九/犬神、姿を見せる

「嘘だ、嘘だ嘘だ!嘘を申すな、この化物が!!!」

寛十郎は錯乱して、今度は刀を抜いてむちゃくちゃに振り回した。

恐怖のあまりずいぶん後ずさってしまっていたが、この女を殺さねば、俺の人生は終わる。なんとしても殺さねばならぬ!

『ふざけるな』

そんな声がした。

どこから。目の前の女から聞こえる。女の声には聞こえない。やけに耳に響く太い声――そして、女の後ろに、何かが現れる!

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

女の後ろには、見紛うことのなき化物が、蜷局を巻くようにこちらを睨んでいた!

面長の、巨大な巨大な犬――!毛足が長く、白く、燃えるような目と、二つに別れた巨大な尾、人など一薙ぎで切り裂くであろう、巨大な爪!

人ひとり丸呑みできそうな顎には、びっしりと鋭く太い牙が並んでおり、その舌からは、ちろちろと赤い炎が漏れている。

そして、地面を震わせる恐ろしい唸り声――!

『おれの妻を二度ならず三度までも斬ろうというか――人間!!」

地響きか、雷鳴もかくやというその声――!

「た、た、助けて……!」

『貴様……おれの妻が、おとなしく名乗り出ろと言ったのだ……!殺さずに許してやろうという温情を、仇で返すとは万死に値する……!貴様など、百億の地獄に落としてくれるわ……!灼熱の溶岩にまみれながら、自らの血をすすり、ハラワタを喰らい、目玉をしゃぶり、魔羅を噛み締めながら、苦痛にのたうって後悔するがいい……!』

呪詛の言葉を吐きながら、犬神がますます膨れ上がる。もはや屋敷をも簡単に踏み潰しそうな大きさである。

「ひいいい!お助けを!お助けを!」

『もはや、貴様など名乗りでるまでもない!今、この場で、この俺が貴様……あ痛っ』

「怖がらせて楽しまないでください」

見ると、女が犬神の胸毛を軽くひとつかみ、引っこ抜いていた。

『楓、痛い』

犬神は胸毛のあたりを前足でこする。涙目である。

「別に怒ってもいないくせに、悪趣味にもほどがあると思いますよ」

胸毛をフッと吹いてぱっぱと手を払う。

『だって、この男、往生際が悪いし、そろそろ面倒だったし……あと胸毛抜くのやめて。痛い」

「大丈夫、あたしが最後まで話をつけます」

そして数歩。寛十郎が落とした刀を拾う。

「この刀は、証拠ですので預かります。それで、どうしますか?山本様」

楓は、にっこり笑って言う。

「名乗り出るか、夫の夕飯になるか、好きな方を選んでください。夫には、できるだけ肉は食べさせないようにしているので、できれば名乗りでてくれたほうが有難いですねぇ」

もはや、寛十郎には、楓に逆らう気など起きようがなかった。

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