第40話

 言仁から問われた事を、上人は夢うつつのままに答え続ける。

 計都ケートゥはその傍らにあって、八咫鏡で記録しつつ、言仁を通じて新たな問いを発している。

 尋問は夜半に及び、望んだ情報を得られた計都ケートゥは大いに満足した。


「もう、宜しいですわよ」


 計都ケートゥに言仁は頷くと、瞳を濁らせ呆けている上人の額に、掌を当てて念じ、魅了を解く。

 恍惚とした顔のまま、失神してその場に崩れ落ちた上人は、控えていた龍牙兵に抱え上げられて運び出されていった。


*  *  *


 屋敷へ運び込ませた上人の介抱を詰めていた学徒に任せ、言仁と計都ケートゥは、得られた情報について話し合った。


「やはり空海は没していましたか。二百年程の間、市井で活動していたというのも、高野山の僧を民草が”大師様”と称していただけの事。師の御懸念は杞憂でしたね」


 結論としては、空海は物故していた。存命していれば和国制覇の障害となり得た高僧は、やはりこの世の物ではなかったのである。


「ええ。奥の院にあるのは、即身仏として祀った遺骸。それをあたかも、生きているかの如く奉るとは…… 全く理解しがたいですわね」

「人心を纏める為なのでしょうが。人も神属も、生を終えればそれまでというのに……」


 計都ケートゥは呆れた様に溜息を漏らし、言仁は顔を曇らせた。

 全ての生者は、死ねばそれで滅する。輪廻も冥府も、人心を操る為に太古の神属が説いた偽りに過ぎないというのが、皇国の認識である。


「高野山の現況も明らかになりましたね。阿羅漢アルハットの力を持つ者は、殆どが立川流が押さえている様子」

「上人を見ていれば解りますけれども、立川流は人を超えた力を欲する者が集う流派ですものね」

「ならば、上人殿を筆頭に立川流を説伏し、その上で力を与えれば、荒事によらずとも、高野山その物を傘下に組み入れる事も出来そうですね」


 言仁の楽観に、計都ケートゥは首を横に振る。


「勿論、立川流を取り込みはしますけれども。高野山主流の仏法僧共は、法力を備えておらずとも、侮る訳にはいきませんわよ。弗栗多ヴリトラとも相談しますけれども、”あらゆる手”を尽くしませんとね」

「はい……」


 皇国が、高野山を含む寺社勢力を警戒する最大の理由は、法術を操る阿羅漢アルハットを擁するからである。

 だが、その力を持たない一般の僧は取るに足らないかと言えば、決してその様な事は無い。法力の有無に関わらず、寺社勢力は知識階層であり、また多くの信者をも擁している。

 それを切り崩す為には、謀略・奸計も多く用いなければならないだろう。

 しかしそれは、民に慈愛を施す「活仏」たる言仁が、自ら決を下すべき事ではない。

 まつりごとの闇は、龍帝・弗栗多ヴリトラが、師たる計都ケートゥの助言を元に采配を振るうのだ。

 一任を求める計都ケートゥへ、言仁は静かに頷いた。


「それと、そもそもの発端となった人狼の件ですわね」


 計都ケートゥは、人狼の事へと話を移す。

 人狼の童が石津近隣の村で見つかった事から、他にもいないかと周辺を捜索しようとしたのが、今回の件の始まりとなったのだ。


「上人殿のお話からすれば、あの辺りに別の人狼が潜んでいる事はないでしょう。人狼兵による捜索は解いて良いと思います」

「そうですわね、残念ですけれども。でも、人狼については望みも出て来ましたもの、ひとまずはそれで良しとしましょうか」


 上人から聞いた、童の生母たる人狼の由来。それは、和国より北にある未開の地・蝦夷を発祥とし、とある落武者に従って蒙古モンゴルへと渡った人狼の兵だという。


「蝦夷地、そして蒙古モンゴル…… 今の我々には、そちらまで捜索をやる余裕はありませんね…… 阿瑪拉アマラ師や人狼共が、気を落とさねば良いのですが」

「望みさえあれば、後、数十年位は待てますわよ」


 新たな血を欲している人狼達が、当てが外れて落胆する様子を思い浮かべ、言仁は彼等の心情を思いやる。

 だが元々、和国にいないと思われていた人狼の童を手中にし、その子種によって新たな命が芽生えているだけでも、思わぬ僥倖なのである。

 その位の事が解らぬ阿瑪拉アマラでもない。

 

「ところで、生母の出自ですけれども、あれには伝えますの?」

「はい」

「貴方や平家とも因縁がある相手、という事になりますけれども、宜しいんですの?」

「隠しても、どこからか知れてしまうでしょう。その位なら、話しておいた方が良いという物です」


 生母が何者だったのかという点は、童も気にかけているだろう。

 だが、その正体は、言仁や平家にとって、最大の仇とも言える人物の眷属だったのである。


「それに、昔の事です。あれの生母が、平家を滅した将に付き従い、さらにはその孫が企てた”元寇”に加わっていた事は、あれ自身の罪ではありません」

「平家はどうしますの?」

「当主たる時子殿には、私から話します」


 平家もまた、童の生母の素性を知れば、穏やかならぬかも知れない。

 だが、言仁ならば、平家に対して抑えが効く。


「いずれあれが、自分の血族の側を選び、皇国に仇為すかも知れぬ、とは考えませんのね?」


 用心深さのあまり疑心が強いのは計都ケートウの悪癖だが、言仁は充分な自信があった。


「大丈夫でしょう。生母を殺した仇と知っても猶、あれは育ての父母や村人の死を、悼み悲しんでいました。それに今やあれは、阿瑪拉アマラ師を始めとした皇国の人狼とまぐわり、子を為した身でもあるのです」

「……そうでしたわね」

「故に、皇国に出来た多くの縁者を振り捨ててまで、あれが血族の元へと走る事は無いと考えます」

「宜しいですわ」


 根拠を示された事で、計都ケートゥも納得した様子を示す。


「では、その様に。私はそろそろ、普蘭プーラン姉の元へ参りませんと」

「島へ来た、元々の用ですわね」

「はい。術式にあたって、力添えが欲しいとの事でしたので」


 言仁は、上人と会う為に答志島へ来た訳ではない。普蘭プーランから、蘇生術に際しての助力を乞われたのである。


「いいですわ。久々に悦びを分かち合いなさいな」

「は、はい!」


 頬を赤らめ、うわずった声で返事をする言仁に、計都ケートゥは思わずほころんだ。

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