93:愛娘の行方

「状況を整理しよう」


 不可解な証言の数々に、混乱しかけた場をいったん整えるべく、竜昇はそう発言する。

 実際、そうでもしなければ竜昇自身が混乱に飲み込まれて、話が進まないまま闇雲な議論を繰り広げてしまいそうだった。


「俺と静は第三層でそこにいる入淵城司さんと、その娘の華夜さん、そしてこの解析アプリのメッセージで決戦二十七士のハイツ・ビゾンと表記されてる言葉の通じない謎の男と遭遇し、このハイツと交戦状態に陥った。その後、俺達二人でハイツに大きなダメージを与えることには成功したものの、ハイツは華夜さんを連れて逃走、そのまま第四層へと渡って俺達から姿をくらました」


 加えて、話について来れていない詩織にある程度状況を説明して置く意味もある。

 案の定、この場で唯一状況を理解できていなかった詩織が『そう言うことだったのか』という顔をして、先ほどからの城司の様子にも納得した様子を見せる。

 とは言え、ここまでは話としてはそれほど難しくはない。問題が複雑化するのは、やはりと言うべきかここからだ。


「一方で、渡瀬さんはこの階層で捕まってから、ずっと【音響探査エコーロケーション】の技能アビリティを使って周辺状況を拾い続けていた。

 その間、この階層と他の階層を繋ぐ扉が開いたのは三回のみ。一度目は渡瀬さんの仲間が下の階層に移動したとき。三度目は俺達がこの階層に入った時。これはまず間違いないですか?」


 竜昇の問いかけに、詩織は今度は神妙な顔をして一度頷きを返す。

 実際、これだけなら状況はそれほど混乱していない。一度目の、詩織の仲間が詩織の捜索を諦めて先へと進んでしまったというその事実は、確かに彼女にとっては大きな出来事ではあるだろうが、非情な言い方をしてしまえば竜昇たちにとってはあまり関係の無い、本題から外れる別問題だ。


「問題なのは二回目に扉が開いた場所とタイミング。普通に考えるなら、俺達より数分ほど先に第四層に渡ったハイツたちがこの二回目に該当しそうなところだけど、実際には二回目の扉の開閉があったのはそれよりはるかに前、しかも開いた場所は俺達が出て来た上の階の扉じゃなくて、最下層にある、恐らくは下の階へと続く扉だった。しかも、扉は開いただけで誰かが入ってきたような音は一切聞こえていない……」


「……そんなはず、ねぇだろ……!!」


 詩織の証言に、いい加減耐えかねたのかそばで聞いていた城司が声を荒げる。

 その様子に周囲の三人、否、静は相変わらず平然としていたため、正確には竜昇と詩織の二人が一瞬たじろいだ。

 とは言え、城司のその反応はもっともだろう。なにしろ彼にしてみれば、誘拐された愛娘の行方が、追跡できていると思っていたのに突然ぷっつりと途絶えてしまった形になるのだから。


「そんな、はずがない……!! そんな矛盾が、起きるはずがない。そんな矛盾が起きるとしたら、そりゃぁ、どっちかの言うことが間違ってるってことだ……!!」


 それは恐らく、彼にとっての我慢の限界だったのだろう。

 内心の苛立ちを、焦燥を、娘の安否に対する不安を押し殺しきれなくなったそんな声が、荒い口調となって証言者である二人へと向けて放たれる。


「なあおい。いったいどっちだ。どっちの言うことが間違っているんだッ!? そっちの少年は前の階層で、あの鎖野郎は娘を連れて下の階層に移動したって証言した。けどそっちのお嬢ちゃんはそんな奴はこの階層に来ちゃいないって言ってる。けどじゃああいつはいったいどこに行ったんだッ!! 俺の娘は、いったいどこに行ったってんだッ!!」


 竜昇と詩織、矛盾した証言を行う二人にほとんど詰め寄るようにして、城司は荒い声でそう問いかける。

 嘘など許さないというそんな剣幕。室内に漂う一触即発のそんな空気に、一石を投じたのは、やはりと言うべきかその場に残る最後の一人、静だった。


「一つ、二人の証言が両立する仮説があります。もっとも、それが正しければ正しいで、甚だ厄介な事態にはなるのですが」


「……なんだよ」


「その前に確認したいのですが、私と竜昇さんはここに来るまでに最初の武器が並んだ部屋を除いて三つ、三階層を突破してここにたどり着きました。他のお二人もそれは同じですか」


「え、う、うん」


「そうだが、それがどうしたってんだ?」


「私たちが突破した階層は三つ、一つ目は博物館、二つ目は深夜の学校、三つ目は地下鉄の駅でした」


「……え?」


 その言葉に、まず最初に反応を返したのはやはりと言うべきか詩織だった。とは言え、もう一人の城司の方も無反応だったわけではなく、声こそ出さなかったもののその表情には驚きの感情が宿っている。


「やはり通過した階層は違いましたか。参考までにお伺いしますが、お二人はここに来るまでにどのような階層を突破してきたのですか?」


「私は……、最初の階層は水族館、次が二人と同じ学校で、ここに来る前の階層は映画館だったよ」


「……俺は、最初の階層は結構大きなデパートみたいなとこだった。次が美術館で、三つ目がお前らと出会ったあの駅だ。……けど、それは、つまり、いったいどういうことなんだ?」


 見えて来た答えに、しかし城司は理解を拒むようにそう声をあげる。

 実際のところ、彼とて全く答えが予測できていないわけではないだろう。ただその答えが酷く厄介なものだと気付いてしまったがゆえに、その答えを受け入れられないだけで。


 そして、この場にはそうした現実逃避にも似た思考を決して許さない少女が一人いる。


「つまり、私たちのこれまでの道のりは決して一本道ではなかったということですよ。そもそも私たちが最初にビルに入った都市自体が違っていた可能性があるくらいですし。ちなみに入淵さんは霧岸女学園や私立綱川高校という名前に心当たりはありますか?」


「……ねぇよ。少なくとも俺の地元にそんな学校はなかったはずだ。けど、それなら、この状況は……」


「ええそうです。私たちが違う都市からまったく違う一層目に出たように、私たちと渡瀬さんが違う一層目から同じ二層目に出たように、私たちと入淵さんが違う二層目から同じ三層目に出たように……。恐らくあのハイツという男も、私達が今いるこの監獄とは全く違う四層目に出ているのではないでしょうか」


「――っ!!」


 突きつけられた可能性に、城司の表情が激情と苦悩に歪む。

 それはそうだろう。彼にしてみれば、手を伸ばせばまだ届く距離にいたはずの娘が、その実こことは全く違う第四層という、手出しの仕方すらわからないそんな場所に連れていかれてしまったことになるのだから。


「互情さんの話から察するに、あのハイツという男はある程度この結果を予想していたのでしょうね。となると、次の階層の行き先が変わるきっかけは扉が閉まるなどしたあたりが可能性としては有力でしょうか……。

まあ、渡瀬さんと一度ニアミスして、それでもなおこの階層で落ち合えたということは、一つの階層のそうしたフィールドのパターンはそこまで多くはなかったのでしょうね。行き先の設定も単純な枝分かれではなく、かなりランダム性が高いもののように思えますし……」


「……方法は。ここじゃない、その別の第四層ってところに行く方法は、あるのか?」


 淡々と自身の推測を語る静に対して、城司が感情を押し殺したような声でそう問いかける。

 対して、それに対する回答は、少なくとも竜昇も静も一つしか持ち合わせていなかった。


「わかりませんね。少なくとも私たちは、隣の階層に進む方法に行き当たったことはありません。そもそも、階層移動がそのようなシステムになっているという推測すら、今になってやっと出てきたようなものですので」


「――ぐ、ぅッ――クソッ!!」


 声を漏らし、次の瞬間、城司は拳を振りぬいて背後の壁へと叩き付ける。

 それはそうだろう。なにしろこれで、彼の娘である華夜の行方は、完全に城司の手から零れ落ちてしまったのだから。


 もちろん、それでもあのハイツと城司の娘である華夜の二人を探し出す方法が無いわけではない。

 静も言っているように、第四層が何パターンかあるとは言っても、その数は決して多いものではないはずだ。だから例えば、何らかの方法で一度上の階層に戻って扉をくぐり直したり、逆に下の階層に移動してから上の階層に戻るような真似をすれば、あの時ハイツが飛び込んだであろう、こことは違う第四層に出られる可能性は一応あるにはある。

 だがしかし、ではその確率がどれくらいあるかと問われれば、その数字ははっきり言って未知数だ。第四層が全部でどれだけの数あるかも定かではないし、そもそもの話、逃げたハイツとそれに囚われた華夜が、いつまでもおとなしく同じ階層に留まってくれている保証はどこにもない。

 事と次第によっては、敵は既にさらに下の階、第五層や六層にまで移動している可能性も十分にある。しかも、その第五、第六回層も何パターンかあってそのどこかにランダムに出ることになるのだとしたらもう最悪だ。

 もはや入淵華夜がいるのと同じ階層に出られるかどうかは賭けでしかなく、しかも同じ階層に出られたかどうかを確認するのも簡単な話ではないのだ。

 出ることができた階層に入淵華夜がいるかどうかを確認するには、その階層の全てを攻略でもしなくては不可能だし、そんなことをどこの階層に進んだかもわからない人間を相手に、四層以降の何パターンあるかもわからないフロア全てで行うなどハッキリ言って正気の沙汰ではない。


 城司自身そのことは嫌というほどわかっているのだろう。

 扉にもたれてズルズルと床へと座り込み、右手で額を掴むようにしてギリギリと歯を食いしばる。


「……くそ、どうすりゃいい……。なにか、何か方法は……。クソッ――!! 俺があの時、むざむざ気絶していなけりゃ……。いや、それを言うならそもそも、俺がこのビルのヤバさに気付いてさえいれば――」


 頭を抱えて、城司がその口から漏らすのは、恐らくこのビルに囚われてプレイヤーとなってしまったものが共通して抱くだろう後悔だ。

 この不問ビルの正体、中で何が起きるかが最初から分かっていれば、誰もがこんなビルにむざむざ足を踏み入れることはなかっただろう。


 とは言え、過ぎた過去をいつまでも悔やんでいてもしょうがない。


「……まだ、希望はあります」


 己の中で考えをまとめて、意を決して竜昇はその言葉を口にする。

 今から自分が言うことが、根拠こそあれあまりにも不確実な推測であることはわかっている。

 ましてやその内容が、あまりにも自分たちの都合に寄り添った内容であることも。


 それでも、竜昇の声に反応し、弾かれたように顔をあげる城司に対して、竜昇は覚悟を決めてその考えを口にする。


「あのハイツという男、逃げる際迷いの無さと言い、扉をあけ放つために打っていた手段と言い、明らかにいざという時のために、事前に退路を用意していた節がある」


 これに関しては、あるいは実際にその様子を見ていた竜昇だからこそ確信をもって言える事項だろう。

 言葉が通じないがゆえに、相手の言葉はさっぱりわからなかったが、しかしそれでも相手のあの様子から、ある程度ではあるがその狙いや、思考の様なものを推測することはできる。


「恐らく、あのハイツという男は自分が何者かに敗北して、撤退を余儀なくされる可能性をしっかりと考えて、そのためにキッチリと退路を用意していた。……そして退路を用意していた以上、絶対にあると確信できるものがあります」


「退路を用意していたからこそ、あるもの?」


「撤退する先、つまりはそこに帰り着くことで一定の安全が確保できる拠点ですよ。それがいったいどこなのか、どんな場所なのかは推測するしかありませんけど、間違いなく撤退を余儀なくされたそいつはそこに向かっている」


 これに関しては竜昇自身、かなり自信を持って言える推測だった。

 なにしろハイツは、竜昇の【迅雷撃】をもろに喰らって、その上でなお華夜を連れての撤退を選んでいる。

 敵の行動を予測するうえでの別の可能性として、倒せないと踏んだ竜昇たちを避けてもう一度あの駅とは違う、別の三層に現れるという可能性もあるが、それをするというのならば明らかに華夜の存在が邪魔だ。


 相手が何者かは依然としてよくわかっていないが、しかしもしも彼らがこのビルの中を自由に移動できるわけではない、竜昇たちとは別口の攻略者だとするならば、そんな足手まといにしかならないような捕虜をわざわざ連れて再攻略に等乗り出すまい。ましてや相手は手負いの身なのだ。すでに攻略し、確保しておいた退路を逆戻りするというならともかく、傷ついた身で捕虜まで連れて、未知の領域に踏みだしたりなどしないだろう。ほぼ間違いなく、連れ去った捕虜をどこかに、それこそ自分たちの管理する拠点と言える場所へ連れ帰ろうとするはずだ。


「その行先がこことは違う四層だったのか、それとももっと先の、下の階層なのかはわかりません。けど、もし俺のこの考えが正しいのなら――」


「――少なくともこの次の、第五層に進む意味はある、ってことか?」


 城司の指摘に、竜昇は言葉を切って代わりに頷きで返答する。

 その一方でどこか問題を先送りにしてしまったような、そんな感覚を竜昇は感じてしまっていた。なにしろこの提案はとりあえずこの階層をクリアするまでの足並みは揃えられるものだが、第五層に出た時に高確率でもう一つの、同じ問題にぶつかることが予想できるからだ。

結局のところ問題は、結局は件のハイツと華夜がどこに行ったのかという、その問題に集約されるのだから。


「先に断っとく」


 竜昇のそんな思考と、恐らくは全く同じことを彼も考えたのだろう。

 城司がどこか落ち着きを取り戻した、覚悟を決めたような声でそう告げてくる。


「俺はこの先、お前たちとの行動よりも華夜の捜索を優先する。お前たちと行動を共にすることが、華夜を捜索することと方向が一致するうちは一緒に行動できるが、もしもその方向性が食い違うなら、お前たちとの行動はそれまでだ」

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