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└本殿『神籬』桔梗の自室
021
どこの誰が彼を見ようと。
ほんの一瞬、生きているのか死んでいるのか、判断に困るぐらいに、音もなく、目を閉じ、伏している常葉。
規則的に上下する胸だけが、彼の生死をただ伝えている。
あの後すぐに桔梗の自室に連れてこられた二人。桔梗の自室と言っても何十部屋もある内の一つだが
そこに倒れた常葉をどさりと運び込むと、事後処理だなんだは席を外した。
それなりに時間が経ったものの、目覚める気配はまだない。
「起きないなぁ…」
運ばれてから、ずうっと常葉の顔を眺め続ける結希。あんな事がありはしたが、穏やかな寝息を立ててはいるので、少し安心しなんとなく、辺りを見回してみる。
基本的には知的好奇心が突出している女の子。
彼女は初めて観る物、事柄を好み、かつ世のあらゆるジャンルにおいて、最高傑作だとか、ハイエンドだとか、その概念を突き詰めたものを特に好む。
そう、先ほどからやたらと眼に入るもの全てが高品質、質が、良い。
ただその一言しか出ないほど、完成された和室。ところどころに桔梗らしさが散りばめられているのもより気品を際立たせていた。
彼女の持つ知識から、写るもの全てが、細部すら極上だと分かる。
それらの出自が、少し齧れば憧れるものばかりで、訳もなくちょっとした恍惚に浸ってしまい、ほぅっと心の内側が暖かくなる。
「あら、お目が高いのですね」
後ろからくすくす、と風鈴のような、風情ある甘い声。
「あ、英さん、ごめんなさい、きょろきょろしちゃって」
「いえ。一品一品丁寧に、真贋を見抜こうとしてらしたので、それだけ造りを敬う目線を送られれば、どんな物品も、作品も、喜んでいますよ」
芸術的なまでに、美しい笑顔で暖かく笑う彼女は
これでもか、と和を重んじるこの繁稜郭において(行き交う人ですら和服なのには常葉も時代錯誤では? と驚いており)奇異でしかないほど奥ゆかしく、有り体に言えば、古臭いメイド服に身を纏い。
室内にも関わらず丈のあるブーツを履いているような、そんな彼女は。
桔梗の直属、実質的に桜人衆、第四大陸を取り纏める七人の一人。
唯一、桔梗が頭目になってからの七花で、桔梗が最も信頼し、側に置き続けている彼女。
まるで血の通った人ではないのではないかと、機械だの、人形の類ではないかと疑うほど美麗である。
そんな彼女に気圧されるようにいやいや、と顔を真っ赤にさせる結希。
「常葉様はまだお目覚めになりませんか」
「そうですね、消耗が、とても激しいです」
ふむ、とわざとらしく顎に手を当て考える佳乃。手を常葉に伸ばし、何かアクションを起こそうとした、が。
「帰ったぞ、よしの、ゆき。ときわは………やっぱりまだ寝てるな」
「主様」
「そんな顔するな、むつみに怒られてきたとこだ」
からから、と小気味良く笑い。
常葉の隣に座り込むと、丸薬のようなものを二粒ばかり口のなかに放り込む。
「それは………?」
「滋養に良い薬みたいなものだ、心配するな」
はぁ、と無理矢理納得する結希。
じぃっと、常葉を見つめる桔梗。
ふと気付けば佳乃はいつの間にか居なくなっていた。
「いやあ、おもしろいな、こいつは。とても。とてもいびつだ。まるで膨大に築き上げられた基礎を錯覚させる………一体そこに何が建つんだろうなぁ」
「歪、私も、そう思います。つくりが、ちがう。なんというか、普通に生きた、人の成り立ち方じゃない、というか」
「目的を持って作られた、か?」
「……………はい」
「ふむ、けど、たぶん、おまえがおもってるほど厄ねたって訳でもないと思うぞ」
「……? と、言いますと?」
「なんというか、行き過ぎた情、というか、過保護というか、そんなものを突き詰めたものだよ、こいつは」
「………はぁ」
「いや、こいつ自体は相当、いびつだとおもうけどな」
「わかります」
一つ、間をおいて。
けらけら、と笑い合う二人。端から見れば仲の良い姉妹のようであるが、実際には何倍、という歳の差がある。
有り体に言うと。この世界の人類種においては、昨年度平均寿命が170を越えているとえばある程度慮れるだろう。
二十歳そこそこに見える佳乃も二人の年齢を足したとて到底、というほどの歳上である。
実年齢の公開は許可されていないとかなんとか。
そんな常葉の目が覚める時を待つ二人、一頻り談笑する。
「ん、じゃあ、ほら、きいていーぞ」
「へ……な、なんのことでしょう」
ふと、テンポをずらすように。
悪い笑みを浮かべた桔梗。
「わたしは聞きたいことがあるーって目、ずーっとしているぞ」
けらけら、と。けらけら、と。
図星、だ。
なんて思いながらどきりどきりと早鐘を打つ心臓を嗜め、ごくりとこれでもかと固い唾を喉奥に押し込んで。
「桔梗さんは、【
と、尋ねる。
心臓の鼓動を加速させながら、どろりと溢れる粘性の高い汗を感じつつ。返答を待つ。
「あぁ、そうか。おまえ【掴世道】を知ってるのか。そうかそうか。ふふ、今はもうそっち側じゃないよ、外れてる」
「へ……?」
「知らないのか、今、この世界に【掴世道】持ちはざっと20人ぐらいいるらしいが【描き手】なんて片手の数も居ない、そもそも必ずしもいこーるじゃあないぞ?」
「そんな、でも」
「お勉強不足だ、とにかくわたしはそっち側じゃあ、ない」
結希の知っている【描き手】とは。世界を彩る者、世界を色付ける者のこと。
かつてこの世界の有史上、ほんの数人居た【描き手】は、全員【掴世道】の持ち主であったために、結希は一つ誤解をしている。
今の若い世代にはあまり知られていない超特異レアポテンシャルである【掴世道】について桔梗は話始めた。
「そもそも【掴世道】とは歴史の転換、大きな事がある時に保持者がよく目立ついめーじがあるが、どの時代にもそれなりに数は居た。現代は寧ろ少ないぐらいだ」
と愚痴っぽく言う桔梗。
それからは一気に話立てるように、すらすらと説明する。
「これはその名の通り、世を掴む力でな。誰が言い出したか主人公の力、主人公補正の具現化という言葉が一番適した表現で。一口に掴世道と言っても類型がある程度存在し、さっきは誤解を招かないように【掴世道】持ち、と言ったが一般にはそれぞれの類型がそれぞれで呼ばれるものなんだよ」
一つ。掴世道。
今を切り開く力。
よくわかんない? まぁとにかくどんな絶望すら打開する力だよ。
どこかじゃ覚醒補助とか呼ばれていたな。
これを持ってるとまるで、世界が意思を持ってるかのように、持ち主の味方をするとかなんとかだとかほざかれてるな。
だいたいのやつが思い浮かべる掴世道がこれ。
一つ。先醒導。
他者を導き、人の先を歩む力。
The awakerに合わせ【
わたしはこの側面が最も強い。
一つ。源潜動。
その者の才能だとか潜在能力だとか、この先得るであろう力を無理矢理に引き出す力。
これがメインて奴はあまりいない、わたしはこれが二番目ぐらいに強い。
一つ。再器同。
一度身に付けた力や、記憶、技術。
更にはその出自だとか血に眠っている想いなんかまでを引き起こす力。
どっちかというとこれは副産物の側面が強い。
得手不得手はあるけどな。
ちなみに言っておいてなんだけどわたしは下手だ。
一つ。廻生道。これは、そうだな。
言っても分からんだろうし、伝えにくいけど、なんだ。こう、主人公って奴は死なない。
【掴世道】持ちでも中々これをこんとろーるできてるやつはいなくてだな。
他にも色々種類や、呼び方はあるけど、こんなもんがメジャーどころだな。
後は、そうだな、【掴世道】持ちでも、もう一段上の………と、言いかけたところで。
「…ん、んん」
「起きたか、おはよう、ときわ」
「おはよう、常葉くん」
「………おはようございます、桔梗さん、結希」
「体、どうだ」
「死ぬほどだるいっす」
ぐりんぐりんと肩を回す仕草、まるで油をずっと注していない古ぼけた機械のようにその動きは固い。
軽く現状を説明しながら、戻ってきた佳乃が手際よく手当て等を済ませていく。
そんな時。
「なんだ、そんな顔するな、どうした?」
常葉の顔にやや影が落ちているのを桔梗は気付き、聞く、ゆっくり顔を上げるとただひたすらに凝視し、長い沈黙の後。
「いや一撃、当てれなかったなって」
と、呟く。
ふと、時間が止まったような錯覚。
数瞬、塞き止められた水が流れ出るように桔梗が笑い出す。
「なんだなんだなんだ、そんなことで拗ねてたのか。かわいいなおまえ、てか本気で当てれると思ってたのか」
げらげらと腹を抱えて笑う桔梗。
そんな仕草すらどこか艶かしく。
誰が見ても先と表情は特に変わっていないが、あ、常葉くんムッとしてる、と些細な変化に気付く結希であった。
「当てれます」
「いやいや、無理だ。言ったらおまえ赤ちゃんだぞ、ちょっと力の強い赤ちゃん、自分の力の使い方も分かってない赤ちゃんだぞ」
「いーや当てれます」
「はっはっは、一切制御も出来ずゆきに助けてもらってたのにか?」
「当てれます」
刹那足りとも、目の色を変えず。
「わかった、わかったよ」
くっくっく、と桔梗は笑う。
嬉しいような、困ったような顔を一瞬だけして、ふいふいと首を振る。
「この大陸を出るまでに一撃当ててみろ、いつ何時でもわたしは待ってるから、そしたらなんか、そうだな。いいもの、やるよ」
と、嬉しそうに、甘えた猫のような声で。
「言いましたからね、明日から、覚悟してくだ、さいね」
言い終えると同時、結希にもたれ掛かるように、眠る。と、三人は眼を合わせ、笑みをこぼす。
「では主様、問題がなさそうですので、常葉様をお二人のお部屋まで運んできますね」
いつの間にかそこにいた佳乃が常葉を抱きかかえる。
「ああ、くれぐれも誰の目にもつかないようにな、それとゆきはいい」
「承知しています」
桔梗が頼んだぞ、と言うとふっと吹き消した火のように居なくなる二人。
なんの音もなく、なんの動きもなく。それを確認し、結希の方へ視線を戻す。
「じゃあ、明日一日ゆっくり休んでもらって、以降一週間、準備だのなんだの、ときわの調整とか顔合わせなんかを済ませて、それからはおまえらにはうちの一員として働いてもらう」
で、だ。と一拍置き、香りと色だけで上質だと分かる緑茶に口をつけてから。
「三週間、とりあえずうちで動け。三週間あれば大陸渡航の許可も出せるし、その間にときわをある程度使えるようにする、で他大陸と上に話を付けておく。後は働き次第で今後の流れが変わるから頑張ってくれ」
「何から何まで、本当にありがとうございます……」
「いや、礼を言われることじゃない」
ちらり、と結希の白い、白銀のような髪を眺め。
「おまえも」
「……わかってます」
間。
「主様、戻りました」
沈黙を破るように、どこからか二葉が現れる。お疲れ様、と言う桔梗にいえ、と首を振ってから。
「結希様はどうなされますか」
「……いや、もう少しだけ話したい、いいか? ゆき」
「へ? ああ、勿論、こちらからお願いしたいです」
わたわた、と手をばたつかせる結希の頭を軽く撫で。佳乃にお茶を出すように指示すると、もう一度その髪を優しく指で遊んだ。
ぽつり、と誰にも聞こえないように桔梗は何かを、何かを呟いた。
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