵を通じコネクションを作り、褥にて甘言を囁けば貢物を馬鹿のように捧げて来る。



 それら全てを金に変え、コネクションを作る際は会得した幻術によって自身の容姿と年齢を操作し、人脈を築いていく。

 少女の姿では交渉や、コネクション作りに適さないからだ。

 コネクション作成時に、己の女としての武器を使うことに躊躇いなど既にない。

 プライドはあの寒空の下、とっくに犬に壊せている。

 目的を達成する為ならどんな屈辱をも厭わない。

 幸い、男爵によって開発された肉体は幼いものでありながら快楽を享受することが可能であった。

 それが幸いと呼べるかは別として、である。

 そして、人脈、コネ、金というそれら全ては秘密裏に行われたことであった。



 誰にも気づかれず、感づかれず悟られず……

 二年という期間を絶えに耐え抜いた少女は、奇しくも決意したあの時期と同じ、木の葉舞う秋空の元、屈辱に塗れた過去と共にこの街を飛び出した。

 忌わしき街を出た少女は己(おの)が名を過去との決別の証として、レティーシア=ヴェルクマイスターと変える。

 世界でたった一人の種族、オンリーワンとして自嘲と共に“吸血鬼”と自称した。

 ――――その日、世界でたった一人の吸血鬼が産声をあげた。



 名を変え、自身を人とは違う種族と定めるレティーシアは。

 それからおよそ百五十年の間、ひたすらに魔道とおのが能力及び特性について学んでいく。

 更に、彼女の姿は十二の誕生日から一切変わっていなかった。

 そこからその身が年を取らない、不老であることを知る。

 そして、資金調達の折の魔物討伐の失敗時に己が限定的な不死身であることを知ったのだ。

 凶悪な魔物により、下半身を食いちぎられたというのに、さほど時間を掛けず完全な再生を果たしたのだから……



 自由への逃亡から五年の年月で、吸血鬼としての能力のあらかたを自覚し、更に十五年の月日でそれらを精密にコントロール出来るようになり、追加の二十年で応用を身に着ける。

 それは現在の吸血鬼からしたら恐ろしく遅いスピードであろう。

 しかし、誰一人として同じ種が居ないという前程ならば、それは逆に恐ろしく早いと言えた。

 誰に乞(こ)うこともせず、己が才覚と文献と頭脳だけであらゆる魔術や吸血鬼としての特性を理解していく。

 それから更に約百年で、およそ世界で認知されているあらゆる魔術を身につけるに至る。



 そこから今度は同じくおよそ百五十年の間、古今東西あらゆる武術を学んでいく。

 残念ながら魔術程適正がなく、百五十年ぽっちの時間ではどれも精々が二流から準一流程度しか身につかなかったが、彼女には永遠とも言える時間がる。

 いずれ全てを極める日が来るだろうと、武術に関してはそこで一端止め、それから百年をあらゆる知識の探求に費やした。

 政治や経済は勿論、錬金術や帝王学、宗教や生物学、医術や薬草学についても学んでいった。

 様々な分野の知識は、百年程度じゃ全てを修めるに至らなかったが、これ以降も暇を見て習熟していくことにして、区切りをつける。



 そして、何時頃からか世界で幾つかの伝説が誕生した。

 ――――“夜になると吸血鬼がやってきて、うら若き乙女の首筋に牙を突き立てる”

 ――――“とある国の伯爵夫人は年齢が変わらない”

 ――――“ずっと昔から同じ容姿の人間が何百年も歴史に登場している”

 ………etc…etc…


 ――事実と虚実が入り乱れ、噂は尾ひれ背びれをつけて世界を駆ける――


 

 既にこの時点で生ける伝説と成っていたレティーシアは、神の使いと呼ばれるドラゴンすら打倒する実力を身につけていた。

 無論、唯の竜ではなく、神の使いの竜=古代竜と呼ばれる種族だ。

 これを単独で討伐せしめる、それは一人で一国を攻め落とせることに他ならない。

 この頃から己が姿を隠すことを辞め、世界で堂々と様々な活動を行っていく。


 同時に、神の尖兵である教会の信徒達からは吸血鬼を“悪鬼”と認定。

 殲滅対象として各国に通達され、討伐者は報奨金が出る旨が各ギルドに伝えられた。

 異例の単種族として世界に認識されるばかりか、過去最大の懸賞金一億ベリルが掛けられることとなる。

 なお、これは生死は問わずであり、生け捕りの場合そのおよそ二倍が支払われという。

 小国の国家予算にも匹敵するその金額は一生を豪遊してなお余りある。




 しかし彼女は捕まらない、レティーシアが最大の賞金首になってから百年。

 唯の一度も彼女は捕縛されないでいた。

 既にその知名度は、世界で夜に出歩けば吸血鬼がやってくる、なんていう子供への教育にまで使われる程である。

 賞金首などではその名を知らない者はなく、知らぬ者はモグリ扱いを受ける程だ。

 時に一国の軍が、時に魔物の軍勢が、時に神の尖兵が。

 名だたる傭兵団や賞金首が、あるいは勇者と呼ばれる人物がその身を求めて殺到した。

 それでもその悉くを跳ね除けていく。魔法の練習に、新たな秘術の実験体程度の認識で返り討ちにする。

 それ程までの、圧倒的ポテンシャル。


 ――――吸血鬼という新たな種は、おおよそ人を含めたあらゆる種を超越していた。



 この世に生を受けて千年が立つ頃には既に、低級神にさえ立ち向かえる程の実力を身につけるに至る。

 歴史上、神殺しをなし得た者は神話といえど数える程しかいないだろう。

 そして彼女、レティーシアは予ねてよりの計画をここに来て遂行することを決意した。

 彼女が考えた途方もない経略事。

 それは彼女のような異常を身に宿して生まれた者達が、迫害を受けない土地を作ることである。

 それは“弱者奪われる者”から“強者奪い続ける者”になると決意したあの日からの願い、思いであった。



 それから千年の間、レティーシアは歴史の表舞台から姿を消す。

 今まで派手にしていた活動はなりを潜め、高名な術師が何度と無くその足跡を追ったが結局は陰すら踏めずじまい。

 当初こそ世界を大いに騒がせた事実であったが、人間の寿命なんてたかだか数十年。

 彼女の知名度は瞬く間に、一部の人間および亜人達が伝えていくだけで廃れていった。

 時は大冒険時代であり、神が作った異物を求め、誰もが新大陸や未開地を求めていた時代。

 一人の賞金首が消えるには都合がよかった。


 世界からその身を隠し初めて約数百年後、世間のレティーシアへの認識が薄れ、忘却された頃再び動き出す。

 蓄えていた財を惜しげもなく放出しつつ、正体を気取られないようにしながら目的をなす。

 吸血鬼としての能力である“隠惑”や“威厳”に“支配”と言った力を扱い、じょじょにその魔の手を伸ばしていく。

 


 更に数百年で彼女は密かに構築した裏の地位を使い、未だ未開の大陸に巨大な国を作り上げる。

 世間が気づかないように資材を運び、迫害されていた獣人族やエルフ族、ドワーフにホビット達を密かに移していく。

 特に愛玩として獣人族やエルフは性欲処理や奴隷となり、人族に酷い扱いを受けて来た為、喜び勇んで国に渡って行った。

 ドワーフやホビットもエルフや獣人族程ではないが、多くの数が亡命していくこととなる。

 レティーシアの国では誰もが人権を持ち、当時では考えられないような治世を行っていた。


 

 何時かの日のように、気づかれず、勘付かれず、悟られずに百年単位で慎重に行われる国づくり。

 結果、レティーシアが姿を消してから千年後、世界の勢力図を大きく塗り替える大国ヴェルクマイスターが、人間達が気づく頃には既に誕生していた。

 無論、この国が世界に認められるか? といえば答えは否である。

 しかし、神は昔程には信仰が薄れ、力を減退させている為、自ら動けずに手足としての人を使うしかない。

 

 が、神殺しすら成す相手に人程度は幾ら集まろうが有象無象にしかすぎず、脅威とはなり得ない。

 しかもこの国は未開の大陸にあった、人が住む大陸の半分程度の大きさだが、大国の一つや二つ程度でどうにかなるほど狭くも無い。

 人がこの国に侵攻するには海を渡らねばならなず、その距離も安全を約束するような近場ではなかった。

 しかも、この数百年で彼女が築いた国は人より文明が進んでいる。



 当然だ、亜人達の一部は人より優れている場合が多いのだから。知識のエルフに技術のドワーフ、力の獣人達。

 彼等が千年単位で得たレティーシアの知識の補助を受けて、国を富ませるのはあっと言う間であった。

 この頃には人間達も数多く亡命してきていたが、レティーシアは人をこの国に亡命させる気はなかった。

 ならばどうしたか? 簡単だ。

 ここで初めて彼女は特に忠誠心厚かった七人を眷属とし、以降彼等彼女等を筆頭に7人の眷属を“ヴェントルー”“ギャンレル”“トレアドール”“トレメール”“ノスフェラトゥ”“ブルハー”“マルカヴィアン”と言う名の氏族とした。

 各自にレティーシアの一部の能力を受け継がせ、亡命者の質によってそれぞれの眷属とさせた。



 七という数字には数秘学において様々な強い意味があり、それは真理だとか完成だとか魔術的、霊的力の象徴を指したりもする。

 また、七は全ての力を含むとされており、レティーシアが彼等氏族を七人としたのは七を種族に対して魔術的に運用することで、更なる飛躍や繁栄をもたらす為であった。

 別の意味では七は勝利も意味し、この種族が様々な困難に打ち勝つことを願った為でもある。

 吸血鬼化を施すとは、子を作るに等しい行為である為、七人に対して行ったのはある意味では母が子を思うがためとも言えた。


 

 そして、それ以降僅か数年でこの国は世界で最大の亜人国家として認められることとなる。

 ヴェルクマイスターは亜人だけでなく、知恵ある魔物も受け入れる。

 彼女はこの国の絶対君主として君臨し、神が現実から御伽へと移ろい行く過程、その途中で魔を統べる者、“魔王”と呼ばれるようになっていく………



 




 その全てを、彼は見ていた。いや、経験していた。

 その果て無き生を、渇望を、絶望を、希望さえ、全て、全てを経験していた。

 記憶の中のレティーシアと共に、そのおよそ一万年という歳月を、如何なる術理なのか、追体験したのだ。

 魂の統合ではない。あくまで彼をベースとしての記憶経験値の上乗せ。

 しかし、このままでは人格の崩壊を招き兼ねない。故に、彼は彼としての意識と、彼女としての意識を“分けた”。

 知識は共有したままで、彼としての考えを主人格として、レティーシアとしての人格を多重思考の一つとする。



 そして彼は思う、全てを見、今浮上しつつある意識の中で。

 己に何が出来るのかを………

 圧倒的だった。驚愕だった。その人生の一欠けらですら壮絶であった。

 己が生きた三十年あまりなど、塵芥にすら思えぬ人生。

 “魔王”という、ゲームとは違う真実。確かに近い設定はあったが、あくまで魔王は悪であった筈なのだ。

 いや、確かに、レティーシアは悪であろう。

 だがそれはやはり一方面から見た視点だ。



 彼は考える。いや、考える必要など最初からないのかも知れない。

 何故なら、思考は既に定まっており、その決意は当の前に終わっている。

 故に、この問答は蛇足でしかなく、意味の無いものなのだから――――







 彼、いや。彼と彼女が瞳を開ける。

 ガチャリと、

 丁度少女が彼女の様子を見に来たところなのか、室内に入ってきて、彼女の目が覚めていることに気づき此方に駆けてこようとするが、それを遮る様に――――


「少女よ。まだ、名を名乗っていなかったな。魂の隅々にまで刻んでおくがよい。妾(わらわ)の名は孤高にして全。吸血鬼の始祖にして魔王レティーシア=ヴェルクマイスターぞ」



 その日、2度目の吸血鬼の始祖の産声が世界に轟いた――――





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