第42話

 言仁が普蘭プーランの元へ向かい、二刻 ※四時間 程経った後。

 計都ケートゥの屋敷に運び込まれ、奥の間に寝かされていた上人が、ようやく目を覚ました。


「お目覚めですわね」

「う、うむ…… ここは?」


 読書をしつつ、枕元で見守っていた計都ケートゥが声をかけると、上人は起き上がり、辺りを見回した。

 閉じ込められた玄室から再び移された様だと、彼は理解した。


「小生の屋敷に戻って来ましたわ。活仏の深淵を迂闊に覗く物ですから、貴方は心を奪われていましたのよ」

「こ、心を……であるか……」


 はっきりしない頭で、上人はうめく様につぶやく。


「活仏のせいではありませんわ。あれが自ら封じていた力を、貴方が無理にこじ開けたのですもの。迂闊でしたわね」

「あれが、安徳帝の力であるか……」


 活仏と称するだけの事があるのは、上人にも実感出来た。

 夢うつつの内に、問われるままに高野山の内情を話してしまった事も思い出したが、あの力を前には、とてもかなう筈が無い。


「ええ。でも、あれだけではありませんの。面白い物をお見せしますわね」


 計都ケートゥが指を弾くと、壁に掛けられた八咫鏡から光が伸びて、襖に幻灯が映し出される。

 そこには、裸身で絡み合う、言仁と普蘭プーランの姿があった。

 座した言仁の上から、普蘭プーランがまたがる形で結合している。

 激しい動きにも関わらず、双方ともその顔は穏やかで、新たな生命を創造する至福に満ちていた。


「如何かしら?」

「こ、これは…… 歓喜仏……」


 上人から見た二人の姿は、秘仏として立川流の寺院が所蔵している”歓喜仏”に生き写しだった。

 男女の交合による修行を繰り返し、真理へと至る。

 立川流で説く修練を、言仁と普蘭プーランは理想的に体現していたのだ。

 これこそが、長年にわたって立川流が追求しながら、完全には為しえていなかった奥義である。


「ええ。これこそ、我等が活仏の真なる姿。憎悪と愛欲の結合により、至高へと進む修養ですわ」

「憎悪とな? いや、安徳帝から感じられたのは、むしろ包み込む様な……」


 ”憎悪”と聞き、上人は首を捻った。

 あの穏やかな青年からは、微塵も感じられない物だ。


「通常、憎悪は男の、愛欲は女の気性とされますけれども。我等が活仏は、幼くして生母や一族を失い彷徨った事から、愛に飢えていますの。故に、その相方は、卑しまれ虐げられた事から憎悪の気性を持つ、旃陀羅チャンダーラ首陀羅シュードラより拾い上げた娘共が最適なのですわ」

「つまりあの二人は、通常の男女と気性が逆なのであるか……」

「面白いでしょう? けれどそれ故に、より強い結びつきとなりますのよ」

「うむう……」


 通常と気性を逆にした組み合わせで、修養の効果を高める試みに、上人は斬新さを感じた。


「安徳帝の相方を務めておる女人も、貴殿の門下であろうか?」

「ええ。活仏とまぐわっている相方は普蘭プーランという名の学徒ですわ。他にも人間の学徒共が二百名余り、一門にはいますの。幼い者を除いて皆、活仏と交わり、子を為していますわね」

「ふむ……」


 一門は単に勉学の場に留まらず、活仏の相方として資質に優れた者を育成し、子を産ませる為の”後宮”の様な役割もある様だと、上人は理解した。


「しかし、安徳帝は、龍神の伴侶なのであろう?」


 権力者が正室の他に女を囲うのは特に珍しい事ではないが、言仁は龍神の庇護下で、弱い立場にある筈だ。

 自分の夫が多数の女を抱き、子を為しているのを認めている龍神の心情が、上人には気になった。嫉妬を感じたりはしないのだろうか。


弗栗多ヴリトラ那伽ナーガの寵童を幾名も囲って、多くの子を産んでいますもの。皇国では、多くの相手と交わりを持ち子を為すのが当たり前で、誇らしき振る舞いなのですわ」

「成る程……」


 国が違えば、男女の関わり方も異なる。皇国でそれが大らかなのだと、上人は考えた。


「ともあれ、活仏の胤によって、阿羅漢アルハットの資質を持つ者を殖やす。ゆくゆくは皇国に生まれてくる人間を皆、阿羅漢アルハットにして、神属と同じ力を持たせる。諸族協和の世を造るには、それを為さねばなりませんの」

「それはまた、随分と壮大であるな…… だが、安徳帝と、貴殿の門下たる二百名余りで、それが達成されようか?」


 上人の問いを、計都ケートゥは笑って否定した。


「まさか。その為にも、活仏や学徒共だけでなく、和国在来の阿羅漢アルハットを多く皇国に集めたいと思っていたのですけれども。立川流の皆様であれば、申し分ありませんわね」

「つまり、我等の胤も、皇国に加えたいと申されるか」


 遂に、計都ケートゥからの立川流への要求が出された事に、上人は身構える。


「ええ。無論、それだけではありませんわ」

「と言うと?」

「立川流を率いて皇国に臣従し、その総力をもって和国支配の為に働きなさいな。そうすれば、知識も、地位も、そして、精神の高みへと至る道をも与えましょう」


 計都ケートゥは微笑んで、上人を誘う。

 魅惑と威圧が入り交じった瞳は、逆らい得ない輝きに満ちていた。

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