第44話
上人が石津へ戻ったのと同じ頃。
言仁は八咫鏡を使い、桑名で待つ童へ連絡を入れた。
幼馴染みがどうなるかと気をもんでいた童だが、
幼馴染みがすっかり元通りになり、赤児も無事に生まれるという様な、手放しで喜べる様な物ではなかったのだ。
「それしか、手はないんですか……」
「唯一にして、最善の手法と思うね」
戸惑いながら尋ねる童に、言仁はきっぱりと言い切る。双方を助けるならば、他に考えつく手段が無いのは確かなのだ。
童は、しばし無言でうつむいたまま、考え込む。
言仁の示した施術が、本当に、幼馴染みや赤児の為になるのか……
自ら望んだことだとはいえ、世の
言仁は、鏡の向こう側の童が悩む様子を、静かに見守っていた。
* * *
「……解りました……」
半刻 ※約一時間 の後、童は答えを出した。
「良いのだね?」
「姉ちゃんと腹の子が、どんな形でも助かるんなら…… 御任せします」
「では、その様に計らうよ」
童の決意に、言仁は微笑んで応えた。元より、解っていた答えである。
「それで…… どの位かかるんですか?」
「およそ三年、かな」
「そうですか……」
三年という期間は、決して短くはない。童は思わず、口から溜息を漏らしてしまう。
その様子に言仁は、暖かい眼差しで声を掛けた。
「一人前の漢として大切な人を迎えられる様、己を磨くには丁度良い頃合いと思うよ」
「は、はいっ!」
励ましを受け、慌てて姿勢を正す童の姿に、言仁は〝兄代わり〟として満足げだ。
だが、童にはもう一つ伝えねばならない事がある。
「それと。君の実の母君の事だけれども……」
「何か、解ったんですか?」
言仁は、上人から聞き取った、童の生母について解っている事を語った。
元々は北方の地・蝦夷に住んでいた部族だったという。
その一部が、源平の乱に勝利したものの、源氏の長たる異母兄に疎まれて失脚し、匿われていた奥州からも落ち延びて蝦夷へと渡った武将・源義経に臣従し、共に
義経は
元寇は失敗し、人狼兵も悉く討ち死に、あるいは自害したが、ただ一人の女兵が捕らえられ、珍しさから助命され、鎌倉へ護送される事になった。
女兵は隙を見て逃走し、美州の山中へ潜んで数年の間、近隣を荒らしたという。
これを、討伐を依頼された高野山の僧が捕らえ、石室に封じたというのが、事のあらましだった。
「そんな事が……」
「元寇で捕らえた敵兵を取り調べて聞き出した事が、幕府から、人狼を封じた高野山にも伝えられてね。上人殿が子細を知っていたのは、そういう訳なのだよ」
経緯を聞き終えた童は、しばし呆然としていたが、頭の中で話が整理されると、一つの不安が持ち上がった。
「でも、それが本当なら、俺の本当のおっ母さんは、
源義経は、源平の乱で軍勢を率いて平家を滅亡に追いやった、いわば最大の仇だ。
その家臣の息子である自分は、言仁の側に仕えていても良い物だろうか。
「いや、蝦夷の人狼が義経に従ったのは、源平の乱の後の話だよ。それに元寇は、源氏が開いた鎌倉幕府との戦だから、私や平家にしてみれば、仇同士で争ったという訳だね。どの道、君には何の責もないから、安心したまえよ」
「良かった……」
言仁の言葉に、童は胸をなで下ろした。
「そういう訳で、美州の辺りに他の人狼はいないと思われるから、探索の方は引きあげさせたよ。蝦夷や
「それは、残念です」
童は答えに反し、内心ではそれで良いと思っていた。新たな人狼が見つかったとして、皇国へ好意的とは限らない。だが、闘う様な事にはなって欲しくないのだ。
「さて、私は答志島に今しばらく逗留するけれども。そちらにいる人狼の姉上達から、よく学んでおいて欲しいね」
「はい。精進致します!」
童が声を張り上げると、言仁は頷いて通信を切った。
「終わりましたか」
童が背後からの声に振り向くと、指導役として同居している人狼の学徒の一人と共に、巫女装束を纏った、齢三十程の女性がいた。
巫女姿なので宮中の女官と思われるが、童には見覚えがない。肌の色からすると和国の民に見えるので、新たに登用されたのだろうか。
「あの、そちらの方は?」
「これは申し遅れました。平家の家長を務めております、時子と申します。侍従見習殿、どうかお見知りおき下さいませ」
「!」
驚く童に、時子は深々と頭を下げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます