83:強行追撃

 扉が閉ざされ、ハイツ・ビゾンの姿が地下鉄駅のホームという空間から消える。

 人質なのか、捕虜なのか。鎖で繋がれ、囚われ抱えられたままの少女と共に。


(――逃げられた。いや、今ならまだ追えるか? けど、これ以上は静が)


 焦る思考で考えながら、とりあえず竜昇はあの扉が開くのかどうかをまず確かめることにする。

 どのみち追跡するにしても、あの扉が開くかどうかを確かめないことにはどうしようもない。

 あの扉がこのビルの側の人間であるハイツだったからこそ開けることのできた管理者用の出入り口なのか、あるいは竜昇たち同様、ボスを倒すことで開かれていた出入口だったのかは不明だが、どのみちハイツを追跡しようと思ったらどこかの階段から下の階層に下りるしかないのだ。


 と、そこまで考えた時に竜昇はふと気付く。


 あの扉がもしも管理者用の通用口などではなく、ボスを倒すことでのみ開かれる階段の出入口だったとして、では扉が閉まった今、果たしてボスは出てくるのだろうかと。


 頭をよぎる重大な疑問。その回答は、直後に竜昇の視線の先に最悪の形で現れた。


「あれは――!!」


 扉の直前、それまで何もいなかったはずの空間に、まるで上から降りて来たかのように赤い核が現れ、それがみるみる黒い煙状の魔力を纏って人間大の体を形成していく。

 その現象が始まってから、終わるまでの時間はわずか数秒。

 たったそれだけの時間で、頭部に赤い核を持ち、黒っぽい制服の様なものを纏って帽子をかぶった、一体の敵(エネミー)がホームの中に現れた。


(あれは、駅員か――!?)


 思い、瞬時に臨戦態勢を整えようとした竜昇だったが、行動を起こすのは駅員の方が早かった。


 右手を持ち上げ、首から下げたホイッスルを瞬時に手に取ると、それを口が無いはずの顔に当てて甲高い音を吹き鳴らす。


「なッ――!!」


 驚き、しかしその行為の意味はすぐに竜昇にも理解できた。

 ホームの脇の線路、その先の暗闇と、そして恐らくは背後からも同じように、灯りと共に『ガタゴト』という音が連続で聞こえてきて、長く巨大な鉄の塊がホームへと侵入してきたからだ。


(これは、電車――!?)


 駅員へと向かって走り出していた竜昇は、自身の両側を前後から通り過ぎるその鉄の塊に視線をやって、瞬時にその正体を理解する。

 竜昇自身何度も利用し何度も見て来た、地下鉄というこの環境にはこれ以上ないほど相応しい十両編成の車両。

 直接的な攻撃という訳でもない、そんな電車の中へと視線をやって、その瞬間、竜昇は自分が陥る状況を理解して言葉を失うこととなった。


「――ッ!!」


 乗っている。電車の中に大量のエネミーが。

 くたびれたサラリーマンが、制服姿の女子高生が、ベビーカーを押した母親が、杖を突いた老人が、ランドセルを背負った小学生の集団が、ビジネススーツのOLが。

 老若男女、様々な姿の乗客たちが、剣や槍、本や杖などの武装を携えて、駅で電車が止まって、自分たちが下りられるようになるのを今か今かと待っている。


 その光景に、ようやく竜昇は理解する。

 この階層、上の階のあの広い地下街に、一体も敵がいなかったその理由を。


(ここで初めて、敵が出てくるってのか――!!)


 この階層は敵を掻い潜ってボスへとたどり着くという、これまでと同じ流れの階層ではない。

 ボス部屋とも言うべきホームへとたどり着いたその瞬間、大量の敵が電車の到着によってあふれ出し、そうして出現した敵を迎撃、突破してボスを倒さねばならない、そういう階層なのだ。

 そう考えれば、上にあったあの広い地下街にもどこか納得がいく。

 あの地下街は、上へと追われたプレイヤーがこれまでの階層と同じように敵の分散を待って戦うためのバトルフィールドだったのだ。


(――っ、まずいぞこの数ッ!! とても俺一人じゃ捌ききれない。いや、たとえ一人でなくてもこの数は無理だ。けど今からじゃ階段まで戻る前に電車が到着して扉が開く。そうなったらこの数の敵に囲まれてとても逃げきれない――!!)


 なまじホームの半ばくらいまで進んでしまっていたのがここにきて仇となった。

 本来ならばホームに入った時点でボスが現れるため、電車でやってきた敵を見て上の階に撤退するという手も取れたのかもしれないが、しかし今の竜昇はハイツを追って階段からかなり離れたところまで踏み込んでしまっている。

 あるいはボスを倒せばこの周りの敵達も消えるのではないかとも考えたが、これまでの経験から来る感ではその可能性も相当に低く思える。恐らくこの周囲の敵達は、たとえあのボスである駅員を倒したところで消えたり止まったりはしてくれまい。


(どうする――!?)


 思い、迷う間にも電車が速度を落とす。

 扉が開き、大量の敵が押し寄せるその瞬間が、刻一刻と迫っている事実に、竜昇が自身の頬に冷や汗が滴るのを感じた、ちょうどそのとき――。


「竜昇さん――!!」


 背後で声がして、上の階に置いてきていた静が勢いこんでホームへと駆け込んできた。

 見れば、その背後にはどうやら意識を回復したらしい、最初にハイツに倒されていた、あの大柄な男性もその手を引かれる形で走っている。


 二人が追いついてきた。その事実を、数秒後には大量の敵が押し寄せるホームの中で受け止めて、次の瞬間――。


「そのまま走れぇッ――!!」


 瞬間的な判断で、迷わず竜昇はそう叫んでいた。


「全速力で、あの扉までッ!!」


 竜昇自身も再び走り出しながら、そんな言葉と共にホームの先にある扉を指し示す。

 どうやらそれだけで、背後の二人は状況と竜昇の意図を察したらしい。静はともかく、出会ってまだ会話すら交わしていない男性の方がこちらの指示に従ってくれたのは少々意外ではあったが、どうやらその表情から見るに攫われた少女の行方を、今のこの状況から察してくれたようだった。


 ならば、今竜昇がするべきことは背後の二人にこれ以上言葉をかけることではない。

 向かう先の扉はすでに一度閉ざされている。となれば、今度は扉を開けるそのために、鍵となる眼の前のボスをすぐさま撃破することだ。

 そう両側の電車、その中の大量の敵達がホームに降り立つその前に――。


「――お前がたった一人になっている、今、すぐに――!!」


 右手を構え、そこに身の内から迸る魔力を込める。


「【雷撃ショックボルト】――!!」


 差し向けた右手の先から、最速の電撃が駅員目がけて襲い掛かる。

 ホームの半ばまで侵入した状態でボスが現れたため、敵は既に竜昇の魔法の射程圏内だ。ほぼ一瞬で発動できるようになった電撃に駅員が反応し、自身を守るべく両腕を交差し、同時に竜昇もよく知る半透明のシールドが駅員の体を包み込む。


(やはり時間稼ぎの防御型か。まあ、この周辺環境だとむしろそれが一番恐ろしいからな――!!)


 これまでの敵は、とりわけボスとして配置されていた敵は単体で強力な戦闘能力を持つ相手が多かったが、竜昇は今回のこの敵に関してはその限りではないのではないかと踏んでいた。

 なにしろこの敵は、出現と同時に大量の敵を呼び出すようなボスなのだ。この不問ビルにゲームバランスなどという優しさを期待するのは考えが甘いとしても、せっかく呼び出した敵達を巻き添えにしてしまうような、これまでのボスたちの様な広範囲殲滅性を持つパワフルな攻撃能力は戦術としても少々効率が悪い。


 むしろより恐ろしいのは、ボス本体は防御と逃げに徹して、次々と敵がのる電車を呼び寄せて大量の敵でこちらを圧殺する人海戦術だ。そしてそれを成すとしたならば、ボス自身の戦闘能力は防御と逃走に特化して、自身は戦うことなく生存を優先した方が効率がいい。


 ただしそれは、ホームが敵であふれかえるまでに、こちらが敵に近づけない状況でのみ成立する戦術だ。


「【光芒雷撃レイボルト】――発射ファイアッ!!」


 ぐんぐん距離を詰めながら、竜昇はすでに周囲に発生させていた雷球を次々と敵の展開する防壁へと撃ち込んでいく。

 貫通性能の高さゆえに、生半可な防壁ならば突破できるだけの性能を持つ【光芒雷撃レイボルト】だが、この敵は防御に特化しているせいなのか一発ではなかなか防壁を砕けない。

 それでも、一発二発と連続して撃ち込み続ければ次第にシールド自体にひびが入り、四発目を撃ち込むころには敵の展開したシールドはついに攻撃に耐えかねて砕け散った。


 ただしそれで、相手が諦め、攻撃を受けてくれるかと言えばそうもいかない。


『リルジュ――!!』


 竜昇が五発目の光条を撃ち込むと同時に、ひたすら守りに徹する駅員がさらなるシールドを展開する。

 続く六発目で、今度はあっさりとその表面にひびが入った。どうやら連続起動したシールド故に、強度は先ほどのそれより数段劣るらしい。


「【雷撃ショックボルト】――!!」


 すかさず準備していた二発目の電撃を撃ち放ち、すでに限界を迎えていた敵のシールドを強引な連続攻撃で打ち破る。

 続けて畳みかけるべく呪符を取り出し、一気に魔力を流し込んで追撃の一撃を叩き込む。


再起動リブート――【雷撃ショックボルト】――!!」


 シールドによる防御を失い、無防備になった敵の体に呪符の電撃が炸裂する。

 黒い煙上の魔力が空気に散って、電撃をもろに喰らった駅員が頭部の赤い核を瞬かせながらぐらりとよろめく。


「とどめだ――、【光芒雷撃レイボルト】――!!」


 突き出した指先に雷球が灯る。

 速さを優先して出現させるのは一発のみ。魔本の力を借り、その一発で正確に相手の核に狙いを付けて、最後の一撃を敵の核目がけて発砲する。


発射ファイア――!!」


 狙いに従い、抵抗の力を失った駅員の核を、放たれた光条が寸分狂わず正確に撃ち抜いた。

 黒い煙の体が解けるように霧散して、同時に進む先にあった扉が微かな金属の音と共にわずかに開く。


 それと同時に響くのは、大量の敵を乗せた電車の扉が開く、『キンコーン』という軽快で、そして開戦を告げる最悪の音。


「竜昇さん、シールド――!!」


 ボスを倒したことで何らかのアイテムがドロップしたはずだが、それを探して回収する余裕もない。

投げかけられた言葉に、竜昇は状況を確認するより先にすぐさま言われた通りシールドを展開する。

 直後に聞こえるのは、風切り音と、防壁の背後に尖ったものが突き刺さる二つの音。

 振り向けば通常のイメージより太く短い矢が二本、シールドの表面に突き刺さっている。

 どうやら電車から降りたばかりのランドセルを背負った二体の小学生、恐らく男子と女子なのだろう、短パンとスカートの差異がある小柄な制服のエネミー達が、その手に持ったクロスボウをこちらに向けて装填された矢を撃ち込んできていた。

 そしてそんな小学生の両側から、薙刀を手にした女子高生と、バトルアックスを担いだホストのような恰好の敵がこちらへと向かって突撃して来る。


「【光芒雷撃レイボルト】――!!」


 魔本の力を借り、すぐさま雷球を周囲に生成して発砲。前面に出ていたホストと、その後ろにいた女子小学生の核を性格に撃ち抜いて、回避しようとした女子高生の左足と、ホストの影に隠れていた男子小学生のクロスボウを貫いて無力化することに成功した。


 と、そう思った次の瞬間、展開したままだったシールドが激しい衝撃音とともに粉砕される。

 見れば、直前に攻撃を受けたのとは反対側、もう一方の車両から降りて来た老婆の敵が、ついていた杖の先に空気の塊を生成して、再度こちらに撃ち込もうとしているところだった。


「――ッ、【雷撃ショックボルト】――!!」


 すぐさまその場を飛び退きつつ電撃の魔法で応戦する。

 背後の扉は既に空いている以上、竜昇に限って言うならばもうその扉に飛び込み、あの暗闇の空間に逃げ込んでしまっても問題はない。

 この敵達がどこまで追って来るかは定かではないが、流石に扉を閉めてしまえばボスを倒さねば開かない扉の性質上、それ以上追いかけては来ないだろう。


 ただしそれをやってしまえば、挟撃を受けながらも必死でこちらに走ってきている静ともう一人の男性をこの場に置いていくことになる。


「そう言うわけにはいかねぇんだよ、【光芒雷撃レイボルト】――!!」


 再び雷球を六発にまで戻し、扉へ目がけて走りながら、竜昇はすぐさま魔本に込めておいた魔力を意思一つで引きずり出す。

 幸い、ハイツを追跡するかたわらで魔本に溜めておいた魔力が今はまだそのまま残っている。後は術式によって魔法へと昇華させてやれば、大規模な魔法を撃つのにもそれほどの支障は、ない。


「【迅雷撃フィアボルト】――!!」


 扉の前へとたどり着き、同時に竜昇は魔本の中の魔力を自身のそれと合わせて、特大の電撃を撃ち放つ。

 ただし狙うのは敵ではなく、眼の前に集めた六つの雷球。

 拳大の雷球が特大の電撃を吸収して一気に膨れ上がり、六方の敵を粉砕する雷の砲撃へと姿を変える。


「【六亡迅雷撃ヘクサ・フィアボルト】――!!」


 ホーム中央を走る二人を避けるように、その両側に放たれた六つの電撃が二人を挟み討とうと突撃しようとしていた敵の群れを薙ぎ払う。

 六つの電撃の内、一つは乳母車を押した母親が赤ん坊を投げつけ、その赤ん坊が強力な防壁を展開したことで防がれてしまったが、残る五つの電撃は静達に襲い掛かろうとしていた敵達に着実にダメージを与えていた。


 電撃にもろに飲み込まれて消滅するもの、消滅は避けられたものの、相応のダメージを受けて行動不能になる物、武器や体の一部を欠損し、同じく戦闘不能になるものなどその被害は様々だが、間違いなく二人に迫っていた脅威は確実にその数を半減させられた。

 とは言え、いかに数が減ったとしても敵の数はそもそも膨大だ。

 先の竜昇の攻撃とて防がれた個所があった以上、その攻撃によって守られた集団は当然のように存在している。そして、そうして生き残った敵達は当然のように扉の前に陣取る竜昇を、そして走る静たちめがけて攻撃を仕掛けてくる。


「【突風斬】――!!」


 自身の左手、行く手を阻むべく盾と剣を構えて突っ込んできた男子高校生目がけて、静が小太刀を振るって相手に盾で防御させ、同時に発動させた暴風の魔力で男子高校生を背後にいた他の敵達の元へと吹き飛ばす。


 同時に、その後ろを走る男性が、恐らく防壁系の魔法なのだろう、巨大な円形状の盾を背後に生成して追撃して来る敵の進路を阻み、続けてそれより小さい、人間が装備できるサイズのバックラーのような盾を手元に生成、直後に逆側から突っ込んできていたランスを持ったOLの顔面目がけてその盾を砲弾のように撃ち込んでいた。


(あと三十メートル――!!)


 しぶとく防壁を展開する赤子に電撃を叩き込みながら、竜昇は走る二人の残りの距離にあたりを付けて稼ぐべき時間を計算する。


 押し寄せる敵をどうにか牽制し、時間を稼いではいるが、二人がこちらに到着するまで持ちこたえられるかはまさしくギリギリの状況だ。

 誰かが一手ミスしただけで崩れかねない綱渡りのような強行突破。

 それでも、どうにか間に合うかとそう思いかけたその瞬間、まるで竜昇のそんな思考を許さぬとでもいうように敵からの一石が、否、一岩が投じられる。


 弧を描くように山なりに打ち上げられたのは、自動車一台分はあるだろう巨大な岩の塊。

 恐らく魔法によって作られ、投じられたのだろう巨岩が、地下にしては高い天井をかすめて静と男性が走る進路上に、二人を押しつぶすようにして降って来る。

 否、この距離では恐らく、着弾すれば竜昇とて無事では済むまい。それどころか岩石に寄って背後にある扉すら埋まって、逃げ道を塞がれてしまう可能性すらある。


 着弾すれば全滅は必至。ならば竜昇がとるべきは、相手の攻撃そのものを着弾させない、そんな手段だけだ。


「集中――!!」


 右手を掲げ、即座に周囲に展開していた六発の雷球を一つに集める。

 同時に、この階層に来てから何度発動したかもわからない【増幅思考シンキングブースト】を発動させて、高速で組み立てた術式によってとっさに発動できる最大の火力を撃ち出した。


「【六亡迅雷砲ヘクサ・カノンボルト】――!!」


 発動した【迅雷撃】が目の前の巨大雷球に吸収され、一点特化の貫通性能を得た極大電撃がこちらへと落ちてくる岩石を正面から撃ち抜き、粉砕する。


(――ぐ、ぅ……!!)


 攻撃を放った直後、竜昇の視界が『ぐにゃり』と歪み、同時に足元の感覚が一瞬失われてわずかによろめく。

 すぐさま体勢を立て直したが、頭の働きがどうにも鈍い。

 魔力切れの感覚とも違う、思考に霞がかかったような嫌な感覚。その原因には、幸いなことに竜昇自身すぐに思い当った。


(【増幅思考シンキングブースト】を使いすぎたか……)


とっさに右手で頭を押さえながら、竜昇は左手の本に一瞬だけ視線を送る。

 とは言え、そんな思考はほんの一瞬ですぐさま切り替えた。

 今は多少無理をしてでも、眼の前のこの状況を切り抜けるよりほかにない。


「――【鉄壁大盾ランパートシールド】」


 見れば、静たち二人は、すでに扉の十メートル先まで走り、たどり着いていた。

 後ろを走る男性が恐らくは防御系の魔法なのだろう、先ほども敵の追撃を阻むのに使っていた巨大な円形盾を空中に展開して降り注ぐ岩の破片を防御する。


「――竜昇さん!!」


 と、見つめる先で一瞬視線を横へと走らせた静が、なにかを察知したように声をあげる。

 つられてそちらへと視線を送れば、先ほど竜昇が【光芒雷撃】を撃ち込んで武器を破壊した男子小学生の敵が、同じく攻撃によって消滅した女子小学生の持っていたクロスボウを拾い上げてこちらに狙いを付けているところだった。


(ま、ずい、反撃、いや、シールドを――!!)


 思い、とっさにシールドを展開しようとするが、魔本の使い過ぎで鈍った思考ではそれに間に合わない。

 うまく働かない思考が矢の発射をその目に捕らえ、放たれる矢が自身の心臓に狙いを付けて飛んでくるのを漠然と受け止めようとしていたその時――。


「【纏力スキル】、七の型――」


 凛とした、目前にまで迫っていた少女の声が耳へと届いた。


「――【瞬纏】」


 瞬間、静と、静に腕を掴まれていた男性の体が一瞬にして緑色のオーラに包まれて、走る二人の速度が一気に加速して、先行する静が竜昇の目の前までやって来る。


「――お待たせしました、竜昇さん」


 飛んできたクロスボウの矢を十手で叩き落とし、静が頼もしい声で竜昇にそう声をかける。

 【纏力スキル】の【七の型・瞬纏】。それは先ほど、あのハイツが戦闘中に使っていた三種のオーラの、そのうち竜昇が知らなかった動作加速のオーラだ。

 どうやら静は、一度見せられた技を元に、【纏力スキル】の知識の中からそれを使うための情報を引っ張り出してきたらしい。

 竜昇がそう理解するのと同時に、同じく加速のオーラを纏いながらも一歩遅れて追いついてきた男性が足元のおぼつかなくなっていた竜昇の体をあっさりと担ぎ上げる。


「おいおまえッ、この先でいいんだな――!?」


 確認の言葉に竜昇がうなずくのが果たしてどっちが早かったのか。

 既に開いて、いつでも飛び込めるようにしていた扉に静と男性が飛び込んで、同時に男性が空いた手で扉のノブを掴んで乱暴にホームと階段の空間のつながりを断絶する。

 飛び込む瞬間、背後の駅のホームで魔法なのかそのほかの飛び道具なのか、大量の攻撃らしきものが輝いていたが、閉ざされた扉にはそれらが着弾する衝撃すら届かなかった。

 閉じた扉が攻撃の音すら拒絶して、下へと続く闇の空間が竜昇たちの視界の全てとなった。






「ハァ……、ハァ……、ハァ……!!」


 光り輝く足元の階段を、二人に続く形で駆け下りる。

 かつてこれほどの速度で、この階段を下りたことなど今までになかっただろう。

 実際これまでは、この階段はとりあえずの安全地帯として休息と次の階層攻略の準備として使われており、この階段空間に入って少しの休みも入れずに全速力で下へと向かうことなどこれまでになかったことだ。


 しかし今は、そんな安全地帯での休息を度外視してでも、追わなければいけない相手がいる。

 そして目の前、先頭を走る男性には、取り戻さなければならない者がいる。


「出口だ――!!」


 ほとんど安全確認などすることもなく、体当たりするように先頭の男が扉を開ける。

 それに続いて静と竜昇が次なる階層へと飛び込んで、すぐさま周囲を見渡してその環境と、自分たちが追っている相手の、その居場所を視線で探す。


 広がっていたのは、やたらと真っ白な、けれどどこか薄暗いだだっ広い空間。

 ただしそこには竜昇たちが探すハイツの姿も、そしてそのハイツによって連れ去られた少女の姿もありはしなかった。


「……どこに、も、……ッ」


 こぼれる言葉。息を切らした竜昇がやたらと白い床に膝をつくと同時に、男性の慟哭が広い空間へと木霊する。


「ちくしょぉぉぉおおおおッッッ!!」


 見失った手掛かりはあまりに大きく、奪われた相手に替えは効かない。


 この時、竜昇たちとまだ名も知らぬ一人の男は、自分たちが重要なものを取り逃がしてしまったことを同時に理解した。

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