94:進むべき道
狭い牢獄のその中で、一人の父親が自分の立場を他の者達へと明示する。
口にするのはある種謝罪の意味すらはらんだ、しかし決意に満ちた線引きの言葉。
「俺は一人になっても華夜を探す。例えばの話、もし第五層について、第四層に戻る方法がわかって、なおかつ第四層に華夜がいる可能性が高いとなったら、俺は一人ででも第四層に戻って華夜を探すことにする。俺の個人的な行動にお前らを付き合わせる道理もないから、その時はお前ら三人は俺を置いて、先にこのビルの脱出を目指してもらっていい」
「入淵さん……」
「俺にとっては、華夜は命に代えても守りたい大事な娘だ。だからどんな危険な場所でも、命がけだろうとも飛び込むつもりでいる。……けど、そんな危ない橋に、華夜とまともに面識すらないお前らを付き合わせるつもりはない。勝手な話で済まないが、五層に到着したその段階で、俺は一度このパーティを抜けるかもしれないってのは頭に置いておいてくれ」
どこか後ろめたいような、申し訳なさそうな表情を滲ませながら、それでも城司は自分の娘を探すために竜昇たちとは別行動をとるかもしれないとその可能性を断言する。
もちろんこれとてやはり可能性だけの問題だ。そもそも現状では彼の娘である華夜が第四層にいるのか、それとももっとその先にいるのか、その先にいるのなら目的地はどこなのかなど、探すにしても手掛かり自体が乏しい状態だ。
だからこれは、言ってしまえば城司なりの、竜昇たちに対する誠意であり、けじめだったのだろう。なにしろ、今ここで別れの可能性を示唆することは城司にとってはなんのメリットもないのだから。
いずれ来るかもしれない訣別の時をあらかじめ告げておこうというそんな言葉。
そんな言葉を受け止めて、最初に口を開いたのはやはりと言うべきか静だった。
「わかりました。私たちと入淵さんは、お互いの目的のため、方向性が一致している間だけのパーティ、そう言うことでよろしいですね」
「えっと、小原、さん、もう少し言い方――」
「ですが、ならばなおのことはっきりと両者の間で共有しておきたい認識があります」
ある種冷酷とも言える、淡々としたもの言いに詩織がそれを諌めようとするが、しかし静はその前に自身のスマートフォンの画面を全員に示す。
「生きてこのビルを脱出する。娘さんを助けて、彼女との脱出を最善と考える。つまるところ私達の方針の違いは、間に華夜さんの救出を挟むかどうかというその一点に終始します。そして実際、私達には命がけの寄り道をしてまで華夜さんを助ける理由や道理はありません。ですが、どちらにせよ脱出を目指す以上、避けては通れない問題が二つほどあります。
一つはこのビルをどうすれば脱出できるのかという問題。そしてもう一つはここに表記されている決戦二十七士という名称です」
「決戦なんとかって言う人たちのことはよくわからないけど、ビルを出るなら下の階を目指せばいいんじゃないの?」
「ええそうです。私達も、これまでそう考えて下の階を目指してきました。ですが実のところ、本当に一番下の、一階までたどり着ければ元の街に戻れるかどうかというのがそもそも怪しいんですよ」
「ん? それってどういうことだ?」
静の指摘に、理解が追いつかない城司が疑問の声を投げかける。
それに対して答えを返したのは、それまで話していた城司ではなく、先ほどから一通の手紙を持ったままになっていた竜昇の方だった。
「実はこの渡瀬さんの手紙を発見したときに、俺達ここに書かれている日数と俺達の街に【不問ビル】が現れた日時を比較してみたんですよ。そうしたら、渡瀬さんの街にビルが出現して彼女たちがビルに入るまでの期間と、俺達の街にビルが出現した時期に、重複する時間があったんです」
「重複って……、ああ……、つまりどういうことだ?」
「要するにこの【不問ビル】、町から町に移動してるんじゃなくて、複数の街に同時多発的に出現してるんですよ。けどさっきも言ったように、俺達は全く別の街からこの【不問ビル】に入ったというのに、今一つのフロアにこうして集められている。でもだとすると、俺達が目指す一階っていったいどこの街になるんでしょう?」
「……!!」
竜昇の指摘に、城司が驚きに目を見開き、息をのむ。
竜昇自身、このことに気が付いたのはハイツについて考えていたときのことだ。本来ならもっと早く、それこそ詩織の手紙を見つけた時に気付いていてもよさそうなものだったのに、竜昇はこのことに気付くまでずいぶんと時間がかかってしまった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。じゃあ私たちは今どこにいるの? だって、私たちはエレベーターでビルの六十階に上って――」
「それなのですが、そもそも私達は本当にあの時六十階に上っていたのでしょうか?」
「え、それってどういうこと?」
「そもそも私たちが最初にあの武器を選ぶ部屋に出た時に、そこが六十階だと判断したのは床に書かれた文字とエレベーターの階層表示を見ての判断です。恐らく、そのあたりはお二人も同じだと思うのですが、しかしそもそもの話、そんな表記ならそんな魔法染みた力に頼らなくても、常識的な小細工でいくらでも偽れます。床の文字なんて、それこそペンキで六十と書けばそれで済んでしまうのですから」
「それは……、確かに……」
静の指摘に、詩織は反論の言葉を探して、しかしそれに失敗したような表情を浮かべる。
詩織の気持ちはわからないわけではない。なにしろそれを認めてしまったら、自分たちはこの先どうやって帰ればいいのかがわからなくなってしまうのだから。
だがそんな現実逃避染みた思考に対して、小原静という少女に容赦はない。
「あのエレベーター、一見すると移動表示などから上に昇っていたように見えましたが、実際のところは本当に上に向かっていたのかなど分かったものではありません。私たちが上の階に昇っていると思い込んでいただけで、実は下に向かっていたのかもしれません。……いえ、どうかするとエレベーターごとテレポート染みた移動をさせられていたかもしれない。実際、別々の街から入った人間がこうして邂逅していることを考えれば、あながちその考えも馬鹿にはできませんしね」
「け、けどよ。それでも下の階に行くのが全くの無駄ってこともないんじゃねぇか? 確かにどの町に出るかはわかんねぇけど、それでも一度外に出ちまえば、それこそ電車でもタクシーでも使えば、あとはどうとでも帰れるだろ」
「いえ、実はそれについてもあまり楽観はできそうにないんです。
というのも、あのハイツという男が、明らかに“下の階から来て上の階を目指していた”節がありましたから。
もしもハイツが下の、それこそ出口のある一階から来ていたのだとしたら、言葉も通じない、魔法を使う戦士がいた場所っていったいどこなんでしょう?」
「……!!」
静から引き継ぐように竜昇が行った指摘に、城司と詩織が今度こそ本当に言葉を失った。
竜昇自身、言っていてこれはかなり絶望的な状況だとそう思う。まるで望んでもいないのに、いつの間にか異世界行きの道を歩かされていたかのようなそんな状況。
だがそれでも、この事実から目を背けたままでは進んでいることにもなりはしない。
「ともかく、『一階まで行ければこのビルから脱出して家に帰れる』なんて相手が提示したクリア条件をこのまま鵜呑みにし続けるのは恐らく危険です。一階に着いた時にどんな場所に出るかもわからない上に、下手をすると出口からどんどん遠ざかっている可能性もある」
「けど、だったらこれから私達、いったいどうすればいいの? 下に行っても無駄かもって、でも、だからって上に戻れば帰れるのかもわからないし……」
「取るべき行動自体は、とりあえずこれまでと変わらない。まずこの第四層を攻略して、下の第五層を目指す。
――ただし目的を変える。いや、最終的に脱出を目指すって言う部分は変えないけれど、そこに至るまでの過程に、一つ必要な工程を挟む」
その困難さは、言いだす前から嫌というほど想像できていた。
だがやらねばならない。それがどんなに困難であったとしても、それができなければそもそも進むべき道がわからないのだから。
「俺達に必要なのは情報です。どうすればこのビルから出てもとの街に返れるのか、このビルがいったい何なのか、華夜さんを攫ったハイツはどこにいるのか、それらを探らないことにはどの目的も達成できない。
そして、それらの答えを持っているかもしれない人間が、すでに俺達の前には提示されている」
「提示って……。っておい、お前まさか」
「ええそうです。決戦二十七士を捕まえて話を聞き出す。それが俺達の目的、そのどれを果たすにしても避けられない最低条件です」
監獄の中の一室、いくつも並んだ独房の一室で、その囚人型敵は静にベッドに腰かけ、待機していた。
その身に纏うのは、黒と白の縞模様の帽子と囚人服。
いまどき時代錯誤な、あからさまな囚人の格好をしたその敵は、しかし囚人らしい凶暴さなど少しも感じさせず、まるで充填中のロボットか何かのようにじっとベッドに腰かけ牢獄の中に待機していた。
すでに竜昇たちも推察していることだが、この階層の敵達は囚人型と看守型に分かれていて、基本的に彼らは囚人型は牢の外に、看守型は牢の中に対して興味を示さない。
だから、たとえ竜昇たちのような人間がいたとしてもそれが牢の外ならば囚人型は見向きもしないし、牢の中にいれば看守型は警備の立場としては失格なほどにあっさりと素通りしていく。
もしもそんな、彼らの行動原理に変化が生まれるとするならば、そのきっかけはただの一つ。
『――セレレッ!!』
金属の錠が外れる音がして、その瞬間それまでベッドに座って身動き一つしなかった囚人が勢い良く立ち上がる。
まるでそれまでの人形の様なありさまが嘘のように、鍵が開く音がした扉へと囚人が体当たりする勢いで突撃し、実際に扉に体ごとぶつかって押し開き、囚人は脱獄というにはあまりにも荒っぽく、自身が閉じ込められていた独房の中から外へと飛び出した。
飛び出して、そこには誰もいなかった。
部屋の外にいるはずの、自身を閉じ込めていた扉を開けた愚か者へと襲い掛かろうとしていた囚人は、そこで一瞬判断に迷ったように動きを止める。
黒い煙上の魔力でできた顔で周囲を見渡し、見ようによっては一つ目にも見える赤い核を周囲に差し向けるようにして周囲を見渡して、そうするうちにその囚人は自分の足元に本来あってはならないはずのものがあることに気が付いた。
これまで自分を閉じ込めていた牢獄、それらを開けるための鍵が、一つどころか束になって落ちて囚人の足元に落ちていた。
『セロリィ、アルルゥゥゥ……』
直後に、囚人は自分の足元に落ちているのが鍵束だけではないことに気付く。
警棒、手錠、ライオットシールド。
まるで警備にあたっていた看守の集団が、この場で音もなく消滅してしまった後のように遺留物だけが残されたその状況を見て、しかし囚人はそれが誰の仕業なのか、何の目的なのかには興味を示さなかった。
迷うことなく、囚人の手が足元の鍵束をつかみ取る。
本来手にすることがあってはいけない立場であるはずの囚人が、手にしてはいけないはずの牢の鍵を手に入れたその瞬間、監獄を模したその階層の中で、小さな火種が、しかし確かな熱と危険性を持って、微かに、しかし確かにくすぶり出した。
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