Scene37「開く世界」


 いつだったか。


 空を見上げた事を覚えている。


 その日は晴天、地球は壊滅日和。


 もう助からないんだと誰かが言った。


 報道番組ではシェルターへの避難を呼び掛けていて。


 全長60kmの大質量が惑星にぶつかれば、人類消滅級の危機がやってくるのは確かで。


 落下予想地点が海沿いというだけでイヅモは超巨大津波によって国土の数割以上が水没。


 大規模な地殻変動で沈む事すら予想されていた。


 空の果てから落ちてくるソレは人を全て消し去ってしまうようには見えなくて。


 綺麗で大きな流れ星。


 両親はシェルターに優先的な避難が出来るような地位にも無く。


 仕事を生真面目に最後までやって避難先の全てを失った我が子へ涙ながらに謝った。


 公務員なんだから仕方ないと笑って答えたら、泣かれてしまって。


 海沿いの田舎街で私は最後の願いだと夕暮れ時のお気に入りの丘の上に来ていた。


 両親はきつく互いを抱き締め合いながら空を仰いで。


 自分一人で空に手を伸ばした。


 今なら掴めてしまいそうな大きな流れ星が少しだけ羨ましかった。


 願いの象徴は熱く燃え尽きるまで進む事を止めない。


 それは何よりも今自分に欠けている事だと知っていたからだ。


 付けっぱなしの端末から聞こえてくる戦況。


 避難を呼び掛ける声。


 そろそろ時間だからと両親の腕の中に戻ろうとした時。


 それは花開いた。


 とても綺麗な色をした温かな光。


 AL粒子の本流が全てを包むよう空に散って―――心の底から美しいと震えたのだ。


 それが人の齎す奇蹟だともう知っていたから。


 それはまだ学生だった頃。


 進路に迷っていた時の記憶。


 クリフ・リッケンバインはこの世界がまだ滅ばないと知って……あの光に恥じない自分であろうと決めた。


 機甲歴0057年1月26日。


 その日も世界は常と変わらず。


 たぶん、誰かが支払った代償によって平和を勝ち取っていた。


 *


「ん……?」


 起き上がった時。


 クリフは既に自分が機体から降りている事を理解した。


 冷たい床の上に倒れているが、節々は軋んでいない。


 頭を振るようにして辺りを見渡せば、其処がギャラクシー級のハンガー傍だと分かる。


 周辺には人がバタバタと倒れており、慌てて近寄ろうとした途端。


 グラリと脳髄を駆け上がる吐き気に襲われて膝を付く。


 一体、何が起きたのか。


 過去の記憶を辿れば、イーグルから降りて艦のブリッジに向かおうとした所で記憶はプッツリと途切れていた。


(何か、攻撃が? いや、であるならば、沈んでいないのはおかしい)


 時計を見れば、まだ動いている。


 今時珍しい機械式。


 その時間は戦闘が終わって彼が通路に降りた時、確認してからまだ十分と経っていない。


「こちら、クリフ、リッケンバイン……っ、誰か応答してくれ。ブリッジ……!!」


 吐き気を何とか飲み込みながら、力の入らない声でまだ外していなかったヘッドセットのマイクに話し掛ければ、呻き声だけが彼の耳に届いた。


(これは……艦全体に異変が起きているのか? 僕一人で収拾出来る範囲を超えてるかもしれない。とにかく、ブリッジの機能を回復させないと……っく)


 何とかよろめくのを我慢して、吐き気を飲み込みながら、クリフが呼び掛けつつブリッジへと向かう。


 そうして数分後。


 彼が問題なくブリッジに着くと内部では殆どのオペレーターが気を失って呻いていた。


 しかし、その中で一人頭を振って立ち上がる者が一人。


 神野信一郎の背中をクリフが叩く。


「大丈夫か!!」


「あ、ああ、今のは何だったんだ……く」


「艦のあちこちで倒れている人間を見掛けた。呻いているだけで命に別状は無さそうに見えたが、実際にはどうか分からない。とにかく艦の把握と体勢の立て直しをすべきじゃないのか」


「言われなくても、認証……神野信一郎。艦の状況を出せ」


 簡易のAIシステムがオペレーターの作業無くメインモニター内に現在の艦とその周囲の情報を映像他諸々の数値で映し出した。


「な?! 此処は何処だ?!」


「アレは……コロニーの残骸、なのか?」


 彼らが見たのは宇宙とは到底思えない七色に染まる空間とその内部に浮かぶ鈍色の細長い構造物。


 その全長数十kmにも及ぶソレは間違いなくコロニーの真芯に当るユニットに違いなかった。


 端に巨大な四角推上の物体。


 エピオルニスとその表層にしがみ付くリングシャードも見える。


―――こ……ちら……デュ…オン……聞こえますか?


 オープンチャンネルでの通信に信一郎が頭痛を何とか堪えて答える。


「こちらフォーチュン所属。ギャラクシー級高機動戦艦」


―――フォーチュン!! やっぱり、貴方達はあの子達が言っていたフォーチュンの方々なんですね!?


「あの子達? 済まないが、こちらは突然の事に混乱している。詳しい状況を説明願えないだろうか」


―――ようやく繋がった……こちらデュカリオン!! 現在、竜宮マナさんとアハトさんを保護しています!!


「そうか。二人が……ん? デュカリオン、だと?!」


 彼らが思わず顔を見合わせる。


 二人は社会人の一般教養として、それなりに歴史について知っていた。


 その範疇からすると。


 彼らの前にある細長い鈍色のコロニーの一部は既に消滅したはずの亡霊。


 否、遺物モニュメントであるらしかった。


 *


―――機甲歴0053年7月7日午前0時00分。


 ヴォルフ共和国の成立と同時に始まった第二次大戦開始から数ヶ月。


 混迷を深める戦乱は次なるステージに移行しつつあった。


 新戦力たるミーレスの誕生。


 これにより大打撃を被った連邦軍宇宙艦隊は再編を余儀無くされ、現状では複数の地点で共和国側に対し劣勢を強いられている。


 これから続くだろう数年間にも及ぶ泥沼の戦いの序曲にしか過ぎないとしても、今や世界は卓袱台返しが可能な“何でもあり”の世界である事は間違いない。


 非常時には今までの常識が曖昧となり、時に否定され、時に新たな秩序が生み出される。


 混沌が孕む新たな世への胎動。


 それを世界の殆どの人々は無意識ながらに感じてもいるだろう。


 だから、そんな非常識というやつが一つ増えたからと言って、彼らを本質的に排除しようとする輩は誰もいなかった。


 いや、どちらかと言えば、誰も知らなかった。


 それもそのはず。


 彼らは現在、この世界に存在しているが、異邦人に他ならず。


 懐かしささえ覚える人々は世界がこれからどう混迷を深めていくのかを知っていた為に憂鬱ですらあった。


「………」


 コロニー・ハドラマウドの崩壊。


 それに伴うエルジアの首都への奈落弾頭投下、消滅。


 彼らの歴史がこの数年で分厚い本になってしまうくらいの変遷を辿った第二次世界大戦の序曲は徹底的な殲滅と報復に基く大量虐殺、大量絶滅の危機。


 これをこれから今一度経験するのかと思えば、憂鬱にもなるだろう。


 無論、そんな常識とはまるで無縁の者もいるが、それは極少数だ。


 例えば、宇宙の彼方から地球に辿り着いた滅びた王国の王子様、とか。


 例えば、宇宙の彼方から地球に辿り着いた滅びた家の女騎士、とか。


「く……もしも、この身体じゃなかったら、物凄く食べたかった!!」


「匂いだけ分かるって、何だか申し訳ないですね……」


「いや、いいんだ。こういうのは雰囲気とか匂いだけでも十分に楽しめる」


 リーフィスが肉の焼ける匂いに微笑んで、ファリアに肩を竦めた。


 バーベキューである。


 満点の夜空の星を見上げながら、偽装粒子力場による外部からの観測を遮断している一行。


 少年と愉快な仲間達+ルミナスのリンケージ達は食事に勤しんでいた。


 調達者は七士を初めとして彼に野生動物の獲り方を習った元テロリスト達。


 未だハイパーボレアの姿も無いイフシード大陸の荒野には原生動物達が数多く。


 二十人程の彼らは水牛を二頭程仕留めて、キャンプ地へと帰還。


 味気ない主食である乾麺麭を齧りつつ、捌いたばかりの新鮮な肉をこんがり焼いて艦内の調味料で味付けしつつ食べている。


 四つ程ある焚き火の内の一つは七士、アイラ、ソフィア、ファリア、イゾルデ、リーフィス、ケントが囲んでいた。


「それにしても過去の世界だなんて……未だに信じられませんね」


 ファリアがポツリと呟いた。


「だが、事実なのだろう。少なからず、この大陸があの蜥蜴人間共で溢れ返っていないのだから」


 イゾルデが胡乱な瞳でしっかりと焼けた肉を齧りつつ、珈琲を啜る。


「ブラックホールキャノン同士の衝突。そして、君達に預けたグラビトロンのパーツと奈落獣達が手に入れようとしていた遺物。どれも重力に関わるものばかりだ……信じられなくはあるが、現実である以上。ルミナスにも予測出来なかった事象が起きたと考えるべきだろう」


 ケントが珈琲を口にして静かな瞳で炎を見つめていた。


「それにしても此処が過去だなんて信じられない話ですよね。アイラさん」


 横のアイラにソフィアが話し掛けると彼女がコクリと頷く。


「従来の相対性理論では考えられない話ですが、未だALも奈落も研究は道半ば。未知の領域が多過ぎる以上、否定出来ないと思われます」


 全員の話が未だに核心を付いていない事に少年は溜息一つ。


「それでこれからどうする? 帰り方も分からない。かと言って歴史に干渉していいのかどうかも定かじゃない。安いSF小説の類なら歴史を変えても無駄かもしれないと言う話もある。もし、それが可能だとしても、同じ人間が同じ宇宙に存在する事で何らかの問題が発生しないとも限らない。パーティーの中に物理学者や数学者のようなテクノオフィサーがいない以上、予測と推論以外でこの状況を動かすには行動するしかないわけだが」


―――。


 その少年の言葉にアイラ以外の誰もが押し黙った。


「幸いにして機体と艦は無事だった。何らかの勢力に襲われて死ぬという事は無いだろう。だが、この時代の連邦にも共和国にも頼るべきではないのは誰でも予想が付くはずだ。かと言って、このまま無作為に放浪すれば、未来兵器に等しいガーディアンを未来人が持ち歩いている。なんて絵空事がバレる可能性もある。ロクな事にならないのは目に見えてるな」


 言いたい放題な少年にイゾルデが不機嫌そうな瞳を向ける。


「自分達の所属した勢力に味方するという選択肢を忘れていないか?」


「構わないが、共和国内部の闇は深い……大き過ぎる力は破滅を呼ぶ。強大な力を手にした共和国が連邦やこれから現れる勢力に潰されるというシナリオも考えられる。ただ勢力を強くしたところで歴史が転ぶ方向を制御出来るわけじゃない」


「………」


 イゾルデが最もな七士の言葉に黙り込む。


「これは本質的に過去を変えるかどうか。そして、帰る方法があるのかどうか。そういう問いだ。帰ろうとするなら、協力者を見つけなければならない。帰れないならば、歴史を変えるかどうかを選択しなければならない。変えれば多くの人間が救えるかもしれないが、同時に多くの人間を殺す事にもなるかもしれない。歴史がそれを許したとしても、それが自分達のいた世界に影響を及ぼすかは未知数だ」


「なら、お前はどういう風にするのがいいと思ってるんだ? 荒那」


 リーフィスが三日でそう呼ぶようになった少年へ訊ねる。


「個人で判断すればいい。この状況下では部隊単位での意思統一なんてものはナンセンスだ。絶対に譲れない一線があれば、変えたいと思うやつは変えるだろうし、変えない奴は変えないだろう」


「じゃあ、お前は変えるべきだと思うのか?」


「一部、変える必要がある。少なからず帰る方法は模索するべきだ。その為に協力者を得ようとするなら、歴史は変るはずだ」


「……なら、これから起る虐殺を止めないのか?」


「止めてもいいが、明らかにリスクが高い。未来の人間が関与したとなれば、付け狙われるのは確定したようなものだ。この場合、連邦だろうが共和国だろうが、切り刻まれてモルモットになるのは想像の範疇だな。それでも助けたいと願うなら、自分の命を差し出す覚悟がいる。無論、一人でも捕まれば、この場の全員に危険が及ぶ事になる。それに全員が納得出来るなら、構わないが……」


 リーフィスの真剣な瞳を少年が真正面から捉える。


「積極的な介入はしない。帰る方法の検討が先だ。それが終ってからなら、介入の余地はある。勿論、虐殺を止める方に舵を切ってもいい。だが、何の考えもなく歴史に介入するのは反対だ」


「分かった。それが最善ではあるだろうしな」


 少しだけ目を細めたものの。


 宇宙人の王子様はそう頷くのみに留めた。


「個人的にはそれで構わない。まずは自分達の状況を知るのが先決だろう。だが、協力者を探すと言ってもどうする?」


 ケントが七士の案にそれが一番バランスが取れているだろうと納得はしつつも、案の穴を指摘する。


「それなら目星は付けてある。世の中には自分の仕事以外に何ら興味を示さない科学者、無駄な野心の欠片も無い、自分の技術にしか興味が無いマッドサイエンティストってやつがいる……それが未来人だろうが過去の人間だろうが、異世界人だろうが、異次元人だろうが、平行世界人だろうが、関係ないってスタンスのな」


 イゾルデとリーフィスとケントが如何にも胡散臭そうな顔をしたものの。


 自分達の知り合いにそんな相手がいるわけでもないので互いに顔を見合わせる。


「七士様はやはり凄いのですね」


 ソフィアがとりあえず状況が飲み込めていないのかと思う程に感心した様子で驚き。


 ファリアは目をパチクリとさせ、アイラはさすが七士様ですと何処か誇らしげだった。


 機甲歴0063年からの来訪者達は過去に到着して三日目。


 満天の星の下で行動を開始した。


 まるで天の川を渡って織姫に会いに行く彦星のように………。

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