77:純粋なる戦士
人間を相手に戦う羽目になる。
その可能性を、実のところ竜昇も全く考えていなかったというわけではない。
というよりも、むしろ竜昇はその可能性をこの不問ビルに入った当初から念頭に置いていた。
最初に武器を選ばされたあの段階でも、対戦相手が敵(エネミー)のような超常の存在ではなく同じ人間である可能性の方を考えていたし、先の学校の購買で他にもプレイヤーが侵入していることがはっきりしたときも、ともすれば何らかの理由、例えばドロップアイテムの奪い合いや互いの方針の違いなどで、ある種サバイバル物でありがちなプレイヤー同士の衝突が起きる可能性というものも考えていた。
そう、考えてはいたのだ。
だからこそ予想外だった。
このビルに入って、静以外に最初に会った人間たちがすでに殺し合いを始めていたことはともかく、その一方が明らかに普通のプレイヤーでない、言葉すら通じない何者かであることは。
「…………これは、いったいどういう状況だ?」
竜昇と静、そしてハイツと呼ばれたその男がにらみ合う極限の緊張状態の中、竜昇は頬を滴る冷や汗を感じながら思わずそんな言葉を口にする。
左手に握る手帳大の魔本は、すでにその効果を発揮して竜昇の思考を補助し続けている。おかげで状況に混乱して我を失うことは避けられた形だが、しかし竜昇の内心で荒れ狂う感情はそんなものでもなければとても竜昇自身に冷静な思考など許さない状況だった。
意識して、一度だけ息を吐く。
目の前の相手、件のメッセージが正しければハイツというらしいその男に向ける意識を絶やさないようにしながら、竜昇は素早く他の二人、ハイツの足元に倒れる男性と、壁面につながれた少女の二人へと視線をやって、その二人から読み取れる情報を短時間のうちに素早く収集する。
(この二人、制服やワイシャツの上に直接鎧やローブを装備してる……。倒れてる男の方は体格がいいからわからないけど、女の子の方は見るからに戦ってることの方が異常な、そこら辺の中学生って感じだ……。やっぱりこの二人、俺達と同じプレイヤーなのか?)
頭から血を流して倒れる男性の方はその外見ゆえにそうとも言い切れない所があるが、壁に鎖でつながれた少女がこんなビルにいるべきでない一般人であることは見た目からも明らかだ。普段着にありあわせのものをプラスしたような装備の点から見ても、この二人が竜昇たちと同じプレイヤーである可能性は相当に高いだろう。
対して、問題の男、ハイツの方に関してはそうと言い切れない。写真を見た時から感じていた装備の充実と統一感。そして何より、実際に対面して感じるその雰囲気は、明らかに準備を整え、自分の意思でこの場に立っていることをうかがわせるものである。
――否。実のところそんな観察から来る根拠などほとんど後付に近かった。
実際には竜昇自身、この男を見た時から感じていたのだ。論理や根拠など抜きに、本能や直感とでも呼ぶべき何かで、この男が危険な、そして倒さねばならない敵なのだということを。
あるいは竜昇の感じるその確信が、敵意という形で相手にも伝わったのかもしれない。
怪訝そうな表情で、じっとこちらを睨んでいたハイツが、目にも止まらぬ速さで武器を振るい、その石突で床のタイルを三か所打ち付けたのはその直後のことだった。
「――アウル・グスタ・ロウディア――!!」
「――竜昇さん、散開――!!」
「――っ!!」
言われた瞬間、ハイツが石突で叩いたタイルの三か所に一斉に魔法陣が展開され、そこから先端に杭のついた鎖が上空目がけて射出されて、地下空間にしてはやや高めの天井をかすめるようにして山なりに竜昇たちの元へと落ちてくる。
静の使う【鋼纏】の魔力にも似た、鈍い鉄色の魔力で形成された半透明の鎖。
よく見れば少女を壁につないでいるものとまったく同じそんな鎖が、竜昇たちが左右に分かれたことで狙いを外して、床のタイルをその先端の杭で貫き穿った。
「――くぅッ!!」
「竜昇さん、交戦します――!!」
静の宣言には、竜昇自身異論はなかった。
すでに敵の攻撃を引き金に戦端は開かれた。敵の狙いは一切わからないままだが、このまま状況の観察に甘んじていては間違いなく命を取られる。
なにしろこの敵は、すでに竜昇たちよりも先にこの場にいたのだろう二人のプレイヤーを、一人で戦闘不能の状態にまで追い込んでいるのだから。
「【
走りながら、周囲に追従させていた雷球を四つまで同時に発射する。
先の攻撃で静と左右に分断されてしまった形だが、それならば魔法と近接戦で両側から迎え撃つだけの話だ。
相手が竜昇の攻撃を回避するにせよ防御するにせよ、とにかく隙を作れればいいとばかりに発射した雷の光条は、しかし再び武器突き出し、床を三度叩いただけのそんなアクションであっさり対応されてしまった。
「アウル・ハウル・ロウディア――!!」
再び魔法の鎖が展開される。
今度は床の三点の他にも天井、付近の柱、そして近くにあった自動販売機の中央にも同じ魔方陣が現れて、それら三か所と床の三点を半透明の鎖がつなぎ合わせる。
竜昇の攻撃、雷球四発分の光条が激突したのは、まさにその三本の鎖のラインのその途中だった。
四発の光条は寸分たがわず三本の鎖のそのどれかに激突し、金属のそれを貫通することもできずにあっさりとその攻撃を阻まれてしまったのである。
「な、んだ、そりゃ……!!」
竜昇の攻撃をただの一瞥で見切って、その攻撃の進行方向上に線の防壁である鎖を配置するというとんでもない判断能力。単純に自分から離れた天井や柱などに魔法陣を出現させたその魔法。そして出現した鎖が、貫通性能を持つはずの【光芒雷撃】の光条でも破壊できない強度だったことなど、たった一度の攻防で見せつけられたその実力は、竜昇の当初の想定をはるかに超えるものだった。
そしてその驚きは、未だこの段階だけでは終わらない。
「【
鎖による防御を展開し、振り返ったハイツ目がけて、静が歩法スキルを用いて一気に肉薄する。
本来ならばハイツが竜昇の魔法に対処している隙に背後から奇襲をかけるはずだったが、ハイツが一瞬で対処を終えてしまったために成立する運びとなってしまった正面対決。双方が激突するその瞬間、竜昇はとっさに左手の魔本から一つの機能を呼び起こしていた。
(――【
その瞬間、特に危機的状況にあったわけでもないにもかかわらず、竜昇が【
強いて後からその理由を見つけるとするなら、この二人が激突するその瞬間を、決して見逃してはいけないと感じたからである。
「――ベルツ、フォルツ、ディフィア――!!」
相変わらず意味のつかめない、三つの言葉を唱えるとともに、ハイツの方もその全身と武器に三つのオーラをほぼ同時に発現させる。
そのことに驚く暇は静にも思考加速している竜昇にさえも存在していなかった。
両者の武器が激しい音と共に激突する。
静の武器、【始祖の石刃】から変化した【加重の小太刀】はすでにその効果を最大限にまで発動済みだ。
振り下ろす動きだからこそ成立する、すでに静では持つこともできない重さとなって叩きつけられた一撃は、しかし激突したその瞬間、武器を構えたハイツによって間違いなく受け止められていた。
否、受け止めたのは何も、加重の効果に任せた小太刀による物理攻撃だけではない。
この階層に突入する以前に、竜昇はあの階段空間の中で静の武器に一通り【
つまり、あの敵の体には静の攻撃を受け止めると同時に【
(やっぱり、あいつがさっき発動させたのは【纏力スキル】の――!!)
先ほど敵が一瞬のうちに発現させた三つのオーラ。そのうちの一つが静も現在使用している【甲纏】と同一のものであるとすぐさま理解して、しかし直後に竜昇は自分の考えの甘さに気付かされる羽目になった。
静とハイツ。二人が纏うオーラはともに三つ。
そのうち、静が現在使っているのは身体能力をあげる【剛纏】と防御力をあげ、電撃などからも身を守る【甲纏】、そしてそれらのオーラの気配を敵に察知されないように隠す【隠纏】の三つになる訳だが、よくよく考えてみれば敵が使っているオーラもそれと同じものである保証はどこにもなかったのだ。
というよりも、【
敵から感じる魔力の気配、覚えのあるその感覚でハイツが使う【纏力スキル】のうちの二つが【剛纏】と【甲纏】であることはすぐにわかったが、しかしそもそも魔力の気配を感じるという時点でもう一つのオーラが【隠纏】であるはずがない。
ではいったい、敵が使っているのはどんな効果を持つオーラなのか。
その答えはその直後、明確な形で二人に対して示されることとなった。
(――速い!!)
静の小太刀を弾き返し、瞬時にハイツの姿が後退する静の背後へと回り込む。
いかに【加重の小太刀】の効果が瞬間的であるとは言え、まだ重さが残り、さらには静自身相応の力を込めていただろうそれを腕力だけで弾き返したことにも驚いたが、“あの”静があっさりと後ろを取られたという事態への驚きはそれを上回るものだった。
竜昇の思考が、【
そしてそんな効率的な動きだけでは説明がつかない、まるで一人だけビデオの早回しで動いているようなそんな圧倒的な速さでもってして、ハイツが静の背後へと一瞬で回り込み、直後に背後へと移動したときの運動エネルギーをそのまま足へと乗せて静目がけて回し蹴りを叩き込んだ。
「――ぅ、ぁあッ!!」
直後、振り返る間もなく背後からの蹴りを受けた静が、なす術もなく高々と空中へ打ち上げられて、そのまま竜昇のいる方向へと飛ばされてくる。
「――く、そぉ、嘘だろ――!!」
毒づきながら、竜昇はすぐさま静のフォローに回るべく再出現させておいた雷球を引き連れて前に出る。
静の身は心配していない。【
だが、いかに静の身に被害が無かったとしても、今の状況はこれまでになく深刻だ。
(あの静があっさりとあしらわれた――!!)
単純に静が敵に圧倒される事態というのは、実際のところこれまでにも何度かあった。特に先の学校、そこで遭遇した人体模型などがその典型だったし、博物館の巨大大名や、馬や蛇などの下肢換装能力を持っていた骸骨、不意打ちで静を拘束して見せたトイレの花子さんなどの敵もある意味では静を圧倒していたと言える。
だが今回のそれは、これまでの敵との敗北とは少々状況や条件が違う。
不意打ちや未知の手札によるものでもなければ、大名や骸骨の時のような極端な体格差故のものでもない。
一応【纏力スキル】のものとも思える高速移動のオーラなどは不意打ちと言えるかもしれないが、それ以上に同じ人間に正面から挑んで、技量と単純な能力差で圧倒されたという事実が、この場合は何よりも重要だった。
(この男、俺達とは立っている次元が違う……!!)
魔法が使えるだけでそれ以外が素人な竜昇など比べるまでもない。
スキルを習得した天才とでもいうべき静と比べても、なお力量でそれを凌駕している。
恐らくは才あるものが長い研鑽の末に至ったのであろう、竜昇たちよりも数段上のステージにいる純粋なる戦士。
竜昇がこの相手に対して抱いたのは、スキルの数や相性を超越した、単純に戦う者として格上なのだというそんな印象だった。
「竜昇さん、下がっていてください」
雷球を展開し、戦慄しながら立ち尽くす竜昇に対して、背後から冷静な、しかしそれでも少し調子の違う静の声がする。
直後に、どうにか体勢を立て直したらしい静が、その両腕を纏ったマントの中に隠すようにして隣へと戻ってきた。
その表情に、竜昇のような焦りはない。
だがその顔にあるのは、いつも以上に表情を読むことのできないポーカーフェイスで、それがなおのこと竜昇に事態の深刻さを伝えてきていた。
「まず私が戦います。援護は最低限でかまいません。その分竜昇さんは準備と、分析を」
「分析?」
言われた言葉に、竜昇は思わずその言葉をオウム返しにして問い返す。
とは言え、静の意図は問うまでもなくすでに竜昇自身理解できていた。
「まずは私が相手の手の内を暴きます。互情さんはそこから攻略方法をすくい上げて、対策をお願いします」
「なるほど、責任重大だな」
言いながら、竜昇はチラリと自分の背後、そこに鎖でつながれている中学生くらいの少女にも意識を向ける。
できうることなら、意識が無いとはいえ相当に体に負担がかかりそうなあの中吊り状態からは早めに開放してやりたいところだったが、どうやらこの状況ではしばらくそれは無理なようだった。
同時に、この二人の参戦も期待できないと、冷静で合理的な部分の思考もそう判断する。竜昇としては、二人が目を覚ませばこちらの味方として参戦してくれる可能性は高いと踏んでいたのだが、しかしどうやら二人ともかなりのダメージを負って気絶させられたらしく、少なくともそうすぐには目を覚ませる状態にはないようだった。
腹を括るしかないようだった。この圧倒的に格上の、恐らくは付け焼刃の竜昇とは違う、真正の戦士言ってもいいだろうそんな相手に、たった二人で戦いを挑まなければいけないという、そんな覚悟を。
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