24・知らなくて良かったこともある

 コンビニの店内は真っ暗だったが、駐車場内に販売スペースを作って営業していた。

 電灯に近寄る蛾のように、十数人もの人が集っている。

 売り物が並んだテーブルの隅に、携帯ラジオが置かれてあった。

 ニュースが流れている。

 致死率100パーセントの未知のウィルスが発生し、神ノ山駅から半径1キロ以内の住民に避難命令が出されている、といったもので、俺たちが知る以上の、めぼしい情報はなかった。

 当然というべきか、ゾンビやイッヤーソンなどの非現実的なことは一切、触れられてはいない。

 店員と客たちはそんなニュースに真剣に耳を傾け、ここは大丈夫だろうか、と事件について話をしている。

 不安はあっても、逃げる気はないようだ。

 数キロ先で大惨事が起きようとも自分たちは被害にあわないと、信じ切っていた。

 俺と美桜が無言で歩いてくると、バーに主人公が入ってくる西部劇のワンシーンのように、好奇な目線をちらちら寄せてくる。

 若いカップル――または兄妹――ように映る俺たちが意味ありげに見えた、というより、新手の客には誰だろうと同じ目線を送っているのだろう。

 クーラーボックスから、ブラックコーヒーを二本を取り出した。美桜は、30秒悩んだ末、イチゴミルクを選んでいた。


「釣りはいらん」


 店員の手に千円札を一枚置いて、自分でレジ袋を取った。目線のシャワーでやかましいこの場から、さっさと去っていく。


「お釣りをいただくわ。あとこれもちょうだい」


 ちゃっかりしていた。

 美桜は、釣り銭を受け取り、コンソメ味のポテトチップスを両手で持ち、小走りで俺の隣にやってくる。


「お釣り」

「やる」


 小銭は増えるだけなので嫌いだった。


「サービスしないわよ」

「美少女と並んで歩くのは、最高のサービスになっている」

「ヤクザと並んで歩くだなんて、最低の罰ゲームだわ」


 俺はイチゴミルクの蓋をあけて、姫さまに渡す。


「休みたい」

「そんな時間はない」


 ぐいっとコーヒーを一気に飲み干した。

 運転席の三田村さんにもう一本のコーヒーを渡してから、コロナに乗った。


「ボロ車、嫌い。これ以上乗ったら、酔いそう」


 美桜は不満そうに、隣に座った。

 ピアノの音が聞こえてきた。

 年代物のコロナは、ボタン式のラジオしか付いていない。その代わりに、CDラジカセを助手席に座らせて歌わせていた。


「ブラームス」

「4つのバラードです」

「グールドね」

「良くお分かりで」

「うなりが聞こえるもの」

「確かに。ブラームスはお好きですか?」

「カザン?」

「ただの世間話ですよ」

「シンフォニーが好きだわ。いくつも全集を持っているほどよ」

「私はセルがお気に入りです」

「カラヤン最後の全集」

「1970年代でないとは。それは渋い」

「この車ほどじゃないわよ」


 俺には理解できない会話をしていた。

 交差点前でブレーキを掛ける。広い道に来た。停止した信号の代わりに、警察官が手信号で交通整理をしていた。


「左折」


 指示に従い、ウインカーを点滅させる。


「一体どこに向かっているんだ?」

「着けば分かるわ」


 唯一の切り札であるように、美桜は澄佳の居所を言おうとしない。

 頭のいい少女だ。

 場所を言えば、美桜を捨てて、その場所に駆け付けることが分かっている。

 美桜はポリポリと、音を立てて、ポテトチップスを食べている。

 空腹なのだろう。消費ペースは速い。

 暢気なものだ。焦っているこっちのことなど、これっぽっちも気にしていない。

 だが、逆にいえば、澄佳は無事であるという証拠でもある。

 闇の王の娘であるとはいえ、澄佳の友達であるのは確かだ。危険がせまっているのなら、休みたがったり、お菓子を食べることなく、澄佳の救出へ向かっているはずだ。


「響歌さんは、いつから闇世界管理組織に?」


 俺は聞いた。関心があるのはそっちだ。クラシックミュージックじゃない。


「管理組織ができあがったのは、百日戦争の後ですので、響歌ちゃんたちが高校生のころです。二人には組織について、知らせませんでした。魔法少女だった過酷な日々を忘れ、ごく普通の女の子として過ごして欲しかったのでね。ですが、響歌さんが大学生のときに、組織に気付いてしまいましてね。自分だけの秘密基地をみつけたように、顔を出すようになりましたよ。大学を卒業と同時に、本人の希望で、闇世界管理組織に入ったのです。その頃の組織はまともに動いていたのですけどねぇ。ここはどっちに?」


 コーヒーを飲みながら聞いた。


「斜めにある坂道を登るの」

「分かりました」


 美桜がどこに連れて行こうとしているのか分かった。三田村さんも分かったようだ。それ以降は聞くことをしなかった。


「組織になにかあったのですか? 響歌さんは人材不足だって言ってましたけど?」

「二年前に政権交代があったことはご存じですよね?」

「ええ」


 政治に詳しくないが、その程度なら知っている。


「仕分けられて予算が十分の一に削られた、と聞いてるわ」


 いつも愚痴を聞かされているのだろう。うんざりとしていた。


「闇世界管理組織は、無駄削減の格好なターゲットにされてしまいました。響歌ちゃんは、予算を削ることの危険性を訴えたのですが、今まで起こらなかったから大丈夫だと、聞く耳を持たなかった。大丈夫だったのは、我々がしっかり管理していたからなのに、それを理解できなかったのですよ」

「新政権には、あなたや、篠崎黒龍のような、関わっていた人がいなかったんだな」

「現野党にはいるんですけどね。彼ができたのは、予算廃止を防ぎ、組織を残すことが限界でした。予算減少の影響で、人材が流れましてね。残ったのは響歌ちゃんと、定年退職を迎えて暇を翫んでいた元刑事のみ。響歌ちゃんは現政府を闇の者のスパイと疑っていたのですが、今回の騒動を見るに、ただの無知だったようだ」


 たった二人。


「それで、この有様ってわけか」

「光の世界が、人間たちのためと思って、記憶を消したものだけど、それはそれで問題があったわけね。三田村さんが言ったとおり、知らないよりも、知ってたほうがいいのかもしれない」

「三田村さんは、記憶を消されなかった」

「ええ」

「なぜ俺は消された?」


 俺は最大の疑問を聞いた。


「なぜ、とは?」

「魔法少女の弟。大きく関わっているはずだ。なのに俺は記憶を消されている」

「鏡明くんは、関わりがありすぎたんですよ。ありすぎたからこそ、消さなくてはならなかった」

「関わりがありすぎた。ありすぎたからこそ、消さなくてはならなかった」


 俺は反芻する。


「知らなくて良かったこともある」


 さっきと逆のことを言った。


――知らなくて良かったこともある。


 デジェヴ。

 俺は、このセリフを聞いたことがある。

 どこだったか?

 思い出せ。

 誰かが、俺の頭に手を置いて、そのセリフを口にした。

 そのとき、

 その場所、

 どんなときに……。


「俺、三田村さんと会ったことがありますね?」

「ん?」


 ルームミラーから俺のことを見た。


「俺の両親の葬式です。あなたは俺の頭に手を置いて、知らなくて良かったこともある、と言った」

「覚えていたんですか?」


 やっぱりあれは三田村さんだったのか。


「あなたは刑事だ。そして俺の親は殺されている。その事件を調査をしているうちに、魔法少女のことを知った。それで、関わるようになったんだ」

「調査をしていたのも、それが切っ掛けでお姉さんの正体を知ったのも正解です。ですが、あなたの両親は殺されていない。あれは事故です」

「殺された。姉がハッキリと、殺人だと言っていた」

「闇の者と関わりがあるから、そのように言ったのです。事故です。そのように処理されています」

「処理はそうなっている。だが、本当のところはそうではない」

「事故ですよ」

「嘘だ」

「当時、台風が上陸してましてね。土砂崩れが起きて、ご両親は、鏡明くんと幼い澄佳ちゃんを庇って、亡くなられたのです」

「俺たちを庇って死んだ?」

「知らなかったのですね」


 分からない。

 記憶の中から探そうとしても、なに一つとして思い出せない。

 魔法少女については、うっすらとだがあった。

 なのに、両親の死については、綺麗サッパリ記憶から抜け落ちている。葬式のときしか浮かんでこない。


「姉はどうしていた?」

「修学旅行に出かけている最中に起きた不幸です」

「事故なら、なぜ三田村さんは、姉と関わることになった? それに、なぜ俺の記憶を消す必要があった」


 車が停まった。ブラームスのピアノが、心臓の鼓動のように聞こえてくる。


「着きましたよ」


 野乃原市立中学校の校門前。

 俺と姉の母校。

 澄佳の通っている学校。

 予想通りの場所だった。


「答えて下さい」

「妹さんを助けなくていいのですか?」

「答えを聞いたら、行きます」

「私が言えるのは、これだけだ。知らなくて良かったこともある」


 知っていて良かったことだってある。

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