32・やられたわ

「やられたわ」


 美桜は表情をひとつ変えずに冷静に呟いた。

 なにが?

 と聞くまでもない。

 美桜の目線の先に、俺たちは言葉を失っていた。

 50インチのテレビ画面は、隔離状態となっている駅付近を映していた。

 バリケードの前に、数人の自衛隊員が89式のライフルを装備して見張りをしている。その光景をバックにして、女性アナウンサーがリポートをしていた。音声を消しているので、なにを喋っているかは分からない。カメラ目線で緊迫した表情を作って、マイクを握りながら口をパクパクと動かしている。


 問題なのは、その後ろだ。


 犬の姿があった。

 左側の細い路地からふらふらと歩いてきている。前足を怪我しており、びっこを引きながら、見張りをする自衛隊員に近づいてくる。

 その犬に違和感を覚えたカメラマンは、レポーターを無視して、犬に向けてカメラをズームさせた。

 その犬は、片方の目玉を失っていた。鋭い牙の隙間から、大量の涎を放尿するように地面に垂らしていく。

 明らかに普通ではない犬に、自衛隊員がライフルを向けた。

 追い払うための威嚇でしかなかった。引き金を引くという機転ができれば、彼の運命は大きく変わっていただろうに。

 銃口を向けた判断が、犬にとっての合図となった。

 後ろ足を蹴って飛び上がり、自衛隊員の顔を襲った。

 よろめいて倒れた。

 その拍子に、ライフルがあらぬ所へと飛んでいく。

 両手をばたつかせて、身を守ろうとするが、犬の力は圧倒的だった。

 あっさりヘルメットを外され、脳みそを目掛けて食らいついた。

 血が飛んだ。

 激しく、たくさん。

 音が消えているはずなのに、頭の中で彼の悲鳴が聞こえてくる。

 もがいていた手がだらりと下がった。

 なにも反応がない。

 むしゃむしゃと犬は死体に食らいついているようだが、カメラはその光景を、何百万という視聴者に晒す愚行はしなかった。

 もう一人の見張りが、食事中の犬にライフルを向けていた。

 恐ろしさのあまり足がすくみ、体をガタガタと震わせてしまい、標準を定めることができないでいる。


「撃ちなさい! 早くっ!」


 響歌さんが叫んだ。

 同時にスマートフォンが鳴った。響歌さんは素早く取る。


「撃てと命令して! 早く! 許可なんていらないの! さっさと撃たなきゃ死ぬわ! 急いで! 周りにいる一般人を急いで避難させて!」


 手遅れだ。

 犬は一匹ではなかった。

 三匹、新たに現れた。

 恐怖心で、撃つことも、逃げることもできずにいる自衛隊員を襲った。

 彼は抵抗できないまま、食われていった。

 巨大地震を踏ん張るようにカメラが震えた。

 ブレが酷くて、状況がつかめない。上下左右に激しく揺れ動く映像から、リポートしていた女性も、犬に襲われているのが確認できた。

 十、二十と、犬はさらに増えていく。

 チワワのような小型犬、雑種の大型犬やら、種類は様々だ。

 犬だけじゃなく、中には猫もいた。

 殺された後なのだろう。どの動物も普通ならば動くこともできないほど傷だらけだ。

 カメラマンが後ろに下がった。ゆっくりと、動物たちに気付かれないように。

 足の震えで、尻餅をついてしまった。

 音が鳴ったのだろう。

 新たな獲物の匂いをかぎつけた犬たちは、一斉にカメラのほうを向いた。

 のろりと歩いてくる。

 カメラは少しずつ後ろに下がっていく。プロ意識からなのか、カメラを手放そうとしない。尻餅を付いた状態で、引きずるように下がっていくカメラマンの足が見えている。

 一定の距離まで縮まって、犬は獲物であることに気付いた。

 犬たちは走った。先頭の犬が足に食らいついた。足をバタバタとさせる間に、別の犬が二の腕に噛みつき、さらなる犬がカメラに突進してきたところで、画面が真っ暗になった。

 スタジオに切り替わった。

 司会者たち全員、静止画像のように唖然としていた。


「どういうことなのか、説明してちょうだい」


 響歌さんが、美桜に聞いた。


「見ての通りといったところね」


 美桜はのんびりと言った。


「犬をゾンビにしたのは分かるわ。あなたがやられたといった意味を、私は知りたいの」

「人間をゾンビにしたところで、力は何倍になるとはいえ、その遅さはご覧の通り。ヤクザが日本刀でバッサバッサ斬りまくったB級チャンバラアクションになっていた」

「斬り味は最悪だけどな」

「ゾンビ集団が襲ってきたところで、脳みそにむけて一斉射撃したら、あっさり全滅できちゃうじゃない。けれど、犬などの四足動物を、ゾンビにした場合はどうかしら?」

「速くなるってことか?」と俺は言った。

「もちろん生きていた時より遅い」


 美桜は頷いた。


「それでも、犬は犬。人間が走るぐらいのスピードは出ているんじゃない?」

「でも、犬の特徴である嗅覚、聴覚は人間以上に悪化しているようね」

「腐っても、というか腐ってるんだけど、ゾンビだからね。さきほどの映像からの情報だと、ろくに機能していないようだし、視力だってほとんどないんじゃない? 所詮は犬なんだから頭がいいはずもないし、イッヤーソンの命令を聞けるわけがない。生きたノーミソを食べたいという本能しかないでしょうね」

「デメリットは大きい」

「けれどメリットも大きい。さっきのように、犬を大量にゾンビ化させて、巨大な貨物トラックの中にでも閉じこめておいて、必要な所に連れて行ってから、リアドアを開けて解放させたら、脳みそを求めて勝手に襲ってくれるもの。人間以上の速いスピードでね」

「聞いてたわよね? 近くに犬を入れてあったトラックがあるはずよ。すぐに探して」


 三田村さんに、美桜の解説を聞かせていたようだ。

 俺が腰掛けている三人掛けソファーの後ろで、じれったそうに、行ったり来たりしながら命令している。


「ちょっと待って」


 姉貴が手を挙げた。


「ということはさ。運転した人間がいるってことだよね?」

「無人で運転できるトラックがあるかしら?」

「ちゃかさないで。協力している人間がいるってわけ?」

「あんな奴の仲間になる酔狂な人間がいると思う? いたとしてもろくに頭の回らない役立たずでしょうね。命令されたゾンビが、運転している可能性のほうが高いわ」

「ゾンビが運転するのか?」

「ゾンビも免許証が必要なのかしら?」

「だからちゃかさないで、こっちは真剣なのよ!」


 すぐにでも現場に駆けつけたいのだろう。気持ちを押さえきれず、いらだっていた。


「私だって真剣よ。向こう見ずに戦場に特攻して、人間たちを助けたいなら助ければいいわ。でもそれは、相手の罠にかかる可能性だってあるということ。状況を把握し、作戦を練る大切さは、お父様との戦いで嫌というほど学んだんじゃない?」

「それは……」口ごもった。

「私は、あなたのように無鉄砲に行動するバカじゃないから」

「バカで悪うござんした。それで世界を救ったわけなんだから、別にいいでしょ」

「響歌の頭脳がなければ、なにも出来なかったでしょうに」


 痛いところを突かれたようで、姉はだんまりになった。


「あまり、からかわないであげて。私だって菜穂香のパワーがなければ何もできなかったもの」


 響歌さんはフォローしてから。


「教えて。私はイッヤーソンがどういう敵か把握できてないし、魔法少女の時とは状況が違っているの。悔しいけど、今回の事件は美桜の頭脳が必要なのよ」

「そうね、それが最善でしょうね」


 美桜は横目で響歌さんを見てから、


「犬ゾンビの運び屋は、イッヤーソンが直接、闇の力を使って蘇生させたゾンビの可能性が高い。澄佳ほどは無理でも、多少の知恵を回るぐらいにはできるでしょうね。イッヤーソンはそもそも、そういう兵士を作るために、蘇りの奇跡を欲しがっていたのだもの。そういう特別なゾンビを作ってないほうがおかしい」

「大量生産はしないのか?」

「RPGでいうところの、『イッヤーソンは蘇りの奇跡を使った。しかしマジックポイントが足りない』……といったところよ」

「つまり、魔法力をかなり消費するんだな?」

「ええ。使える回数は限られてる。ゾンビからゾンビへと感染させたほうが、闇の力を消費することはない。その代わり『ノーミソ、ノーミソ』のバカにしかならないけど。もう一つの可能性として、あいつの本来の能力、イッヤーソンが人間に取り憑いている場合もあるにはあるけど……」


 響歌さんに目を向けた。


「運転していたゾンビは発見した?」

「ええ。役目を終えて、ノーミソ、ノーミソと、うろうろしているのを発見したわ」

「射殺した?」

「尋問できる?」

「不可能よ」

「でしょうね。オッケー、撃っていいわよ」


 響歌さんはスマートフォンを耳から離した。

 銃声が何発か聞こえてきた。

 音が止んでから、再び耳に当てた。


「射殺したわ」

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