第107話 帝都デゼルト観光案内




 今日の獲物は、いずれもチアイにとっては格好のカモだった。



 角ばった顔とでかい図体はいかにもノロマな田舎者といった風だし、連れは女とやせっぽちだ。

 仲間がよそ見をしている間に懐から革財布をすり取ることなど造作もないことだ。

 相手は腰に剣を帯びていたが、チアイは怯まなかった。

 冒険者なんて図体ばかりでかく武器を持っているだけで、街の憲兵たちと大差ないだろうと思っていたからだ。

 そして、まんまと成果をせしめて広場から離れたチアイを待っていたのは、緋色のマントを着けた少女だった。

 少女は路地裏の真ん中で仁王立ちをして、右手をチアイへと突きだしてきた。


「ずいぶんもうけたらしいじゃない。さっさと分け前を寄越しな!」


 ただでさえつり目気味な瞳を、さらにきつくつり上げているのは、チアイの商売仲間のミュウという少女だ。

 彼女たちとチアイとはグルで、手頃なカモが広場のどこにいるか、どこに金目のものをしまっているかを合図して教えてくれる役回りだった。


「見てたんだよ、あたしは。あんたが三人の客の懐に手を突っ込んで、たっぷり膨らんだ財布を盗むのをね。親方に納める分はとうに稼いだんだろ? だったらあたしに飯代くらいくれてもいいじゃないか!」

「おいおい、誰も取り分をちょろまかそうなんてしてないだろう」


 チアイが黙っていたのは、少女のはすっぱな物言いにウンザリしていたからだ。

 もちろん親方は優しい。

 女の子たちを夜の街に立たせるような連中と違って、暴力も振るわない。

 上納金を三日間払わなかったからといって飯抜きにすることもしないけれど、しかし三日分の取り立てをきっちりやらないということにはならなかった。

 だから子どもたちはみんなしたたかで、ミュウも同じだった。

 チアイはため息を吐きつつ、盗みとった財布を取り出して――――そして、そこで《はっ》と息を詰めた。

 財布には、たんまり金が入っているはずだった。

 しかし、革袋の中に入っていたのはすべて灰色の石ころだったのだ。

 盗んだときには、間違いなく中身は銀貨や銅貨だった。

 でも今はもう違う。

 よく観察すると財布そのものは客から盗みとったものだ。

 ということは、つまり。


「やられた……」


 誰かがチアイの懐から財布を盗みとり、中身だけを変えてまた元に戻したのだ。

 誰かが、という言い方は曖昧だ。

 正確には、誰かほかの《スリ》だ。

 それもチアイよりもはるかに腕の良い奴が、ということになる。

 さっさと逃げなければ危ない場面だ、と気がついたときにはもう遅く、行く手と退路に人が立ちふさがっていた。





 トワン――言わずと知れたオリヴィニスの冒険者であり、そよ風の穴熊団の盗賊職シーフであり、たぐいまれな毒舌家、そして元スリ――は、チアンの首根っこをがっしりと掴んだまま、離さない。


「どうみても盗んで下さいと言わんばかりの間抜け面をしたリーダーの財布とはいえ、このままで済むとは思わないことだ。覚悟しろ悪ガキども」


 隙をみはからい路地から退散しようとしていた少女は、がっしりとした両腕に肩を優しく叩かれて足止めを食らう。

 砂色の鋭い瞳に見据えられると、たちまち彼が腰に提げた鋭いナイフのことが、ぐっと恐ろしく思えてくる。

 そのとき、少女の肩を抱いた大男が、路地裏いっぱいに反響しそうな声量で怒鳴った。


「まあまあ、そう剣呑なことを言わなくてもいいじゃあないか! お前が気がついてくれたおかげで、財布の中身はぶじだったんだから!!」


 あまりに声がでかいので、トワンは両手で耳を覆っていた。

 鎧を着こみ、背中に大剣をかついだ大男の名前はアエラキという。

 トワンたちのパーティのリーダーで、絵に描いた餅のような前衛戦士職だった。


「考えてもみろ、トワン。こんな年端もいかない少年少女たちを衛兵に突き出したところで、寝覚めが悪いだけじゃあないか!!」

「何言ってやがるんだ、この寝ぼけたリーダーは。俺が取り戻さなけりゃ、一月ぶんの稼ぎがパアだったんだぞ。オリヴィニスやそのへんの田舎じゃどうか知らないが、こいつらはいっぱしの悪党なんだ」

「じゃあ許すかわりに、このお嬢さんに観光案内を頼むというのはどうだ!? 何しろ始めての帝都だ。水先案内人がいたほうが楽しめるだろう!!」


 アエラキは豪快に笑いながら、ミュウの体を軽々と抱え上げ、その広すぎる肩に座らせる。


「さて、お嬢さんのオススメはどこかな!?」


 ミュウは高いところが怖いらしく蒼白な顔をして「は、はい! ベテル帝の使っていた牢獄や拷問道具を御覧になれます、旦那様」と口にした。

 言い合い――かどうかはよくわからないが――をする冒険者ふたりを、ミュウはしばし呆然と見比べていた。

 もしもこの喧嘩で、大男が目つきの悪いやつに負けたら、ミュウは間違いなく衛兵に連れていかれることになるだろう。


「それはそれは、恐ろしそうだな!」

「アホか。こいつらが連れていくところに本物があるわけないだろう」

「そうなのか?」

「現在の皇帝がベテルの直系じゃないからって、そんな不敬な商売が成り立つはずがないじゃないか」


 これまで運悪く衛兵に捕まった子供たちは、みんなひどい目に遭った。

 稼ぎはすべて巻き上げられるし、ケガをしたり行方知れずになって帰って来なかった者もいる。

 意を決してミュウは声を張り上げた。


「いいえ、旦那様! かならず本物を御覧に入れます!!」


 アエラキはにっこりと笑いながら、トワンを手招いた。


「それにな、トワン。俺はお前のことを何より信頼しているが、冒険者がほんもののスリの技を持っていることを知られたら、このへんの兵士たちはあまりいい顔をしないだろうよ……」


 いつも大声で話すアエラキが珍しくそっと声をひそめた。

 冒険者でありながら、かつては本物の泥棒だった過去を持つトワンは、最後には首を縦に振らざるを得なかった。





 ミュウとチアイは、ボロボロの小舟にアエラキとトワンを案内した。

 チアイの両腕は後ろ手に縛られ、逃げ出さないようトワンが監視している。

 櫂を持つのはミュウでもチアイでもない。

 尖った耳をしたハーフエルフの老婆だった。

 襤褸をまとったその姿は、同じくボロボロの小舟と一体のように思える。

 ミュウが小銭を払ったのをみると、舟はこの老婆のもののようだ。

 客を乗せ、舟が水路を滑るように進み、街の地下を走るデゼルトの水道へと入りこんでいった。


「噂には聞いていたが、こんなところがあったとはなあ!!!!」


 アエラキの大声がアーチ状の天井に反響する。

 ミュウとチアンが耳をふさぎ、トワンは思いっきり角ばった後頭部を叩いた。

 奥に進むにつれて、水路は細くなっていく。

 灯りは老婆が足下に置いたカンテラのみだ。

 進路には、外部からの進入を拒むように鉄格子が降りていた。

 船頭役の老婆が壁の一部に触れると、軋んだ音を立てて鉄格子が持ち上がり、天井の隙間に入っていく。


「いったいどういう仕組み……いや、どういう場所なんだ、ここは」

「さあね、知らないわ」とミュウが言う。


 その声には不安が混じっている。


「よく知らないけれど、婆さんだけがここの鉄格子を開けられるのよ」


 鉄格子を五つほど越えたところで、視界が開けた。

 目の前にあるのは、思いもよらぬほど広い空間だ。

 まるで地底湖のような水たまり、天井ははるかかなた。

 かすかに明かりが見えるのは、天井にいくつか開いた穴から差し込む外の光だ。

 トワンは圧倒され、声を失っていた。

 そうさせたのは、そこに建てられた《塔》のせいだ。

 石積みの塔が天井に向けて伸びている。円筒形の最上部は地下水道の天井と一体になっており、外壁にはごく小さな窓が並んでいる。窓には鉄格子がはめられていて、内部の様子は見えなかった。

 塔に船を寄せる。

 巨大な塔が建っている台座には、年月によって滑らかになりつつあるが、階段らしきものがみえた。

 船から降りて階段を上がった。

 周囲はひんやりと冷えていた。

 何とも言えない重苦しい空気と、生臭い水の臭いが漂う。

 トワンは塔のぐるりを歩いた。扉があったのではないか、と思しきところは見つかったが、埋められてしまっている。


 ただ、地下の空間に、入ることも出ることもできない建造物がある……。


 何故こんなところに、こんなふうに意味のわからない巨大な建造物があるのか、見ればみるほど疑問が湧きあがってくる。

 再び舟のところにもどってくると、老婆が階段のところに佇み、聞こえるか聞こえないかという声音で何事かを呟いている。


「死体がねぇ…………」


 トワンはその続きを聞きたくないと思ったが、老婆は少しぼけているらしく、誰もいない空間に向かって話し続ける。


「船だまりにねぇ……筵に包まれた死体がよく流れ着いてきたんだよぅ。それでねぇ、家族を連れて行かれた人たちが、よく探しにきてたものさね……うちの人は流れて来ていませんかって、夜更けにね……」

「死体が……ここから……?」

「いくつもいくつも」


 トワンの後を送れて、ミュウとアエラキがやって来る。


「この塔の上は、どうなってるんだ?」


 ミュウは「地図が確かなら、オリキュレル離宮。ベテル帝が晩年を過ごした宮殿よ」と冷たく言い放つ。


 そうか、と震える声で呟いたトワンの肩をアエラキが叩いた。


「なんだ、トワン。怖いのか?」

「……怖くないわけあるか!」

「宿で待ってるアンナにいい土産話ができたな!」

「するな! 絶対していい話じゃないだろこれ!」


 アエラキは塔を見上げ、「そうだな」と呟いたきり、珍しく黙った。

 声のうるささ、そして存在のわずらわしさでは堂々の金板クラス、と呼ばれている穴熊のアエラキが、である。


 沈黙は不気味な風景のもとでより不気味さを増していく。


 トワンが帰りの船旅のあいだ中、黙りこくるアエラキを指で突ついては、「何か言ってくれよ」とせがんでいたという話がオリヴィニスで笑い話になるのは、これからしばらくしての話になる。





*****そよ風の穴熊団*****


 オリヴィニスを拠点とする冒険者パーティー。リーダーのアエラキは寛容でなかなか人の出来た人物として知られている。仲間には癖のある人材がそろい、元泥棒のトワンや、狩人のアンナが所属。


 トワンたちが登場するのは第41話「職人気質」、第59話「遺跡のからくり」などなど。腕が良いからか、他にもいろいろな場面に顔を出している。

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