第68話 鑑定室の午後
エルフにとってオリヴィニスが住みやすい土地かといわれると、そうでもない。
街には過剰なほど人間がひしめいているし、粗野な者も多い。緑に囲まれているが、魔物にも囲まれている。鎧と剣と獣と油のにおいが強く漂い、故郷の里とはあまりにもかけ離れた環境だ。
冒険者となるエルフたちは、この街を通して見分を広めたあと、ゆくゆくは故郷に戻ろう、と考えている者たちが圧倒的に多かった。
では自分たちがどうなのかというと、当面は里に戻る自分自身というものをうまく想像できないのが、冒険者ギルドのカウンター受付係、レピである。
ギルドを訪れる人々の減った午後、彼はロジエが持ってきてくれた紅茶の葉と菓子箱を取り出した。マジョアの孫のロジエは気のきく性格でオリヴィニスに立ち寄ったときはギルド職員への付け届けを忘れない。
お茶をいれて一息つこう、そう考え、レピは二階に上がった。
鑑定室を覗くと、そこはもぬけの殻だ。
怪しい道具や、冒険者あつめてきた出土品が並んでいる。レピはそっと戸をしめて、ギルドの裏手に回った。
井戸のそばに作業台が置いてあり、そこで弟のエカイユが作業をしていた。
ギルドの二階は床が弱く、傾きがある。地面のほうがいいといって、勝手に屋根を張って工房として使っているのだ。
エカイユは丈夫な生地のエプロンを着て何やら一心に台の上に向かっている。
水で湿らせたガラスの板の上に細かい石の粉をまき、その上に鉱石を乗せ、等間隔に力をこめて擦り上げる。
石と石の粒がこすれる心地のいい音がする。
傍らには同じような丸みを帯びた小石がいくつか転がっていた。それらは灰色や薄い青緑色、黄褐色で、不透明に曇っている。
エカイユは曇った鉱石を磨こうとしているようだ。
レピは声はかけずに台の端っこに腰を下ろし、作業を見物する。
彼は黙って作業を繰り返す。しゅ、しゅ、と控えめな音がする。
まずは荒い粒で表面の大きな疵を削りとり、平らに均して形を整える。
一通りの傷がとれ、形が整ったら、粉をさらに細かいものに変える。その前に台と道具と石を一通りすべて水で洗い流さなければいけない。細かい粉で削っているときに荒いものが混じれば、それが傷になってしまい、最初からやり直しだ。
それだけでなく、わずかなみがき残しがあってもいけない。指先の感覚が繊細でなければ綺麗には仕上がらない。
エカイユは黙ったまま作業を続けている。
レピはお湯を取ってきて、ポットに茶葉を計りいれて注ぐ。
いい具合にお茶が入ったところで、エカイユが晴れ晴れとした顔で、磨きあがった石を取り上げた。
「できた。これは花だった」
きらり、と陽光を受けてまぶしい光を放つ。
親指の爪より少し大きく楕円型、薄黄色をしていて、透明な硝子質の石は向こうが透けてみえるほど滑らかに輝いている。
その中に桃色の花の花弁が、いましがた蕾を開かせたかのように初々しく咲き誇ってみえる。
それは花石とか星石とか呼ばれるもので、魔力をふんだんに含んだ鉱石がとれる場所でよくみつかる。たぶん、精霊の働きでできるのだろう。
買い取ってくれる収集家もいないこともないのだが、数が多いことと、手間をかけないとどんなものが含まれているかわからないので、値段がつかない。
エカイユはほかの荷物と混じって持ち込まれるこれが好きで、ときどき磨いて中身を確かめていた。桃色の花は形がはっきりと出ているが、それは珍しい部類だ。
中には模様がわずかにしか入っていないものもある。
「いちど、星が入っているものを見てみたい。どんな形なんだろう」
ひし形の砂糖菓子を齧りながら、エカイユはぼんやり空想を巡らしている。
レピはお茶を飲みながら、ただの屑石かもしれないのに、手間をかけるのは何だかばからしいと言った。
「それが楽しいんだよ」
「そうかなあ……」
レピは甘い菓子のほうがいい。
ロジエが持ってきてくれたのは王都で流行している有名店のもので、なかなか手に入らない。
どちらにしろ里では手に触れられないものだろう。
冒険をするわけではないが、彼らが持ち込む旅のかけらに触れるのは、悪くない。
砂糖菓子がさくさくと音を立てるのが、石を磨き上げる音に聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます