88:処刑場の乱戦
黒い煙でできた囚人たちに交じって、一人の人間が処刑のために引っ立てられる。
顔はわからない。頭にはマスクをかぶせられ、その全身は拘束衣によって自由を奪われている。
その誰かについてわかることはかぶせられたマスクの淵から伸びる長い髪と、全体的なシルエットや動きから、どうやらその人物が女性らしいということくらいだ。
「おいまずいぞ……!! もしあいつがホントに人間だとしたら、このままじゃ――!!」
「――っ、ここからじゃ魔法で狙っても当てられない。どこか下に、向こう側に渡れるところは――!!」
看守型の敵に引きずられ、拘束された女性がじりじりと処刑人型の元へと近づいていくその様子に、竜昇たちは慌ててその場所へと移動するための経路を探して周囲に視線を走らせる。
だが見渡しても下の階に下りる階段は竜昇たちのいる位置からは遥か先、対岸に渡る通路に至っても、そこからさらに先に移動しなければたどり着けないような位置だ。
見る限り、どうやらマスクで顔を覆われている当の本人も自身に迫る危険を感じてはいるらしく、拘束された体で必死の抵抗を試みてはいるようだが、看守型の方がそんな彼女を容赦なく引き摺って連行していて、今から対岸に渡っていたのでは彼女の処刑までにはとても間に合わない。
「――どいてください、二人とも」
と、まごつく男二人に対して、背後から鋭い声が飛ぶ。
見れば、荷物を放り出し、マントすら脱ぎ捨てたスク水スカート姿の静が、独房の扉が立ち並ぶ部屋の隅にまでさがってクラウチングスタートの姿勢をとっていた。
「――【剛纏】――【瞬纏】」
立て続けに発現する二種類のオーラ。
全身の身体能力を底上げする【剛纏】と共に纏うのは、前の階層で習得したばかりの【纏力スキル】の七の型・【瞬纏】だ。
発現する緑色のオーラからもたらされる効果は、纏った対象の時間の加速。
効果時間こそ短いものの、あらゆる動作や走行速度、そして思考の速度に至るまでの全てが加速されるそんなオーラが静の全身を包み込み、次の瞬間には静の足裏で魔力が爆発して目にも止まらぬ速度で静が走り出す。
【歩法スキル】の技である加速走法【爆道】。
魔力を足裏で炸裂させて走行速度を底上げするその技まで用いた、合計三つの技の合わせ技でもって稼いだ助走距離を一気に駆け抜けて、静の肢体が通路の欄干目がけてその速度を一切殺さぬままに飛び上がる。
「まさか、嘘だろ、おい――!!」
慌てたように城司が声をあげるが、静がとったのはまさにその嘘のような行動だった。
再びの魔力の炸裂と共に静の足が欄干を足場として蹴りつけて、稼いだ助走の速度そのままに、静の体が空中へと一切の迷いなく躍り出る。
「おいおい――、いくらなんでも――!!」
「行きましょう入淵さん。静が対岸に渡るのは間に合っても、一人であの数全員を相手にさせるのはやっぱり危険だ!!」
静なら無事に向こう側にたどり着くと、そう判断したうえで竜昇は静の残した荷物を拾い上げ、急ぎ先行した彼女の後を追うべく対岸へと通じる通路向かう。
見えただけでも、敵の数は囚人・看守を問わなければ十体以上。
無数の敵が一斉に押し寄せて来た地下鉄駅のホームでのあの戦いを除けば、その数はこれまで相手にした中でも間違いなく最大の数だった。
全身を襲う浮遊感の中でも、静の心は凪いだままだった。
一歩間違えれば奈落の底へと真っ逆さま、転落死は間違いないというそんな大ジャンプを行ってなお、冷静さを保ったままで静は自身のジャンプの成功を冷静に判断してその次の段階へと思考を進める。
もとより、このジャンプの成功率が高いことはわかっていたからこその行動だ。対岸までは確かに距離があるが、しかし向かわねばならない処刑場は通常の通路からせり出した場所にあり、さらには高さも向こうの方が一段低くなっているため飛び移れるだけの余地はある。
ただし、それで飛び移ることができるのは、助走の際に三重の加速を掛けられる静だけだ。
静のように加速のための能力を持たない竜昇たちは普通に階段と渡り廊下を利用し、向こう側の処刑場を目指さねばならない。
それはすなわち、あの処刑への介入とその後の戦闘を静一人でこなさなければいけないということで――。
「――【
――ならば敵が臨戦態勢に入るその前に、一体でも敵の数を減らしておくのが得策というものだった。
両手にそれぞれ一本ずつ、すでに残り少なくなったボールペンを抜き放ち、着地の寸前に【鋼纏】で強化したそれを二体の敵目がけて投げ放つ。
狙うは救助すべき女性を引きずる看守と、それを待ち受ける処刑人の
まだこちらに気付いていない二体に目がけ、着地する前のその段階で奇襲の一撃を叩き込む。
「――ルィ!?」
「ギィッ――!!」
飛び込みざまにはなった攻撃に対して、敵が示した反応は対照的なものだった。
看守型の方は両手で拘束衣の女性を引きずっていたがゆえにこちらの攻撃に反応できず、静の投擲に顔面の核を貫かれてあっさりと消滅する。
対して、処刑人の方は直前に静の強襲に気付いたらしく、手にしていた剣を盾にしてどうにかその攻撃を防いで見せていた。
(まずは一体。残る敵の数は――)
着地と同時に腰に差していた二本の十手を抜き放ち、さらにそのうちの一本である【始祖の石刃】を十手から小太刀の形態へと変化させて、静はすぐさまその場にいる敵の姿と数を確認する。
(処刑人一体、看守が四体と囚人四体。そして要救助者が、一人――!!)
合計九体の敵を視認して、続けて静は自分が助けに入った女性の方にも視線を送る。
上で見ていた時点でもわかっていたことだが、彼女の全身は拘束衣によって固められていて、今も自身を引き摺っていた敵が消えたことで床に投げ出された状態だった。
どうやら両足も膝のあたりでベルトによって縛られているらしく、あれでは拘束を解かない限りは立って逃げることはおろか起き上がることすらできそうにない。それどころか、マスクをかぶせられている今の状態では何が起こっているのかも正確には認識できていないだろう。
「そのままそこで伏せていてください――!!」
今はその拘束を解く時間も彼女を介抱する時間もないと判断し、静はその一言だけを言い放って意識を九体の敵へと差し向ける。
実際問題、今の静にそれ以外に意識を割く余裕などほとんどありはしなかった。
静の目の前で、取り押さえていた囚人型を放り出した看守の一体が、上着の懐に手を突っ込んですぐさま武器を抜き放つ。
(――拳銃!!)
思ったその瞬間には、火薬の炸裂する音と共に弾丸が飛んできた。
わきの下に収められたホルスターから銃を抜き放ち、その直後には照準を合わせて弾丸を撃ち込む驚異の早撃ち。
だが静の方もそれを馬鹿正直に受けるほど迂闊ではない。
敵が自身に照準を合わせたその瞬間には、すでに静の両脚は床を蹴りつけ、足裏で魔力の炸裂を引き起こして目にも止まらぬ速さで走り出している。
とは言え、それだけですべての銃弾を回避しきれるほど、この敵と、そして拳銃という武器は甘くない。
「シールド」
二発、三発と弾丸を回避して、しかし四発目で静は回避しきれないと判断して防御に切り替える。
幸い、この拳銃に先ほどの散弾銃程の威力はなかったらしく、撃ち込まれた弾丸はシールドに阻まれてその動きを止めたが、続けざまに撃ち込まれる弾丸が徐々にシールドにヒビを入れ始めてこちらの防御を削っている。
(防御し続けるのは下策ですか)
撃ち込まれる弾丸の対処だけならば防御し続ける手段はいくらでもあるが、しかし敵がこの拳銃の看守だけでない以上守りに徹するのはあまりうまくない。
見れば、他の三名の看守――と言っていいのかどうかわからない個体が混じって入るが――もとらえていた囚人を放り出してこちらに対して臨戦態勢を整えつつあるし、処刑人型も同じく健在でこちらに斬りかかるチャンスをうかがっている状態だ。今はまだ味方の銃弾による誤射を避けるためにこちらに向かってくる様子はないが、逆に言えばこの銃撃が途切れた瞬間に敵が一斉に襲ってくるということでもある。
(やはり早めに賭けに出ておきますか――!!)
現状を認識し、動き出すまでが静は早かった。
すぐさまウェストポーチからナイフを抜き放ち、同時にシールドを解除して魔力を込めながら引き抜いたナイフを投げ放つ。
「【
回転をかけて投げ放ったナイフが込められた魔力によって高速回転し、まるで丸鋸の刃のような切断攻撃となって拳銃を構える看守の元へと飛んでいく。
とは言え、隙をついたわけでもなければ動きを封じた訳でもない、そんな状態の相手が、素直に攻撃を受けてくれるはずもない。
看守はすぐさま拳銃の照準を外して横に飛び退くと、再び走る静に照準を合わせて銃撃を試みる。
そんな看守の頭部に、背後から鎖付の鉄球が炸裂したのはその直後のことだった。
突然の背後からの奇襲に拳銃を構えていた看守は一切対応できず、頭部の核を砕かれたことで悲鳴すら上げずに崩れるように消滅する。
『ビュルルルル――!!』
対して、それを行った下手人、両足に足枷と、それから伸びる鎖付の鉄球を付けられた囚人は己の行ったその所業に笑うような奇妙な声を響かせる。
同時に振り上げていた右足を引き戻し、その動きによって足枷から繋がる鎖付の鉄球を足元へと戻して、続けて床に落ちたばかりの鉄球を足ですくい上げて自分の犯行に気付いた他の看守へ向けて蹴り飛ばす。
そんな囚人の足元に落ちているのは、真っ二つに切断された木枠の様な手錠。
(やはり――!! ここの囚人と看守たちは対立関係にある――!!)
現状を脱するために静がとった行動は単純だ。先ほど放った【
それだけでこの囚人が動いてくれるか、あるいは動き出したとして、看守たちと結託して静に襲い掛かって来はしないかという点に関しては正直賭けだったが、静自身はこの階層の囚人が先ほど処刑されていたことや、看守と囚人というこの階層特有の敵のキャラクター設定などから、囚人は開放されれば看守に対して反旗を翻すのではないかと踏んでいた。
そして実際にそうなった。
静の投擲によって自由を取り戻した囚人は、足に付けられた鉄球を看守目がけて蹴り飛ばすという、拘束具の意味を根本から否定するような戦い方で看守の一体に襲い掛かり、それをどうにか回避した看守との交戦状態に入っている。
この段階で看守型は残り三体、処刑人一体に囚人が四体で、そのうち三体の囚人は身動きが取れず、唯一動ける囚人が看守一体を釘づけにして交戦中。
ならば次に静がとるべき手段は何か。
(まずは数を減らしましょう――!!)
瞬時に周囲に視線を巡らせ、静は手始めに暴れ出した囚人に意識を向ける一体の看守へと狙いを定める。
服装と言い全体のシルエットと言い、どこか女性的な雰囲気の看守型。手に持つ武器は乗馬などで使われる鞭のようで、なぜこんなものを武器として持っているのかは甚だ疑問だったが、しかし静はこの看守の格好をただただ倒しやすい相手と判断した。
即座に距離を詰め、右手の小太刀を振り上げ魔力を込める。
『ニリリィ――!!』
攻撃される寸前、相手も静の攻撃に気付いて手にした鞭を構えたが、そんなもので【加重】の力を乗せられた小太刀の斬撃を防ぎきれはしなかった。
次の瞬間に振り下ろされた小太刀が構えられた乗馬用鞭を叩き折り、その先にあった敵の顔面、そこに輝く赤い核を真っ二つにして破壊する。
(次――!!)
消滅する女看守からすぐさま意識を切り替え、静は次の獲物に狙いを定めるべく己の周囲へと視線を巡らせる。
そんな静の頭部へと、背後から敵の武器が振り下ろされたのはその直後のことだった。
「――おや、危ない」
寸前で背後の気配に気づきとっさに静が首を逸らすと、それまで静の頭があったその場所を覆面をかぶった敵の振るうハンマーが通過する。
先ほど姿を確認した際、囚人を捕まえていたことからなんとなく看守の一体としてカウントしていたが、しかし間近でよく見るとその姿は看守というのともまた違う。
振るわれるハンマーも囚人を制圧するのともまた違う、表面に渇いた血がこびり付いた、より積極的に人体を破壊するための別の何かだ。
「――ふ」
呼気と共に背後へと飛び退き、すぐさま静は敵の振るうハンマーの加害圏内から離脱する。
対して、敵もそんな静をおとなしく逃がしてくれるつもりはないようだった。
右手で振るうハンマーを避けられて静が距離をとったのに反応すると、すぐさま左手を振るって持っていたものを静目がけて投げつける。
やたらと太く、錆も浮かんだ、どこか禍々しい四本の釘を。
「磁引――!!」
敵が自分と同じく投擲を行う相手と見るや、静の判断は非常に素早いものだった。
自身に対して相手が何かを投げつけるのを相手の挙動でもって予測すると、すぐさま右手の石刃小太刀を十手の形態に替えて、左右の十手の【磁引】の力を発動させる。
自身に迫る鉄釘の軌道を【投擲スキル】の知識でもって予測して、飛んでくる四本の釘を二本の十手でもって叩き落とす。
――否。飛来した釘は十手によって叩かれはしたものの、一本たりとも床へと落ちたりはしなかった。
発動された磁力によって右の十手に三本、左に一本の釘が吸着されて、十手に張り付いた四本の釘が武器を振るう静の動きに従って、主であるはずの敵の一体へと狙いをつける。
「お返しします――!!」
体の前で交差するように振るわれた十手から四本の釘が投げ放たれて、ハンマーを持つ敵のその全身へと突き刺さる。
生憎と急所にあたる核だけは敵も自身の腕を使って守ったようだったが、それでもガードに使った腕や体に釘が根元まで突き刺さり、敵がノイズがかった悲鳴と共に煙を散らしてその態勢をよろめかせる。
そんな絶好の隙を、静がみすみす見逃すような真似をするわけがない。一気に相手を斬り捨てるべく相手との距離を詰め、再び右手の武器を小太刀へと変化させ、今度は一突きで相手を仕留めようとその顔面目がけて刃を突き出そうとして――。
「――ッ!!」
その寸前、真横から斬りかかってきた処刑人の
同時に、十手に仕込まれていた【静雷撃】が炸裂し、斬りかかってきた処刑人の体がびくりと跳ねる。
(ならば先にこちらを――!!)
その様子に、静はすぐさまターゲットを先ほどの敵から目の前の処刑人へと変え、今度こそ右手に構えた小太刀で相手の命を貫くべく狙いを定めて――。
――突如、なにかが炸裂するような音があたりに響いて、とっさに静が処刑人から距離をとるように飛び退いた。
(――なにがッ!?)
とっさに音のした方を確認すると、その場所には先ほど看守の手から助けたばかりの、拘束衣によって身動きの取れないまま動けない女性が転がっている。
否、そこには彼女しかいなかったというべきか。
見たところあんな大きな音を立てられる何かを持っていたとは思えない、なにか炸裂するタイプの魔法を放った痕跡もない、そんな虜囚に注意を向けたその瞬間、縛られ、マスクをかぶせられてまともに身動きも取れないだろう彼女が、それでも必死に身を起こして静の方へ向けて何かを叫んだ。
『う、ぅううぅうッ――!!』
マスクに阻まれてくぐもったような声。恐らくは猿ぐつわか何かをかまされているのだろう、言葉にならないメッセージ。
しかし妙に響くその声に言いしれない危機感を感じて、静が再び周囲へと注意を向けて――。
(あれは――)
囚人と看守、そして静が乱戦を繰り広げる場所から最も離れたそんな位置で、一人の囚人が周辺の風景を揺らめかせるようにして姿を現す。
否、手枷をはめられて拘束されているがゆえに囚人と判断していたが、しかしこの敵に関して言うならば、囚人と呼ぶよりももっと適切な呼び名が他にあった。
――すなわち、魔女。
黒い三角帽子に黒いローブというあからさまな姿で、しかし魔女狩りにでもあったのか、手枷をはめられたそんな敵が、拘束されたままのその手をそろえて静たちのいる戦場の中心へと向けていた。
(いけない――!!)
危険を感じ、静がとっさにその場を飛び出したのとまったく同時に。
囚人と看守、処刑人とプレイヤーが入り乱れる戦場を、黒い嵐のような魔女の一撃が飲み込んだ。
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