第166話 魔法少女マリエラ《上》


 《叡智の真珠》の記述はフギンとヴィルヘルミナ、そしてマテルの三者に少なくない衝撃をもたらした。


「フギンに……フギンに《彼女》!?」


 ヴィルヘルミナは一言叫ぶなり、まじまじとフギンを見て、それから高らかに笑声を響かせた。


「この大冒険家であるヴィルヘルミナ・ブラマンジェ、西に行っては珍奇を見、東に行っては数々の怪奇を目にして来たが、フギンのように朴訥として愛想がなく、気が利かなくて女心に疎い男に恋人がいたとかいう世迷言を聞くのははじめてだ!」


 爆笑しながら絶対にない、と断言するヴィルヘルミナ。

 マテルはというと、苦笑いを噛み殺したような微妙な表情だ。


「確かに今のフギンを見ていると、あり得そうにない話だけど。ほら、人格的にとかじゃなく、甲斐性的に。でもこのときは宮廷魔術師だったわけだろ? 無い話じゃないと思うんだよ。もちろん、今の君も、そういうところが好きだって言ってくれる人がちゃんといるとは思うけどね」


 隅々まで行き届いたフォローが妙に辛い。


「お前たちの気持ちはよくわかった……」


 もちろん、シャグランが自分の過去ではないかと言い出したのはフギン自身であり、その意見は今も変わらない。ただ恋人の存在は寝耳に水で、想像だにしていなかった新事実なのだった。


「案外、そのあたりは創作ではないのか?」


「いいえ」と話がわからないなりに口を挟んだのは、《叡智の真珠》の現在の管理者であるクロード氏だ。「多少、文章に飾り気があるのは否めませんが、事実以外を記載することは厳密に禁じられているのです」


「では、このフェイリュアという女はどこからやって来たのだ」

「魔術……転移魔術だろうな。ベテル帝の時代は、錬金術が盛んになった時代でもある。その頃には転移魔術の基礎ができていたのかもしれない」


 だが、とフギンは難しい顔で続ける。


「危険が大きい魔術だ。人間を移動させる試みも何度か行われたが、転移が失敗し体の一部、手足やひどいときは下半身が欠損していたり、行方不明になって戻らなかったり……あるいは別人が転移してしまったりという事故が起きた」

「どれくらいの確率なんだい?」

「頻繁とは言えないが、無視できないくらいには起き得る事故だ」


 この魔術が研究された当初は、大勢の軍隊などを一瞬で動かすことを想定していたに違いないが、現在では失っても痛くない程度の物品を移動させることにしか使われていない。

 事故の影響もあるが、動かすものの質量が大きくなればなるほど必要な賢者の石が大きくなるという基礎的な問題もある。


「だったら本当に魔術で生み出された女だったとか…………」

「そんなに恋人の存在を否定したいのか? 魔術による生命創造の命題は未だに解かれていない。古代遺跡で稼働しているゴーレムですら再現不可能だ。多少のリスクがあったとしてもフェイリュアを転移魔術で呼び出さなければいけない理由があった、とするほうが自然だ」

「でも、まあ、真面目な話をすると《叡智の真珠》に書かれているシャグランの記述から読み取れる容姿や性格の記述が、怖いぐらいフギンと一致しているのは確かなんだよね。君は宮廷でのマナーや振舞いについて昔から知っていたみたいだったし……」


 知識として知っていたとしても、レヴ王子や聖女リジアを前にしたマテルは震えていることしかできなかった。フギンはというと、ごく自然体で臆することなく会話していた。あれはフギンがどんな場面でも空気を読まない性格だから、それだけではないのではないかと感じていた。

 そう言いながらマテルの表情が少しだけ暗く陰る。

 何かを恐れているような、そんな表情だ。


「それに、このフェイリュアという人のことを、僕は見たことがあると思う……」

「ベテル帝の時代の話だぞ?」

「うん、そうなんだけど。ほら、フギンにマナ分けをしてもらったとき」


 湖のほとりで姿をみた女性のことだ。ほんの一瞬だけのことで、ずっと白昼夢を見たんだと思い込もうとしていた。だが、薄青い氷の瞳も亜麻色の長い髪も、すべての特徴が一致している。


 ヴィールテス、フギンをよろしく。


 そう言って消えて行ったのはフェイリュアで、どういう経緯かはわからないが彼女の魂がフギンの中にあり、それが魔力の移動に伴ってマテルに伝わったのではないか……。

 マテルがたどたどしくも推論を口にするのを、ヴィルヘルミナとフギンは難しい顔をして聞いていた。


「マテルが見たものが何にしろ、私は今一つ、《叡智の真珠》の内容を信じる気にはなれんな。このフギンに愛だの恋だのを理解できる気がしないからだ」


 フギンは反論しようとした。

 しようとしたが、言葉が続かないことに気がつき、黙り込む。

 確かに恋愛に関してフギンは大して詳しくない。

 そもそも旅暮らしで一つの場所に留まらない冒険者に色恋沙汰は難しい。

 恋愛止まりならまだしも妻帯して家庭を持つとなれば、主に金銭面での問題があるため、駆け出し冒険者には不可能だ。

 日銭を稼ぐことに血道を上げていたフギンには恋愛について考える余力がなかった。

 ヴィルヘルミナの言うこともあながち間違いではない。





 フギンが恋愛問題に頭を悩ませていたその頃、アーカンシエルでも同じ命題について頭を悩ませ、日々を悶々と過ごしている人物がいた。

 その者は古い砦の遺跡をアジトにしていた山賊たちを壊滅させ、捕縛した直後であった。


「ひっ。たっ、頼む、命だけは……! 命だけは助けてくれ!」

「バカね、誰も殺してなんかないわよ。冒険者は人殺しはやらないの。あんたたちがどれだけバカでも、ひとりでも殺したらこっちの信用問題になるのよ。それこそバカみたいよね」


 アジトの内部はことごとく破壊され山賊たちは武器を奪われ、気絶し、縄と魔術によって拘束されている。

 これだけのことを、ささやかな月光を頼りにひとりで侵入してきた細身の女が、瞬く間にやってのけたのである。


「冒険者だと…………? お前みたいな冒険者がいるわけない!」

「あらそう? じゃあ、覚えておいてよ。あたしはマリエラっていうの」


 最後まで喚いていた一人を、剣の柄で乱暴に殴りつける。

 気を失い、地面に倒れるのを見届け、彼女は溜息を吐いた。


「あ~~~~ぁ、こんだけ男がいるなら、この中のひとりが、あたしの彼氏でもおかしくないのになぁ~…………なんでなんだろうなあ~…………」


 余人が聞いていたら、気が狂ったとしか思えない台詞を吐く。

 雲隠れしていた月がさっと晴れ、月光が差し込む。

 室内には捕縛した十数人の山賊が揃って伸びていた。


「アーカンシエルは長かったけど、そろそろ河岸を変える頃あいかしらね」


 冒険者が河岸を変えると言ったならば、それは言うまでもなく稼ぎ場所を変えるという意味だが、マリエラがその結論に至ったのには理由がある。


 決して、男ひでりだからではない。


 マリエラはアーカンシエルを拠点として長く、それこそド新人である銅板の頃からしかるべき経験を積んで金板冒険者へと階位を積んできた。

 実力がつき、土地になじめばなじむほど顔見知りも増え、客との間の信頼感も増していく。

 だが、その生活も、良いことずくめというわけではない。客との仲が深くなればなるほど、《甘え》が出てくるようにもなるのだ。

 今回の山賊退治の依頼などがそうだ。

 冒険者は基本的に人殺しはしない。山賊退治はその土地の衛兵の仕事だ。理由があって冒険者ギルドが依頼を受けなければならないような場合、単独ではなく十分に人員を割いた上で行う。そうなると依頼料は当然、割高となる。

 だが、贔屓の冒険者なら。マリエラなら――――というわけである。

 これが行き過ぎると、要求が過剰になってくるようになる。今まで贔屓してやったのだから、商家のスキャンダルをもみ消せ、というような無茶を言って来ないとも限らない。金を持ち逃げした使用人を掴まえろだとか、家出した娘を連れ戻せ、というような。

 マリエラは優秀で、多少の無茶が通ってしまうところも問題だった。


「相変わらず、いい男も見つからないわ……」


 いつもの酒場で酒杯を傾けながら、誰にともなく呟く。

 独り言のつもりだったが、思わぬところから返答があった。


「男を探しとるんか? それじゃ、わしはどうじゃろうか、お嬢ちゃん!」


 カウンターで飲んでいた小男が気さくに声をかけてくる。

 マリエラは男の全身を素早くチェックした。武器は戦斧で、鱗型の金属を張り付けた革鎧を隙なく着こんでいる。小柄ながらがっしりとした体つきで、かなり使えるほうだろう。雰囲気は熟練ベテランのものだ。


「ハーフドワーフか。好みじゃないのよね」

「これでも純血じゃよ、純血ぅ。まあ無理にとは言わんがな。お嬢ちゃん、腕も立ちそうじゃし、そういうことならオリヴィニスに行くっていうのはどうじゃ?」


 琥珀亭のニグラ、と名乗った小男はニヤリと笑う。

 冒険者の都、オリヴィニス。噂には聞いていたが、これまでのマリエラはそこを自分が訪れることなど考えもしなかった。まずは実績を積むことが大事だと思い、努力を重ねるうちに、築いた関係を維持ことに必死になっていたからだ。


「オリヴィニスで手柄を立てれば、金も名声も思うがままじゃ。それにあそこならお嬢ちゃんの眼鏡にかなう男も山ほどおるけえのう。今は特に山のようにおるじゃろう。何しろあの》がオリヴィニスに帰還するって噂じゃから」


 マリエラはまだ見ぬオリヴィニスへと思いを馳せる。

 それがどんな場所なのか、想像もつかなかった。街並は、人は、ものはどんな風に映るだろう? まるで知らないところへ行く想像を働かせることが、これほど魅力的だと気がついたのもはじめてのことだ。冒険者を名乗っているのに、おかしなことだ。

 それと同時に、そんな馬鹿なことを言っていないで、堅実に生活をするべきだ、という内なる声も聞こえる。

 

「ところで、わしもオリヴィニスに向かうところでな。良ければ道中一緒にどうじゃ? 親交を深めるというか、暖めあうというか」


 葛藤は、ドワーフは女にだらしない、という噂を全力で肯定する不躾な発言で一気に収縮していく。


「結構よ。今日は待ち合わせがあるから」


 すげなく袖にしたそのとき、人の気配がある。


「マリエラ!」


 呼び声に振り返ると、古風な黒いローブと三角帽をかぶったお下げ髪の女性魔術師が、うれしそうに手を振っているのが見えた。




 

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