279区 加速

これは本当に狩りなのかもしれない。


後のことはどうでもいい。


とにかくゴールテープを切るまでの約950m。

時間にして2分40秒程度。

その間さえ体が持ってくれれば良い。


ゴールしてそのまま倒れてもかまうものか。

私は心のなかで必死に自分へ言い聞かせ走る。


息をするたびに、肺が痛みを訴えていたし、脚にいたっては、まるで漬物石でもくくり付けているかのように重たかった。


それに、倒れた時に擦りむいたようで、手足のあちこちから出血もしていた。


それでも、しっかりと前へと進めている。


「桂水高校頑張れ!」

「いいぞ! 追いつけるぞ!」

沿道の声は、間違いなく私に力を与えてくれている。


なにより、自分が走っている時に桂水高校と呼ばれるのが妙に嬉しい。


桂水高校に進学することは、自分の中でかなり不本意なことだった。

合格発表で自分の番号を見つけた時も喜びなんてなかった。


入学式の日に晴美と一緒に学校へ向かっていても、夢も希望も感じていなかった。


でも今は違う。


たくさんの仲間に出会えたし、楽しいこともたくさんあった。

悔しい思いもいっぱいしたけど、それすらも良い思い出だ。


今は桂水高校へ来て本当に良かったと思う。

だからこそ、この桂水高校で、この女子駅伝部で都大路を走りたいのだ。


そのためにも、今頑張らないといけない。

えいりんを追うと覚悟を決め、200mは走っただろうか。


まだまだ差はあるものの、あきらかにえいりんの姿が大きくなって来た。


かなりの無理をして全力を出し続ける自分にとって、えいりんの姿が大きくなっていくことがこんなにも勇気づけられ、元気を貰えるとは思いもしなかった。


時計を付けていないので自分がどれくらいのスピードで走っているのか正確なことは分からないが、あきらかにトラックで800mのレースを走る時よりも速い感じがする。


ラストスパートは別として、ロードをこんなにも速いスピードで走るのは生まれて初めてかもしれない。


トラックと違い、ロードで猛スピードを出して走ると衝撃も半端なく強い。


タスキを貰ってからここまでの疲労と衝撃のせいで、一歩踏み出すごとに脚が破壊されていく錯覚におちいる。


残りは約700mくらいだろうか。


そのうちの500mはトラックなので、ロードを走るのは後200m程。

どうにか脚が持ってくれることを祈るばかりだ。


残り700mを切ると競技場が近いこともあり、沿道には多くの人が立っていた。


スピードを上げているせいで、沿道の人達が流れるように過ぎ去って行く。



ふと、明彩大合宿に行った時のことを思い出す。


牧村さんの運転は本当に凄かった。

3000m障害で高校新を出した日の帰りに家まで送ってもらったが、あれは生きた心地がしなかった。


牧村さんの運転は、景色が流れるというより、自分が瞬間移動をしているという表現が近い気がする。


牧村さん本人は、「ランナーは大体スピード狂だから」と笑っていたが、絶対にそれはランナーがどうこうではなく、個人の趣向だと思う。現に永野先生はきちんと安全運転だ。


だが、こうして多数の沿道の人の前でスピードを上げて走っていると、牧村さんが言わんとすることも、少なからず理解出来る気がして来た。


流れるように過ぎ去って行く沿道の人達と、一歩進むごとに大きくなっていく、えいりんの後ろ姿に、私は奇妙な快感を覚えつつあった。

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