第8話 連れ去られるみやび

「いいよ、いいよ、そのまま少しアゴを引こう。ウーン、プリティ」

 

 雑誌専属カメラマンの巧みなリードは、被写体に最高の表情を引き出させていた。

 

 被写体――みやびはレンガの花壇に腰かけ、右脚だけを曲げて抱えている。視線を地面に落とし、憂いをおびた表情。

 鮮やかなブルーの地にピンクの花をあしらったブイネックのフレアスリーブトップに、グリーンのストレッチスキニーパンツという出で立ちは、みやびの健康的なセクシーさを醸し出していた。

 

 夏休みに入って一週間目。今日はお昼からここN市東山動植物園ひがしやま どうしょくぶつえんで、雑誌のグラビア用撮影を行っている。


「オッケイ! 終了でーす」


 陽に焼けた若いカメラマンは、白い歯をのぞかせて笑う。

 そろそろ夕飯を想像したくなるころ、タイミングよく声がかかった。

 撮影には雑誌の編集者、カメラ照明等のアシスタント、スタイリストも同行している。


「お疲れーっ」


 ボブヘアに黒いフレーム眼鏡、きつめの化粧顔に少し丸みがかった体型の女性が、みやびにタオルとペットボトル飲料を渡した。

 肩にショルダーバッグを二つかけている。ひとつはみやびの私用のものだ。


「ありがとう、弥生やよいさん」


 みやびは所属している芸能事務所のマネージャーである、斜目塚弥生ななめづか やよいに笑顔を向けた。

 アラサーの彼女には、事務所の社長も一目置いている。癖のある業界において叩き上げてきた、バリバリのキャリアウーマンなのだ。


「じゃあ、私たちは機材片づけてもどります」


 男性編集者が告げる。斜目塚はうなずいた。


「了解でーす。お疲れさまでした」


 みやびや他のスタッフたちも口々にお疲れさま、と挨拶を交わす。


「今週はいつものグラビア撮影だけだったけど、来週はテレビロケよ」


 斜目塚は額の汗を拭きながら、ショルダーバッグから厚いシステム手帳を取り出し確認した。


「ケーブルテレビですよね。あーあ、早く地上波放送に出演したいなあ」


「あと少しよ、みやび。

 社長が作曲家の先生をくどいているから。持ち歌さえ出来れば、あとは私の腕の見せどころ。売って売って、売りまくってあげるわ」


 斜目塚は少々だぶついてきた二の腕を、ぶるんと震わせる。

 と、携帯電話の着信音が斜目塚のショルダーバッグから聞こえた。


「はーい、斜目塚。ふむふむ、はーん、なるほどね」


 どうやら、少々こみいった話らしい。斜目塚はみやびに、しかめた眉の表情をする。


「了解でーす。じゃあすぐに向かいます」


 終了ボタンを押すと斜目塚は、ハアッとため息をつく。


「どうしたの、弥生さん」


「ほら、昔からウチにいるタレントさんで、偽超能力を売り物にしている、テレポート田中っているじゃない。彼のマネージャーをやっている健ちゃんからでさあ。

 テレポート田中が結婚式の出し物で、営業に行ってるんだけどね」


 斜目塚は詳細を説明した。


「――で悪いけど、私これからすぐに行かなきゃならなくて。みやび、ひとりで帰れる?」


 仕事の時は自宅への送迎を、斜目塚は自家用車でしてくれているのだ。


「大丈夫、大丈夫。アタシは子供じゃないし。この動植物園からなら、地下鉄で一本乗り換えるだけだから。

 早く行ってあげてください」


 みやびは笑顔で答えた。


「そう、ごめんね。じゃあ来週またよろしくね」


 斜目塚はショルダーバッグをかけ直し、駐車場へ向かった。


 しばらく手をふっていたみやびは、軽く伸びをしながら空を仰ぐ。

 そうだ、と思い出したようにショルダーバッグからスマートフォンを取り出して、電源を入れた。撮影中はオフにしていたのだ。

 メールは友人のミキから一件のみ。


 電話の着信履歴を見て。眉をひそめた。


(しゃちょー、からだ。いやだ、何十件留守電に入れてるのよっ。暇なのか、それともストーカーなのか)


 着信履歴に「しゃちょー」という文字がずらっと並んでいたのだ。

 折り返しはしない。用があればまた架けてくるでしょ、てな具合だ。

 みやびは自分のショルダーバッグを肩からかけ、歩き出した。


 平日とはいえ、夏休みの動植物園は子供連れの家族や若いカップルが遊びにきている。

 すらりとした体形に色目華やかなスタイルのためか、それとも雑誌で見かけたことがあるからなのか、すれ違う人々がふり返る。みやびの持っているオーラが、視線を引き寄せるようだ。

 あからさまに好奇の視線を感じることもあるが、みやびはすでに慣れていた。


 地下鉄の駅は動植物園の出口から、前の道路を渡ってすぐだ。


 みやびは出口の回転式の扉から表に出たとたん、悪寒に襲われ、ビクッと硬直する。思わず両肩を抱くほどの、不吉な感じに包まれてしまっていた。


(な、なにこれ? もしかして雍和? いやいやまだ太陽は沈んでいないし、しかもこの人ごみだし)


 みやびは思考の途中で、ハッとあることに気づいた。


 まさか、と思いながらそっと斜め左後方をふり返った。


「お疲れさまーっ! みやびちゃーん」


 そこには一週間前、伊佐神に引き合わされた仲間、炉治玉三郎が千七百シーシーのハーレーダビッドソン・ロードキングにまたがっていたのであった。

 かなり大きなリュックを背負っている。登山にでも行くのであろうか。

 身長が低く両足は同時につけないため、片足をつま先立ちにしている。シルバーのハーフヘルメットからオカッパの髪が垂れ下がっており、どう見てもメタボの河童である。

 メタルフレームの眼鏡の上に、ゴーグルをかけている。唐草模様の濃い緑色のTシャツに、汚いジーンズ姿であった。足元はピンクのクロックスサンダルだ。ハーレーに、サンダル。違和感大。

 

 みやびは悪寒の根源を見て納得がいき、きびすを返して立ち去ろうとした。が、あいにく信号が赤に変わってしまっていた。


「くすっ、くすくす、グヘヘヘッ。相変わらず、みやびちゃんは照れ屋さんだなあ。ボクと目が合った瞬間、嬉しそうに頬を赤らめて、うつむいっちゃったよ。

 罪な男と言われるのは慣れているけどさ、みやびちゃんも例外なくボクの魅力にノックダウンってか。

 そうだ! あとで冷やしたサラダ油をおすそ分けしてあげよう。マグボトルに入れてきているしね。夏バテしたら大変だもーん。

 今日の撮影はハードだったろうから、身体に脂分注入しないとね」


 珠三郎はにっこりと微笑んだ。


(うわぁ、なにか口元をゆがめながら、ブツブツ独り言しゃべってるー。キミワルッ。

 ああ、頬が膨らんだっ。気分悪くて吐きそうなのかしら。えっ、あれは微笑んでいるらしいわ! いや、ウインクか。

 手が震えだした! 痙攣けいれん? あっ、おいでおいでをしてるんだ)


 みやびはあからさまにイヤそうな表情をしながら、仕方なく珠三郎に近寄る。


「今日は雑誌ティーンレディの写真撮影だったよね、ご苦労さま。あの山下ってキャメラマンは、みやびちゃんのキューティーな部分をしっかり引き出すから、われわれファンの間ではまずまずの合格点を付けてあげてるんだあ」


「あのー、なんでアタシがここにいるって、わかったのかしら? 

 別にアタシはブログとかもやってないし、事務所のホームページにも行動予定は載せてないと思うのだけど」


「わーっはっはっはっ! なーに、たいした手品でもないさ。先日、我が家にお出でいただいた時にね」


 珠三郎はみやびの腕を指し示した。


「ハイッ?」


「みやびちゃんの腕時計のベルトに、ボク特製の発信装置を付けといてあげた。

 GPSで、いつでもみやびちゃんのもとへ駆けつけることが可能なようにさ」


 珠三郎はブイサインとともに、不敵な笑みを浮かべるのだ。


「ゲッ! いつの間に?」


 みやびは驚愕し、あわてて腕時計のステンレスベルトを外した。


「大丈夫だよ、みやびちゃん。ちっとやそっとでは発信機は外れないようにしてあるから、安心してよ」


 みやびはめまいで倒れそうになった。


 あの日、伊佐神と二人でお邪魔した珠三郎の部屋を思い出し、さらに気分が悪くなる。

 そこはゴミ屋敷を凌駕りょうがする、妖怪の魔窟まくつと呼んでも何ら差し支えない人外魔境じんがいまきょうであったのだ。普通の人間が生活する場所とは、到底思えなかった。

 あまりの異臭に、そういえば意識がもうろうとしていたことも思い出した。珠三郎に握手を求められ、嫌々した記憶がある。あの一瞬で時計に細工を施したということか。


 手品師を通り越し、犯罪者ではないのだろうか。


 二度とあのマンションには足を踏み入れないぞと、みやびは固く決心したのであった。


「さってと、じゃあ行こうか」


「ええっ! どこへ? 何しに? 誰が? 誰と? 理由は?」


 後退しようとしたみやびの腕を、蛇が獲物に跳びかかる速度で珠三郎の手が、ガシッと捕らえた。


「ヘルメットは、タンデムシートの横ね」


(ひええっ、腕をつかまれたあぁ)


 みやびは腕力にはかなり自信がある。腕相撲でもクラスの体育会系クラブの男子にも多分負けない。現役モデルでアイドル志望としては、あまり自慢にならないので試したことはないが。

 幼少時より祖母から宝蔵院流槍術の手ほどきを受け、免許皆伝の後も日々祖母と一緒に稽古に精進している。だから腕力や身体能力が卓越しているのだ。


 ところが、この珠三郎だけにはまったくその腕力が効かないことに気づく。珠三郎がことさら力を入れているわけではないのだが、つかまれた腕を振りほどくことができない。と言うよりも、なぜか逆らえないのだ。


(どうして? どうしてえっ)


「さあ、出発するよーん」


 みやびを乗せたロードキングが、車道へ勢いよく飛び出した。

 青信号で走ってきた自動車の鼻先をかすめるように、一気に加速する。


「イヤアアッ、た、す、けてえぇっ」


 真っ赤なフルフェイスのヘルメットをかむったみやびの叫び声が、ドップラー効果のようにこだましていった。


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る