第41話
一門では学師の称号を得ると、探求の拠点として、自らの屋敷を構える事が許される。
答志島には二つの港があったのだが、皇国が島を占拠して以後、主に使われているのは本土の対岸となる西側の港で、ここに一門の主立った施設が集中している。
対して、沖に面した東側の港、そして付随する集落は、警備の兵が若干駐屯している他は、一門は殆ど利用していない。
* * *
馬車から降りた言仁を、
「御夫君様、ようこそおいで下さいました」
ここには他にも人狼の学徒が五名、
「
「今日は、所用で席を外すとの事でした」
「……気を遣わせてしまいましたか」
「ええ。あの子達には、後で埋め合わせを御願いしますね」
「勿論です」
人狼の学徒達には、
学徒は誰もが言仁を愛おしく思っているが、学徒の筆頭格である
「ところで早速、例の物を見たいのですよ」
言仁が答志島を訪れたのは、産女と化した、人狼の童の幼馴染みの処置について、
彼もまた、一門で幼少から教育を受けた身で、皇配に対する儀礼的な意味合いが強い物の、学師の称号も得ている。
「どうぞ、こちらへ」
言仁は奥の客間に通される。そこには、全身に梵字の呪文を書かれた全裸の若い女が、敷布の上に寝かされていた。
呼吸はなく、肌の色も血の気を失ってはいるが、肉体は朽ち果てる様子がない。典型的な”黄泉返り”である。
「では、失礼致します」
言仁は、女の裸体に手を這わせ、検分を始めた。
特に念入りに見ていたのは、下腹の他、頭部である。
言仁としては、蘇生に際して最も重要な、脳の状態が気がかりだった。
半刻 ※約一時間 程の検分の後、顔をあげた言仁は、首を横に振った。
「これは…… 母子を共に蘇生するのは、難しそうですね……」
「ええ。
「そうでしょうね……」
「ちなみに御夫君様であれば、どう処置されます?」
「本来であれば母の側を蘇らせたい処です」
厳しい選択だが、童がどちらを望むかと言えば、他の男との間に出来た子よりは、幼馴染みの側を救う事を選ぶだろうと考えたからだ。
「本来…… つまり、それは難しいと?」
「はい。憤怒の情が強すぎて、脳の痛みが激しい。これでは、
「堅実な見立てだと思います ……それにしても御夫君様、心配そうではありませんね?」
普段の言仁なら、救えぬ命を目の当たりにすれば、悲嘆に暮れる事は間違いない。
だが、今の彼は、残念そうにしている物の、重苦しさが全く見られないのだ。
あえて言えば、勝負事で負けた時の様な顔である。
「当然です。
「まあ、御自身の見立てに関わらず、私を信じて頂けるのですね?」
言仁から得た信頼の言葉に、
「医学に関しては、一門の姉上方の中でも、
「御上手ですわね」
言仁にとって
学徒の内でも、還元や
学究に専念したいと思いつつも、立場上それが出来ない言仁にとっては、誇らしく輝く門姉から助力を求められた事がとても嬉しいのである。
「それで、どの様な施術を行うのでしょう?」
言仁は子供のように顔を乗り出して、
「では、お話ししましょう」
言仁は頷きながら、その理論に感心する事しきりだった。
「面白いですね。確かにそのやり方なら、母子共に”救う”事になります」
「胎の児に、まだ自我が芽生える前でなければ、使えない手法ですけれども。此度は有効でありましょう」
言仁の賛意を得て、
「この術式は、
「残念ながら、そうではないのですよ。例によって、新たに入手した古文書に書かれていた術式の復元です」
言仁の質問に、
これまでの彼女の実績は、かつての皇国に存在しながら忘れ去られていた、あるいは異文明の産物として入手した術式の再現である。
もっとも、手がかりさえあれば、それを易々と行えてしまうのが、
「しかし……
「元々の用途は違うのですよ。本来は、
「成る程…… しかし、そのやり方では、肉体を若返らせる事は出来ても、不老長寿は無理ですね」
「仰る通りです。その為”目論見が達成出来なかった”として使われずに忘れ去られていた様なのですが、この母子の蘇生には使えるのではないかと考えました」
「”考えた”…… まだ、試してはいないのですね?」
言仁は、効果を確かめていない術式を、いきなり使うのではないかと懸念を感じた。
万が一にも、し損じられては困るのだ。
「はい。”丸太”を数本費やして、確かめねばなりません」
「……良いでしょう。ただ、丸太は罪人ではなく、
法術の実験台、いわゆる”丸太”にされる人間には、死罪に処される罪人と、白痴を掛け合わせ食用の家畜として作り出された”
「何故ですか?
賎民として虐げられていた一門の学徒は、平民以上の身分の者に対する憎悪が強い。
そういった出自の罪人を、丸太を名目に屠るのは、学徒の愉しみの一つでもあった。
当然の役得を否定された
「罪人と言えども、胎の子には罪はないのです。親の仕置に巻き込んではなりません」
術式の性質上、丸太は妊婦に限られる。言仁は、そこを懸念したのだ。
元々、皇国は重罪に対して連座制を敷いていて、親の罪によって幼子も処断される事になっていた。
それを改めさせたのは、他ならぬ言仁である。
「配慮が至りませんでした ……
「あれは元々、喰らうために造りだした畜生。人ではありません。術式の効能を確かめる為なら、何本でも存分に費やして下さい」
「……此度は、それで良しとしましょう」
言仁が情をかけるのは、あくまで知恵を持つ”霊長”のみだ。種が何であろうと、智恵を備えない物は、皇国では”畜生”として扱われる。
そんな物を屠っても、
「それと、施術に際して、御夫君様に助力を御願いしたい事ですが」
「何なりと仰って下さい」
「この術式は強い霊力を要します。私の力では、とても及びません」
学者としては優れているが、術者としては霊力の弱さが足枷になっていた。
鍛錬は欠かさぬ物の、ようやく、半人前の神属程度である。
彼女の立場は、あくまで並外れた智力によって築き上げた物だ。
「ええ。ですが、人狼の姉上方が補佐についています。術式の行使は任せて、
「此度の課題は、私の昇格がかかった物です。矜持にかけて、施術は是非とも手ずから行いたいのですよ」
「……そういう、事ですか」
言仁は、
「はい。私とまぐわり、子を為して下さい。胎に子がいる間は、その子が私に力を貸してくれるでしょう」
強力な
言仁は微笑んで頷くと、
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