135:進化する影

「【影人シャドー】が人に近づく、ですか……?」


 唐突に投げかけられた誠司からの問いに対し、竜昇は思わずオウム返しのようにそう問い返す。

 間の抜けた反応だったが、実際それは竜昇にとって今まで考えたこともない可能性だった。

 なにしろ【影人】、竜昇達が呼んでいたところの【エネミー】は、その外見も能力や行動も到底人とは呼べない存在だ。

 その肉体は黒い煙状の魔力で形成されていて人の外見とは程遠く、顔面の核以外の場所を攻撃しても致命傷とはなり得ず、さらに手足を損傷しても時間経過とともに復元するというその耐久力は人間のそれを遥かに超えている。

 しいて言うなら形態こそ人型をとっているものが多いものの、それとて例外と言える個体が多数存在しているくらいなのだ。竜昇のこれまでの認識では、【影人】は人間とは根本的に違う怪物と言う印象だった。


「確かに【影人】達は到底人間とは呼べない存在だ。外見や肉体の構造はもちろんのこと、行動原理なんかも人間と呼ぶよりは、どちらかと言えばゾンビや機械的に動くロボットに近い。けど、君たちは遭遇したことはなかったかい? 他の【影人】に比べてその行動様式が妙に人間臭かったり、だんだんと知恵を付けている、あるいは、設定されたキャラクター性を無視し始めていると感じるような、そんな個体に」


「――そう言われてみれば」


 と、誠司からの問いに対して静が顎に手を当てて、なにやら思い当たる節があるような様子を見せる。

 確かに言われてみれば、今言われたような特徴ならば確かに竜昇の記憶にもヒットするものがあった。

 特に一番それが顕著だと感じたのは、あの深夜の学校の中で遭遇した骨格標本の【影人】だ。


 かつて竜昇達が遭遇した【影人】の中でも、とりわけ強烈なしぶとさと、もっと言うならば生き汚さを発揮したそんな個体。

 あの骨格標本が最後に見せたその様子は、他の【影人】と比べて随分とらしくない、まるで生に執着する人間のようだった。


「どうやら心当たりがあるみたいだね。

 僕達にもあるんだよ。明らかに他の個体と態度が違う、あるいは戦っているうちに態度が明らかに変わっていく、そんな個体と遭遇した経験が。それも一体や二体ではなく何体も」


「――私達が分析するところでは、こうした特殊な【影人】の変貌には共通のパターンがあるように見受けられます」


 と、誠司に変わって解説するように、なにやら彼の隣の利かが眼鏡の位置を直しながらそう語り出す。

 静と同じくあまり表情を変えない、しかし静と違いどこか鋭利な印象のある彼女は、その印象の形成に一役買っていると思われる眼鏡の奥の眼をさらに細めて淡々とその分析を口にした。


「まず多かったのは態度や行動原理の変化。これはそれまで機械的に、あるいは設定されたキャラクターを演じるように動いてこちらに襲い掛かってきていた【影人】たちが、どこか感情的に振る舞ったり、キャラクターを演じることをやめるパターンです。付け加えると、こうしたパターンの中にはそれまでと違い、どこか頭を使ったような戦い方をし始める個体もいました。

 次に何やら言葉らしいものを話し始めるパターン。これは先に上げた行動原理の変化と重複して起きる例が多いですね。ちなみにこの時に話す言葉と言うのは、最初から設定されていたと思しきキャラクター的な“セリフ”ではなく、私達にはわからない未知の言語です」


「未知の、言語……」


「君たちの話の中に出て来た【決戦二十七士】、その人たちの情報の中で、一番【影人】達との共通点を感じたのも実はこの部分なんだよね。君たちが遭遇したその二人も、僕らが知らない未知の言語を話していたんだろう?」


「ええ。そこは間違いなく」


 誠司の確認にはっきりと頷きながら、同時に竜昇は自身が遭遇した【影人】達の記憶を掘り起こして今教えられた特徴と照合していく。

 そう言う目で見てみれば、思い当たる、あるいは疑わしい例はいくつかあった。

 正直なところ、竜昇には【影人】が人間に近づくと言われてもあまりピンと来てはいなかったのだが、しかし【影人】の中に変化・成長していく個体がいることは竜昇自身も薄々ではあるが感じていたことではある。

 あるいは、竜昇の認識がその程度なのは、誠司たちとは見てきたものが違うが故なのか。


「さて、最後のパターン。とは言いましても、私達もこのタイプにはまだ一度しか遭ったことが無いのですが、姿まで人間に近づいてくる個体と言うのが一体存在していました」


「姿まで、ですか?」


「そう。具体的に言うなら、輪郭なんかがはっきりして来るって言うのが表現としては正しいかな。ほら、【影人】たちって全体的に黒い煙状の魔力が寄り集まって人型を作っているだろう? でも、僕らが遭遇したこの個体はそんなものではなくて、色は黒いままだったけど体全体がどことなくはっきりと人間の形になっていたんだよ」


「遭遇したのは、ちょうど詩織さんとはぐれた後だったので彼女は知らないと思います。もっとも、遭遇した当初はこの個体も他の【影人】と同じ、煙状の魔力で肉体を構成した通常の個体だったのですが……」


「交戦して、逃げ回り始めたこいつを追いかけているうちに、だんだんと様子が変わってきたんだ」


 交互に語られ、提供される情報に、竜昇はふとこの彼らが遭遇したという個体が、詩織が文字通り音に聞いていた第四層の監獄のボスだったのではないかと予想した。

 竜昇達が遭遇した拘束衣の怨霊と、彼らが遭遇したというその個体が果たしてどこまで同じ個体だったのかは定かではないが、しかしプレイヤーから逃げ回る敵と言うその一点は竜昇達が遭遇した個体、そして詩織が聞き取っていた戦闘の様子とも符合する。


「最初のうちはまだ、先に理香が挙げた行動の変化や言葉をしゃべる程度の変化だったんだ。けど徐々にそれが強く出るようになってきて、最後の方にははっきりと姿が人間のそれに近づいていた。戦い方も最初のころよりはるかに知恵を付けている感じがして、これ以上成長されたら本当に手が付けられなくなるんじゃないかって、そう思ったあたりでどうにか仕留められた感じだね」


 言葉の軽さとは裏腹に、誠司たちの表情は明るい物とは言い難い。

 恐らくは彼らも、その戦った人に近づいた【影人】に相当な脅威を感じていたのだろう。

 竜昇としても、これ以上脅威度の高い敵の存在が判明するというのは歓迎しがたい事態ではあったが、しかしそんな文句をここで彼らに言ったところで意味はない。

 むしろ問題にするべきなのは、今この場で彼らがそんな【影人】の存在を話題に出したその意味だ。


「……なるほど、話は分かりました。……ですが、その【影人】が私達の遭遇した【決戦二十七士】の、いわば“成りかけ”の状態だったと考えるのは少々無理があるのではありませんか? 私達が遭遇した二人は、【影人】と違って負傷や出血もしましたし、死亡後には死体もちゃんと残っていましたよ?」


 通常【影人】は肉体を損傷してもその部位が黒い煙状の魔力となって霧散するだけで、明確に出血のような症状が現れることはありえない。これに関しては死体の問題も同様で、【影人】は核を破壊されるとその肉体はほぼ消滅し、あとに残るのはドロップアイテムとも言うべき肉体とは異なる残骸がせいぜいだ。

 とは言え、その矛盾は誠司も理解していたのだろう。静の反論に対しても落ち着いた様子で自身の意見を述べてくる。


「確かにその点は【影人】の特徴とは違うけど、それはそもそも【決戦二十七士】が人間であるという証拠にはならないよ。そもそも【影人】をはじめこのビルの中の事象はほぼすべて常識を逸脱しているんだからね。【影人】が進化しきって完全に人間になると、【影人】だった時の特徴をほぼ失うのかもしれないし、現状では可能性はいくらでも考えられるだろう。

 それにね、可能性の話をするなら、もし仮に彼ら【決戦二十七士】が人間だったとしても、だからと言って必ずしも共闘可能な存在だとは限らないんじゃないかとも僕は思っているんだ」


「共闘できない……? それは、互いに言葉が通じないから、などの、そう言った理由ではなくてですか?」


 誠司の言葉に先に反応したのは、またしても竜昇よりも静の方だった。

 先ほどから静は、なにを思っているのかこれまでよりも注意深く二人の様子を観察しているように思える。


「確かに言葉の問題も大きすぎる問題だ。なにしろ言葉が通じなければ話し合いも何もないからね。けど僕が言いたいのはそれだけじゃない。もっと言うなら、すでに交戦してしまっていることによる闘争の連鎖のような話でもない。僕が懸念しているのはもっと根本的な問題なんだよ。

 そもそもの話、僕たちと彼らの利害は、本当に一致するのだろうか?」

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