・ 番外編 用心棒ルビノ
「――――――と、いうわけなんだよ」
およそ一か月ぶりに開店したみみずく亭のカウンターでアトゥは手酌で酒を飲んでいた。ただしルビノはオリヴィニスに帰ってきたばかりなので、正式な開店は明日から。酒はアトゥの持ち込みだ。
店内にいるのはアトゥと魔術師ギルドのセルタス、そしてセルタスの弟子のコナの三人だった。
「お話の筋がよくわかりませんね。メルにわざわざ会いたい、というのは冒険の目的としては珍しい部類ではあっても、ことさら批難される部類のものではないのでは?」
酒の肴はアトゥたちのパーティーがアーカンシエルで出会った銀板冒険者の話題だった。
不死者である《メル》を探しているという若者にルビノも偶然出くわした。
冒険者としての腕はともかくとして、さほど警戒するような人物でもない、というのが二人の共通の見解だ。
「それはギルド長の箝口令のせいだが、だったら出会い頭に殺しかけたのはなんでなんだ?」
アトゥは少しだけイライラした素振りでセルタスに訊ねる。
ルビノよりも一週間ほど遅れてオリヴィニスに到着したフギンとセルタスが派手な乱闘騒ぎを起こしたことは、もう街中の噂だ。それはフギンが仲間のヴィルヘルミナのためにちょっとした勝負を受けたのがきっかけなのだが、世間では女をめぐっての決闘だとか好き勝手に言われている。そうでなくとも銀板冒険者が番外に、しかも師匠連の魔術師に挑むということ自体が珍しい。
「強いて言うなら悪役を演じてみたかったからですかね。楽しかったです。あと、純粋に腕試しをしたかったから、という理由が二つ目にあります」
「銀板相手にいったい何の腕を試すんだよ。試し斬りの間違いだろう。本当に死んじまうところだったって女神教会の連中から伝言だ」
「あの方、本当に銀板なんですか? 本当の本当に? 誰かが確かめたんですか?」
「だから、論点をずらすのはやめろっていつも言ってるだろ」
セルタスは研究室にこもりきりの典型的な魔術師ではあるが、その気性は一流冒険者たちと似通っている。少しでも興味があることがあれば猪突猛進に突き進んで周囲の迷惑など考えもしない。反対にアトゥは前衛剣士ながら自分のチームにいつでも目端を利かせていて、気配りを忘れないタイプだ。
この二人が顔を合わせれば大なり小なり衝突が起きるのは免れない。
いつものようにすれ違いの口喧嘩をはじめた二人の前に、ルビノは絶妙なタイミングで料理の皿を置いた。
ニンニクと塩とスパイスで細切れにされた白っぽい肉や燻製肉、インゲン豆を煮込んだ料理が、藍色の、底が深めの皿に入っている。
それを両側から眺め、セルタスとアトゥはそろって眉をひそめる。
「……………この煮込みの正体は? 特に肉」
「今日は満足いく仕入れができそうになかったんすけど、でも常連の皆さんが遊びに来てくれそうな気がしたんで、あまった食材と新鮮な豚の内臓を煮込み料理にしてみました」
「この店のメニューでは良心の呵責なしに食えるほうだな」
アトゥはほっとした表情だ。
それとは対照的に、セルタスは眉間にしわを寄せている。
「私は今でも割と抵抗がありますよ」
内臓は他の部位より腐りやすいため、地域や出身階級によっては嫌われるものだ。
みみずく亭は店主の個人的な趣味により、大陸中のありとあらゆる珍味が揃う。仕入れの都合によっては一般的に食されている家庭料理なんかも並ぶのだが、《当たり》の日に来店すると山羊の脳みそをスプーンですくって食べるはめになる。そういう店だ。
「前々から疑問だったのですが、なんでコナには普通の食材しか出さないんですか?」
「そりゃあ、育ち盛りですから。いつも店で出してるようなのは、あれは趣味で食うもんです」
コナの前にはバターの香りがする一口サイズのカツレツやサラダやふわふわな卵のキッシュなどが並んでいた。
「にしても、人探し専門っていうのも珍しいっすね」
「だな。あまり儲かりそうにはないが……そのあたりを利用したら会わせてやれそうだしそうしてやりたいのが人情ってもんだが、困ったことにマジョアギルド長の回りがなんだか怪しいときたもんだ」
「例の獣人がですか、それともグリシナ解放戦線がですか?」とセルタス。
「どっちもだ。前回の二の轍を踏むのはごめんだが、この街にいる限り二人が永遠に出会わないってのも考えにくい話だろうな。どうかな、みみずくの旦那。いっそのこと俺たちの手で感動の対面を演出するってのは」
「とか言って、興味本位なんじゃないっすか」
「そうかもな。だが一度首を突っ込んだことは最後まで付き合うぜ」
ルビノは考える素振りだ。
誰の頭にあるのも、先頃オリヴィニスを騒がせた大事件のことだった。
あの夜のことをどうするのが正解だったのかは、今でも誰にも答えが出ないままだ。
「念のため、ヨカテルさんに話を振ってみるってのはどうでしょう」
「あの偏屈シジイにか?」
「あの人、ギルドとは一線を引いてるっすから。人を見る目も確かですし、何なら《メル》のことも俺よりよく知ってるかもしれないです」
それもそうだな、と話がまとまりかけたときだった。
「たいへんだ、みみずくの旦那。手を貸してくれ!」
町民らしい若い男があわただしく店にかけ込んできた。
「客が酔って暴れて参ってるんだ」
「あれ? お前さん、もしかすると《うずら亭》の下働きじゃないか?」
アトゥが声をかけると、若者は青い顔を上げる。
うずら亭はみみずく亭と同じ通りにある店で、店主が南方の出身のため、アトゥは故郷の味を目当てによく顔を出す。ちょっとした知り合いだ。
「なんだなんだ、荒事なら俺が行ってやろうか」
オリヴィニスの住民は例外なく噂好きで騒ぎも好きだ。まるで屈託のない笑顔で立ち上がりかけたアトゥを慌ててルビノが止める。
「冒険者どうしだと後で角が立つっすよ。こういうのは街の人間で話をつけますから」
「おいおい、旦那も冒険者だろ」
「今はしがない料理人です。それよりも、火の番をお願いしますよ。ここで待っていてくれたら、とっておきをご馳走しますから」
「……構わないが、なんだか妙に積極的だな。揉め事なんて嫌いだろう」
「や、そんなこともないですけど……新参が暴れるような時期でもありません。腕が立つ相手だったら大事になっちまいますから」
アトゥにお玉と後を任せてルビノはいそいそと若い男について店を出て行く。
「…………賭けます?」
セルタスがにたり、と粘り気の高い笑みをみせる。
「緋のルビノが負けるほうに賭ける馬鹿はいないぜ」
「いやだなあ、違いますよ。これは絶対、女性関係だと思うんですよね」
「案外、下世話なことを言うんだな」
アトゥは半笑いで答えた。
*
果たして、連れられて向かった《うずら亭》では、五人ほどの男たちが酒を飲んでいた。店の空気はどことなく澱んでおり、追い払われたのか他の客の姿もない。
彼らは全員、武器を携帯している。きっと冒険者なのだろう。ただ、この街では姿を見かけない者ばかりだった。
男たちは自分たちの席に店主の娘を座らせて酌をさせている。
「お嬢さんを離せ!」
見習い料理人が飛び込んで行くと男たちはニヤニヤ笑って顔見合わせ、下種な冗談を言って笑いあう。少なくともオリヴィニスの住人ならこんな真似はしない。街に来たばかりのよそ者だ。
「戦のあった後ですからね。世の中が乱れたり不安定になると、この業界にもヘンな奴らが増えるんです。あとは任せてくださいっす」
ルビノは溜息を吐くと、悔しそうな顔をした若者を後ろに下がらせた。
「さ、皆さん。素直にこっちの言うことに従い、バカ騒ぎをやめて自らギルドに申告して冒険者証を返上するか、とっ捕まって痛い目に遭うか、どちらかを選んで下さい。この街は行儀知らずの荒くれ者がのさばっていていいところじゃないんですよ」
いいところで、厨房からこちらを覗いていた店主が注文をつける。
「おいルビノ、絶対にテーブルや椅子や皿を壊すなよ! 人死にも無しだ!」
「ええ~、要求が細かいっすね……机、椅子、皿だけでいいんすか」
「馬鹿野郎、店の中のありとあらゆるもの全部だ!」
「向こうは武器を持ってるんすよ?」
「だったら素手で来るんじゃねえ!」
自分たちのことを全く無視されて腹が立ったのだろう。何しろ血相を変えて呼びに行き、連れて来られたのが前掛けをつけた赤毛の料理人ひとりきりなのだ。しかも、呑気に会話などしている。
一番短気そうな男たちのひとりが立ち上がり、よそ見をしているルビノに掴みかかろうとする。
「おい、無視をするな!」
「全く、しょうがないっすね~」
ルビノは出された拳の外側にかわして避け、手首を掴んだ。相手の二の腕のあたりに肘を当てて一歩前に踏み込むと、ごく自然に男の体が前方に崩れていく。伸びきった相手の腕の下をくぐらせて、前のめりになった後頭部を掴む。
男はそのまま顔面に膝蹴りと拳とを叩きこまれ、なすすべ無く床に倒れこんだ。
「要望に応えてトドメは入れません。それから、俺が軽装の盗賊職でどこかに暗器を飲んでたら今頃もう死んでましたよ」
忠告はどこか気遣わしげだ。
ようやく目の前にいる若者がただ者ではないと悟ったのだろう。
隣に座っていた男がおもむろに短剣を抜いてかかっていく。しかし先ほどと全く同じに攻撃を捌かれ、今度は踏み込んだ足を引っかけられて派手に転び、手首を捻り上げられて武器を弾かれる。武器がなくなるや否や首筋に手刀が打ち込まれ、沈黙する。
「一人ずつ相手をするのも面倒っすね。いっそのこと、同時に来られたらどうですか?」
残りの三人は嘲笑を引っ込めて、それぞれ武器を手にして立ち上がる。
すべての片がついたのは、それから十五分ほど後だった。
倒され、武器を奪われ、急所を突かれて意識を失った男たちを縄で縛りあげていると、自由の身になった店主の娘がルビノに駆けよってきた。
「え~んっ、怖かった。助けてくれてありがとうございます、ルビノさぁん」
「はいはい。まったく怖がってないのは最初から見えてましたけど、感謝だけは受け取っとくっすよ」
瞳を潤ませながら上半身に腕を回し縋りついてくる娘を腕力で引き離すと、その豊満な胸元から細い鎖に繋がった銀色の命札がこぼれ落ちた。
紛れもない、銀クラスの冒険者証である。
「失礼ね。群狼に取り囲まれたときよりは怖かったわ。いや、そっちのほうが怖かったかな……」
「それなら少しくらい手伝ってくれてもよかったんじゃないですか」
実は、うずら亭の店主の娘はルビノと同じく店の手伝いの傍らギルドの仕事に出ることもある冒険者なのだ。ちなみに店主も元冒険者で、現役時代に貯めた金で店を開いた。
ルビノが呼ばれたのは相手が複数だったので、けがをしないように念のため、である。もしも相手が誰か一人だったら、とっくの昔に裸に剥かれて往来に放り出されていたに違いない。
こういう店はオリヴィニスのあちこちに、それこそいくらでもある。だからこそ街になじんだ冒険者は人々に親切に振る舞う。どこに街の大物や顔役や先達が潜んでいるかわからないからだ。
「おいこら、ルビノ、うちの娘から離れろ」
店主は面倒くさそうに物陰から出てくると、密着し(ようとし)ている二人をみつけ眦をつり上げた。
「引退した人は黙っていてよ父さん。ルビノさんはこのへんじゃ一番の出世頭なの。私が嫁入りして店を任せてもらったら、ルビノさんは外でいくらでも稼げるし、二人で店をやるのでもいいわね。どっちにしろ労働力は二倍よ」
「やめんか、見苦しい!」
「それよりも、《例のもの》のことなんですけど……」
ちゃっかりしている父娘のやりとりに、ルビノはおずおずと口を挟んだ。
店主は南方系の浅黒い肌に深い皺を刻み込む。
「《アレ》のことか……。本気で持っていくつもりなんだな?」
「ええ。ぶっちゃけるとそのために来たようなもんっす」
「その覚悟はあるんだな」
二人は数秒見つめ合い、店主は重苦しくうなずいた。
*
ルビノが自分の店に戻ってきたのは出て行ってから三十分後のことだった。
戸口に立ったルビノが満面の笑みを浮かべているのを見て、律儀に留守を預かっていたアトゥとセルタスは心底後悔した。
おもむろに「では、そろそろ」と言って立ち上がりかけたセルタスの首根っこをアトゥが捕まえる。
「絶対に逃がさないぞ……!」
ルビノは一抱えはある大きな瓶を抱えていた。
瓶の中には、透明な酒に漬け込まれた異様な生物が入っている。黒々として、長い。ぬめりのある一本の管だ。蛇のようではあるが頭部がない。
「旦那……それは一体……」
「お礼にもらった巨大ミミズです! 大陸南部の特殊な部族が食べているやつなんですけど、あまりにレアすぎて、その部族の人たちも滅多に口にしないとかいう代物なんです」
「それは、その人たちも積極的に食べたくないからではありませんか?」
そう、ルビノが店を開けてまで街の用心棒をしている理由が、これだ。ルビノは人助けの礼を現金では受け取らない。
かわりに、こうして珍しい食材を受け取るのである。
おそらくアトゥが黙って店を抜け出して逃げ去る前に、ルビノはそのことを感知して脱出を阻止するだろう。セルタスにしても魔術で店ごと吹き飛ばすくらいしか解決方法がない。
冒険者の世界は究極の実力主義の世界。
そのことを思ってもみない形でひしひしと感じている二人の耳に「まずは軽く炙ったのを出しますね!」という地獄の宣告が無情に響いた。
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