59:人馬一体の敵

(やれやれ、ずいぶんと派手に飛ばされたものです……)


 習ったわけでもない受け身をごく普通に取り、特に支障なく起き上がりながら、静は嘆息と共に即座に周囲の光景を見渡し、自分がいるこの場所の性質をつぶさに把握していた。

右手には受付と思われるカウンターがあり、その向こう側にはいくつもの大鍋が並んだ厨房が広がっている。

 左手を見ればそこには大量のテーブルと椅子が存在していて、昼休みになれば食事を求めて大量の生徒が押し寄せる光景が目に浮かんできそうだった。


(ここは、もしかしてこの場所は食堂“だった”のでしょうか?)


 もっとも、それはこの食堂の状態があくまでも普通であったならの話だ。

 見れば、静のいる左側、そこに広がる食堂は確かにいすや机などが存在しているものの、それがまともに並べられているのはごく一部で、大半のいすや机は滅茶苦茶に散らばり、放り出されて、一部には机そのものが真っ二つに叩き割られていたり、むき出しになった床にクレーターが生じているような光景までが生じていた。


(どういうことでしょう。まだ私たちは暴れまわってはいないはずなのですが……)


 まるで何か巨大な生き物が暴れまわったようなありさま。よく見れば反対側の壁にも、いくつか、それこそ攻撃魔法でも炸裂させたような、そんな焼け焦げたような跡がある。


(いえ、こちらについて考えるのは後ですか)


 とは言え、食堂の惨状について悠長に思考していられる余裕は今の静にはない。

 すでに静をこの食堂の中へと投げ込んだ張本人は、馬の下半身で器用に階段を下りて、手にした鉈を肩に担いで、油断なくこちらを見据えながらこちらへと近づいてきている。

 一瞬、自分が分断された隙に竜昇がやられてしまった可能性が頭をよぎったが、しかし階段の向こうの廊下からは今だ雷光の輝きが断続的に発生していて、竜昇がいまだその場所で使い魔たちを相手に奮戦しているのがうかがえる。

 恐らく、竜昇を自身の使い魔に任せて、本体であるあの骸骨は静の方に狙いを定めてきたのだろう。上の階で遭遇したあの陰陽師の使い魔と違い、今回の雷を纏った死体たちが操作を必要としない、自立駆動可能な使い魔であることは既に判明している。上の階での交戦を見て二人を組んで戦わせるのを危険と見て、分断したうえで各個撃破を狙ってきたというところだろうか。


 そこまで想像をして、すぐさま静は己の思考を切り替える。

 既に分断されてしまった以上、敵の狙いを今さら考えることにあまり意味はない。今自分が考えるべきは、この相手をいかにして倒すかというその算段だ。


(馬の脚のおかげで速度は馬並み……。体重も、骨だけの外見に反して相当な重さがある。正面からぶつかってこられたら、私ではとても受け止められません……。それと、あと警戒するべきは高さ、でしょうか……)


 思ううち、遂に人馬一体の骸骨が階段を下り切って静と同じ食堂の床にその四足を付ける。

 足元の高さが一致して、そうして明らかになるのは、静と骸骨のその背丈の圧倒的な差だ。静自身の身長は同世代の同性の中では平均的で、決して低いとは言えないものだが、しかしそもそも腰から下に馬の体を持つ、いわば騎馬と同等の身長を持つこの骸骨と比べるにはあまりにも分が悪い。

 核を要する頭部の位置は、下手をすると静の身長の倍近い高さである。

何となく、戦国時代の騎馬に対して、歩兵が槍で挑もうとしているような構図を思い浮かべる。武器が無い中、竜昇に無理やり作ってもらった即席の石槍が、今回ばかりはありがたかった。いくらなんでもこんな相手に十手一本で挑むのはさすがに無理がある。


(とは言えあの高さ。核を壊すにはこの槍でもまだ足りませんね。かと言って、無機物の体を持つ敵に胴体への攻撃が効かないのはこれまでの例から見ても明らかですし、となれば私が取れる手段は私自身があの位置まで行くか、投擲スキルで仕留めるか、あるいはあの頭を下げさせるか……)


 冷静に、冷徹に。相手を討ち取る算段を整えながら、静は左手に握る神造物仕込みの石槍へと己の魔力を流し込む。

 同時に発動させるのは、強度的に不安の残る石槍を、それでも実戦に耐えうる強度にするための手持ちの異能。


「――【鋼纏】」


 手にした石槍の表面が鈍色の魔力に覆われて、同時にその表面の質感が金属のものへと変貌する。

 箒の柄の先に石刃をはめ込み、それをガムテープで固定しただけという間に合わせの石槍。作った竜昇をして、強度に不安を抱えていたそんな武器を扱うために静がとった手段は、自身が習得した【鋼纏】を用いての槍全体の補強という単純なものだった。

 木製の柄の部分を全て金属のオーラで補強して、穂先の石刃、それを固定するテープの部分に念入りにオーラを纏わせる。

 これで恐らく、テープでの固定は仮初とは言え鉄板を巻きつけたような、そんな強固なものへと変わったはずだ。ついでに纏わせる金属オーラの量を調整して重心を安定させる。全体的に重くはなったものの、これくらいならば許容範囲と言えるだろう。穂先の石刃にもオーラを纏わせようか迷ったが、今回は石刃部分に関しては【鋼纏】による補強は行わないことにした。もとより切れ味がいいとは言えない石刃だが、【鋼纏】はどうしても刃物の強度こそあげるものの切れ味を落としてしまう性質があるため、これ以上切れ味が落ちるのは望ましくないだろうという判断である。


 右手の十手を腰へと戻す。相手の使う大鉈相手に、十手による防御では意味をなさない。相手との体重差を考えれば、まだしも槍を両手で使った方が立ち回りも優位に行えるだろう。


(――来ますか)


 近づく敵の足が徐々に早まり、次の瞬間には巨大な敵が目の前まで迫り、手にした大鉈が静の細い首を刈り取ろうと振りぬかれる。

 対する静も、おとなしく首を差し出すつもりはない。振りぬかれる鉈の下をくぐるようにして、態勢を低くし距離を詰めると、目の前にある馬の脚目がけて左手の石槍による一閃を叩き込んだ。

 相手の機動力を奪うべく、馬脚の関節部を狙って放った渾身の一撃。まずは相手の態勢を崩そうと狙ったそんな一線は、しかし直後に敵がとった行動によって虚しく空を切った。


(――!!)


 体制を低くした静の視界では一瞬何が起きたのかわからなかったが、しかし次の瞬間には静も何が起きたのかをすぐさま理解する。

 低くなった静の視界には、前足と違ってしっかりと地面を踏みしめた、馬の後ろ足がしっかりと映っている。となれば、恐らく今この敵は前足を浮かせて後ろ足だけで立ち上がっているのだろう。まともな騎馬なら乗り手が馬から振り落とされかねない行為だったが、しかし人馬一体のこの敵ならばそんな心配は有り得ない。それどころか、地面すれすれを走る静に対して、持ち上げられた前足がその背を踏みつけようと降って来る。


 実際、一瞬早く静が斜め前へと飛び退かなければ、振ってきた馬の脚によって静の背骨は粉々に砕かれていた。

 ズドン、という派手な音が響いて馬脚が食堂の床を踏み鳴らし、同時に静が床を転がるようにして距離を取り、すぐさま体勢を立て直して床を蹴り、目の前の騎馬へとその背後から斬りかかる。

 槍を右手に持ち替え、再び放たれる石槍による一閃。刃の鈍さゆえに、斬るというよりは打撃に近い攻撃だったが、それでも今度こそ後ろ足を砕かんと放ったその攻撃は、またしてもその後ろ脚が消失したことで空を切ることとなった。


(――なんとまあ)


 放った攻撃、それに対する敵の対処法を目の当たりにして、思わず静は心の中で感嘆の声を漏らす。

 馬の後ろ足に静の攻撃が炸裂する寸前、骸骨は自身の下半身となっている馬の体を即座に消失させると、元の足の無い骸骨へと戻って自身の体を前へと投げ出し、右手で鉈を握ったまま左腕一本で落下の衝撃を受け止め、着地していたのだ。

 ほとんど曲芸のような芸当に内心で舌を巻く静だったが、敵の動きはそれだけでは止まらない。

 骸骨の腹、そこに収められた馬の頭蓋骨の付近でもう一つ別の何かが輝いて、次の瞬間には骸骨の腰部分に、まったく別の下半身が現れた。


「――!?」


 見れば、目の前の骸骨の下半身が、先ほどまでの馬のそれからまるで蛇のような長くのたくった形へと変貌していた。

 その有様は、竜昇などが見ればさながら『ナ―ガ』のようだと、そう評していただろう。上半身が人間で、下半身が蛇という空想上の怪物、今目の前にいる骸骨の体は、先ほどの馬と同様、自身の使い魔と合体したことでその『ナ―ガ』そのものと言っていい体構造となっていた。

 そして当然、体構造が変われば、その体で行われる動きも大きく変わる。まるで地を這うような、あまりにも低い位置を走る不自然な動き。

 そこから繰り出される、下から救い上げるような鉈の斬撃が、とっさに石槍を構えた静の防御に真正面から直撃する。


「――ッ、ぅ――」


 腕に走る痺れるような感覚。同時に、またも静の両脚が床を掴み損ね、下から押し上げる骸骨の動きに持ち上げられるようにして再び宙に浮く。


 身に襲い来るふたたびの浮遊感。

 そして身動きの取れない空中に投げ出された静を、目の前の敵が見逃すはずがない。


 再び骸骨の下半身の形が変わり、その形態が蛇のそれから先ほどと同じ馬へと変わる。

 変貌した下半身の調子を確かめるように一度だけ前足を浮かせて空を掻き、再びその四肢が大地を踏みしめた次の瞬間にはどうにか着地しようとする静の元へと再びの突撃を開始する。


(まずいですね。力で押し切られる――!!)


 床上に降り立つまでの落下の時間をもどかしく感じながら、それでも突撃して来る人馬の攻撃に備えるべく静は空中で石槍を構える。

 すでに幾度も敵の攻撃にさらされたことで、この敵の攻撃がまともに受け止められるものではないことは十分すぎるほど理解している。

 ならば攻撃はどうにかして回避するか、あるいは武器で受けるにしても受け止めずに受け流す形にするべきだろうと、そんな判断と共に着地を決めた静は、しかし次の瞬間に敵が起こした予想外の行動に再び不意を討たれることとなった。


 目の前で、直前まで真っ直ぐにこちらへと突っ込んできていた人馬が飛び上がる。

 後ろ足で床を蹴りつけ、その四肢による驚異的なジャンプを繰り出して、その鉈による一撃に備えて身構えていた静の、その頭上を飛び越える。


(――まずい)


 思い、静が振り向いた時にはもう遅かった。

 静を飛び越え、その背後へと着地した人馬の敵が、その背中をこちらに向けたまま、馬のたくましい後ろ足を二本同時に叩き込む。

 前足二本を軸にして、後ろ足で同時に繰り出す強烈な後ろ蹴り。

 その激烈な馬力が振り向いた直後の静に容赦なく炸裂し、軽い少女の体を背後にあった厨房目がけて容赦なく蹴り入れた。

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