死線(プロローグ 17/25)
私たち三人は、完全に動かなくなった怪甲虫を囲んでいた。
甲虫の背中には四枚の半透明な羽。この羽を昆虫のように小刻みに振動させ飛行するための揚力を得るようだ。これが私が初見でこいつを咄嗟にトンボと形容した理由だ。しかしトンボと明らかに違っているのは、羽の羽ばたきを阻害しないような配列で背中に生えているトゲだ。
節足も十本以上ある。もうこの時点でこいつは我々が知る昆虫というカテゴリーの生物ではありえない。
もうひとつの形容であったカブトムシを思わせるのはその頭部だ。前方に向かい大きくせり出ているツノとその下に覗く顔はカブトムシのそれを思わせる。その角の周囲にも、背中と同じような短いトゲが何本も生えている。
頭部はカブトムシ、胸はトンボ、では胴体は? 蛇か? その甲虫の胴部分は、長い尻尾のようになっていた。もし昆虫に尻尾があったらこのような形状になるのではないかというように、その尻尾はいくつもの節に分かれていた。その尻尾にも、頭部、背中同様短いトゲが列している。
この甲虫の体長はやはり三メートル程度だったが、角の先端から尻尾の先までを含めると、十メートル近くに達する。
「死んだのですか?」
甲虫から顔を上げて田中が問うと、隊長は、
「恐らくな」
そう言って、つま先で動かなくなった甲虫の頭部を小突いた。甲虫はぴくりともしなかった。
「調査隊、以前隊長や田中さんたちが目撃した怪物とは違うようですが……」
私は二人を見て言った。
「そうだな」
と、隊長。田中も、
「ええ、我々が見た怪物とは全然違います」
そう言って骸となったであろう甲虫を見下ろした。
「怪物にも色々な種類がいるということなんでしょうか」
「怪物か……」
私の疑問に隊長はその場にしゃがみ込むと、銃弾を浴びて空いた甲虫の外殻の亀裂にマシンガンの銃身を突っ込み、てこのようにしてその亀裂をさらに広げ、
「こいつは、生物なのか?
私の意見を問うてきた。私もしゃがみ込み、亀裂の中を覗き込む。
「……そうですね。こんな外見だから、昆虫類の一種かと思いましたが」
さらに顔を近づけて匂いを嗅ぐ。
「甲虫の外殻、内蔵と体液、と言われれば納得しますが、装甲と機械部品、そして潤滑油のようなものだと言われても、否定はできませんね。詳しくは解剖してみたほうが」
「こいつは……何者かに作られたものかもしれない? 人工物の可能性もあると?」
「わかりません。ぜひ持ち帰って調査をしたい。まあ、恐らく転送で破壊されてしまうでしょうが、成分を分析することは可能です」
そこまで言って、私は立ち上がった。
「とりあえず、こいつの体を構成する物質が、無機物か有機物かを判断することはできるんじゃないか?」
隊長はそう言うと、左手端末の操作を始めて、
「亮次くん、
「あ!」
私は隊長の考えを悟って、
「そうです! 有機物の複雑な分子配列が錬換プログラムと反発するため……」
「やってみよう」
隊長が左手を甲虫の死骸に向けようとしたその直後。
「何だ?」
田中が呟いた。その理由は私にも、恐らく隊長にもわかったらしい。
この音。単一ではない、いくつもの音が混じり合っている。
地響きのような音、聞いたことのない獣の咆哮のような音、そして、ついさっきまで聞いていた憶えのある羽ばたき音、それらが混じり合いながら、音は次第に大きくなっていく。
「林だ!」
隊長が叫んだ直後、林の緑を切り裂いて向かってくるものがあった。それは大量の、
「怪物だ!」
田中の叫び通りだった。
無数の怪物、としか形容しようのないものが、唸り声、地響きを上げながら迫ってきていた。
種類は様々だ。調査隊が遭遇したと思われる二足歩行の爬虫類のようなものもいる。
何本もある細長い脚を地面に突き立てながら走ってくる蜘蛛を思わせるもの。
獣のような体躯を持ち四本脚で駆けてくるもの。
蛇のように細長い体をうねらせて地面を這ってくるもの。
コウモリのような翼を羽ばたかせ飛んでくるもの。
今ほど隊長が倒した甲虫と同じものも確認できる。
それらが群れを成して迫ってくる。
同じような外見をしていても、その大きさは統一されていない。小さなものから大きなものまで、二メートルから五メートルほどに間に分布している。調査隊の報告にもこのような記述があったことを思い出した。
「逃げろ!」
隊長は叫んだが、私と田中はそれを聞くより前にすでに走り出していた。
全力疾走。体力に自信があるほうではない私だが、怪物に追いつかれるより早く扉まで辿り着くことはできるのではないかと思った。怪物と私たちとの距離を見てそう判断した。
田中は私より早く扉に辿り着き、扉を引き開けてそのまま押さえ、私を振り返った。
「亮次さん! 早く!」
そんなことを言っているようだったが、走ることに全神経を集中させている私の耳には正確に届かなかった。背後から迫ってくる怪物らの音が気になっていたせいかもしれない。
その音に混じって、時折銃声も聞こえる。サブマシンガンで隊長が怪物どもを迎撃しているのだろう。振り返って様子を見る余裕はない。
「――!」
脚が
情けない。この日に備えて体力を付けるためのトレーニングもこなしたのだが、所詮付け焼き刃だったようだ。走る気持ちに脚が付いてこなかった。
私は地面にしたたか打ち付けた肩や膝の痛みを堪えながら立ち上がった。普段であれば転がり回るくらいの痛さなのだが、この非常事態にそんな余裕はない。
しかし、立ち上がり再び走り出そうとした瞬間、今までに経験したことのない感覚が私を襲った。
背中と腹に異様な衝撃を受けた。
私の目の前の地面に、赤く濡れた槍のようなものが斜めに突き立っている。こんなものはついさっきまではなかった。この赤い液体は、血? 誰の?
答えはすぐにわかった。私の腹部から、どくどくと音を立てるように血が流れ出ていた。
私は膝をついて仰向けに地面に転がった。私の目には、空を埋めつくさんばかりの怪物の群れが映ったが、私の神経はそれに集中することはできなかった。
私は改めて顎を引いて自分の腹部を見る。
「――」
本能的に悲鳴を上げようとしたらしいが、声が出なかった。
私の腹部を濡らす血液は止めどもなく流れ続け、仰向けの体勢になった私の胸、脇腹までもを濡らしている。灰色の作業着は、そのほとんどの面積を赤くしていた。
私の視線は現実から目を背けるように、空へと移動した。
空には様々な姿をした怪物が羽音を響かせて浮かんでいる。
隊長と一戦交えた甲虫と同じ外見をしたものも何体も見受けられる。それとは別種の甲虫型怪物を見て、私は自分の身に何が起きたのかを察した。
相変わらずひと言では形容しがたい外見をしているが、我々が知る生物の中でもっとも近い外見を探すとしたら、それは蜂だ。
腹部の先にまさに蜂を思わせる針が突き出ている。だがその針の長さは、我々の知る蜂とは比べものにならない。鋭い円錐状の針は蜂モドキの腹部の半分以上の長さを体外に露出させている。針というより槍だ。
空中にいるため大きさの目測もあやふやだが、この蜂モドキの全長は三メートル程度だろうか。露出した針の長さは一メートル近くあることになる。
数匹の群れを成す蜂モドキの中の一体に、針が付いていない個体がいるのを目に止めた。
別の蜂モドキが私の頭上までホバリングをしてきて、腹部の先を私に向けた。狙いを定める微調整のように腹部を細かく動かしていたが、その動きを止めると、吹き矢の様な音を発して槍のような針を私に向かって射出した。
狙いからしてその射線の果てには、私の首か頭があったようだが、その射出された針は空中で切断され、二つの欠片となってそれぞれ私の頭の左右に落ちた。
「――!」
私の顔を隊長が覗き込む。何か叫んでいるが、私は耳を悪くしたのだろうか。何も聞き取ることはできない。
隊長の手には剣が握られている。今しがた放たれた針は私に到達する寸前に、隊長がその剣で叩き折ってくれたのだろう。
強化スーツにはまだ視神経を活性化させ視力を増強する機能は未搭載のはずだが、そんなものに頼らなくとも、隊長は飛来する怪物の針を剣で迎撃することに成功したのか。本当に頼りになる人だ。
「――!」
隊長は尚も何か叫びながら私の体を引き起こし、その肩に担ぐ。
足の速い個体であろうか。一体の爬虫類に似た怪物が隊長の背中に襲いかかったが、隊長は振り向き様の一刀でその怪物の頭部を叩き割った。
隊長は剣を投げ捨てると私を両腕で抱え、扉に向かって走り出した。
田中はすでに扉の向こうに入り、扉を押さえながら何か大声で叫んでいるらしい。
扉が隊長と私を飲み込むと同時に、田中が勢いよく扉を閉めた。
外界に浴びせられていた陽光はもう届かない。廊下は暗闇となった。
いや、廊下には間接照明のような明かりがあったはずだが……
何も見えない…… 何も聞こえない…… 体を揺すられる感覚だけが分かる…… やがてその感覚も遠のいていき……
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