自分の言葉に鈍感、他者の言葉に敏感
子供が小さい頃は、お母さん同士、話す機会が多くあります。
時に話が興に乗りますと、知らず知らずのうちに余計な事を言ったのか、相手の方が気分を害してしまった事があります。
…何がいけなかったのだろう?と分からなくなります。
自分の鈍感さを、いやおう無く、認識させられます。
一方で、他者から不愉快な言葉を投げかけられ、鼻白み、素っ気ない態度に変わってしまった事もありました。
その方は、急な私の態度の変化に原因が分からず、首を傾げる風です。
誰もが経験したことではないでしょうか。
人と話す時、えてして自分の言葉に鈍感で、他者の言葉には敏感になり易いのでしょう。
これは、子供のいじめで「からかっただけ」「いじめられた」の関係で、原因の一つになるかもしれないと考えたりします。
きっかけは「言葉」で不愉快にさせられた子供が、言葉で抗議することが出来ず、からかい風のいじめで抗議するかもしれません。
相性の良し悪しで、同じ言葉でも、人それぞれ良くも悪くも受けとります。
いじめられた子供は、自身の言葉で相手が不愉快になった事など想像もしません。
「何も悪いことなどしていないのに、どうしていじめるの?」と考えるのは当然です。
いじめる子供の、かたくなになってしまった心が、覗ければ良いのにと思います。小さい彼は、言葉で表すことが出来ません。
いじめのきっかけになる「言葉」を大人が聞き出す事が出来れば、「あなたの“この言葉”が彼を嫌な気持ちにさせたので、あなたをいじめる事になってしまった。これからは言わないでね」と諭せます。子供もお互い納得するでしょう。
今は単純な子供らしい生活は望めず、小さな胸で人間関係に気を遣いながら生活しています。
この歳になりますと、こんな心の行き違いは、異なる人間同士のコミュニケーションでは避けて通れない事と半ば諦め、仕方ない、とやり過ごす事にしています。
関係を修正するのは、自分だけ努力しても辛いだけで、せんない事です。
時が経てば 双方ともに氷の気持ちがとけて、「もうどうでも良い事よ」と元のさやに収まったりする事もあります。
実家の母と、ある御近所の関係が、暫くギクシャクした頃がありました。それが一つのきっかけで、途端に親密な関係に変ります。
関係が良好になったのは、お互い連れ合いを亡くし独り身になった事も原因の一つで、誤解があった事も後に分かります。
歳を重ねて、こだわりが無くなるのでしょうか。
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